2019年6月14日 (金)

「五個荘」…近江商人の街並みを訪ねる! 

 694回目のブログです

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 “すくすくと 生ひ立つ麦に 腹すりて 燕飛びくる 春の山畑”
                  橘曙覧(幕末・国学者/歌人)

 勢いよく伸びている麦の穂に腹をするくらいに低く燕が飛んでくる、春の山一面の麦畑よ…。

 勢いよく伸びている麦の穂、溌剌と飛ぶ燕、目の前を広がる春の山。自然と鳥とが生き生きと融合した姿を見事に詠んだ素晴らしい和歌です。

 先日、気の置けない友人10名と近江商人のふる里「五個荘」(ごかしょう)を訪ねました。五個荘一帯はめずらしく麦畑が多かったのですが、上記の和歌にあるような燕には出くわせず、替わりに、それこそきわめて珍しく「雲雀」が、垂直に、ぴーちくぱーちく鳴き揚って行くところを見ることができました。麦畑に雲雀、なかなか長閑な素晴しい景色でした。

 JR京都駅集合 ⇒(琵琶湖線)⇒ JR能登川駅 ⇒(近江鉄道バス)⇒ 五個荘「ぷらざ三方よし前」停留所 ⇒ 金堂町/伝統的建造物群保存地区散策 ⇒ 昼食 ⇒ 外村繁邸 ⇒ 外村宇兵衛邸 ⇒ 中江準五郎邸 ⇒ 観光センター ⇒ バス停「ぷらざ三方よし前」⇒(近江鉄道バス)⇒ JR能登川駅付近で打ち上げ ⇒ JR能登川駅 ⇒(琵琶湖線)⇒JR京都駅解散

 当日は曇り空、雨も霧雨が1~2分降っただけで、暑い太陽の光もなく、疲れもほとんど感じない快適な一日でした。

 五個荘は琵琶湖中部の東側にある東近江市に位置、近江商人のふる里として有名。近江(現在の滋賀県)に本宅・本店を置き、他国で商いをした商人を総称して「近江商人」と言います。出身地域によって、高島商人(高島)・湖東商人(五個荘/豊郷)・八幡商人(近江八幡)・日野商人(日野)とよばれています。

 わたしは既に日野と近江八幡を訪れましたので、今回の五個荘で近江商人のふる里のほとんどを訪れたことになります。もっとも、伊藤忠、丸紅の出身地である豊郷には又の機会に訪れたいと思っています。

【五個荘金堂町】(重要伝統的建造物群保存地区)

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 五個荘は湖東平野のほぼ中央に位置し、街並みは条里制地割を基礎に、集落中心に陣屋、神社仏閣、周辺に農家が集まる農村集落として出来上がっていました。これに加えて、近江商人発祥の地としての商人本宅の見事な構え(板塀・入母屋造りの主家・数寄屋風の離れ・土蔵・納屋・池や築山を配した大きく壮麗な日本庭園・「かわと」や「あらいと」で水路の水を引き込み生活用水に)が数多く建ち並んでいる景観は、さすがに重要伝統的建造物群保存地区として肯けます。

 街並みを散策しましたが、静かななかに凛とした雰囲気があり、何となく近江商人の心意気が感じられ、これぞ歴史散策の醍醐味と納得した次第です。

【外村繁邸】(外村繁文学館)

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 外村宇兵衛の分家が小説家・外村繁の生家。江戸末期の建造、総面積726坪、建物面積150坪、門を入ると川の水を取り入れた川戸と呼ばれる水屋があり、の広さは目を瞠らされます。典型的な日本家屋であり、の太さとの際立った大きさは圧巻。窓ガラスもいわゆる「レトロガラス」が使われており、少しく揺らいで見えるところは何とも言えない風情を感じさせてくれます。女中部屋、小説を書いていた小座敷も一見の価値があります。

【外村宇兵衛邸】(てんびんの里伝統家屋博物館)

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 外村宇兵衛家は、五個荘商人として活躍していた外村与左衛門の分家。文化10年(1813)独立して商いを始め、東京・横浜・京都・福井などに支店を有し呉服類の販売を中心に商圏を広げ、明治時代には全国の長者番付にも名を連ねました。

 四代目宇兵衛元亨は、これからは洋服の時代と考え、大正7年(1918)御幸毛織を株式会社化し、高級紳士服メーカーの礎をつくりました。

 外村繁邸の本家筋に当たりますからそれに相応しい建屋です。見上げるばかりの天井、破格の大きさの梁、作庭当時神崎郡一番と評された庭、まさにこれぞ近江商人の簡素な中にも豪華な設えの本宅を実感した次第です。

【中江準五郎邸】

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 この中江準五郎邸は、戦前に朝鮮半島・中国大陸を中心に20数店の百貨店を経営した「百貨店王」三中井一族の五男である中江準五郎の本宅。
 屋敷は、2階建ての切妻瓦葺で庭は池泉回遊式となっており、2階からは、まるで当時にタイムスリップしたかのような眺望を楽しめます。
 蔵の中には、郷土玩具・小幡人形と土人形が多数展示されていました。

 近江商人の三つの邸宅をじっくりと見学しましたが、簡素にして豪華な造りのなかにある種の美的センスを窺わせてくれます。これだけの財をなすには近江商人としての不断の努力があったればこそ、…それは「天秤棒一本で財を成す」「近江の千両天秤」という言い回しを見ればあきらかです。

 『近江の千両天秤』には“天秤棒一本あれば行商をして千両を稼ぎ財を成す”という、近江商人の商魂の逞しさと同時に、千両を稼いでも行商をやめず、初心を忘れることなく商売に励むという教訓が籠められており、今も昔も近江商人にとってそれが歴史的・精神的な原点となっているのではないでしょうか。

