2009年7月10日 (金)

映画「剱岳・点の記」…神々しき自然と凛々しき精神!

 176回目のブログです。

 先週半ばに、ある異業種の勉強会があり、その時、映画「剱岳・点の記」が話題
に上り多いに盛り上がりました。わたしはまだ話題性の多いこの映画を観ていな
かったのですが、この湿り気の多い天候と不確かな世の中にあって、スカッとした
気分を味わいたく、
早速週末に映画館に足を運びました。

  映画「剱岳・点の記」

   原作    新田次郎
   監督    木村大作(著名なカメラマンの初メガホン)
   出演    浅野忠信、香川照之、役所広司 松田龍平
   上映時間 1時間39分
   あらすじ  日露戦争後、人跡未踏といわれた北アルプス立山連峰の剱岳山頂
          に三角点設置の命を受けた、陸軍参謀本部陸地測量部の測量官・
          柴崎芳太郎。幾多の困難を乗り越えて山頂に挑んだ…。

 いやあ、なかなか素晴らしい映画でした。物語、歴史、景色、俳優、演技、どれを
とっても満足がいく一級品。

 最近は、ピントの甘いビデオ撮影を中心にしたものや、CGデジタル・オンパレード
の映像、映画が氾濫していますが、その不自然さにはもう飽き飽きしてきました。
どうにもやりきれない気持ちを持っているのは一人わたしだけではないでしょう。

 つい先日TVで見た「レッドクリフ(赤壁の戦い)」など、CGを多用しており、赤壁
の戦いは歴史的な存在であるにもかかわらず、ある種、絵空事の薄っぺらい印象
を避けることはできませんでした。

 それなどにくらべ、この映画「剱岳」は、木村監督が2年半に亘って、情熱をもって
凝りに凝り、すべてフィルム実写でおこなわれ、デジタルでは絶対的に表現できない
であろう、微妙な色彩や大胆で荒荒しい大自然の風景が描かれており、まさに、
圧巻とはこのことを指すと言っても過言ではありません。さすがに黒澤映画の撮影
を担当していた木村監督の面目躍如ですが、黒澤映画以上と評されるのも肯けます。

 あらすじも、今流に表現すれば、骨太の物語と言えます。明治40年、日本地図
完成のために、最後まで残されていた立山連峰・剱岳(2999m)に、三角点設置の
ための登頂を挑む測量隊の姿と、彼等をアシストする山案内人の苦闘の連続を克明
に描いており、深い感動を呼びます。

 そういうなかにも、情感溢れる夫婦愛、心の通う家族の絆、信頼感が結ぶ先輩と
後輩などのシーンがところどころに織り込まれ、えもいわれぬ心の美しさを感ずること
ができます。

 それにしても、明治期、明治時代はすごいですね。男が男として、凛々しく純粋に、
与えられた仕事(使命)に不屈の精神でひたむきに黙々と邁進し、また、その目的を
達成する為に多数の人が支援を惜しまなかった、そのすべての人の「公のこころ」
に頭が下がる思いを禁じえません。

 それは、今、平成の御世のわれわれが、あまりにも自己主張と「私」が全面に出
すぎ、他人を慮ったり、「公」の感覚が少なくなっているから、特にそう思ったのかも
知れません。

 原作者の新田次郎は、気象庁に務めながら小説を書き、「八甲田山死の彷徨」
「武田信玄」「富士山頂」などが有名であり、妻の藤原ていも小説家です。

 藤原正彦氏は、新田次郎・藤原ていの次男であり、数学者、エッセイストとして著名
ですが、4年前に出版した、警世・愛国の書「国家の品格」(新潮新書)は200万部
を超える、いわゆる超ベストセラーとなっています。この映画には、藤原氏の夫人と
三人の息子さんが端役として出演…花を添えています。

 藤原家は、端からではありますが、立派な品格を備えた家族のように窺えます。
一方、現代の政治家(国政はもちろん地方政治も含めて)が、自分の地盤後継者
に、政治の志もなく、国家、歴史、軍事などの政治の基本的知識や判断力もない、
自分の娘や息子などをあてがったりしている姿は、唾棄すべき、薄汚れた存在と
して、まことに見るに耐えられません。
その意味でも、政治家(政治屋)は心を洗う
ためにもこの映画を鑑賞すべきではないでしょうか。

 映画「剱岳・点の記」の映像と物語の素晴らしさに感動を覚え、余韻さめやらぬ
その夜9時のTVで、石原裕次郎二十三回忌特別企画として放映された名作映画
「富士山頂」
を見ました。何と、これも新田次郎の原作だったのです。

 台風を早期にキャッチしその被害を最小限に減らすために、3774メートルの富士
山頂にレーダーを設置する、三菱電機や大成建設の技術者やそれを支援する人々
の苦闘と団結を描いた感動巨編。石原裕次郎・勝新太郎・渡哲也などが演ずるわが
日本の元気だった日と躍動する時代精神。…これを取り戻すことが、今、最も肝要
なことだと感じた次第です。

 奇しくも、新田作品の映画を2本見たことになりますが、1本は映画スクリーン、
1本はTVで、どちらも素晴らしい出来映えです。

 映画「剱岳・点の記」を強力に推薦します。若い世代もぜひ観て欲しいと思います。
“神々しき自然と凛々しき精神”…この映画は真実の元気・活力をもたらしてくれる
ものと確信します。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

 

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2009年7月 3日 (金)

目から鱗…子供の才能を引き出す教育法!

 175回目のブログです。

 沖縄では、はや梅雨明け宣言が出されましので、近いうちに本州も梅雨が明ける
でしょうし、いよいよ暑い夏本番、賑やかな夏祭りの到来となります。

 わが国、日本の最大の特徴は、一年を通じて美しい四季を明瞭に感じ取ることが
でき、
それが年々歳歳、繰り返されてきていることでしょうか。暖かい春、暑い夏、
涼しい秋、寒い冬、この自然の流れに逆らわず、順応していくことが、最も人間的な
ことかも知れません。

 生活は自然に逆らわずと思っても、子供をどう導いていけばよいのかは、誰しも
悩みの種ではあります。ところで、子供の才能を最大限に引き出すというような教育
法がはたして存在するのか、もしあれば、一度考えてみたいと思う親(パパ・ママ)は
数多いのではないかと推測します。

 世に言う「英才教育法」は、石井式、久保田式、あるいは公文式など色々あるので
しょうが、先日フジTV系列で放映された「エチカの鏡~ココロにキクTV~」という番組
での『横峰式 子供はみんな天才~やる気にさせる4つのスイッチ~』で紹介された
幼児教育法には、まさに目から鱗、驚きを隠せませんでした。ものすごい反響を
呼んでいます。

 この番組はドキュメンタリー・バラエティ・トーク番組であり、エチカとはラテン語で
「倫理」(人の生きる道)の意味であり、英語の「ethics」(倫理学・倫理・道徳・修身)
の原語だそうです。

 「ヨコミネ式教育法」(yy方式・yy保育)の紹介は、まさにエチカという名に相応しい
番組内容ですが、この教育法を編み出した横峰吉文氏は、有名な女子プロゴル
ファーの横峰さくらさんの伯父にあたります。横峰氏は鹿児島県志布志市の通山
保育園でこの教育法を実践し、実に驚くべき実績を挙げているようです。

 ヨコミネ式教育法の特徴は、子供を叱り飛ばしたり、軍隊式だったり、あるいはスパ
ルタ式などで押さえつけるのではなく、子供には無限の可能性があることを認め、
自主的に、のびのびと、子供自身のやる気を引き出すことにあります。

 わたしも、TVを見ていて、まさかこんなことがあるのだろうかと自分の目を疑い
ましたが、事実は事実、思い出すままにピックアップしてみましょう。

   園児は保育園に来るとすぐに徒競争する。毎日、裸足で20分間こと
    で運動不足を解消するとともに、脳を活性化させる。

   9時から10時までの間、「読み」「書き」「計算」(独自の教材)を各20分
    実施。一切無言。朝走っているので集中できるのである。これで卒園時
        には平均1500冊の本を読破しているそうで、まさに驚きとはこのこと!

   体操は、三点倒立から逆立ち歩き、ブリッジから逆立ち歩き、ブリッジ歩き、
    10段の跳び箱、宙返りなど、5歳児は全員できるのですから、まさにこれも
        驚き!また、50メートル走も小学校2年生男子以上のタイム。

   音楽も「絶対音感」(音を聴いただけで音階が分かる)が身に付く。

   運動をたくさんしたために、お昼の給食も集中してモリモリと食べ、午後は
        自由時間。

 これらを見ても、それでも、まさか、まさかと思うところもありましたが、次の横峰
吉文氏の説く基本的教育理念を聴いて完全に納得しました。

   『子供をやる気にさせる4つのスイッチ』

   子供たちは競争することが大好き

    ・毎朝行う徒競争では、園児に必ず順位をつける。
    ・常に競争原理を追求し、他の子に勝っていると感じることで、もっと上達
           したいという向上心を刺激することが必要。
     ・子供は成長したいという本能を持ち、負けてもいいという子供はいない。  

  子供は真似をしたがる

    ・音楽でこの特性を生かし、絶対音感を身につけさせている。
    ・簡単な音符の真似から曲へ(ピアノ→ピアニカ)

  子供はちょっとだけ難しいことをやりたがる

    ・子供は難しいことは嫌がり、簡単なことは飽きがくる。
    ・子供に文字を教える場合、「あ」から教えない。「あ」は曲線が多く、
           バランスも複雑であり、最後に教える。(教える順序は下記参照)

       1、一  21、ル  41、ケ  61、う  81、め
       2、|  22、ホ  42、ム  62、て  82、ぬ
       3、十  23、オ  43、キ  63、と  83、す
       4、ニ  24、カ   44、チ  64、ち  84、み
       5、エ  25、メ   45、ネ  65、ろ  85、や
       6、ノ   26、ワ  46、ソ  66、る  86、そ
       7、イ   27、ウ  47、ン  67、ら  87、な
       8、テ   28、ス  48、シ  68、か  88、お
       9、ナ   29、ユ  49、ツ  69、の  89、ゆ
       10、ハ  30、ロ  50、ヘ  70、ひ  90、を
       11、フ  31、ミ   51、り   71、せ  91、ふ
       12、ラ  32、ク   52、く   72、さ   92、え
       13、ヲ  33、タ   53、つ  73、き   93、ん
       14、リ  34、ヌ   54、し   74、よ  94、あ
       15、サ  35、マ  55、い  75、ま   95、む
       16、ヘ  36、ア  56、こ   76、は
       17、ト   37、ヤ  57、に  77、ほ
       18、コ   38、セ  58、た  78、わ
       19、ヨ   39、ヒ   59、け  79、け
       20、レ  40、モ   60、も   80、ね

  子供は認めて欲しい

     ・もっとも重要なスイッチである。
    ・園児が読み終えた本を保育士がノートにすべて記録。この単純なことで、
     より達成感を覚え、ますます楽しくなり、次の本に挑戦する。

 素晴らしい園児教育法ですね。横峰氏は、これは「英才教育」ではなく、「子育て」
であり、子供は無限の才能をもった天才であると主張しています。この「ヨコミネ式
教育法」は、燎原の火の如く全国に拡がらんとしておりますが、現在、すでに全国
131ヶ所で採用されているそうですから、この園児らが成人になるころが非常に
楽しみになります。

 それにしても、日教組的、反日左翼的な、平等・人権教育と称するものは、もう、
止めにしませんか。それは真の人間教育ではなく、エセ平等、エセ人権のイデオロ
ギー教育に過ぎず、子供の将来のためには、百害はあっても、一利もありません。

 世界は厳しい競争社会であり、わたし達はその厳しさを克服していかねばなりま
せん。
それを幼い時から自然な形で実感し、人間的にも、能力的にも大きく成長
する「ヨコミネ式教育法」は、まさに、わが国を救う教育の一つと言えるのではないで
しょうか。

  著名な脳科学者である茂木健一郎先生のコメント

   大人が子供はここぐらいまでしかできないと思い込んでいる。
   例えば、九九は小学校2年生ぐらい。など。

   競争心をスイッチにするのは大事。

   人生を考えると、自分がビリだったときの経験などが、大人になってから
   役に立つ。一位になった子だけでなく、ビリになった子も、学ぶ事がある。

   劣等感に向き合うということも、脳にとってはとても大切な学びの場。

   劣等感をこの世から無くすのは不可能。
   ならば、子供のときから、なるべく早く劣等感というものを経験させて、
   向き合わせてあげたほうが、よっぽど大きな人間になる。

   自分の能力を伸ばすことは、人と違う風になるということ。
   ある物差しではビリの子は、別の物差しだとトップかもしれない。
                          (ブログ絵ココロより引用) 
    

 久しぶりに、ためになるTV番組を見ました。この教育法にぜひ注目していただき
たいと思います。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

 

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2009年6月26日 (金)

「抜本的日本効率化」の断行…これが現代の革新だ!

 174回目のブログです。

 空梅雨とは言いながら、やっと、しとしと雨に会う日が増えてきましたが、「梅雨」は
稲作などの農業のためには不可欠であり、貯水のためにも最低限は降って欲しいと
思う今日このごろです。

 年間の天候サイクルから、仰ぎ見る天には湿った空気と雨を望むにしても、わが
選良、政治家にはカラッとした、未来を拓く大胆さとそれを遂行、断行、実現しよう
とする真の勇気を望みたいものです。

 それにしても、つい先日、自民党の一陣笠政治家が、「大政奉還」して民主党に
政権を委譲してはと主張しましたが、これほど、政治家の歴史認識が薄っぺらで、
恥ずかしいことはありません。明治維新の大政奉還は、そんなに軽々なものでは
なく
、「日本の存亡」をかけた極めて重大な選択だったのです。

 明治維新の時と今の皮相的な自民党/民主党間の政権争奪問題とは、レベルも
内容も、それを担う「人物」も、そして「覚悟の精神」においても、天地雲泥の差、月と
すっぽんであることは、言を待ちません。明治維新という、わが国の歴史に厳しくも
燦然と輝く、時代を画する大きな節目について、この程度の知識と認識で衆議院
議員が勤まっていることに、わたしは驚きを隠せません。また、それを無批判に面白
おかしく取り上げる、マスメディアの何とも言えない、軽薄さと知的レベルの低さに、
これまた、唖然としたところです。

 昨今の混迷する時代、国を大胆に革新していこうとするならば、時代背景をきちん
と押さえておく必要があると思います。

   既に情報化社会のまっ只中にいること。
  
明治の廃藩置県の時に較べ、情報伝達、交通のスピードが向上し、国民の
    行動範囲が著しく拡大していること。
  
国内治安の質が大幅に変化してきていること。
  
少子高齢化が顕著にすすんでいること。
  
一応、餓死者はいないこと。
  
近隣諸国の軍事的圧力が厳しく増大していること。

 その他、教育問題、農業問題など挙げれば切りがありませんが、上の6項目を背景
として考え、以下のような抜本的、大胆な政策を断行しなければ、ニッチもサッチも
行かないのではないかと思われます。

  「国民サービスカード」(全国民)を創設する。

   保険証、運転免許証、社会保険など、行政にかかわる全情報を包括した、
   いわゆる国民総背番号制を採用し、行政の無駄・非効率を徹底して排除
   するような、超効率の行政システムを構築する。現在のわが国の情報シス
   テム技術をもってすれば、困難なことでなく、要は、政治家の覚悟の問題で
   あり、あれこれのたまう口先評論家は居ても、一応は説得、最後は無視し、
   断行すべきである。これで、官の非効率は抜本的に解消される。