 近江商人はどんな人だったのでしょうか。それは、江戸~明治時代に活躍、「質素倹約」「しまつしてきばる」、「三方よし」の精神、この三つです。

 忘れてならないのは近江商人の理念『三方よし』の精神でしょう。

   売り手によし
   買い手によし
   世 間によし

 これは、近江国五個荘の中村治兵衛家の2代目宗岸の書置きにその趣旨が述べられているものを分かりやすく表現したものです。もしも、現代の企業経営者が歴史に学び、この「三方よし」の精神を実践すれば、続発する企業不祥事はなくなるのではないでしょうか。

 例によって、駅近くで打ち上げ、帰路に向かいました。歴史の散策、尽きることはありません。

 みなさまにも近間の歴史散策をお薦めします。

次回は
時事エッセー
です。

 

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2019年6月 7日 (金)

「貿易戦争」か「冷戦」か … 米中覇権争いをどう見るか!

 693回目のブログです

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“吹きいづる はげしの風に 群雲の はれゆくあとの 月まどかなり”
              内藤政俊(幕末の挙田<ころもた>藩主)

 激しい風が吹きつけて暗雲を取り払った。その後の晴れた空の月の光の何とさわやかなことだろう…。

 幕末の挙田藩(愛知県豊田市)は財政難に苦心。それは賄賂をもらい浪費する家老たちがおり、そのあげく農民に増税しなければならなかった。藩の塾長で正義感の強い竹村梅斎がこの問題に取り組み再建に成功しますが、梅斎は自殺に追い込まれてしまいました。これを惜しみ、また梅斎の功績をたたえて藩主の内藤政俊が詠んだのが上掲の和歌です。

 いよいよ日本列島も梅雨に入りました。5月下旬には気温が30℃~35℃にもなり、今年も異常気象になるのかと心配になってきます。それに応じて、あるいはそれ以上に世界の政治・経済・外交はますます混迷を極めようとしていますが、この局面においては冷静沈着に、ことの本質を見ていく必要がありそうです。

 そこで、今、わが国で「米中貿易戦争」と称されているものが、果たしてそうなのか、あるいは「米中冷戦」ではないのか、ということを考えて見たいと思います。

 まず、簡単に米中の貿易問題が顕著になった平成28年(2016)からを振りかえりましょう。スタートは、2016年のアメリカ合衆国大統領選において。トランプ氏は中国(中華人民共和国)の「膨大な貿易不均衡」を大きな問題として指摘しました。

 平成29年(2017)には、ライトハイザー合衆国通商代表が、中国は、外国企業が中国に進出する際に「技術移転」を強要し、また「不公正な補助金」で輸出を促進するなど、国際貿易体制の脅威になっていると厳しく非難しました。

 これ以後連日の如く、中国との貿易摩擦、戦争、冷戦がクローズアップされてきました。その最たるものが、平成30年(2018))10月のペンス副大統領のハドソン研究所における次のような講演です。

中国の政治及び経済における自由が拡大することを期待して、米国は、中国がアメリカ経済にアクセスすることを許可し、WTOに加盟させた。

しかし、中国は、不適切な貿易慣行・関税・輸入枠があり、通貨操作し、技術を強制移転させ、知的財産を窃盗し、不適切に補助金を配布し、自由で公正な貿易とは相容れない行動を行っている。

中国製造2025を通じて、人工知能などの先端技術の90%を支配するために、アメリカの知的財産をあらゆる手段を講じて取得するよう中国政府が指 示。さらには軍事技術まで取得しようとしている。

南シナ海や尖閣諸島などで軍事力を行使している。

監視社会を構築し、国民の自由と人権を奪っている

キリスト教・チベット仏教・イスラム教などを宗教弾圧している。

借金漬け外交を行い、借金を返せなくなった国から港などを
  取り上げようとしている。

Supermicroスパイチップ埋め込み疑惑、Googleへの検閲システム、
  アメリカでのスパイ活動や宣伝工作。

中間選挙に干渉。

 平成30年(2018)11月には、アメリカは日本などの同盟国に対して「ファーウェイ」の通信機器を使用しないよう要請。日本政府はそれに応諾しました。

 これまでのアメリカによる対中制裁関税は下記の通り。

        (発動日) (対象金額) (関税率)
  第1弾 2018年7月   340億ドル 25%
  第2弾 2018年8月   160億ドル 25%
  第3弾 2018年9月 2,000億ドル 10%(2019/5/9まで)
                              25%(2019/5/10より)
  第4弾 2019年6月末以降
                   3,000億ドル 25%(最大)

 熾烈な駆け引き、争闘が行われていると見なければなりません。それもすべてアメリカが蒔いた種です。アメリカは、たとえ中華人民共和国という共産主義国家であったとしても、種々の暖かい援助を重ねて行けば、アメリカ流の民主主義を受け入れてもらえるとの“幻想”を懐き、中国共産党の建国以来、最先端技術の供与、人材育成への協力、などに注力してきました。

 しかしどうでしょう、アメリカは完全に中国という独裁国家、中華民族国家の真相を読み誤ったのです。中華人民共和国は、今や、世界を二分する勢力、いや世界に冠たる帝国として易々と君臨するまでになっています。アメリカ合衆国が国の総力を挙げて従来中国を蹴落とすことができるかどうか、予断を許さない状況にあると思われます。

 中国には「一山容不下二虎」(1つの山に2頭の虎を収容する空間はない)とか「不共戴天」(同じ天を共に戴くのは敵にほかならない)ということわざがあります。天を戴くのは中国の『皇帝』であり、米国のTOPは単なる一地区の『王』にすぎないと見ている限りは、米中間の争闘は短期間で終わるものではないと思います。アメリカも中国も同じような思考回路を持っていますから、両雄並び立たず、長期戦は必至の予感がします。

 米中の対立は、単なる貿易ではなく、経済、軍事、技術、情報、歴史認識、人権、宗教、など政治全般に関わるものだと考えれば、次のようになるのではないでしょうか。

    ×「米中貿易戦争」
    △「米中冷戦」
    ◎「米中覇権戦争」

 わが国のメディアを見れば、今日現在でも、この米中覇権戦争を単なる「貿易戦争」と表現していますが、これは間違いであり、為にするフェイクニュースではないでしょうか。ペンス副大統領の講演をみても、軍事、技術、政治の領域まで言及しているではありませんか。「覇権戦争」であることは明白。

 そう考えれば、わが国は中国につくのか、米国につくのかの旗幟を鮮明にしなければなりません。わが国は、当然ながら軍事同盟相手の米国を第1とし、ロシアを第2、反日ではあっても韓国を第3の関係先とし、中国に対峙することが求められます。

 しかしながら、先般、自民党の“大”政治家・二階幹事長は大デレゲーションを引きつれる訪中の前に、中国が世界覇権を目指して進める「一帯一路」について「米国の機嫌をうかがいながら日中関係をやっていくのではない。日本は日本として、独自の考えで中国と対応していく。米国から特別な意見があれば承るがそれに従うつもりはない」と言明しました。

 親中・媚中・屈中派二階氏の面目躍如。二階氏はかつて、チャイナの江沢民主席を讃える石碑を全国各地に建立しようとする運動を起こしたとんでもない政治家です。江沢民主席はガチガチの反日派であり、ことあるごとに日本に楯突いた人物。このような人物を尊敬する二階センセイが現在の自民党の幹事長ですから、どう考えれば良いのか、憲法改正も進まないのは、自国よりも他国にシンパシーを感じる政治家が多すぎるからと思えてなりません。

 激動の世界、一層厳しい環境になった令和の幕開け。冷静にものごとを判断したいものです。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回は
時事エッセー
です。

 

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2019年5月31日 (金)

徳島・鳴門吟行会…素晴らしき仲間たちとともに!

 692回目のブログです

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“牡丹花は 咲き定まりて 静かなり 花の占めたる 位置のたしかさ”
             木下利玄(大正12年 歌集「一路」)

 牡丹の花は満開となっても静かに定まっており、その花の占めている位置も何とたしかなことであろうか…。

 牡丹の花は華やかさと重量感で他を圧倒していますが、一頭地を抜いているのは、その静かな空間において、不動の場に固定されているように見えるからなのでしょう。

 5月とは言え、今年も異常な気象となるのでしょうか、真夏日が続く先日、関西から四国の徳島・鳴門を訪ねる小旅行に参加しました。参加者16名、お互いに気心の知れた友人であり、有意義な2日間を過ごしました。

 (1日目)JR大阪駅⇒(JR高速バス)⇒徳島駅ホテル<昼食>⇒(徒歩)⇒徳島城博物館⇒(タクシー)⇒阿波踊り会館⇒(ロープウェイ)⇒眉山山頂(ロープウェイ)⇒阿波踊り会館⇒(タクシー)⇒山屋商店⇒(タクシー)⇒徳島駅ホテル⇒(徒歩)⇒「昴宿よしの」<懇親会>⇒(徒歩)⇒徳島駅ホテル<宿泊>

 (2日目)徳島駅ホテル⇒(タクシー)⇒大塚国際美術館⇒(高速バス)⇒大阪なんばOCAT

 JR大阪駅で高速バスに乗り込み一路鳴門・徳島へ。本州四国連絡橋は3つのルート(神戸-鳴門、児島-坂出、尾道-今治)がありますが、今回は神戸・鳴門ルート。当日の天候は良く、瀬戸内海も穏やかであり、世界最大のつり橋「明石海峡大橋」「大鳴門橋」などから見る風光明媚な景色はバスから眺めていても飽きが来ません。眼下には鳴門の渦潮なども見え興味をそそられます。

【徳島城博物館】

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 徳島藩と蜂須賀家に関する資料が豊富に陳列。蜂須賀家は代々徳島藩を領地とし、外様であっても一度も国替えがなかったことを知りました。また、阿波水軍の活躍を象徴する豪華な和船「千山丸」が展示されており目を引きます。庭園も見事でした。

【阿波おどり会館】

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 阿波踊りと言えば、まず、
   “踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々!”

 阿波おどりホールでは「阿波おどり公演」が約40分あり。三味線・鉦・笛・締太鼓・大太鼓の賑やかでリズミカルな鳴り物をバックに、有名連の選抜とも言えるメンバー男女各5人による阿波おどりを観賞しました。初めて見る生の阿波おどりは迫力満点です。

 阿波おどりの知識や踊り方の説明があり、最後には観衆の大半が踊りに参加、ステージも大いに盛り上がり、わたし達のグループから表彰者もでました。

【眉山山頂】

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(万葉歌碑・犬養孝先生の揮毫)

  眉山はどの方角から見ても「眉(まゆ)」の形をしているところから「眉山(びざん)」と呼ばれ、標高290mの山と言うよりも高台と言った方がぴったりでしょう。

 眉山山頂からは徳島市街地の方角に「吉野川」のゆったりとした流れを一望できましたが、本来、吉野川は暴れ川と言われ、日本国三大暴れ川のひとつです。

   『日本国三大暴れ川』
      利根川 (異名:坂東太郎)
      筑後川 (  ∥  :筑紫次郎)
      吉野川 (  ∥  :四国三郎)