  「指紋押捺システム」(全国民)を設ける。
    
   現代の複雑な犯罪、今や日本国民だけでなく外国人の犯罪も悪質化して
   おり、安全な社会を作り上げるには、指紋押捺システムの採用が最善の策
   である。日本国民、外国人など全ての人を対象とし、いざ事件発生の際は、
   即座に威力を発揮するであろう。現在のわが国の技術からすれば、非接触
   押捺システムも可能であり、押捺の非人道的違和感は無いと思われる。

   例によって、いわゆる人権・人道派が猛烈な反対をするであろうが、ほとんど
   の国民が、安全な社会を望んでいる状況をバックに、的確な説得、最後は
   押し切るだけの勇気を持つべきであろう。彼等は、犯罪を無くしたいのでは
   なく、犯罪発生の要因だと考える権力層を攻撃したいだけである。

   犯罪・暴力社会を望む国民はほとんどいないので、国民に「公の精神」を
   要請すれば、十分納得してくれるはずだ。

 今や、少子高齢化の時代であり、このままの状態で推移して行けば、とどのつまり、
奈落への道をまっしぐらであることは、ほとんどの人が実感しているのではないかと
思います。

 であるとすれば、わが国を抜本的に、大胆に、スピーディに、効率の良い国、行政、
社会
にしてゆく以外に生きる術はないのではないでしょうか。それには、今まで、
一部の人(人権派、利権派、左翼、反対屋、準外国人、エセ評論家など)が反対
していて、日の目を見なかった政策も、改めて検討し、断行するならばするという
強い意思を示す必要があります。

 その意味で、いささか古い記事ですが、“トロン”、“ユビキタス社会”の提唱者で
あり、世界的に著名な東大の坂村健教授の論稿は大変示唆に富んでいます。

  「住基」超える「国民」カードで

  すべての社会プロセスにおいて、今まで以上の効率化を達成すること-それは
  いまや単なる努力目標でなく、日本が生き残るために避けて通れない段階に
  きている。

  情報化の目的も結局のところ端的にいってコストセンターからの人員削減なのだ。
  日本にとっての最大のコストセンターは国、地方自治体を合わせた巨大な行政
  機構である。

  一番合理的なのは、住基カード(住民基本台帳番号)に関する規制を見直し、
  米国の社会保障番号のような多様な利用を可能にすることだ。この機会に、
  それに対応した最新のネットワーク対応ICカードの採用を提案したい。

  「住民基本台帳カード」というのも、いかにも行政側の管理のにおいがする
  「上から目線」を思わせるので、名称もこの機会に「国民サービスカード」と
  変える。

  何より大事なことは「(国民サービスカードの導入で)何人の公務員、どの程度
  の行政予算を減らせるか」というコスト削減の目標を国民に提示することだ。
  技術ができる限りのことをしても、プライバシーにもセキュリティーにも完全は
  ない。そのリスクを前提にしてもなお、日本が生き残るために、やらなければ
  ならない。そういう覚悟を示す時期に今や来ているのではないだろうか。
                   (2009/3/18 坂村健教授 産経新聞正論抜粋)

 坂村先生の社会構築、経済戦略的発言には、真実、納得させられてしまいます。
先生がおっしゃるように、もう、「日本が生き残るために」やらなければならない時期
にきていると思います。

 日本が生き残るためには、私利、私欲、私権を離れ、公(おおやけ)の精神で、
真実の革新的な政策、すなわち、「国民サービスカード」と「指紋押捺システム」を
推進、断行すべきだと考えます。

 真実の革新的な政策とは、このような国家国民のための大胆なものを指すので
あり、古い左翼イデオロギーにまみれた旧套墨守の、いわゆる革新政党のエセ革新
策とは、全く立場を異にするものです。

 いよいよ待ったなし。来るべき総選挙では、そのような見識と良識を備えた議員
を選びたいものです。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

 

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2009年6月19日 (金)

「中国の言論統制」を直視しよう!

 173回目のブログです。

 いよいよ梅雨に入りましたが、今年は空梅雨が予想されており、まだそんなに
梅雨らしき天候になってはいません。それでも、「梅雨(つゆ)」と聞けば、鬱陶しさと
じめじめした雰囲気に陥るものです。

 天候は空梅雨であったとしても、世の中は中々からっとせず、明るい話は、わずか
に株価が日経平均で10000円を回復した位でしょうか。政界は相変わらずどんより
したまま、政策よりも政略、公(国家・社会)よりも私(選挙・利権)、本当に何とか
ならないものでしょうか。景気も今一歩。

 そうは言いながら、色んな問題点はあるにしても、わが国は、少なくとも、「言論の
自由」
は一応保障されており、国民のすべてが民主主義的自由を謳歌していること
は特筆すべきことだと思います。

 ただ、不思議でならないのは、わが国で言論の自由を認識し、謳歌しているにも
かかわらず、言論の不自由な国、言論統制の国、一党独裁の国を高く評価し、
それになびこうとしている人々がかなり存在していることです。

  メディアに「批判書かず世論誘導を」 
               中国、パソコンに検閲ソフト義務化

  中国で販売するパソコンに政府指定の「検閲ソフト」搭載を義務付ける
  当局の措置に対し、マスコミを管轄する共産党中央宣伝部が各メディアに
  「批判記事を書かず、検閲ソフト支持に世論を誘導する」よう、通達した。

  政府への批判を封じ込める中国の情報統制の実態が、あらためて浮かび
  上がった。

  「青少年の健全育成」が名目。ネット上では「人権侵害だ」「民主化情報
  を遮断する狙い」と批判が出ている。通達を受けたのは、中国国内の新聞、
  テレビ、ネット媒体など、口頭で。

  10月の建国60周年を控え、当局は社会の安定を最重要課題と位置付けて
  いる。北京市内に昨年の北京五輪並みの厳戒態勢を敷く一方、情報統制
  も徹底する考えだ。

                         (2009/6/12 Chunichi Web 抜粋)

 いやあ、驚きますね。これは言論統制というよりも言論弾圧というべきかも知れ
ません。最近は中国関係のニュースは、環境問題を除いては、どちらかと言えば、
礼賛記事ばかりですから、国内で不気味な恐怖政治が行われていることが、わたし
達の頭からすっぽり抜けていました。このニュースで、認識を新たにしたところです。

 中国(正式名:中華人民共和国)は、今、破竹の勢いで経済成長しており、もう
すぐにも、わが日本国のGDPを抜き去ろうとしています。もちろんのこと、国内的
には、都市部と農村部の超格差、環境、失業、水資源など克服すべき問題点は
多く指摘されていますが、忘れてならないのは、中国は依然として、「一党独裁の
国家」
であることです。

 中国の人口(民)は13億人と言われており、彼等を統治するには、強権的な独裁
が不可欠であるという論もありますが、それはひとつの俗論に過ぎません。独裁は
独裁であり、国民の真の幸福に直結するものではないでしょう。「精神の自由」、
「言論の自由」、「信仰の自由」はわたし達人間が本来的に求めるところではないで
しょうか。

 その意味で、上に掲げた記事には注目するとともにある種怖気を振るいます。
わが国のマスメディアからは、中国の光、礼賛ばかり(特に経済面)が伝わり、陰
の要素はほとんど伝えられません。光と陰、ここであらためて、中国の本質を直視
してみる必要があるのではないでしょうか。

 つい先日は、インターネット電話でも、日常的に「検閲」が行われていることが暴露
されましたから、言論の全てが党、軍などの権力により捕捉されていると見なければ
なりません。

 たしかに、一党独裁の権力を維持するためには、不断の強権的姿勢を誇示しな
ければならないのでしょう。

 6月4日は天安門事件(北京天安門広場で民主化運動を展開していた市民や学生
に対し、共産党軍が戦車を出動させ武力弾圧をはかり、約2000人を殺戮した事件)
20周年にあたりましたが、厳重な警備体制を敷き、民主化への動きを押さえたと
報道されています。

 国内だけではありません。周辺の国家・民族への弾圧も極めて激しいものがあり
ます。例えば、北京オリンピック時の強烈なチベット弾圧を想起してみてください。
「自由」や「独立」に対しては、徹底的に弾圧しようとする姿勢は、よほどのことがない
限り変わらないと思われます。

 さらに、周辺国家へ硬軟交えた圧力を加え、領土・領海の拡張、政治・外交の影響
力増大を期していると考えるべきでしょう。

  中国の軍事費、世界2位に ストックホルム国際平和研調べ

  スウェーデンのストックホルム国際平和研究所が8日発表した2009年版
  年鑑で、中国の08年の軍事費が英国、フランスを抜き、米国に次いで
  初めて世界2位となったことが明らかになった。

  中国の軍事費は推定849億ドル(約8兆1500億円)と前年に比べて10%
  増えた。過去10年で3倍になるなど高いペースで拡大し、世界全体の軍事
  費の5.8%を占める規模となった。
年鑑は「中国の軍事費は大国志向を背景
  に経済成長とほぼ並んで増えている」と分析した。
                             (2009/06/08 Nikkei Net 抜粋)

 10年間で3倍の軍事力増強。これは、恐ろしいほどの脅威と言わねばなりません。
しかしながら、このような事態に直面しても、マスメディアの影響か、わたし達はどう
にもこうにも、おそろしく感度が鈍くなってしまっているように思えてなりません。
わたし達は、真実に対してもっと厳しい目を持つ必要があるのではないでしょうか。

 近隣の強大国とどう付き合うべきか、故高坂正尭先生の論稿が参考になります。

  “自由を守る姿勢崩すな”

  日本のマスコミほど「自主規制」をする存在は珍しいというのが世界の常識
  である。相手の怒りそうなことは書かないという姿勢故に、ソ連や中国や
  北朝鮮の自由の欠如は、ほとんど報道されない。そして批判しても怒らない
  「寛容」な国や集団については、いくらでも批判するのだから、結局は
  非寛容な人々の圧力に屈しているわけである。

  一体それで腹が立たないのであろうか。もしそうなら彼らは自由の精神を
  真実には持っていないということであろう。…自由が犯されているのを
  見ると腹が立ってしかたがないというのが自由の精神の基礎だ
…。

  共産主義国や共産主義勢力とつき合うとき、現実にはにこやかにつき合って
  も、心の底には彼らの自由の精神の欠如への厳しい批判がなければ、結局、
  われわれは自由を失うであろう。

        (高坂正尭教授・昭和50年8月30日・産経新聞正論掲載抜粋)

 素晴らしい、珠玉の論稿ですね。今から34年前書かれたものとは思えないほど、
現在でも生々としています。先生は、34年前のことですから、共産主義国と表現
されていますが、現在、北朝鮮は封建奴隷制共産主義国であり、中国は一党独裁
であり、ロシアは権威主義国家
であり、まさしく当時のまま当て嵌まると考えても
いいのではないでしょうか。

 わたし達は、事実を直視し、高坂先生ご指摘のように、「自由を守る姿勢」を崩す
べきでなく、自由の精神を高らかに歌い上げるような、外交と内政を志向しなければ
ならないと考えます。

 来るべき総選挙では、そのような見識と良識を備えた議員を選びたものです。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

 

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2009年6月12日 (金)

奥深き京の都…平安京~南禅寺を歩く!②        

 172回目のブログです。

 先週に引き続き、“閑話休題”(それはさておき、あだしごとはさておき、
さてところで、はなしかわりまして)として、京都散策の後半をたどります。

 新熊野神社(いまくまのじんじゃ)を経て、昼食後、右側に大きなお寺、智積院
(ちしゃくいん・真言宗)を見上げながら、賑やかな門前通りである、『清水坂』
『三年坂』を歩きます。日曜日ですから、本来ならば人・人・人で溢れかえるのが
通常ですが、例のインフルエンザ発生による修学旅行の中止などで、三分の一
くらいだったでしょうか。

 京都は、このインフル騒ぎで、修学旅行などの観光客が激減し、その直接的損失
は40億円~60億円と言われていますから、大打撃であり、この秋予想される流行
には、今から備える必要があります。まさに、新型インフルエンザはわれらの敵です。

 それでも、人波を掻き分けてすすむことには変わりなく、高台寺、八坂神社から
『円山公園』に着きます。ここで注目したのは、円山公園の象徴と言われる「祇園
枝垂れ桜」
です。数年前であれば、この巨木が、それはそれは、豪華絢爛な櫻の
花を、花見の客に惜しげもなく誇らしげに誇っていたのですが、何と今は、衰弱し
切り、上半分くらいは枯れかけている有様で、いかにも“無残”としか言いようがあり
ません。原因は、環境の悪化といわれていますが、この櫻の木がどこかもの悲しく
見えたのは、わたし一人ではないと思います。

 次に、除夜の鐘で有名な知恩院(浄土宗総本山・法然上人)、楠の大木で知られる
青蓮院(天台宗門跡・皇室や摂関家の子弟が入寺する寺院)、巨大な朱の鳥居の
ある平安神宮、わが国が誇る京都市美術館を経て、疎水蹴上げに至ります。

 京都の歴史を語る時、ややもすると、古の平安の御世に目を奪われ勝ちですが、
もちろんそれはそれで間違いではないのですが、近代、明治時代へ目を向けること
も大切です。その重要なポイントが、蹴上げ(けあげ)の疎水関連です。

 明治維新後の沈滞した京都に活力を取り戻すための政策が、京都人の永年の
夢であった琵琶湖から水を引く“疎水”(灌漑・給水・発電などのために土地を切り
開いてつくる水路)計画です。明治18(1885)年着工、明治23(1890)年完成。また、
明治24(1891)年、この蹴上げにて日本で最初の商業用水力発電所が稼動した
ことは、わが国文明史に特筆されています。

 ここの小さな公園に、疎水計画を設計、推進した偉大な人物(田邊朔郎氏)の
銅像が建っています。わたしは、全く知らなかったのですが、この設計を担当した
のが、当時工部大学校(現在の東京大学)を卒業したばかりの青年技師、田邊
朔郎氏
だったのです。

 何と21歳。若さも若し。それに加えて、当時の京都市予算の十数倍という莫大な
費用を、若い田邊氏に任せたのですから、明治時代の偉大さに目が眩みます。
田邊氏は、その輿望(よぼう・世間一般の人々から寄せられる信頼、期待)に応える
べく、想像を絶する努力を重ね、既存の技術に新技術を加味し遂に成功したのです。
それにしても、あらためて、“明治の凄さ”を実感します。

 蹴上げには発電所などの景観がありますが、何と言っても目を引くのは『インク
ライン』
です。インクラインとは傾斜面にレールを敷き、動力で台車を動かして船や
貨物を運ぶ装置ですが、上側の蹴上げと下側の南禅寺船溜には、そのレールが
現在も残されており、わたし達はそこを歩いて上りました。なかなか情緒がある
ところですし、まさしく明治の建設の息吹を感ずることができます。

 さて、いよいよ終わりに近づきます。蹴上げから南禅寺疎水閣まで、高い位置
にあり、満々とした水が流れている疎水に沿っている、人ひとりが歩ける狭い裏路、
それも鬱蒼とした薄暗い路をゆっくりと歩きました。
こういう所であればこそ、歴史
に生き、技術を極め、明治という時代を担った有為の人物に、自然と頭が下がり
ます。この裏路は、琵琶湖から毎日200万立方メートルの水が流れる“疎水”を
実感するには最適ではないでしょうか。