 山頂には、碩学、万葉学者・犬養孝先生の揮毫による万葉歌碑が建てられています。

  “眉のごと 雲居に見ゆる 阿波の山 かけてこぐ舟 泊り知らずも”
                 (船王<ふねのおほきみ>/万葉集)

 眉のように横長く遥か彼方に見える阿波の山、その阿波の山を目指して漕いで行くあの船の今夜の泊りはいったいどこであろうか…。

 犬養孝先生は万葉集に登場する国内すべての地を踏査されただけでなく、学生たちとともにその地を訪ねる「万葉旅行」を企画実施された偉大な先生です。わたしも一度“山の辺の道”に参加しましたが、その感激はいまだに忘れることは出来ず、この度、新しい元号が万葉集に典拠することになったことに限りない喜びを感じています。

 たとえ、歴史は経ていても、現地を訪ねその地の息吹きを体感することは大切ではないでしょうか。三現主義 …「現場」「現物」「現実」を基礎とすべきであり、ともすれば空理空論を展開しようとする愚を戒めたいもの。あらためて犬養孝先生の学恩に感謝します。

【合資会社 山屋商店】

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  (山屋商店玄関)

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   (レンガの煙突)

 創業160年、江戸時代末期の安政から、万延、文久、元治、慶応、明治、大正、昭和、平成、そして令和の現在まで、昔ながらの静置発酵法による手作り醸造酢をつくり続けています。店構えもレトロ、工場もレトロ、それにこだわり、それゆえに美味しい「酢」「醤油」「味噌」「麹」。店主(5代目)も実直なお人柄。お土産に酢と醤油を買って帰りましたが、美味しくいただいています。

 山屋には、大正7年(1918)建立した高さ21メートルのレンガの煙突があります。徳島大空襲や南海地震にも耐え、平成16年(2004)現役を終えましたが、今や山屋のシンボルであるとともに徳島のシンボル的存在となっているようです。

 レンガの壁の積み方には、ドイツ、イギリス、オランダ、フランス、アメリカの各種積み方があり、山屋のレンガの煙突は「イギリス積み」だそうです。それにしても、見上げるばかりの威容に声も出ません。

【懇親会】昴宿よしの)

 徳島駅近くの料理屋で懇親会。乾杯の前に、山屋の店主の計らいで「阿波人形浄瑠璃」による目出度い「三番叟」を観賞しました。淡路や阿波の人形芝居では,序開きの祝言に「神舞」と称して演じられるそうです。見事な人形浄瑠璃観賞のあとビールで乾杯、それなりに疲れた一日を癒しました。

【大塚国際美術館】

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   (システィーナ礼拝堂天井画)

 大塚国際美術館は20,000坪を超える広大さを誇る「世界初の陶板名画美術館」であり、古代壁画から現代絵画まで、世界の有名な美術館が所蔵する西洋名画1000点を原寸大で展示しています。

 最初に目にするのが、原寸大の「システィーナ礼拝堂天井画」(最後の審判/ミケランジェロ)ですから、圧倒的な臨場感と微妙多彩な色相に度肝を抜かれました。

 展示は古代、中世、ルネサンス、バロック、近代、現代と系統的になされており、わたしはその通りに10時から14時30分まで1日、駆け足でざっと鑑賞しました。教科書に載っていた有名な絵画が目の前にゴロゴロ、これでもかという位に圧倒されてしまいます。

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 写真撮影もOK、手で触ってもOK。何せ1300℃で焼成し、2000年もそのままの状態を保持できる革新的職人的技術による陶板(大塚オーミ陶業株式会社で制作)ですから納得させられます。

 1000点を超える点数であり、とても1日では無理でした。次の機会に興味ある絵画、好きな絵画にだけ向き合いたいと思った次第です。

 最後に、この美術館を設立された大塚グループ総帥の(故)大塚正士氏の心意気に敬意を表したいと思います。

 徳島、鳴門の小旅行、心の通い合う仲間と一緒ですから充実した楽しい時を過ごすことができました。

次回は
時事エッセー
です。

 

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2019年5月24日 (金)

上高地・立山黒部アルペンルートを訪ねる!

 691回目のブログです

  “梓弓 磯辺の小松 たが世にか 万代かねて 種をまきけむ”
               柿本人麻呂(新古今和歌集)

 あの岩の上にある松は誰がいつ、その木の万年の寿命を願って種を蒔いたのだろうか…。

 磯辺に立つ、一本か二本の、緑豊かな松の木を感嘆した歌でしょうが、この柿本人麻呂の伸びやかな和歌の調べに、わたし達の心も清澄になってくるような気さえしてきます。

 先日、観光バスで、かねての念願であった上高地/立山黒部アルペンルートを1泊2日で訪ねました。天も味方したのでしょうか、両日とも素敵な晴れの天候、快適な旅となったのは幸いでした。

 (1日目)新大阪⇒平湯⇒上高地⇒安曇野⇒長野県栂池高原ホテル宿泊 (2日目)ホテル⇒扇沢駅⇒(関電トンネル電気バス)⇒黒部ダム⇒(徒歩)⇒黒部湖⇒(黒部ケーブルカー)⇒黒部平⇒(立山ロープウェイ)⇒大観峰⇒(立山トンネルトロリーバス)⇒室堂<雪の大谷>⇒(立山高原バス)⇒美女平⇒(立山ケーブルカー)⇒立山駅⇒新大阪

 JR新大阪駅で近鉄観光バスツアーに乗り込み、一路北陸へ。観光バスでの長旅ははじめてですが、座席もゆったりとしており、添乗員も大阪流のユーモアを散りばめ気づかいもよく、快適な2日間でした。

【上高地】

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 上高地は、長野県飛騨山脈南部の梓川上流の景勝地。中部山岳国立公園の一部でもあり、国の文化財に指定されています。標高約1,500m。少し肌寒いくらいで、90分ほど自由散策しましたが、遠くに見える冠雪の山脈、生き生きした若緑の山々、透き通った清流のせせらぎ、散策コースの脇にある林を遊び場とするお猿さん親子、など「自然」を満喫するに相応しい絶好の散策道です。

 都会の猥雑な生活環境から見れば別世界の自然美に彩られた雰囲気に、心が洗われること必定。何度でも訪れたい所です。

 さて、2日目は立山黒部アルペンルート。ホテルからルートの入口である「扇沢駅」までは現地のバス。ここから、いよいよ期待の黒部ダム・室堂となりますが、このルートには6種の輸送手段があり、これも大いに楽しめます。

  関電トンネル電気バス
  ・黒部ケーブルカー
  ・立山ロープウェイ
  ・立山トンネルトロリーバス
  ・立山高原バス
  ・立山ケーブルカー

【黒部ダム】(黒四ダム)

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 黒部ダムは、関西電力が建設、昭和38年(1963)竣工したアーチ式コンクリートダム。標高1,470m。高さ186m、幅492m、貯水量2億トン(東京ドーム160杯分)の威風堂々としたものであり、堤の上を歩いても、その堂々たる姿とそこから眺める景観の素晴らしさに圧倒されました。(噴出する放水は6/26~10/15までであり、今回は見ることはできず、次回に持ち越しとなりました)

 黒部ダム建設の困難さを乗り越えた物語として、三船敏郎・石原裕次郎主演の「黒部の太陽」を観たことがありますが、実際に現地、現物を見るとそのスケールの大きさに驚かされます。

 “時代”だったのでしょうか。産業発展には致命傷となる「電力不足」に対応するために全身全霊を打ち込んだのが産業界の傑物(関電社長・太田垣士郎)であったこと、それを国が全面的に支援したことであり、歴史の風雪に耐えている建造物を目の前に見るにつけ、それを建造した人々の“偉大な精神”に、心の底から感嘆しました。 

 それにしても、今、令和の時代の幕開け、時代を大胆に拓くためにも、各界に偉大な精神を求めたい心境です。

【大観峰】

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 標高2,316m、パノラマ的に眺めれば最高に美しく、しばしうっとりとします。

【室堂】“雪の大谷”

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 標高2,450m、アルペンルートの最高地にして中心地。今回の旅の目的は“雪の大谷”にあります。すでに5月中旬になっていましたので、道路の両側に聳える「雪壁」は20mもあるものから徐々に溶け出し14~15mになっていました。それでも、見上げる雪の壁は圧巻!であり「雪の大谷ウォーク」を満喫しました。

 雪の大谷は平成5年(1993)から始まり今年で26回目。約500mにわたる「ウォーキングゾーン」は、除雪車2台で高原バス道路に積もった約20mもの雪を除雪してできています。今ではGPS(人工衛星による位置情報計測システム)で道路の位置を正確に計算できるようになっているそうです。

 高度100mで0.7℃下がるため、この季節はまだまだ寒いとのことで冬の服装を準備していましたが、当日は極めて暖かくそれを着用せずに済みました。

【弥陀ヶ原】(みだがはら)

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 標高1,930m、東西4㎞・南北2㎞の溶岩台地ですが、5月の弥陀ヶ原はまだまだ雪が覆い被さっていました。見事な雪原でした。

【美女平】

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 標高977m、立山ケーブルカーと立山高原バスの乗継地点。駅周辺は樹齢1,000年を超える立山杉やブナの巨木がそびえたつ原生林が広がっています。このあたりでは立山を開いた佐伯有頼と許婚者の美しい姫にまつわる話が言い伝えられ「美女平」の地名の由来にもなっています。

 いよいよ立山ケーブルカーの終着点【立山駅】に到着。ここから一路大阪へ。2日間にわたる強行軍にもかかわらず、天候に恵まれ、快適なバス旅となったことに感謝するばかりです。

 それにしても、国内にはまだまだ訪れるべき土地がいくらでもあることをあらためて強く認識した次第です。

 旅行、散策の醍醐味は、上掲の柿本人麻呂の和歌にあるように、種を蒔いた人間の偉大な精神に触れることにもあるのではないかと思います。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回は
時事エッセー
です。

 

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2019年5月17日 (金)

「憲法改正」案を比較してみよう!…②            

 690回目のブログです

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 “うるはしく かきもかかずも 文字はただ
              読みやすくこそ あらまほしけれ”
                  明治天皇御製(明治38年<1905>)

 麗しく書いてもあまり麗しく書けていなくても、文字はただ読み易く書くようにしたいものだ…。

 令和の御代となり、世間では慶祝ムードが広がりを見せてはいますが、政治経済においては、難問続出の気配が窺われます。

 消費税増税による景気の冷え込み必至、中国産品に25%の関税を課す米中覇権戦争の緊迫化、北朝鮮のミサイル発射、欧州・英国の混迷、中国一帯一路の野望露見、韓国の反日徴用工判決成り行き、日米交渉の行方、など内外の混沌はかつてない激動を予感させ、わが国の対応も戦略的な腹をくくった対処が求められる状況に至っています。

 こうなってくると、先週のブログに記したように、今一度、冷静沈着に、国の背骨である「憲法」の改正案を真面目に考えて見ることが大切になってきました。憲法の趣意は前文に書かれていると思いますので、それをとりあえず読んでみましょう。