 ここで終着点の南禅寺、疎水閣に着きました。『疎水閣』は、今や京都の風土に
溶け込み、古びた煉瓦のアーチ(アーチライン)の数々は、観光客などが写真を
撮る際の、格好のバックグラウンド(背景)となっています。いわば最高のロケー
ションとして、わたし達もここで全員の記念写真を撮りました。京都でも有数の名所
でもあり、穴場でもありますので、あらためて推薦しておきます。

 『南禅寺』は、臨済宗の大本山であり、鎌倉五山(建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智
寺・浄妙寺)、京都五山(天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺)の別格上位の
名刹であり、わが国全ての禅寺のなかで最高の格式を有しています。開基は亀山
法皇。

 国宝、重要文化財は目白押し、建造物、障壁画はもちろんのこと、枯山水の庭園
は有名ですが、特に秋の紅葉狩りには最適ではないかと思います。

 さて、10kmにわたる京都散策、ウォーキングは、新しい発見もあり、なかなか
面白く、また有意義でもありました。自分では知っているつもりではあっても、無知
であることがよくわかり、“謙虚さ”をもつことを教えられました。京都はまだまだ奥
が深いことを理解したところです。

 10km…この距離は適当な距離であり、10時~16時…この時間も適当であり、
トータルで快適な疲れを催し、素晴らしい散策となりました。

 最後に、恒例によりうどん屋に入り、ビールで乾杯! 乾いた喉に、ごくっごくっ。
次回の企画を歓談しながら……散会。
 
 歴史あるところの散策…これは、なかなか興味を引きます。

 あらためて、みなさんにもぜひお薦めします。

次回も
時事エッセー
です

 

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2009年6月 5日 (金)

素晴らしきかな京の都…平安京跡~南禅寺を歩く!①    

 171回目のブログです。

 先日の日曜日、友人10人と京都散策と洒落てみました。と言いましても、散策と
いうよりもウォーキングがてら和やかな会話を楽しもうとの企画です。天候は、前夜
からの雨が早朝まで続き、実行が危ぶまれたのですが、メンバーの日頃の行い
が良い(?)のと、晴れ男が一人いるという巡り合わせで、陽射しのきつくない、絶好
の晴天となりました。

 歩きながら、わたしのブログの愛読者から、政治問題や社会問題のような固い
話題ばかりでなく、時には気を抜いた、軽いことも書いてはどうかと、親切なアド
バイスをもらいました。

 たしかにそうですね。“閑話休題”が必要だと思います。閑話休題は音読みでは、
「かんわきゅうだい」ですが、ルビを振る場合は、「それはさておき」とか「あだしごと
はさておき」あるいは、もっとくだけて、「さて、ところで」とか「はなしかわりまして」
とかの振りがなとなりますから、今回は気楽に書いてみます。

 わたし達は京都のことはかなり知っているつもりですので、今回の散策コースは、
歴史に埋もれた所などもコースに含まれています。JR京都駅よりひと駅大阪寄りの
JR西大路駅をスタートし、10キロ歩いて、終点は南禅寺疎水閣。

 途中の見所は、「西寺跡」「羅生門跡」「東寺」「東山通り」「清水坂」「三年坂」
「丸山公園」「知恩院」「疎水蹴上げ」「南禅寺」「疎水閣」などなど盛沢山。

 西大路駅から約10分で『西寺跡』に着きます。平安時代、羅生門を入ってすぐ、
朱雀大路を挟んで東側に東国を守る東寺、西側に西国を守る西寺があったのです
が、今は、西寺は跡形もなく、わずかに基台石が二つ残っているだけで、物寂しい
形だけの公園となっています。

 昨年、奈良平城京を訪れましたが、奈良には、東大寺、西大寺が今も隆々と存在
しています。一方、京都では東寺は今も隆々としていますが、西寺が無く、まさに片
落ちというべきで、まことに残念です。

 西寺から5分のところに『羅生門跡』があります。今は、何も残っておらず、小さな
公園に、羅生門跡地という石碑がポツンと建っているのみです。古は、“鳴くよ鶯
平安京”の794年に建てられた南の正門であり、幅33メートル、奥行8メートル、
二重閣瓦屋根造、棟の両端に金色の鴟尾(しび・鳥の尾または魚の形をした飾り)
のある堂々とした、まさに日本の凱旋門のような存在であったようです。

 羅生門(古くは羅城門)は、源頼光・渡辺綱の鬼退治や芥川竜之介の小説でも
有名ですが、それにしても、それと覚しきものが何も残っていないのは、いかにも
侘しく、心寂しい限りです。

 次は『東寺』。東寺真言宗の総本山、薬師如来を本尊とし、開基は桓武天皇。国家
鎮護の寺院であるとともに真言密教の根本道場です。わたし達は一般的に東寺と
称していますが、別名は「教王護国寺」と言われる、格の高い寺院ですから、周り
を囲む築地塀(ついじべい)にも定規線として最高格の五本線が刻まれています。

 東寺は、新幹線の窓から良く見える五重塔で有名であり、もはや東寺というより
は、京都を象徴する存在というべきでしょう。また、弘法大師の命日にちなみ、毎月
21日には、「弘法市」という、日本一の骨董市が開かれます。俗に「弘法さん」と呼
ばれるほど庶民に親しまれていますが、わたしは未だその中に入ったことがないの
で、機会をみて覗いて見たいと思っています。

 さて、東寺からメインストリートの九条通りを歩き、京都市の東側を南北に走る東山
通りに向かいます。途中、『鴨川』(加茂川・賀茂川)の高架橋を渡りましたが、水は
清らかであり、水鳥や白鷺、そして蝶々までもが、ゆったりと寛いでいる姿は、一瞬、
いま流行の言葉で言えば、癒されると表現するところでしょうか。

 しかし、鴨川の外を流れている小さな川は、ペットボトルやポリ袋のゴミが散見され
ましたので、環境への意識もまだまだであり、すべての国民、全市民が一体となって
ことに当たる必要性があるのではないかと思った次第です。さらに、メンバーの内の
ひとりが、現在、町内会の会長を務めているそうですが、この光景を見て、町内会も
もっと頑張らないといけないなとつぶやいていたのが印象的でした。

 いよいよ東山通り(東大路通り)につき当り、東山通りを北へ歩きます。すると
すぐに、『新熊野神社』(いまくまのじんじゃ)が目に入りました。この神社は1160年、
平安末期に後白河上皇によって創建され、当時の京における熊野信仰の中心地
です。神社境内には、樹齢約900年の老木であるご神木クスノキ(幹回り6.5m)
が天に大きくはばたくように伸びており、“鎮座”しているという言葉が相応しく、その
姿は圧巻と言っていいでしょう。

 ここらで昼食となり、食堂を探しましたが、なかなか格好の食堂がなく、仕方なく
ラーメン屋に入りました。ラーメンとギョーザが定食となっていましたが、年齢的な
こともあり、日頃、油っ濃いものを食していないので、結構美味しく食べられました。
さらに、やはりウォーキングという適度な軽い運動と爽やかな天気、加えて穏やかで
知的な会話、これらが最上級のおかずともなったために、余計に美味しく感じられた
のではないかと思われます。

 京都散策の前半はここで終わり、後半は次週のブログに引き継ぎます。

 歴史あるところの散策…これは、なかなか興味を引きます。

 みなさんにもぜひお薦めします。

次回も
時事エッセー
です

 

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2009年5月29日 (金)

「北」・「新型インフルエンザ」…外敵と戦う姿勢を!

 170回目のブログです。

 不気味な「新型インフルエンザ」が関西(兵庫県・大阪府)を中心にして、猛威を
振るい、幼稚園から大学まで全て休校となっていましたが、今週初めから、ほとんど
の学校は正常に戻ってきました。まだまだ完全終息には至ってはいませんが、取り
あえずは一安心といったところです。

 先週までは、街なかではマスク姿がほとんどであり、その風景は多少異様にも思
えましたが、慣れればそれもそれ、そんなに違和感もありません。今週の月曜日
からは、通勤電車内もマスク姿が大幅に減り、一部の人、およそ2割弱くらいの人
がマスクを着用しています。

 マスメディアの一部では、最近になって、マスクを着けるのは日本だけであり、
自分だけ掛からなければ良いという島国的な悪い思想である、なんて言う、例に
よって反日的、冷笑的な言動が出始めました。かれらは、常に、一般国民、市民の
ささやかな防衛的行動にケチをつけ馬鹿にします。わたしが日頃から、エセ評論家、
エセ解説者、エセコメンテーターの人間性を疑うゆえんです。

 良いじゃないですか。たとえその効果が薄くとも、自分の身は自分で守るという
姿勢、行動は見上げたものだと考えます。この姿勢が家族を守り、更には会社や
地域を救い、引いては国を防衛することにつながるのではないでしょうか。

 ところで、つい先日気づいたことですが、マスクを着けている人、それは女性で
あっても男性であっても、その人々が非常に凛々しく、聡明、かつ美しく感じられる
ことです。何故このような印象を持つのかはよくわかりませんが、一つには、マスク
という仮面の特性として、キリリとした内面を演じようとすることであり、二つには、
マスクを着用することにより、新型インフルエンザという外敵に、正面から向おうと
する厳しい精神が
目の輝きに表れているのではないかと推測しています。

 わが国が新型インフルエンザ問題に直面している折、近隣の問題国・北朝鮮が、
いよいよキバを剥きはじめました。先月初めのミサイル発射に続き、5月25日には
核実験を実施。さらに……。

  北朝鮮、26日は合計3発のミサイルを発射

  北朝鮮は26日夜、短距離ミサイルを1発、発射した。
  聯合ニュースによると、北朝鮮はこれまでに地対空ミサイルと地対艦ミサ
  イルをそれぞれ1発ずつ発射しているため、同日で合計3発のミサイルを
  発射したことになる。
  北朝鮮が25日に2回目となる核実験を実施したことで、国際的な批判
  が高まっている。こうしたなか韓国は、大量破壊兵器の運搬が疑われる
  北朝鮮の船舶を捕捉するための米国主導の作戦に参加する意思を表明。
  北朝鮮はこうした事態になれば宣戦を布告することも検討すると警告して
  いる。
                          ( 2009/5/27 ロイター 抜粋 )

 まさに、いよいよです。世界の問題国・「北朝鮮」(逆説的ですが、“朝鮮民主主義
人民共和国”
が正式名称、民主主義も落ちたもの、人民もどうしようもなく、共和国
も名前だけ)は、わが国にとっても、まさに、外敵と言うべき存在です。

 わが国からわが国民を拉致するという、とんでもない主権侵害を、最TOPが平気
で指示する国、それが北朝鮮ですが、『拉致』は、主権の侵害であり、人道にもとる
行為でもあり、断じて許す訳にはいきません。

 しかしながら、日本のリーダーは一枚岩ではありません。国政にあたる政治家
の全てが、北朝鮮を悪いとは考えていないのが実状です。自民党のなかにも民主
党にも、悪いのは日本であると本気で思っていたり、利権に群がったりする、日本
のための政治家でない人がかなり存在していると思われます。これでは、いつまで
たっても拉致問題は解決しません。

 北朝鮮の核実験、ミサイルに対しての危機感は、全国民が共有しなければなら
ないのですが、今回の件に対しても、一部の政治家、それも有力な政治家が、
憲法九条の戦争放棄平和愛好の心や友愛の心などで宥(なだ)めれば、すべて
解決する“ハズ”であり、話し合いをすすめるべきであると主張しています。

 バカも休み休み言ってもらいたい! 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)はそん
なに甘い国でないことは、わが国のほとんどの国民が認識しています。国際政治
や外交が冷厳な現実主義で動いているのは、まさしく歴史の証明するところであり、
厳しい現実を無視した九条主義者や友愛主義者のような、希望的観測に基づいた、
甘ったれた融和的対応が数々の動乱や戦争を惹起してきたのではないでしょうか。

 今まで、中国、ロシアはもちろんのことですが、わが日本はそれ以上に北朝鮮に
ハレものに触るように穏やかに対応、甘やかせてきた(援助・優遇・総連支援など)
ために、北朝鮮が今日のような強い軍事力と凶暴性を保有するようになったのは、
紛れもない事実です。

 同じように、新型インフルエンザも、今は、弱毒性ということで安心していることが
できますが、いつ強毒性に変化するかも知れず、耐えず監視しなければなりません。
そして、その対策については万全の準備を怠るべきではないでしょう。

 タイトルに記しましたように、「北朝鮮」も「新型インフルエンザ」も外敵と認識す
べきです。北はミサイルを日本海や太平洋にぶち込んできました。核実験もやり
ました。核の恐怖は指呼の間(すぐそば)です。外敵と認識した上で、いかに付き
合うかを模索しなければならないと考えます。

 もう、甘い対応は止めるべき。徹底した厳しい対応しかないでしょう。

 このような危機に際して、わが国は、国民全体で、防衛力・自衛隊・日米安保条約
・スパイ・基地・憲法・核・ODA・貿易秩序など本腰を入れた防衛体制について、今
すぐ議論しなければなりません。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

 

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2009年5月22日 (金)

「安全」・「安心」はコミュニティ意識の確立から!

 169回目のブログです。

 先週末には、野党第1党の党首に新しい人、と言っても古い人、鳩山氏が選出
されましたが、これから重要な総選挙に向けて、権謀術策の限りを尽くすのでしょう
が、最低限、日本という国の安全だけは守って欲しいと願うものです。

 前回のブログでも触れましたが、来る総選挙では、1テーマ(イシュー)だけで争う
のではなく、「安全保障」、「景気対策」、「財政」、「教育」くらいは対立軸を明確に
して、真の“民意”を問うべきであると考えます。

 そんな野党党首の選出騒ぎの折も折り、関西では、いわゆる新型インフルエンザ
が猛威をふるい、人人感染状態に至りました。感染者は、今週初めには200人
近くになり、兵庫県と大阪府の幼稚園・小中高校・大学など4000校以上が休校
なるという異常、緊急事態を招いています。

 連日、テレビや新聞などのマスメディアで報道されていますから、全国民は、それ
なりの情報を得ていると思いますが、政府、地方自治体の主導のもと、必死の対応
策が講じられていると実感されます。

 と言いますのも、わたしの住む市が神戸市に次いで感染者(高校生)発生という
ショッキングなニュースが、TVの画面に何回もテロップとして流れ、大騒ぎになり、
街の風景は一変しています。

 今回の新型インフルエンザはそれこそ新型ですから、全体的には、政府が対処
の指導を行うわけですが、国民・市民一人一人が自ら防衛策を講じなければなり
ません。

 その防衛策は次のようなものです。

  ① 手洗いの励行(外出から帰った時は必ず、毎回行う)
  ② マスクの着用(ウイルス対策用マスク)
  ③ うがいの励行(外出から帰った時は必ず、毎回行う)
  ④ 不用不急の集会を避ける
  ⑤ できるだけ人ごみへの外出を避ける

 マスクなどは既に完売状況であり、わたしも、散々探しあぐねて、やっと1箱買えた
だけですが、それでも、街中はマスク、マスクで溢れていますから、早くから準備して
いた人も少なからずいたということでしょう。当初はマスク姿に異様さを感じましたが、
慣れるとそうでもありません。それにしても、早くから買い求めておけばよいことで
あり、日頃からの危機管理の甘さを少々反省しているところです。

 このような身近な危機に遭遇して、「安全」、「安心」がいかに重要なことかという
ことを、肌でひしひしと感じていますが、安全や安心を脅かすものは、一つ、インフル
エンザだけでないことはいうまでもありません。

 食品(偽装・毒物汚染)、犯罪(異様・外国人)、災害(耐震・治山治水・火災)、
育児(環境・変質者)、教育(防犯・偏向)、医療(医師不足)、年金(制度・運営)、
情報社会(ウイルス・漏洩)などの国内問題から、国家安全保障問題などの大問題
など挙げれば切がなく、安全や安心への道にははなはだ遠いものがあります。

 それでも、今や、安全・安心は現代のキーワードとなっており、現代の象徴的な存在
である「携帯」では、家族や自分を守るサービス機能(ex.NTTドコモ)として、
  ① 有害サイトへアクセスできないようにする
  ② 子ども向けメニューを利用する
  ③ 子どもの居場所を確認する
  ④ 留守中の自宅の様子を確認する
  ⑤ 災害速報をメールで受け取る
  ⑥ 緊急通報(110番・118番・119番)した場所を通知する
など、安全・安心をサポートするようになっていることに注目しなければなりません。

 しかしながら、機械や機能が、如何に安全・安心志向をしていても、また、一人一人
が策を講じても、国民や市民が意識を共有するようにならなければ、その実をあげる
ことは難しいのではないでしょうか。

 今回のように、新型インフルエンザの感染者が、わが町や市に発生という事態に
なれば、地域コミュニティ(共同体)がお互いの信頼感のもとに対処、行動することが
最も重要になります。安全や安心を脅かそうとする「危機」に際しては、国民、市民
一人一人が、自ら積極的に“私”ではなく、“公”の認識を持たなければなりません。

 その観点からいけば、このたびの兵庫県、大阪府の県民・府民一体の対処は
それなりに高く評価できるのではないでしょうか。特に、兵庫県などは過去には、
阪神淡路大地震で自衛隊の救出支援を拒否するという非国民的な馬鹿げた判断
をした知事がいましたが、今回はそんなことはないようです。

 同じことは国についても言えるでしょう。政府の役割は、安全、安心な国家を維持
発展させることであり、そのためには、広義の意味での『安全保障』を追求、確立し
なければならず、それを支えるのが国民です。

 その意味で、国や国民の安全は、すべての人が国家意識やコミュニティ意識、
すなわち“公”の感覚を持っているかどうかに掛かっていると言えますが、はたして、
すべての国民がそのような認識をもっているのでしょうか。次の記事をご覧ください。

  「反対、でも守って」 ピースボート、海自が護衛 ソマリア沖

  海賊対策のためアフリカ・ソマリア沖に展開中の海上自衛隊の護衛艦が、
  民間国際交流団体「ピースボート」の船旅の旅客船を護衛したことが13日、
  分かった。ピースボートは海賊対策での海自派遣に反対しており、主張との
  ギャップは議論を呼びそうだ。

  ピースボート事務局によると、船旅の企画・実施会社が護衛任務を調整する
  国土交通省海賊対策連絡調整室と安全対策を協議し、海自が護衛する
  船団に入ることが決まったという。

  ピースボートは市民団体による海自派遣反対の共同声明にも名を連ねて
  いる。事務局の担当者は「海上保安庁ではなく海自が派遣されているのは
  残念だが、主張とは別に参加者の安全が第一」
                         (5/14  MSN産経ニュース抜粋)

 えっ! 耳を、いや、目を疑いますね。ピースボートは辻本衆議院議員が率いる
名うての左翼市民団体であり、自衛隊の海賊対策派遣に強烈に反対した組織です。
その組織が、あろうことか、海の守りである、派遣された自衛隊に海賊から守って
もらいたいとお願いし、実際に護衛してもらっていたのです。

      “ピースボートよ、甘ったれるにも、いい加減にせよ!”

 彼ら、彼女らは、日頃は、自衛隊を敵視する発言を繰り返し、あらん限りの侮蔑的
言辞を
弄し、時には実力行使も行ったりするにもかかわらず、いざ自分達の命が
危うい時には、国民の安全と生命を守る『命がけの崇高な組織である自衛隊』を頼り
にす
など、本当にとんでもない精神分裂者か、幼児的甘ちゃんとしか考えられ
ません。

 普通の大人、良識と常識ある人ならば、余りにも恥ずかしくて、穴に隠れてしまう
ところでしょう。そういう意味で、わたし達国民は、早く甘ったれた姿勢から脱し、自国
と自身を自ら厳しく守っていくように努めるべきだと考えます。

 最後に、新型インフルエンザ感染府の一府民の立場から言えば、民主党は、
この点に関しては、全国民一体となった対応を行うために、反自民・反政府の立場
を離れ、政府の諸策にすべて同調するくらいの声明を出すべきだと考えます。
それで始めて、“国民政党”だと認識されるのではないでしょうか。それとも、政局
優先で、そんなことは論外なのでしょうか。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

 

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2009年5月15日 (金)

「民意」…この言葉をもてあそぶな!

 168回目のブログです。

 今週月曜日、いわゆる大型GWの明けたその日、わが国の野党第1党である
民主党の小沢(小澤)代表が辞意を表明しました。来る総選挙において民主党が
政権を奪取しようとし、その可能性も大きいと言われている、この時期の党代表を
辞退するのは、総理大臣を断念するに等しく、おそらく断腸の思いだったであろうと
推測します。

 それもこれも、田中元総理・金丸副総理から泥臭い金権体質を引き継ぎ、そこに
自ら種を蒔き、刈り取った当然の帰結かも知れません。この辞意表明の背景の
一部には、前日発表された読売新聞グループの世論調査の結果が芳しくなかった
ことが挙げられ、“民意”が辞意を促したのではないかとマスコミでは言われていま
す。

 近年、“民意”という言葉が頻繁に使われていますが、今や、民意という怪物が
政界を闊歩していると言っても過言ではなく、この怪物は神聖なベールをかぶって
おり、変幻自在であり、容易にその真の姿をあらわすことはありません。

 振り返ってみますと、郵政選挙で小泉首相は総選挙に圧勝しましたが、郵政
民営化法案に造反した自民党議員は、「民意」が示されたという判断で、あっさり
自説を翻し、賛成に廻りました。……これも<民意>。

 その後参議院選挙で民主党が大勝。これを機に、衆参ねじれ現象が生じ政治が
停滞。安倍・福田・麻生首相の三代続いた内閣に対して、すべての野党、ほとんど
のマスコミ(TV・新聞・雑誌)は「直近の民意は民主党にあり、即時、国民に民意を
問え! 信を問うべし!」と主張を続けました。……これも<民意>。

 それでは、民意とはどういうものなのでしょうか。

   「民 意」 →  国民の意見・人民の意思
              the will of the people           (大辞泉)

  
 辞書をひもとけば、上のような意味なのでしょうが、これでは何の変哲もありませ
ん。民意とは国民の意見だということはわかりますが、要は、国民の意見の総和、
総体、全体をどのように把握するのが正しいのかということではないのでしょうか。

 このことについて、わたしの考えを述べましょう。

  国民の意見の総和を正確に計量することはできません。計量の方法があれ
   ばそれにこしたことはありませんが、ないということを前提にしなければなら
   ないでしょう。

  国民自らが民意を形成することを期待できません。一人一人でさえも複雑極ま
   りないのに、何百人、何千人、何万人と増えれば増えるほど、まとまりが悪く
   バラバラ状態であると言えるでしょう。

  国民の意見は短期的に変動しやすいのではないでしょうか。あれだけ小泉
   政策に賛成だった人が圧倒的に多かったにもかかわらず、少し時間が経過
   すると、批判する人も増えてきています。一般的には、そんなに確かな知識と
   判断力を持ってはいないと思います。

  したがって、民主主義、民主政治は、ひとにぎりの政治家に政治を任せること
   (代議制)で成り立っており、かれら政治家が「民意」というものを体現している
   と認識すべきです。

  以上のように考えれば、いわゆる世論調査に一喜一憂する政治家や、その
   結果だけであれこれ主張するマスコミ、評論家、文化人は、政治の原理原則
   に無知であることを示していると言えるでしょう。

  また、世論調査というものも、その調査方法が杜撰であったり、必ず有して
   いる誤差を明示しなかったりしていますから、自ずと限界があるわけで、問題
   が多いことも認識しなければなりません。

  よく、“民意を問え”という言葉がTVや新聞で踊っていますが、個々の法案
   (案件・イシュー)でそれを実施すれば、毎日民意を問わねばならず、それは、
   民主主義・民主政治の崩壊であり、まさに、『大衆衆愚政治』そのものであり、
   戯画(カリカチュア)というものに他なりません。その意味で、わたしは民主
   主義者ですが、民意を問えという政治評論家やマスコミは、民主主義の敵
   して位置づけたいと思います。

  小泉元首相の郵政テーマ選挙や、小沢民主党の生活が一番というキャッチ
   フレーズも、ともに間違っているのではないでしょうか。総選挙は一つのテーマ
   のみでおこなわれるべきではなく、憲法・外交・安全保障・領土・拉致・貿易
   ・生活・年金・社会保障・医療・国土・運輸航空・労働・官僚・分権・地方政治
   ・教育・外国人・人権・農業などなどあらゆるものを総合的に判断する選挙で
   なければなりません。

 ⑨ 要するに、政治家は、民主政治の体現者として、世論調査やマスコミや、いわ
   ゆる民意に惑わされることなく、信念を持って、日本国の藩屏の役割を果して
   欲しいものです。

 京都大学の佐伯啓思教授は“今日の政治課題は、民意が反映されていないこと
ではなく、政治を「民意」に預けることで政治家が政治から逃げている点にある。
政治とは政治理念を打ち出して、それこそ「民意」を動かす指導行為だからなの
である。”(2009/3/30 産経)と述べています。

 民意というものは、もてあそぶものでもなく、葵のご紋でもなく、それは、政治家
の理想・理念の下に位置する普通の言葉なのです。

それはそれとして、混迷の時代、政治が政治として機能し、活性化することを望み
たいものです。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

 

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2009年5月 8日 (金)

知の集積・「大学博物館」に行ってみよう!

 167回目のブログです。

 いわゆるGW(ゴールデン・ウイーク)も終わりになりますが、先日、このGWの
真っ只中に、今まで行ったことのない変わった所、新しい場所に行きたいと、いろ
いろ思案を重ね、友人3人と一緒に、わたしの家からわずか30分のところにある
「大阪大学総合学術博物館」を訪ねました。

 博物館と言えば、京都国立博物館、東京国立博物館、あるいは各種ミュージアム
などの一部は知っていましたが、まさか大学に博物館があるとは知らず、調べて
みると、全国には30以上の大学博物館があるそうですから、かなりのものだと思
います。

 「大阪大学総合学術博物館」は、大阪の中心地である梅田駅から阪急電車で
15分、石橋駅下車、徒歩5分、大阪大学のキャンパス入り口にあります。

 ここ一帯は、標高77メートルほどの小高い丘であり、今、皐月晴れのもと、豊かな
新緑が麓の池に鮮やかに映え、まさしく、古くから歌枕としても有名な「待兼山」を強く
印象づけてくれます。

 “待兼山(まちかねやま)”! 何と情緒ある良い響きの言葉でしょうか。少し歴史
をさかのぼってみましょう。

  「山は をぐら山、かせ山、みかさ山、…まちかね山、たまさか山、みみなし山」
                                (清少納言・「枕草子」)

  「夜もすがら 待兼山に啼く鹿は 朧気にやは 声を立つらん」
                              (源俊頼・「夫木和歌抄」) 

  「夜をかさね 待ちかね山の時鳥 雲井のよそに 一声ぞ聞く」
                           (周防内侍・「新古今和歌集」) 

 この風光明媚な環境に穏やかに位置する大阪大学総合学術博物館は、平成
14年(2002)に設置、平成17年(2007)に整備された、まだまだ歴史の浅い博物
館ですが、展示内容は、大阪の歴史と活力を総合する堂々たるものであり、ある
意味で、知的好奇心を刺激しました。

 展示物を一部ピックアップしてみましょう。

 エントランスの吹き抜けには、巨大な「マチカネワニ」の化石が縦に展示されて
います。あれっ!ここは大学ではないのかなと一瞬疑問に思いましたが、待兼山は
古くからの歴史を有しており、それを実感できる展示は、まさに、大学のモットーで
ある「地域に生き、世界に伸びる」の一端を示しているということで、納得した次第
です。

 1階には、「コンピューターの黎明期」を象徴する装置を展示。阪大では第2次
世界大戦後まもなく真空管式コンピュータの研究を始めましたが、その当時誕生
したばかりの国産第1号の電子計算機が展示されています。3~4畳くらいの大きさ
の基盤に数多くの真空管が配列されている姿には、現在の超小型のパソコンを
考えると、隔世の感を強くするとともに、ある種の感動さえ覚えるほどです。

 ここではコンピュータの進化の過程がわかりやすく展示してあり、わが国の電子
技術の発展には、苦難はあっても、わくわくするような知的探求の歴史があったこと
を、それとなく実感することができます。

 2階には、「みる科学」として光学顕微鏡、電子顕微鏡、超高圧電子顕微鏡、X線
構造解析技術などをわかりやすく展示。特に、国産第1号の電子顕微鏡には、その
大きさが人間の背丈以上もあることにそれなりの驚きを覚えました。

 3階には、「待兼山に学ぶ」をコンセプトに、待兼山の古代の生物や、地形の変遷、
現在の自然の中で棲息する生き物の営みなどを解明する研究の展示があり、歴史
ある地域の特徴を学ぶことができます。

 また、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士が中間子論を着想した大阪大学
物理学教室の自由な研究環境と著名な研究者
を紹介するコーナーもあり、知の
創造には、それなりの環境も背景にあるのだということを感じました。

 更に特筆すべきは、大阪の町民、市民の学問であり、わが国のリーダーを数多く
育てた「懐徳堂」(三宅石庵・山片蟠桃・富永仲基)や「適塾」(緒方洪庵・橋本左内・
福沢諭吉・大村益次郎)の流れ…これが現在の大阪大学に継承…を紹介し、その
学問と社会の関わりを概観することができます。大阪町民が、本来学問に深く関心
を持ち、それを自らの仕事、職業に生かしてきた輝かしい過去に思いを馳せること
も大切なことを示してくれています。

 特別展として、昭和12年を背景にした『モダン都市へ』が大きく展示されています
(4月24日~7月4日)。現在、大阪にはある種の閉塞感が漂っていますが、昭和
12年の大阪は日本第1のマンモス都市であり、その時の活力ある姿、活気ある
雰囲気が、パンフレット、広告、出版物、報道写真で示されており、また、当時の
賑わいを余すところなく活写した「大大阪観光」という観光映画が映されています。
その生々とした躍動感溢れる時代の姿に、あらためて感動。

 今、大阪はもちろんのこと、地方も閉塞感に覆われ、活力が失われているよう
ですが、歴史の中で、一度は活気溢れる時もあったはずであり、そういう時代を
謙虚に振り返ることが必要であることを示唆しています。

 時代の混迷を開くには、過去の歴史を振り返り、そこから何らかの“ヒント”を掴
、“キーワード”を創造し、積極的な展開を図ることが肝要であり、そのためには、
一度は、大学博物館を訪ねてはいかがでしょうか。

 それにしても、「知」を軸に、人・モノ・情報が出会い、交流し、新たな「知」の創造
を目指している『大阪大学総合学術博物館』はなかなか面白く、ためになりました。

 知の集積・「大学博物館」を訪ねることをお薦めします。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

 

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2009年5月 1日 (金)

環境保護論者は「牛肉→鯨肉」を推進せよ!