【現行】憲法“前文”

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

【自由民主党】日本国憲法改正草案“前文”

(前文)
 日本国は、長い歴史固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。

【読売新聞】読売憲法改正試案“前文”

 日本国民は、日本国の主権者であり、国家の意思を最終的に決定する。国政は、正当に選挙された国民の代表者が、国民の信託によってこれに当たる。
 日本国民は、個人の自律と相互の協力の精神の下に、基本的人権が尊重され、国民の福祉が増進される、自由で活力があり、かつ公正な社会をめざす。
 日本国民は、民族の長い歴史と伝統を受け継ぎ、美しい国土や文化的遺産を守り、これらを未来に活かして、文化及び学術の向上を図り、創造力豊かな国づくりに取り組む。
 日本国民は、世界の恒久平和を希求し、国際協調の精神をもって、国際社会の平和と繁栄と安全の実現に向け、不断の努力を続ける。
 地球環境は、人類の存続の基盤であり、日本国民は、国際社会と協力しながら、その保全に努め、人間と自然との共生を図る。
 日本国民は、これらの理想と目的を達成し、国際社会において、名誉ある地位を占めることを念願する。
 この憲法は、日本国の最高法規であり、国民はこれを遵守しなければならない。

 現行憲法と改正2案(自民案と読売案)を比較してみてからの感想を記します。

現行憲法には、日本語として間違っているものや意味不明なものがあります。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して~」は「~の公正と信義『を』 信頼して~」が日本語として正しいとされています。また、米占領軍が指示した英文が元になっているからでしょう、全体的に翻訳調文章の「空疎さ」が目立ちます。

現行憲法の「人間相互の関係を支配する崇高な理想」とは一体何を指すのか、また「政治道徳の法則は、普遍的なものであり」の政治道徳とは何を意味するのか、筆者のような低い頭脳では理解できません

さらに、最も“奇怪”なのは「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という文章です。わが国周辺を見回して、どこに“平和を愛する諸国民の公正と信義”を見出すことができるのでしょうか。それは、軍拡・覇権・1党独裁の中国(中華人民共和国)ですか、核・ミサイル・独裁の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)ですか、反日・反米・容共の韓国(大韓民国)ですか、もう、寝ぼけるのもいい加減にしようではありませんか。

読売憲法改正試案の前文は逐条的な表現であり、心に響くものがありません。全面的に直すべきでしょう。

自由民主党の日本国憲法改正草案の前文には格調の高さがいま一つ不足しています。修正すべきだと考えます。

要するに、格調の高い日本語であり、かつ国民にも分かりやすいことが求められるのではないでしょうか。

 冒頭に掲げた明治天皇の御製から学ぶべきだと考えます。

 世界情勢を鑑みても、今や、憲法改正は待ったなし。全政党が議論を尽くし、早急に国民投票にまで持っていく必要があるのではないでしょうか。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回は
時事エッセー
です。

 

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2019年5月10日 (金)

「憲法改正」案を比較してみよう!…①            

 689回目のブログです

20195101

 “我が園に 梅の花散る 久かたの 天より雪の 流れ来るかも”
                         大伴旅人(万葉集)

 この我らの集う園に梅の花が舞い散る――天から雪が流れ落ちてくるのだろうか…。

 元号「令和」の元になった万葉集「梅花の歌三十二首」のなかの一首。天平二年(730)一月十三日、旅人邸で梅の花を賞美する宴を催した時、大宰府の官人ら総勢三十二名が梅の歌を詠んだものが万葉集に載りました。

 今、令和の時代を迎え、国民の関心は何となく明るい国家の到来を予感し、改元の祝賀のムードに満ち溢れていますが、現実の厳しさは増すことはあっても減少することはないのではないでしょうか。

 世界の政治、特に東アジア、中国(中共)、北朝鮮、韓国、そしてアメリカの動向に目を離すことはできません。

 このような時、国内問題も難問が山積みです。「令和」の船出はまことに厳しいものと言わざるを得ず、わが国が世界に伍していくためには、国の背骨をしっかりと立てることが大切であり、その第1歩が憲法改正だと思います。

 しかしながら、身の周りのミクロのお金のことには関心を示しても、依って立つ基盤である「憲法」の改正については理解がなかなか浸透していないように見受けられます。

 先日、安倍首相が憲法改正の呼びかけをしましたので、改正の最も重要な条文について整理をしてみたいと思います。それは、現行憲法第9条の安全保障・防衛・自衛隊についての条文であり、現在公表されている憲法改正案と比較してみましょう。(安全保障・自衛隊・軍備のところに焦点を当てます)

【日本国憲法】(現行憲法・昭和22年<1947>・72年間改正なし

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない

【自民党憲法改正草案】(平成24年<2012>)

(平和主義)
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

(国防軍)
第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する
2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。

【読売憲法改正試案】(平成16年<2004>)

第11条(戦争の否認、大量破壊兵器の禁止)
(1) 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを認めない。
(2) 日本国民は、非人道的な無差別大量破壊兵器が世界から廃絶されることを希求し、自らはこのような兵器を製造及び保有せず、また、使用しない。

第12条(自衛のための軍隊、文民統制、参加強制の否定)
(1) 日本国は、自らの平和と独立を守り、その安全を保つため、自衛のための軍隊を持つことができる
(2) 前項の軍隊の最高の指揮監督権は、内閣総理大臣に属する。
(3) 国民は、第一項の軍隊に、参加を強制されない。

【安倍首相改憲論】(自衛隊加憲論)

 ①9条1項 現行憲法(いわゆる平和主義)をそのまま
 ②9条2項 現行憲法(戦力持たず・交戦権認めず)をそのまま
 ③9条3項 自衛隊保有を明記する(…加憲)