 166回目のブログです。

 今年は暖かいなと思ったのもつかの間、暑い日が続き、時には真夏日が現われ
るというほどであり、もう皐月(さつき)や躑躅(つつじ)が咲き誇っている今日の5月
1日です。5月1日と言えば、メーデーですが、もはや労働者の祭典ではなく、今や、
労働組合幹部の存在感をのみ主張するものとなり、旧態依然、今のままでは全く
必要のない無駄な存在に成り下がったように思われます。

 労働問題は、わが国にとっては、喫緊の重要なことであり、本質的に掘り下げた
議論を行い、ある意味でその根源的な“労働観”にまでたち返る必要があるのでは
ないでしょうか。

 さて、現在、食糧問題や環境問題が連日のようにニュースとなり、わたし達の
身近な話題となっていますが、今回は、「鯨」の問題を取り上げてみます。わたし達
は子どもの頃は鯨肉をよく食べていましたが、捕鯨が中止となり、食することもまま
ならず、調査捕鯨さえ、先進白人国家から悪魔の所業として糾弾されている始末
ですが、わたしは、従来から、この問題に胡散臭さを感じていました。

  鯨肉は牛肉よりエコ CO2排出量10分の1 

  鯨肉生産で生じる二酸化炭素(CO2)など温暖化ガスの排出量は、牛肉生産で
  生じる排出量と比べて10分の1以下という試算が、水産総合研究センターの
  調査で出た。同じ肉類の食材でも、鯨肉は牛肉に比べて環境に優しい一面が
  あるといえそうだ。水産庁はこうしたデータに着目しており、「商業捕鯨再開など
  をめぐる国際交渉で、反捕鯨国へ理解を求める新しい視点になる」としている。

  日本から約1000キロ沖で行われる北太平洋の調査捕鯨では、鯨肉1キロを
  とるために、約2.5キロのCO2が排出されていると推計。1万キロ以上離れた
  南極海の調査捕鯨では、CO2の排出量は増えたが、それでも約3キロにとど
  まった。

  これに対して、畜産農家が牛肉1キロを生産するために、排出するCO2など
  の温暖化ガスは36.4キロと計算されており、鯨肉の排出量は10分の1以下
  になることが判明した。

  牛肉生産では、牛の飼育やエサの生産・運搬などで大量のエネルギーが使
  われるが、鯨肉は、捕鯨船団の燃料だけですむため、温暖化ガス排出も比較
  的少ないという。
                           (4/24 産経新聞一部抜粋)

 牛の環境への悪影響については、数年前、国際機関から報告されており、わたし
はこれに注目していました。

  牛が環境への最大の脅威 FAO報告

  国連食糧農業機関(FAO)が先月末、家畜、特に牛が世界一の環境破壊者と
  なったという調査報告を発表した。

  世界の家畜生産部門は、他のどの農業部門よりも急速に成長している。それ
  は13億の人々の生計を支え、世界の農業生産高の40%を生み出している。
  世界の食肉生産は1991/2001年の2億2900万トンから2050年には4億6500万
  トンに倍増する一方、乳生産量も5億8000万トンから10億430万トンへの同様
  に増加すると予測される。

  報告は、家畜、特に牛部門(現在、世界で15億頭)のこのような急速な成長は、
  現在最も深刻な環境問題の最大の元凶の一
になっていると言う。

  主に反芻動物に帰せられる家畜部門からの温室効果ガスの排出量は、人間
  活動で排出される温室効果ガスの18%を占め、自動車や飛行機、その他の
  あらゆる輸送手段から排出されるすべてを合せた量よりも多い。

  また、牧畜は世界中で森林破壊の主要な張本人となっており、過放牧は世界
  のすべての草地と放牧地の5分の1を砂漠に変えた。
                 (2006/11/13 農業情報研究所<WAPIC>抜粋)

 捕鯨に反対する国々の主張は、一つには、穏やかで麗しい姿の哺乳動物である
「鯨」を捕殺することは人間として罪悪ではないかということであり、二つには、資源
保護の立場に集約されるでしょう。

 彼等の主張である、哺乳動物の捕殺云々は、これは彼等の勝手な主張であり、
文化観の違いというべきです。鯨だけに目を向け、カンガルーなどその他の動物
の捕殺はスルーするなど、Wスタンダードの最たるものであり、倣岸、傲慢、押し
付け、上から目線、文明国家の主張ではありません。まさに、子供だましの論理
です。(これは、靖国神社総理参拝への脅しを続ける某一党独裁国家の理屈と
同様です)

 資源についても、これは科学的に調査、把握すれば良いだけで、最早、データは
揃っており、商業捕鯨の再開を認めないということは出来ないでしょう。

 今、商業捕鯨の再開をめぐり、反対の急先鋒に立っている国は、オーストラリア
など、環境政策を重視する国が多く、アメリカの環境保護団体シー・シェパード(SS)
などは、日本の調査捕鯨に暴力的妨害活動を続けています。

 SSの暴力行為は、乗組員の命さえ危ないというほどのものであり、彼等はまさに、
環境保護を隠れ蓑にした「環境テロリスト」と言うべき存在です。わが日本政府は、
いままでは優柔不断、ことなかれでしたが、今年やっと毅然として対処しました。
これは当然のことだと考えます。

 オーストラリアのケビン・ラッド首相(労働党)は強烈な反捕鯨論者で、日本を敵視
していますが、環境問題から判断すれば、オーストラリア人も、これからは鯨肉を
食し、牛肉を減らすことによって、国土の砂漠化を避ける努力をするのが先決では
ないでしょうか。
牛や羊を増やせば増やすほど国土は荒れてくることが科学的真実
であると証されているのですから、日本に反発するのではなく、日本の捕鯨精神に
学ぶべきでしょう。

 わが国においても、現在、環境問題やエコは錦の御旗となった観がありますが、
基本的には、科学的事実を尊重しながらバランスと調和をベースにすべきだと考え
ます。

 また、環境保護を主張する人のなかには、自分だけは手を汚さず、高みの見物
で、高尚な評論をする人(エセ環境評論家)がかなりいますが、できるだけ謙虚に
“知行合一”を旨としてもらいたいものです。

 わたしの友人の1人は、日頃より幅広く環境保護活動に熱心すぎるほど熱心です
が、一方、自分の身近な生活もその趣旨に則り、謙虚に“知行合一”“言行一致”を
実践していますから、見上げたものと思っています。

 その意味で、牛肉食が環境を大幅に悪化させ、鯨肉を食することが世界の環境
に多大な好影響を与えることが判明したのですから、環境保護論者は、今こそ、
本格的な捕鯨再開を主張し、鯨肉食を推進すべきです。

 それにしても、わが国の環境論者はどうして、今まで、このような主張・発言をして
こなかったのでしょうか。すでにFAO(国連食糧農業機関)などで報告されていたの
ですから、どうにも合点がいきません。

 歴史的にみても、わが国の伝統的な食生活は、今日流の言葉で言えば、環境に
やさしいわけですから、早急に捕鯨を再開し、鯨肉を食品として供すべきことは言う
までもありません。そして、「鯨」は美味しく、懐かしい味でもあり、1日も早く毎日の
食卓に載せたいものです。

 わたしは、日本文化や食糧問題の観点から、また、環境問題への重要な視点
から、捕鯨再開を強力に支持します

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

 

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2009年4月24日 (金)

「ら致」・「あっ旋」…改めよう、交ぜ書き熟語!

 165回目のブログです。

 4月も下旬、暖かいというよりも暑い日が続き、つい先日は桜の好季節を感じて
いたのもつかの間、もう、皐(さつき)や躑躅(つつじ)が咲き始め、それなりの豊か
な色彩が目に映ります。

 このように、自然というものは、言葉通り自然に移ろい、時には穏やかに、時には
激しく変化を見せてくれます。

 それに引き替え、人間界はなかなか穏やかなことは少なく、えげつなく激しい争い
ばかりが目に付きます。そういう社会現象も、静かにつきつめて見れば、わが国の
歴史や文化の延長線に記された混乱、混雑、混迷と言えるかもしれません。
とすれば、混迷の解決には、歴史や文化に照らし合わせ、素直になればよいと
気付くはずです。

 さて、その内の一つが「国語国字問題」です。国語国字問題は、古くは明治の初
めに提起され、大東亜戦争(第二次世界大戦)後の混乱期を経、今また関心が高
まってきています。

 直近のマスコミで報道された、日本語についてのトピックスを拾ってみましょう。

麻生首相「心ずかい」…送り仮名問題

  すべてのマスコミが、麻生総理の手紙にあった“心ずかい”を送り仮名間違い
  と糾弾したが、広辞苑により“心ずかい”、“心づかい”両方ともが正解だと
  わかり、逆にマスコミの無知が判明するというドタバタ劇。(3/14 TV・新聞)

麻生首相「弥栄」「弥栄え」(いやさか・いやさかえ)…読み方問題

  多くのマスコミが、麻生総理の天皇・皇后両陛下ご成婚50周年式典で発した
  言葉、“いやさかえ”を間違いだと指摘したが、正式には、古くは、地域によっ
  ては、学者の著作には、祝詞などには“いやさかえ”と読まれている例が数多く
  あることが判明。(4/10 一部のTV・新聞)

新常用漢字表、試案を公表=4月16日まで意見募集―文化庁

  文化庁は16日、公用文書や新聞、雑誌、放送など社会生活における漢字
  使用の目安として文化審議会国語分科会がまとめた「新常用漢字表(仮称)」
  の試案を公表した。4月16日まで一般から意見を募集し、今後の文化審での
  議論に反映させる。(3/17 時事通信)

漢検理事長の刑事責任追及検討 親族企業との多額取引

  公益法人なのに多額の利益を計上し、理事長らが関係する親族企業との
  不透明な取引が指摘された財団法人「日本漢字能力検定協会」の大久保昇
  理事長について、捜査当局が背任容疑などで刑事責任追及を検討することが
  15日分かった。(4/15 共同通信)

 これらだけでも、わずか一ヶ月の間のことですから、わたし達日本人は、ある意味
で、日本語という言葉にそれなりの関心を持っていることの証明になります。麻生
首相の送り仮名や読み方は些細なことであり、また漢検理事長の犯罪は社会問題
として見れば、国語国字問題として重要なことは、「新常用漢字」などだと考えなけ
ればなりません。

 現行の「常用漢字」は、1945文字ですが、「岡」や「阪」など191字を追加するなど
して、現実の日常生活に合わせようというものですから、あまりにも遅きに失すぎた
と思いますし、その数も、もっと増やすべきだと考えています。いままで岡山の「岡」
や大阪の「阪」さえ含んでいなかったのですから、まさに、何おか言わんや。

 国語問題と言えば、昔は変な主張をする、いわゆる文化人がいました。特に大
東亜戦争(第2次世界大戦)に破れてからは、漢字廃止論者、かなもじ論者が結構
幅を利かせたり、小説の神様と称された志賀直哉が世界で一番美しいフランス語
を国語に採用せよと主張したり、まさに、わが国の歴史と文化を無視した意見が
横行した経緯があります。

 これらをみれば、文化人だからと言い、知識人だからと言って、けっして信用すべ
きではなく、日本人としての自信と常識と良識を持った人の主張や発言に耳を傾ける
べきだと考えます。(唯一、国語問題に正面から、真摯に、情熱を持ち、良識に基づ
いて議論したのは、福田恆存氏でした。まさに、真の文化人であり、憂国の人でも
あったのです。)

 そう考え、今、現実を直視すれば、即時「交ぜ書き」をやめることから始めるべき
でしょう。「交ぜ書き熟語」は、「かな交ぜ熟語」、「混ぜ書き熟語」、「雑ぜ書き熟語」
とも言いますが、やはり、どう考えても変ですし、間違っていると思います。

 「交ぜ書き熟語」の具体例をあげてみましょう。

  ら致    → 拉致(北のら致問題→北の拉致問題)
  あっ旋  → 斡旋(あっ旋収わい→斡旋収賄)
  しん察  → 診察
  早ざき  → 早咲き
  こう水   → 香水・洪水
  はく手   → 拍手
  う回     → 迂回(う回融資→迂回融資)
  かく乱   → 攪乱(後方かく乱→後方攪乱)
  は綻    → 破綻(経営は綻→経営破綻)
  快ゆ    → 快癒
  えん罪   → 冤罪
  かい書   → 楷書
  障がい者 → 障碍者
  祭し      → 祭祀
  だ円     → 楕円
  ねつ造   → 捏造(ねつ造疑惑→捏造疑惑)
  ぶん娩   → 分娩
  りん議    → 稟議

 挙げていけば切りがありませんが、これらの言葉をパソコンのキーボードで打って
いて気付くのは、交ぜ書きではなく、ちゃんとした熟語の方が書きやすく、読みやす
いことです。

 子どもたちの教科書や雑誌には、数多くの交ぜ書き語がありますが、かえって
読み迷うものが多いと指摘されています。漢字は、石井式漢字教育によれば、
子どもは象形文字として、理解するそうですから、あまり神経質になることは間違い
ではないでしょうか。

 わたし達大人でも、「拉致問題」を「ら致問題」と表記してあれば、間の抜けた表現
であり、漢字熟語の持つ訴求力を削いでいるように感じます。それでなくても、この
拉致問題は解決していないのですから、日本人のほとんど(一部の人は拉致問題
の責任は日本にあると主張)が、これについて力強い表現をしていかなければ、
なかなか解決に向わないのではないでしょうか。

 今一度、交ぜ書きの問題点を整理してみましょう。

   交ぜ書きは、かえって読み難い。
   交ぜ書きは、漢字が本来持つ美しさを失わせている。
   漢字が複雑で書き難いのであれば、すべてを、かな文字で書き、
     括弧をつけた表現の方がすっきりしている。
       (ex. あっ旋 → “あっせん”、 はく手 → “はくしゅ”)

 現在、漢字はブームとなっており、正道に戻すチャンスであり、今こそマスメディ
ア、マスコミの真の役割が求められていると考えます。

 文部科学省をはじめとした国語(日本語)の指導層は、漢字仮名混じり文を基本
とした正しい日本語体系を後世に引き継ぐ責務があり、常用漢字、当用漢字、交ぜ
書き熟語、仮名遣いなど、あらゆるものを真摯に匡していくことが極めて重要である
ことを認識してほしいと思います。

 わたし達も、メディアも、教科書執筆者も、文部科学省も、全ての人が国語(日本
語)を大切に考え、その実践として、まず
、「交ぜ書き」をやめることから始めよう
ではありませんか。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

  

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2009年4月17日 (金)

「マスコミ」の愚…まだやるのか漢字遊び!

 164回目のブログです。

 大阪中心部を流れる大川(淀川)の河畔にあり、また歴史的にも由緒ある
「造幣局」の桜の通り抜が今週行われています。そこでは126種類の八重桜が、
華麗、豪華、絢爛さの妍を競っており、手に届く近さの豊かな桜花と遠くの吸い込
まれるような青い空のバランスのとれた情景は、なかなか素晴らしい風情を醸し出
しています。

 その自然界の風情に較べ、人間界には、はなはだ好ましからざる状況が続いて
います。3月20日のこのブログで、マスコミの不見識を、傲慢・下衆・無知をキー
ワードに厳しく批判したところ、いろんなご意見をいただきました。たしかに、キー
ボードが滑り、言いすぎた点もなきにしもありませんが、またまた同様の現象が生
じていますので、再度取り上げ、わたしの視点を述べたいと思います。

 ■ 祝辞で「弥栄」を「いやさかえ」麻生首相、言い間違え

  麻生太郎首相は、10日午前に皇居・宮殿で行われた天皇、皇后両陛下
  のご結婚50年を祝う祝賀行事で述べた祝辞で、「弥栄(いやさか)」
  (いよいよ栄えること)と言うべき部分を、「いやさかえ」と言い間違えた。

  麻生首相は、衆参両院議長や最高裁長官、各閣僚らとともに宮殿「松の間」
  で行われた祝賀行事に出席。首相は出席者を代表し、両陛下の前で祝辞を
  述べたが、「両陛下の益々のご健勝と皇室のいやさかえを心から祈念し…」
  と発言した。文脈上、ここは「いやさか」というべきだが、「いやさかえ」と言い
  間違えた。
                                     (H21/4/10 産経新聞)

  WEB多事争論(叱正)

  10日の天皇・皇后両陛下のご成婚50年で、麻生首相は三権の長を代表
  してのお祝いの言葉でまたもや失態を演ました。繁栄を意味する「弥栄
  (いやさか)」を「いやさかえ」と言い間違えたのです。宮殿の「松の間」で
  両陛下の前に一歩進み出て、紙を見ずに祝辞を述べたのですが、国の
  トップが国民の象徴に対してこれでは情けない限りです。歴史的な誤った
  日本語事例
として残ってしまいました。
                   (4/12 TBS/WEB多事争論編集委員)

 ほとんどの新聞やTVがこの記事をニュースとして流しましたが、わたしはこれを
読んでかなりの違和感を持ちました。この不況のさなかにもっと重要なニュースが
あるだろうし、また、天皇陛下ご成婚50周年祝賀行事でのことであろうし、どうして、
この問題をここまで大きく取り上げなければならないのかさっぱり理解できなかった
からです。

 それにしても、TBSは、「またもや失態」、「歴史的な誤った日本語事例」などと、
完膚なきまでに罵倒しており、かなり日本人的な寛容さに欠ける異常さを感じます。

 さらに、この漢字「弥栄」「弥栄え」の読み方が“いやさか”か“いやさかえ”かは、
またまたマスコミの間違い、無知、チョンボではなかろうかと、本当に『危惧』して
いました。案の定、一般的には“いやさか”ですが、正式には・古くは・地域によっ
ては・学者の著作には・祝詞などには
“いやさかえ”と読まれている例が数多くある
ことが判明。

 読売と朝日はこれを掲載しなかったのですが、前回の轍(麻生総理の手紙に
あった送り仮名“心ずかい”を糾弾したものの、“心ずかい”、“心づかい”両方とも
が広辞苑によって正解だとわかり、マスコミの無知が判明、赤っ恥を掻いたこと)
を踏まないよう良く調べ記事にしなかったのではないかと推測しています。

 そこで、産経WEBは削除、TBS/WEBはお詫びをしましたが、他はなんと、
なしのつぶて、無視を決め込んでいます。ここで、TBSのお詫びを見てみましょう。

 ■ WEB多事争論(お詫び)

  上記、記事において「歴史的な誤読」と評したのは撤回します。また、その後
  に調べましたら、歌舞伎の演目などに「弥栄」を「いやさかえ」と読む例もあり
  ました。麻生首相がそうしたことを踏まえて、慣用表現の「いやさか」ではなく
  「いやさかえ」と天皇・皇后両陛下へのご祝辞で申されたのであれば、当方の
  誤りです。礼を失しました。訂正しお詫びいたします。
                   (4/12 TBS/WEB多事争論編集委員)

 本当に心から謝っているのでしょうか。「…申されたのであれば……」と条件を
つけていますから、一種のパフォマンスで、一寸だけ頭を下げておこうということ
ではないでしょうか。

 さて、それでは、この問題をどう考えるべきか、わたしの視点と判断を述べます。

有力TV局のアナウンサーでさえ、時々言葉の読み間違いをしていますから、
  麻生総理の言葉間違いを、そんなに深刻に取り上げなくてもよいと思います。

今のマスコミの、鬼の首でもとったように大はしゃぎし、総理をおちょくり、嘲笑し、
  蔑む姿勢は如何なものでしょうか。いわゆる「上から目線」の傲慢さを感じます。

前回もそうでしたが、今回も、敢えて総理の言葉にケチをつけようとするならば、
  きちっと調べてから記事にすべきです。マスコミは常に“言葉は命”と言っている
  ではないですか。

たしかに、麻生総理は、日本語に弱いことは否定できません。したがって、
  もしも、総理の条件として、言語、知識、教養が必須と考え、麻生総理がその
  条件にはるかに満たない政治家と判断するならば、紙面や画面で、麻生氏は
  総理大臣の資質を欠く故に辞職せよと真剣に主張すべきではないでしょうか。

  それが、日本の新聞であり、日本のテレビであり、そこまでの覚悟が必要で
  しょう。

総理大臣を批判、非難、論難するならば、それは漢字の読み方や送り仮名で
  はなく、政策について堂々と批判すべきです。政策についてならば、どのように
  厳しく追及しても、何の問題もなく、逆に、それこそが読者、視聴者から期待され
  ているのではないでしょうか。幼児的な揚げ足取り、揶揄はマスコミの弱体化に
  繋がると考えます。

従来、マスコミは第4の権力と言われていましたが、今や、第1の権力とも称さ
  れている存在ですから、「社会の木鐸」、「日本国の藩屏」としての自覚を持ち、
  それに値する言論を展開してほしいもの。

とすれば、現在、わが国は危険なほどの低迷期、過渡期であると認識するなら
  ば、今回のことは、些少な問題に過ぎるのではないでしょうか。マスメディアは、
  もっと大きなことや将来のことを真剣に取り上げるべきであり、わたし達はそれ
  に期待しています。

 今、世の中が異状、異様、混乱の坩堝(ルツボ)状態になっている時、それを正道
に戻すには強烈なエネルギーと不断の努力が必要です。そして、基準をどこに求め
ればよいのか。それは、「日本人としての良識と常識」…これこそが、判断の基準
でなければなりません。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

  

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2009年4月10日 (金)

ピアノ・チェロ・尺八…「古武道」を聴く!

 163回目のブログです。

 早、桜前線は東北に行ったそうですが、桜はいつ見ても心ウキウキ、厳しい世
の中を一瞬忘れさせる効用もあります。桜の種類は多く、一般的な染井吉野から
重厚感あふれる八重まで、まだまだ目の保養ができそうです。

 桜は目の保養となり、視・聴・覚の順番から言うと次は耳・聴くことですが、耳
の保養とは言いませんね…何と言えば良いのでしょうか。目の保養の意味は、心を
なぐさめ楽しむことですから、耳の保養は、心静かに楽しむことでしょう。とすれば、
それは森や林での小鳥のさえずりや、草むらでの虫の声に耳を傾けるか、
あるいは、心をなごませる音楽を聴くことではないでしょうか。

 先日、息子から演奏会のチケットをプレゼントされ聴きに行ってきました。会場は
大阪城にある最高クラスの「いずみホール」でしたが、圧倒的に若い世代が多く、
完全に満席、まことに素晴らしい演奏会でした。

 演奏者の名前…それは「古武道」です。わたしはこの名前を全く知らず、息子
からその名を最初に聞いた時は、古い武道、剣道・柔道・柔術の類かなと誤解を
したほどです。

  古武道KOBUDO

  和の伝統をクラシカルに表現する尺八、チェロ、ピアノのスーパーユニット。

  クラシック、邦楽、ポップスのそれぞれのジャンルの第一線で活躍する3人に
  よるユニット

    川展生(チェロ)  → 「古」
    妹尾 (ピアノ)   → 「武」
    藤原山(尺 八) → 「道」

 いずれも30代の若手一流実力者であり、世界的な活動もしており、三人の各自
の一文字を取った「古武道」、なかなか洒落た、ユニークな名前です。チェロと尺八、
ピアノと尺八、まさに「和」と「洋」のコラボレーション(合作・協力・共同)。

 それにしても、和と洋の美しいハーモニーには吃驚しました。なぜなら、尺八の狭
い音域でピアノの広い音域をカヴァーできるのか、いささか疑問があったからです。
藤原道山さんは、長さ、太さの違う7本の尺八を使い分け、音程、リズム、メロディ、
自由自在、ピアノ、チェロと素晴らしいハーモニーを奏でました。まるで、魔法に掛
けられたような夢見心地であり、聴衆は万雷の拍手。

 本当に見事なコラボ…演奏の合間に、このユニット結成の動機が語られました。
三人は、各自がお互いの音楽に関しての心構えが同じであることがわかり、さらに、
心の琴線に触れる関係にまで至ったので、固い決意で結成したそうです。(これは、
ベンチャー企業の精神と同じであり、まず志・心ありき、それから組織すすんで
いくのが成功への道となるのもの)

 和洋のコラボレーション(ピアノ・チェロ・尺八)を気持ち良く聴いたわけですが、
音楽、オーケストラ、クラシック、演奏、コラボと言えば、出光興産提供のTV番組
「題名のない音楽会」テレビ朝日系列)があります。現在は、世界的な指揮者・
佐渡裕氏が司会・プロデュース、あらゆるジャンルの音楽を取り上げている極めて
上質の番組です。出光興産はこれを昭和39年(1964)から提供しているわけです
から、これぞ尊敬すべき企業と言わなければなりません。

 さて、古武道の2時間にわたる演奏を聴いた後、そのCDを買い求めましたが、
すべて完売という状況。凄まじい人気であり、自宅配送を依頼して帰宅の途に
つきました。

 昨日、そのCD「風の都」が自宅へ配送されてきましたので、さっそく先日のライブ
演奏を思い出しながら聴きました。あらためて感激。

   「風の都」(CD・演奏 古武道)栞より

     春の花起こし、
     夏の薫風
     秋の雁渡し
     冬の木枯らし
     いつもココロに
     風の都

       時に優しく、時に厳しく、
       風はいろんなものを運びながら私たちの記憶の中を
       吹き抜けてゆきます。
       変わらないもの、変わるもの。
       徒然なる風景のなか、この美しい国に生まれたことを
       誇りに思いながら書いた曲です。

 このCD「風の都」には11曲が収録されていますが、栞に記された詩や言葉を
見ると、彼らは、演奏や作曲だけでなく、優れた詩人でもあります。彼らは、真の
日本人である感性を、純粋に、謙虚に表現しており、わたしは絶賛したいと思い
ます。

 若い世代には、このように素晴らしい“真の日本人”がいます。まだまだ捨てた
ものではありません。というよりも、若い世代の方が優れた精神を持っているので
はないでしょうか。

 今の社会は、薄汚れた思想、くたびれた精神、人間性欠落、良識欠如の人々が
社会の指導層に居座っており、それを駆逐しなければ、わが国の未来に展望が開
けないと考えます。

 何はともあれ、優れた芸術、立派な音楽に耳を傾け、真の日本人の心を、ほんの
少しでも吸収しようではありませんか。「古武道」を強く推薦します。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

  

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2009年4月 3日 (金)

桜賛歌…唄・歌・詩・和歌・俳句を楽しむ!

 162回目のブログです。

 “ 唐崎や 春のさざ浪 うちとけて 霞みをうつす 滋賀のやまかげ”

 これは平安時代の摂政太政大臣であり、歌人としても有名な藤原良経(ふじわら
のよしつね)の名歌ですが、琵琶湖畔の春の風景がみごとに詠まれています。
今は春、まさに桜の季節、大阪ではもうすぐ造幣局の桜の通り抜けが行われよう
とする時、人口に膾炙した、桜についての歌々をピックアップしてみたいと思います。

  童謡「さくら」 作詞者不肖(近世筝曲)

  (1) さくら さくら
     野山も里も 見わたす限り
     かすみか雲か 朝日に匂ふ
     さくら さくら 花ざかり

  (2) さくら さくら
     やよいの空は 見わたす限り
     かすみか雲か 匂ひぞ出づる
     いざや いざや 見にゆかん

  唱歌「花」 武島羽衣作詞(滝廉太郎作曲)

  (1) 春のうららの隅田川
     のぼりくだりの船人が
     櫂(かひ)のしづくも花と散る
     ながめを何にたとふべき

  (2) 見ずやあけぼの露浴びて
     われにもの言ふ桜木(さくらぎ)を
     見ずや夕ぐれ手をのべて
     われさしまねく青柳(あおやぎ)を

  (3) 錦おりなす長堤(ちょうてい)に
     くるればのぼるおぼろ月
     げに一刻も千金の
     ながめを何にたとふべき

 童謡「さくら」は穏やかで、暖かい雰囲気を持っており、これぞ童謡の中の童謡で
しょうし、年を経て聴いても、幼いころを懐かしく思い出させてくれる名歌と言えるで
しょう。

 唱歌「花」は、滝廉太郎の名曲として記憶から離れませんが、隅田川のたゆとう
流れを包む長い堤に、伸びやかに大らかに佇む桜花、その素晴らしい光景を、
美しい調べに乗せて心を和ませてくれます。

  軍歌「歩兵の本領」 加藤明勝作詞(永井建子作曲)明治44

  (1) 万朶(ばんだ)の桜か襟の色
     花は吉野に嵐吹く
     大和男子(やまとおのこ)と生まれなば
     散兵線の花と散れ

  軍歌「同期の桜」 西條八十作詞(大村能章作曲)昭和19

  (1) 貴様と俺とは同期の桜
     同じ兵学校の庭に咲く
     咲いた花なら散るのは覚悟
     見事散りましょ国のため

 いわゆる軍歌として歌われた中に、桜、桜花が多く出てきます。何と言っても、桜
の花は儚い命ではありますが、散り際は見事なまでに美しく、青い空に見える薄紅
色の柔らかな色彩は、日本人全てに愛されてきたものであり、それだからこそ、
軍歌にも取り上げられたのだと思います。わが国の軍歌には、美しい情景と心こもる
情感を豊かに歌い上げたもの…ある意味では叙情歌ともいうべきものが少なくあり
ません。

  俳句

  「桜花 何が不足で 散りいそぐ」 (小林一茶)

  「散る桜 残る桜も 散る桜」 (良 寛)

  「よし野にて 桜見せふぞ 檜の木笠」 (松尾芭蕉)

  「初桜 折りしも今日は よき日なり」 (松尾芭蕉)

  「行く春や 白き花見ゆ 垣の隙」 (与謝蕪村)

  「観音の 大悲の桜 咲きにけり」 (正岡子規)

  和歌

  「あしひきの山桜花一目だに 君とし見てば我れ恋めやも」
                     (大伴家持・万葉集)             

  「桜花ちりぬる風のなごりには 水なき空に浪ぞたちける」
                      (紀貫之・古今集)

  「花の色は移りにけりないたづらに 我が身世にふるながめせし間に」
                  (小野小町・古今集・小倉百人一首)

  「高砂の尾上の桜咲きにけり 外山の霞立たずもあらなむ」
            (権中納言匡房・後拾遺集・小倉百人一首)

  「世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」
                         (在原業平)  

  「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」
                            (西行)

  「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」
                    (本居宣長)

  「風さそふ花よりもなほ我はまた 春の名残をいかにとやせん」
                   (浅野内匠頭長矩・忠臣蔵)

  俗唄

  “花は桜木人は武士”

  “酒なくてなんでおのれが桜かな”

  “咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒が勇めば花が散る”

 これらの和歌、俳句、俗唄、いずれも名歌として人口に膾炙されており、毎年、
桜の花がきわめて盛んな時や、あるいは、まさに儚く散ろうとしている時に、思い
出したように頭に浮かび上がってきます。

 これは、われわれの先祖が、大昔から、桜に対してある種の感懐を催し、それが
今や、いわゆるDNAとなり、骨の髄にまで染み込んだのではないかと思える程です。

 先日、外国にかなり詳しい教授の話が新聞に載っていましたが、日本人以外は、
桜の花の下に立ち止まったり、記念撮影したり、お花見弁当で宴会を催したりは
しないのだそうです。わが日本人は、それだけ桜に強いシンパシーを感じ、花見を
通じて、上下差のない集団意識の確認をおこなっている
と見るべきではないで
しょうか。

 それはともかく、まだまだ桜を楽しむことはできます。近くにはいくらでもあるで
しょうから、大いに目の保養をしたいものです。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

  

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2009年3月27日 (金)

営業の原点…それは“人”だ!