 これらを比較して、私の感想をのべます。

 ・自民党案と読売案とは似通っているように思えますが、自民党案の方が整然としており分かりやすいと思います。

 ・自衛隊については、平成30年の内閣府調査によれば、国民の89.8%が良い印象を持っていますが、憲法学者は違憲の存在として否定しています。国民と学者の乖離は明白。そこで、自衛隊及び安保法制(集団的自衛権行使)が憲法違反かどうかについての「憲法学者」に対するアンケート(平成27年<2015>朝日新聞)を見てみましょう。

 【安保法制】(集団的自衛権行使)
   ① 憲法違反にあたる…………………………104人
   ② 憲法違反の可能性がある…………………15人
   ③ 憲法違反にはあたらない可能性がある…0人
   ④ 憲法違反にはあたらない……………………2人
   ⑤ 無回答 ……………………………………………1人
   ※122名中119名が違憲判断(97.5%)

 【自衛隊】
   ① 憲法違反にあたる ……………………………50人
   ② 憲法違反の可能性がある …………………27人
   ③ 憲法違反にはあたらない可能性がある…13人
   ④ 憲法違反にはあたらない……………………28人
   ⑤ 無回答………………………………………………4人
   ※122名中77名が違憲判断(63.1%)

 ・現行憲法9条2項(戦力持たず・交戦権認めず)を日本語として素直に読めば自衛隊は違憲の存在となるでしょう。そこで安倍首相が憲法に自衛隊保有を明記したいと言う気持ちも考えは分らないことはないのですが、違憲と合憲が隣り合わせの条文…まさに政治論的な奇手、一考を要すのではないでしょうか。

 ・自民党は党是が『憲法改正』です。したがって、安倍自民党総裁が進めようとする「自衛隊保有の明記という加憲論」と「自民党憲法改正草案」を党の正式機関である“憲法改正推進本部”で合議し、早急に結論を出し、改憲のムードづくりに邁進すべきではないでしょうか。

 ・安倍首相の自衛隊保有という加憲論が、自らのレガシーづくり、私心に基づくものでないことを祈っていますが、果たして…。

 ・72年間も憲法改正に手を付けなかったために、わが国の安全保障には大きなガタが来ており、近隣諸国の侵略攻勢には耐えられないはずです。いつまでもアメリカにおんぶに抱っこ出来ない時が遠からず来ることをも覚悟しなければならず、今から態勢を整備することが必要ではないでしょうか。

 ・憲法は、日本人が読んで、見事な内容であるとともに、素晴らしい日本語で書かれていなければなりません。現行憲法の前文などは、内容はもとより翻訳調文章の空疎さが目立ち、違和感を懐かせます。改正に当たっては、真の“碩学”に文章を練ってもらう必要があります。占領憲法、押し付け憲法、翻訳憲法を脱する時が来ました。待ったなし、それが令和の時代だと思います。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回は
時事エッセー
です。

 

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2019年5月 3日 (金)

「令和」の幕開けに期待する!  

 688回目のブログです

20181191

“なにごとも 思ひ入るとも 人はただ まことの道を ふむべかりけり”
                          明治天皇御製(明治37年)

 どのような事に思ひ入れて行くとしても、人として、ただただ誠の道を踏むべきである…。

 背筋をピンと反らして味わわなければならない御製です。新しい時代「令和」の幕開けであるからには、旧年の不実を反省し、これからは極力「まこと」の道を踏んで行きたいもの。まことは「誠」「真」「洵」「実」「信」などの字を当てることができます。人として最も重要なものーそれは「まこと」であることを明治天皇が諭されているのではないかと思います。

 五月一日、新天皇が御即位されました。一部の人を除いてはほとんどの国民がお祝いの気持ちを有しているのでしょう、街は慶祝ムードで溢れているように思われます。

 「令和」は「平成」の御代を引き継いでいくことになりますが、この時点で、難問は山積みのままであり、それの解決に全国民が叡知と力を結集しなければなりません。リアリズムで考えれば厳しい課題ばかりです。まず列挙してみましょう。

『憲法改正』

 現行の日本国憲法は米国占領下において成立したものであり、占領憲法とか押しつけ憲法とも言われてきました。出自に疑問があるにもかかわらず、72年間、一条、一項目、というよりも一言一句も改正することなく今日に至っています。

 その間、世界は激変し、わが国を取りまく安全保障環境などは一変しており、現行憲法のままでは対処不可能となってきました。また、憲法の基本的趣旨である前文が現実を無視した絵空事の表現となっていることや時代の進展に添った新しい価値観を取り込めないという問題点を解消するためにも憲法改正は待ったなしと言わねばなりません。

 諸外国では、アメリカ6回、カナダ19回、フランス27回、ドイツ60回、イタリア15回、オーストラリア5回、中国9回、韓国9回となっており、実情に合わせて改正していることが分かります。それに対して日本は0回。参考にしても良いのではないでしょうか。

『北朝鮮の日本人拉致』

 中学1年生の横田めぐみさんが拉致されたのが昭和52年(1977)、それから42年経過、今55歳。政府認定の未帰国者17名。この問題を解決できない日本は本当に“主権を有する国家”と言えるのでしょうか。

 「日本は戦後ずっと平和だった、平成時代も平和だった」 これは大変な間違い、嘘、錯覚、認識不足、寝言です。寝言は休み休み言いましょう。今から10年前、拉致被害者のある母親が会合で述べられた言葉をお読みください。