 161回目のブログです。

 暖かい春を迎え、いよいよ桜を楽しむ季節が到来、空を見上げれば好天の、
それこそ佳き風情しきりですが、経済状況は一向に好転せず、やゝ陰鬱な雰囲気
に覆われている今日このごろです。

 ましてや、もうすぐ3月末の決算日、企業幹部はもとより、営業部門の人も目標
達成に苦心惨憺だろうと思われます。先日、営業強化の社員教育セミナーで話し
ましたが、みなさん熱心に耳を傾けていたことが印象的でした。その折の話を中心
に営業の原点を考えてみます。

  厳しさ増す経済環境!

  昨年9月15日の米国リーマンブラザーズ社の破綻以後、釣瓶落としの厳しい
  経済環境ですが、昨年来の日経平均株価と円/ドル為替をみてみましょう。

    日経平均株価
      平成20年(2008)
          始値  14,691(円)
          高値  14,691
          安値   7,162
          終値   8,859……約40%ダウン
      平成21年(2009)
          3/25   8,480

    為替(円/米ドル)
      平成20年(2008)
          始値  109.75(円/1米ドル)
          高値  110.30
          安値   88.10
          終値   90.30……約20%円高
      平成21年(2009)
          3/25   97.80

  大変動であることは一目瞭然であり、ついこの前までインフレを心配していた
  のが、今や、大デフレを心配という状態です。特に輸出企業は需要不振に加え
  て円高もあり苦境にあります。そうはいっても、ぼやいていても始まらず、とに
  かく乗り切る以外に道はないのです。

  商品の3大要素+1要素!

  こんなに急速に不況に突入した時に、新製品、新技術商品がそう簡単に生まれ
  てくるとは思えず、新製品開発を待つには時間が掛かりすぎ、今を凌ぐには、
  現有商品でメシを食う以外に道はありません。既存商品の拡販に注力するしか
  ないのです。そこで頼られるのは、営業であり、営業力です。

  普通には、価格、品質、納期が商品の3大要素と言われていますが、これが十分
  であるならば、営業は不必要です。しかし、そんなものは世の中には無く、これら
  を絶妙なバランスで「認知」してもらうのが営業の役目でもあり、他と差別する
  には、営業マンそのものを際立たせることが肝要になってくるでしょう。

  “ハート(浪花節)よさようなら”…これは間違い!

  営業マンに求められるのは商品知識であり、それさえあれば十分だとされ、 
  「商品知識よこんにちは、ハート(浪花節)よさようなら」と言われますが、
  わたしは、これには異論を持っています。

  もちろん、商品知識が必要なことは論を待ちませんが、営業は、「ハート60:
  商品知識40」
が理想的なバランスだと考えます。こういう厳しい時こそ、揉み手
  商法・接待商法・泣き落とし商法・土下座商法を無視すべきでなく、ハート・熱意
  ・浪花節・情念の営業が必要となります。何が何でも売るという「情念」…これこそ
  がある意味で、たった今、現在の営業の必須要件でもあるのです。

  購入する側からみても、商品力は当然のこと、仕入れする会社の信用力も重要
  な項目ですが、営業マン・セールスマンの信頼感も結構大きなウエイトを占め、
  無視できないポイントであると思います。

  営業力の公式

  2・6・2の組織理論というものがありますが、これは、どんな組織であっても、
  三つに区分することが出来、上から優秀が2割、普通が6割、劣等が2割だと
  いうことです。この分類方法を営業力に当てはめれば、次のようになります。
      商品の力 + 営業マンの力 + 得意先の力 = 営業の力
        2    :    6       :     2   = 10
  商品の力は今更どうしようもなく、また、得意先の力も他人まかせであるとする
  ならば、一番ウエイトの高い「営業マンの力」を自ら認識し、自信を持って交渉
  に臨む必要があるでしょう。柔く、弱く、なよなよとした姿勢ではなく、力強い迫力
  を出さねば、真の営業とは言えないのです。

  営業マンの力をアップする策!

  お客さん(お得意先)の区分を明確にする
    
相手の会社ではなく、相手の“人”を観察して、先に述べた2・6・2(優・良・可)
    に区分しなければなりません。そして、可の得意先は適当にし、良の6の部分
    に焦点をあてて営業に注力します。営業はとにかくメリハリをつけることが
    肝要でしょう。

  お得意先のキーマンに徹底して密着する 
    
これは、言わずもがな。キーマンの家族情報、冠婚葬祭、お世辞など、徹底
    して密着することが大切です。

  情報の個人化を徹底する。
    お得意先の会社に漠然と接していても何の意味もなく、お得意先の特定の
    “個人”に有益な情報提供を心掛けることが必要です。こうすれば、必ず
    感謝され、間違いなくその見返りが期待できます。

 何度も言いますが、こんな不景気な世の中であるにもかかわらず、メディアが輪
をかけてそれを煽っています。ですから、心理的にも、営業は、まさしくしんどい状態
にあると思いますが、それだからこそ、『必勝の信念』を持たねばなりません。

 (あるエピソードを)…読売新聞がまだ下位に低迷していたころ、時の社長・務台
光雄氏(営業出身)は、「新聞がたとえ白紙でも売って見せる」と豪語し、熱烈たる
営業活動を実践し、みごと、1000万部を達成、ゆるぎないTOPの地位を奪取した
のです。この信念、見習いたいものですね。

 営業の原点…それは“人”にあると思います。 
 そのためには、社員教育を通じて、人材(人財)育成はからねばなりません。
 (※人材育成には、「ビジネスマン育成塾」もお役に立ちます)

 高度成熟社会へ移行する過程で、営業はややもすれば軽視されてきました。しかし
ながら、どんなに商品・製品が良くても、売れなければ、会社経営は成り立ちません。
一般民間企業でも、ともすれば、民間官僚(略して“民僚”)が幅を利かせているよう
ですが、机上の計画、机上の論は、今や音をたてて崩れ始めてきました。末端の声、
営業の声を聞かねばならない時代が到来
したことを実感する今日この頃です。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

  
    

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2009年3月20日 (金)

「マスコミ」…この度しがたい傲慢・下衆・無知!

 160回目のブログです。

 日中には20℃前後になる日もある暖かい春となりました。その暖かさの春呆け
のせいではないでしょうが、世の中では段々と狂った現象が露呈してきているよう
に思えてなりません。

 さる3月13日、わが国の宰相(総理大臣・首相)である麻生さんから総理番の
女性記者8人に、先日のバレンタインデーに贈られたチョコレートのお返しとして、
ICレコーダと手紙が贈られました。

  “麻生総理の手紙”

   過日 バレンタインデーには 御心ずかいを戴き恐縮でした
   心温まる御声援を受けて 景氣対策に全力を傾けて 氣張りますので
   引続きの御支援を御願いします
                  内閣総理大臣  麻 生 太 郎

 これは記者あての個人の手紙ですから、本来は公開されるべきものではない
のですが、この内の誰かがオープンにし、それが一部の新聞やTVで、次のように
報道されたのです。

 ■ 麻生首相の無知が久々に炸裂!「ずかい」

  麻生太郎首相が、「言葉の問題」で久しぶりにミソをつけた。
  13日、バレンタインデーのお返しとして女性番記者へ渡した直筆の手紙に、
  「御心ずかい」という一文があった。「ずかい」ではなく「づか(遣)い」が正解。
  日ごろ、麻生氏の漢字間違いをチェックしているだけに、すぐに「間違いだ」
  「心遣いと漢字で書けなかったのか」と、話題になった。
  麻生氏は贈呈の際、ホワイトデーにちなんで白いICレコーダーも添えられた。
  一言一句を厳しくチェックする「武器」を贈られた番記者の発言チェックには、
  今後さらに熱が入りそうだ。
                       (2009/3/14 日刊スポーツ抜粋) 

 TVでも、「日本テレビ」「フジテレビ」が強烈な場面を作り上げ、「またまた総理
が漢字の間違い」などと大々的に報道。キャスターやコメンテーターが≪嘲笑≫する
始末でした。たまたまわたしもテレビでこの目で見ましたから間違いはありません。

 さあ、みなさん、麻生総理を嘲笑するマスコミは正しいのでしょうか、あるいは
間違っているのでしょうか。インターネットの世界では、「マスコミ」が槍玉にあがって
おり、いわゆるお祭り状態となっています。

 わたしは次のように考えます。

  麻生総理からの手紙を公開、リークするのは、礼を失するのではないでしょうか。
   普通は他人に見せたりしないのがマナー、エチケットであり、常識というもので
   しょう。新聞記者の一部にはそれさえも持ち合わせていない哀れむべき人が
   いることがよくわかりました。これは、人材論<人財・人材・人罪の3分類法>
   から言えば、“人罪”にあたります。

  お礼状に対して、こんな類の記事を書くマスコミがいるとは、まさに驚きを通り
   越して怒りさえ覚えます。マスコミは社会の公器としての機能を果すべきですが、
   まことに情けなく、これは、日本の恥。いや、世界の、人類の恥だと思います。
   傲慢、下衆の代表的見本と言えるでしょう。

  麻生総理は、お礼状として、草書体の直筆だったのですから、すこぶる心が
   こもっています。
こういうものには文字の間違いなどの詮索はしないものであり、
   フーテンの寅さんではありませんが、“それを言っちゃあおしまいよ”。こんな
   指摘などをするから、世間から手書きの手紙が激減し、無機質なワープロ型
   定型文やお礼状文例集のようなものばかりになっていくのではないでしょうか。
  
  明治の文豪・夏目漱石でさえ、文字間違い、当て字など数多くあるではない
   ですか。たとえ、麻生総理にあったとしても、あまり目くじらを立てなくてもよい
   のでは。
   
  今や、マスコミはネット世界から次のように表現されています。今回の例など
   を見るにつけ、真実の一端を適切に表現していると感心させられます。

      マスコミ  マスゴミ  ゲスゴミ

  「日本テレビ」と「フジテレビ」が、この日刊スポーツの馬鹿な記事を見て、
   手紙の画像を大写しにして、キャスターやコメンテーターたちが、麻生総理
   の「心ずかい」が間違いであり、「心づかい」が正解であると、鬼の首でもとった
   ように大はしゃぎし、総理をおちょくり、嘲笑し、蔑み、大笑
いしたのです。
   わが国の総理に対して…いったい何様のつもりですか。品性のかけらもない
   こと明瞭です。

  ところが、どっこい。あにはからんや、間違っていたのは、なんとマスコミ(ネット
   ではマスゴミと蔑称)だったのです。
すなわち日刊スポーツ(朝日新聞子会社)、
   日本テレビ、フジテレビが完全に間違っていたのです。まず辞書をよ~く見て
   ください。

       広辞苑 
         昭和30年 第1版       「こころずかい」
          昭和44年 第2版       「こころずかい」
         昭和51年 第2版補訂版 「こころず(づ)かい」

   なんともはや! 要するに、少し前の辞書には「こころずかい」とあり、昔風の
   送り仮名はこれでよかったということですから、総理の無知を嘲笑しようとした
   下衆な目論見ははずれ、逆に、自分の無知をさらけ出したわけです。
まったく、
   下手な落語にも、漫才にもならず。まさに、“マスコミの正体見たり枯れ尾花”
   …の枯れ尾花(枯れすすき)にもなれないほどのおそまつさです。

   テレビの司会者、キャスター、コメンテーター、新聞記者は、自分が発する
   用語の正確さを期するためには、自らを権威づけるために、広辞苑のような
   権威ある辞書を引くでしょうに、それさえ引いていないという、およそ教養ある
   行為から遠く離れた存在
であることを証明しました。他人の言葉をあげつらい、
   非難し、その人格、人間性をも否定しようとするならば、それなりの事前確認
   くらい行うのは当然ではありませんか。

  これほど恥ずかしいことはないと思われるのですが、かれらは全く意に介せず、
   お詫びの気持ちは寸毫もありません。書きっぱなし、放映しっぱなしで、お詫
   び訂正さえ行わないのですから、まさに、かれらこそ人間性を欠いた唾棄す
   べき存在
と言っても言いすぎではないのではないでしょうか。

 名誉のために言っておきますが、すべてのマスコミが駄目というわけではありま
せんが、有力なマスコミがこの体たらくだということだけは、認識しておかねばなり
ません。特に「NHK」を含むTVはその傾向著しく、「TBS」「テレビ朝日」は、これ
以上に輪をかけて問題があり、また風評を煽りに煽るという特異な体質を有して
いることだけは、肝に銘ずべきでしょう。

 まことに残念ながら、テレビ人は、昔、大宅壮一が言った“一億総白痴化”の道を
着々と推進していることを、あらためて認識しなければなりません。

 それにしても、マスコミは下衆ですね。因みに「げす」を辞書で引いてみました。

    げす(下種・下衆・下司)
       心根の卑しいこと。下劣なこと。また、そのようなさまや人。
         「――な根性は持つな」
      ② 身分の低い者
                  (大辞泉)

 下衆は下品。まさか、マスコミがここまでだったとは。立法、行政、司法に次する
第4の権力と言われるマスコミですが、実際は、ある意味では、第1の権力である
とも考えられ、それなりの特権を与えられています。であるとすれば、もっと謙虚に、
誠実に、一層教養を深め、その上で真実を極めていく姿勢を持つべきであり、
タイトルに書いた、傲慢・下衆・無知を払いのけていただきたいものです。

 マスコミが、“真の日本人”としての立場を踏まえ“真のマスメディア”になることを
期待します。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

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2009年3月13日 (金)

「企業倫理」…関西経済同友会の提言を読む!

 159回目のブログです。

 三寒四温の天候もほどなく終わり、これからは、いよいよ「春暖」の季節を迎えよう
としています。このような変化が身近に見られる好季節、苦境に立つ経済環境や
混迷を極める政治情勢も、春の暖かさに引きずられるように良くなってほしいと願う
ばかりです。

 そう願っている矢先に、先日、民主党の小沢代表の公設第1秘書が逮捕され、
不透明な政治献金にメスが入れられるというビッグニュースが連日マスコミを賑わ
しています。

 小沢氏は、田中・金丸ラインの極めて古いタイプの政治家であり、政治資金の
扱いでは、「小澤」・「小沢」を巧妙に使い分けるなど、かねてより、その不透明さは
強く指摘されていました。絶体絶命の窮地。司直の手がどう暴き、どのように決着
するのか注視したいと思いますが、それにしても、政治家に清廉さを求めるのは、
八百屋で魚を求めるのと同じであり、それゆえに、政界の浄化は百年河清を待つ
如く、なかなかに困難なことと思われます。

 かつて、小沢氏の師である金丸氏は、北朝鮮から「無刻印の金の延べ棒」を利権
がらみで受け取るなど、売国奴として有名ですが、国政にあたる政治家には、少なく
とも、ぜひとも『日本』という国だけは守って欲しいものです。

 国の基本はいわゆる「国柄」といわれますが、構成する要素は、①主権(独立の
権利
)、②国民(生命・安全・財産)、③領域(領土・領海・領空)です。国会議員は、
最低限、これを守るべきにもかかわらず、今、逆に売ろうとする政治家がかなり存在
していることに深い悲しみと同時に激しい怒りを覚えます。

 ところで、倫理を欠くのはひとり政治家だけではありません。ここ数年、企業の
不祥事は激増
しています。単に、製品・商品の品質問題だけではなく、従業員間の
深刻な軋轢、取引先・得意先との重大なトラブル、不法不正な取引など、あらゆる所
に不祥事が発生しているのです。

 今、企業では、それらを防止するために、コンプライアンスの徹底や企業統治の
強化などに注力していますが、まだまだ地に足が着いたものになっていません。

 たとえば、上記の「コンプライアンス」という言葉の意味をビジネスマン、サラリーマン、
社員、従業員がどれだけ理解しているでしょうか。身近の人に確認してみればよく
わかりますが、コンプライアンスという輸入用語は法令遵守と訳されてはいるものの、
はてさて、その概念を実感している人はほとんどいないでしょう。

 そうであるとするならば、一般の従業員よりも、まず、企業のトップ、幹部層が認識
しなければならないのは、言うまでもありません。また、言葉というものは、その意味
・内容は当然のこと、わかりやすく、美しい響きも必要です。

 今年の初め、社団法人関西経済同友会が、経営者の心得についての提言をまとめ
ました。

  経営トップの心得 9箇条
      企業不祥事を発生させない“ESR”経営を

  1、人間力(素養、資格、資質や品位など)は高く保たれているか、
    自らの行いに恥じるところはないか。
  2、現場を自分の五感で理解しているか、それを経営に生かしているか。
  3、正しい判断基準を保っているか、ビジョンを示しているか。
  4、人財(社員・後継者)を育成しているか、社員は生き生きしているか。
  5、社内のコミュニケーションは風通し良く保たれているか。
  6、企業経営は社会と調和しているか、会社基準は社会基準と合一しているか。
  7、チェック体制は機能しているか、強化しているか。
  8、危機管理を行なっているか、いざというときは大丈夫か。
  9、情報を正しく発信しているか。
       ESR =“ Executive Social Responsibility ”
                           (経営トップ、経営首脳陣の社会的責任)

                <2009/1 関西経済同友会 企業経営委員会>

 素晴らしいですね。経営トップ、経営陣の社会的責任を、自らの言葉で明確に打ち
出したことに敬意を払います。数多くの企業が、さまざまな不祥事を発生させている
昨今、自らの戒めとするために、これらを纏め上げ、CSR(企業の社会的責任・
Corporate Social Responsibility)よりも、ESR、すなわち経営者の社会的責任として
自覚しようとしたものであり、なかなかのものです。

 関西経済同友会は、今ある経済団体としては、日本経団連、商工会議所、その他
の経済団体などよりもはるかに高い品格を有しています。各種の有益な提言を積極
的に行い、先年は、中国の、わが国への内政干渉をきっぱり退けるべきであるという
発言も行うなど、凛とした、堂々たる、なかなかの存在感を示しています。

 東京の、皮相で日和見的な、国益感覚のない、背骨を失った、安物のTV的な組織
には見られない、気骨ある団体だからこそ、このような素晴らしい提言を纏められた
のでしょう。

 経営トップは、今一度この9箇条を読むだけでなく、すべてを実践、行動しなければ、
単なるお題目であり、絵に描いた餅になります。行動、実践こそが待たれます。

 ところで、本来、今更企業倫理などと大仰に言わなくても、わが国には、江戸時代
から商人や町人の世界で、「実業倫理」や「公徳心」が説かれてきたという歴史を有
しています。
その輝かしい歴史…適塾、懐徳堂、石田梅岩、三井家家訓、住友家
家訓、近江商人などなど…を振り返ることも大切であり、それが、たとえ迂遠で
あっても、人材育成、企業繁栄の礎となるに違いありません。

 (政治家も、一度、わが国の歴史を振り返り、国を守り、発展させるものは
  何であるかについて、あらためて静かに考えるべきでしょう。)

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

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2009年3月 6日 (金)

「桃の節句」…子どもに民俗行事を引き継ごう! 

 158回目のブログです。

 このブログを始めてから、早、丸3年を経過しました。忘れもしませんが、スタートは、
平成18年(2006)3月3日の佳き日でした。週1回、よちよち歩きで大した内容もなく、
サラリーマン&ビジネスマン論を主に、時事エッセーを添え物に書き始めましたが、
今は、もっぱら時事エッセーが主となっています。

 みなさまからの絶大なるご支援、ご声援のお蔭で、目を通される方が大幅に増える
とともに、内容の良し悪しは別にして、それなりにご評価もいただいてきました。
それは、とりもなおさず、次のように感じられたのではと思っています。
 
  とにかく週1回、内容はともかく、157回も続けたものだ。
  石の上にも3年、まあ、よく頑張った。
  政治経済から文化、趣味まで広範な話題を取り上げ、わかりやすく、
   独自の判断(独断と偏見?)をくだしている。
  中には、面白い切り口、新鮮な切り口がある。

 発信者のわたしとしては、上記の項目をできるだけ好意的に受け止めたいと思い
ます。これからも続けていきますので、もしもこのブログが面白く多少は為にもなると
お考えならば、できるだけ、どなたかに「転送」していただければ幸いです。

 それはさておき、3月3日は「桃の節句」であり、いわゆる「雛祭り」でした。女のお子
さんやお孫さんが居られるご家族は雅(みやび)なお祝いをされたことと思います。

 桃の節句…なかなか良い響きですね。春、夏、秋、冬、季節が美しく移りゆくわが
日本では、気候の変わり目の祝祭日を節日(せちび・せつび)といい、その節日の
供物を「節供」(せちく)、その後、節日そのものを「節句」と言うようになったそうです。

 節句は、五節句というように、一年間に五つの節句があります。

  1月7日  人日(じんじつ)の節句   七草粥
  3月3日  上巳(じょうみ)の節句    ひな祭り・桃の節句
  5月5日  端午(たんご)の節句    こどもの日・菖蒲の節句
  7月7日  七夕(たなばた)の節句   たなばた・竹笹
  9月9日  重陽(ちょうよう)の節句   菊の節句

 これらの節句は、宗教行事、地域のお祭り、こどもの成長を祝う祝日などとして、
わたし達の暮らしの中にそれなりに息づいています。まさに、わが国の歴史と文化
のなかで、伝統的な民俗行事、自然な習俗として誇るべき存在であり、さらに一層
深く根付かせていくべきだと考えます。

 思えば、七草粥にしても正月の疲れた胃腸をいたわる食事であり、ひな祭りは
女の子に優雅な心を育むお祭り、端午の節句は男の子に力強さを印象付ける折節、
七夕は牽牛・織姫が交わす天上の豊かなロマンの物語、菊の節句は菊と月の自然
をめでる行事、いずれも、素晴らしき文化の結晶と言えます。

 わが国の先人は、このような文化遺産を数多くのこしてくれていますが、それに
引き換え、現代のわれわれ大人は、こども達に何かを、良きものを遺そうと努力して
いるのでしょうか。少なくとも、これらの民俗行事はこども等に積極的に伝えていく
べきでしょう。

 ところで、わが国の現状を見るにつけ、モラルの崩壊が随所に見出されるように
なるとともに、その崩壊のスピードが年々速くなっていることは、誰しも実感している
と思います。

 それは、学校教育の場でも顕著です。つい最近目にした記事ですが、日本教育
再生機構の石井昌浩氏が次のように述べています。

  今の学校で行われている道徳教育の多くは、ビデオを生徒に見せて感想を
  述べさせるだけ、といった酷い状況だ。
  また副教材を使っていても、モラルジレンマ法という相反する価値観を提示
  して生徒に考えさせる授業に終始し、いわゆる価値相対主義に陥っている。
  基本的な価値観は教えられず、伝記・偉人伝は排除されている。道徳教科
  書づくりを通して日本人の価値観を具体的な形で示し、子供たちに教えて
  いかなければ日本人の心を伝えることはできない。我々の道徳教科書づくり
  にご協力をいただきたい。

 驚きましたね。学校では、伝記・偉人伝が排除されているとは。こんな状態では、
歴史も、文化も、伝統も、民俗も何も伝わらなくなってしまいますが、日教組の先生
および文部科学省、教育委員会は、どうして歴史や文化を断絶しようとするので
しょうか。
こういう考えが、親子を断絶し、家族を離反させ、親が子を殺し、子が親を
殺し、そして「いじめ」を激増させることに繋がっていくのです。きつい言葉で言えば、
日教組などは、間接的には「犯罪者」とも言えるのではないでしょうか。

 やはり、何と言っても、親が子を守ることが一番大切なことであり、そのためには、
親がこどもに、祖父母が孫に、歴史上の偉人伝を読ませ、民俗行事を楽しく伝える
ことが肝要でしょう。わが国の「歴史」を大切に思うことが「親子の絆」を強くし、おかし
な現象(親子の断絶・離反)が生じないことに繋がるのです。家族の歴史も国の歴史
も同じ心根だと考えなければなりません。

   (先祖) → 祖父母 → 父母 → 子ども ≪歴史≫

 ところで、昨年の春にも書いたのですが、危険な社会(いじめ・交通自己・虐待・
理由なき暴力・殺人)から子どもを守る“育児の基本”をここに、再び記します。
(この言葉は、かなり好評でした。)いつの世も子どもは宝です。
子どもさん、お孫さんのために。

   一、赤ん坊の時は肌を離すな
   
   一、幼児の時は手を離すな

   一、子どもの時は目を離すな

   一、少年の時は心を離すな

 ついでにもうひとつ、心優しい和歌を引きましょう。

    “ 世の中の 憂きも辛きも 情けをも
             我が子を思ふ ゆへにこそ知れ ”
                         (良 寛)

 さいごに、あらためて、子どもに民俗行事を引き継ごうではありませんか。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

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2009年2月27日 (金)

経済学の原理…「大胆なデフレ対策」を講ぜよ!

 157回目のブログです。

 不況風が肌身に沁みる昨今ですが、政治業界は相変わらずの混濁状態であり、
なかなか将来が見えてきません。こういう時、石油ショック以来の、あるいは戦後
最大といわれる「経済危機」にどのように対処すべきかについて思いを廻らして
みました。

 “危機”に対処する3条件は次の通りだと考えます。

     迅速  (Speedy)
     大規模 (Big)
     大胆   (Bold)

  GDP「戦後最大の危機」昨年10~12月期、12.7%減

   内閣府が16日発表した2008年10~12月期のGDP(国内総生産)
   速報値は、物価変動の影響を除いた実質で前期比3.3%減、年率換算
   で12.7%減となった。2けたの減少は約35年ぶりで、戦後2度目だ。
   経済成長の要である輸出は過去最大の減少率を記録し、世界的な
   景気後退の波が直撃した日本経済を浮き彫りにした。
                (H21/2/17 フジサンケイ ビジネスアイ抜粋)

 昨年9月15日のリーマンショックから表面化した世界経済の激動は、わが国を
直撃し、驚くなかれ、昨年の10月~12月のGDPが、前年比で12.7%減という
数字になってきました。

 この経済危機をどう克服するのかは、政界、経済界、マスコミなどでいろんな議論
がなされていますが、決定的な政策は浮上しておりません。それなりに有効性をもつ
であろう、約2兆円の国民給付金でさえ、与野党の足の引っ張り合い、党利党略、
駆け引きで、モミクチャにされているのは、周知の通りです。

 今は、国内の供給力と需要力に、大幅なギャップが生じており、需要の喚起策を
講ずることであれば、どんな策でもプラスに働きますから、まずは、これらの策を
冷静に、経済学的に検討すべきです。

 ところが、現状は、すべてを策略的、政略的な面からのみ取り上げるという風潮
がはびこっており、特にTV・新聞などのマスコミがそれを一層煽っていることもあり、
適切な政策が検討さえされず、事態はますます悪化の一途を辿っていると言える
のではないでしょうか。

 まさに、「マスコミ不況」、「メディアファッシズム」の現象が生じているわけですが、
3条件の二つにあたる、大規模&大胆な政策が、今、俄然注目を集めています。

  政府紙幣発行を 高橋洋一東洋大教授が効用語る

   10年や20年に1度の不況ならば政府紙幣の発行は必要ないが、「100
   年に1度」の大不況となれば話は別だ。

   平成21年度の国内総生産(GDP)成長率は、政府の1月の経済見通しで
   示された0%ではなく、恐らくマイナス3~4%成長となるだろう。経済回復
   まで3~5年間が必要となり、物価が半減するような深刻なデフレが発生
   する可能性が大きい。

   そうなると失業率は平均6~10%となり、若年層では20%に達する。昭和
   28年以降、最悪の数値は5.5%。いかに深刻かが分かるのではないか。
   現在より300万~400万人の失業者が増えれば、社会不安を招くことは
   間違いない。

   このような経済情勢をシミュレートすると、80兆円に上る需給ギャップ
   発生する。これを埋め、完全雇用に近づけ、成長軌道に乗せる思い切った
   政策が必要となる。

   そこで私が提案しているのが、政府紙幣25兆円を発行し、日銀の量的
   緩和
で25兆円を供給、さらに「埋蔵金」25兆円を活用し、計75兆円の
   資金を市中に供給するプランだ。2、3年で集中的に行い、さまざまな政策
   を組み合わせれば多方面に効果が出るはずだ。

   大デフレ時のインフレは良薬だ。デフレは例えて言えば氷風呂。政府紙幣
   は熱湯。普段のお湯ならやけどをするが、氷風呂なら熱湯を入れない方
   が凍え死ぬ。

   政府紙幣が何よりの特効薬なのだ。反対する人は、口では「100年に1度
   の不況だ」と言いながら、心の中ではそう思っていないのではないか。
                              (H21/2/12 産経新聞抜粋)

 いやあ、真実、素晴らしい政策です。このまま行けば、80兆円のデフレギャップが
生じますから、前財務省の高橋教授が主唱する次の3政策は、まことに理に適って
います。

    ① 政府紙幣発行  25兆円
    ② 日銀量的緩和  25兆円
    ③ 「埋蔵金」活用  25兆円

         (計)    (75兆円)

 また、この政策は、何の問題もなく、まさしく「経済学の原理」に基づくものであり、
経済学はこのような政策実行のための学問でもあります

 あとは、この政策を政治がいかに早く実行するかであり、また、それを国民が後押
しする必要があります。わが国の内需拡大が不可欠であるとするならば、速やかに
この3政策を実行しなければなりません。緊急に実行することこそが、世界の政治
経済への最大の貢献となるのではないでしょうか。

 (なお別途、「霞ヶ関の棚卸」をすれば、国と地方に眠る14兆円を捻出できること
が証されていることから、中期政策として、中央省庁・地方自治体の合理化に具体
的なメスを入れ、「日本国」を筋肉質の体質にする必要があります。)

 何はともあれ、わたしは、高橋教授の、政府紙幣発行による不況脱出策に大賛成
です。これは、経済学の原理から見れば、常識の議論ではありましょうが、誰も口を
閉じている中での高橋教授の憂国の発言にあらためて敬意を表したいと思います。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
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