 『みなさん、わが国、日本は戦後60年平和だったと言われていますね。本当にそうなんでしょうか。北朝鮮はわが国に拉致という型の戦争を永い間仕掛けてきたのではないのでしょうか。ずっと、平和ではなかったのではないでしょうか……。…少なくとも我が家族においては平和ではありませんでした。』

 この悲痛な魂の叫びをあなたは、どう聞きますか。わが日本は戦争を仕掛けられていると認識すべきではないのでしょうか。この問題に関して、安倍首相以下政治家は不真面目すぎると判断します。

 ・『少子高齢化』

 令和の時代は少子高齢化で労働力不足は免れません。安倍自民党はそれに対処するために移民政策をとることを決定、とりあえず早急に50万人の移民を受け入れる方向で調整を始めました。移民には他民族との衝突がつきものであり、欧米ではそれを抑制しようと躍起になっていることに反し、安倍内閣は移民促進に躍起になっているのです。

 確かに人手不足ですが、そんなに順調に移民受入れが出来るとも思えません。そこで、これから日本人得意の異次元の「省力化」が急速に進んで行くことは間違いありません。それでも、日本経済は当分の間、労働力不足は続くと見なければならないでしょう。そうすれば、好むと好まざるとを問わず、必然的に賃金がアップ。それが日本経済を好展開させるようになるはずです。

 労働力不足に悲観する必要はありません。わが国には、高齢者・学生、出産・育児・介護などを除いても、非労働力人口は365万人もいるのです。またニートは57万人、フリーターは170万人も存在していますから、彼らが労働人口となる好ましい循環が訪れるのではないかと睨んでいます。令和の時代は、微温的な平成時代とは異なり、わが国の国力、経済力アップのために総合的、かつ長期的な「強い政策」を講じるべきではないでしょうか。

 ただ、基本的には、少子化は国力の低下を来たします。この1点に絞って「大胆な対策」を講ずることは、待ったなしではないでしょうか。

『科学技術の振興』

 現代は先端技術競争の真っ只中。これに勝利を得るための教育、人材育成、研究開発支援に積極的に対処しなければなりません。負ければ将来はなし。特に小・中・高の算数・数学教育の弱体化は早急に是正する必要があります。

 その他、挙げれば切がありませんが、新しい時代を拓いて行くためにも、わたし達国民および国家・社会のリーダーは凛とした厳しい姿勢をもって事に臨むことが肝要ではないでしょうか。時代は軟弱で悠長なことを許してはくれません。

 このように考えていた時、京都大学名誉教授の中西輝政氏がサンケイのオピニオン欄で「御代替わりの年はとかく内外の激動が日本を襲う」という歴史のジンクスに触れ「緩み」のなかで危機が生じることを指摘しています。そしてそのポイントは次の通りです。

 【令和の三大課題】
  ①財政の危機的状況
  ②政治の機能不全
  ③「日本史の宿命」たる中国問題

 なかなか含蓄のある鋭い指摘ですが、本当に手ごわいテーマだと思います。

 麗しき和を目指すためにも、大きな課題について、凛とした精神で、真剣に具体的に考えを廻らしたいものです。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回は
時事エッセー
です。

 

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2019年4月26日 (金)

「日韓関係」…崩壊の兆し現れる!

 687回目のブログです

20194261

 “忘らむて 野行き山行き 我来れど 我が父母は 忘れせぬかも”
        商長首麻呂(あきのおさのおびとまろ・万葉集)

 忘れようとして、野行き山行き長い道のりを私はやって来たけれども、わが父母のことは忘れられないものだ…。

 これは防人の歌。防人というのは異国から日本を護るために天智天皇二年(664年)頃に、長崎県の壱岐・対馬、福岡県の筑紫などに置かれた律令制度下での兵士を言います。新元号「令和」の典拠となった万葉集には防人の歌が98首採用されており、上の歌はそのうちの一首です。駿河の国(静岡県)から難波(大阪)に向かう途中の野と山を詠んだものであり、素朴な情感がわたし達の胸に迫ってきます。

 防人と言えば半島への備え。古来、わが国は半島、大陸との関係に注力してきました。それは現代にも繋がっており、昨今の韓国及び北朝鮮の情勢は緊迫の度をいやが上にも増し、半島の情勢に対処しようとするわが国の苦心もなかなか容易ならぬものがあります。

 韓国との関係、いわゆる日韓関係に大きな変化が出てきました。

韓国子会社の事業撤退
   =「司法判断に懸念」-半導体関連のフェローテック

  半導体関連メーカーのフェローテック(本社東京)は16日、韓国子会社での半導体製造装置部材の開発・製造・販売事業から撤退すると発表。韓国の司 法判断に対する懸念が背景にあり、進出企業の事業継続に影響を与えた形だ。フェローテックは「昨今の韓国における日系企業に対する司法判断などに鑑みると、司法の独立性が完全に担保されない懸念があり、潜在的なリスクを現段階で最小化することが最も適切と判断した」と説明した。
             (4/16 jiji.com 一部抜粋)

 来るべきものが来たと言わざるを得ません。いわゆる徴用工問題で、韓国司法は日本企業に賠償義務ありとの判決を下し、該当企業の財産没収へと舵を切りました。日韓の関係は日韓基本条約ですべてを解決しているにもかかわらず、韓国政府はそれを無視しています。

 このままでは、韓国での事業展開においては余りにもリスクが多過ぎると考え、韓国から撤退することを決断した日本企業の第1号が、上場企業・フェローテックホールディングです。いよいよ日韓関係は「新段階」に突入したと判断せざるを得ません。

 今、日韓関係は一触即発の緊張関係にあり、いつ断交があっても不思議ではないくらい、双方に不信感が横溢しています。特にわが国サイドでは、韓国政府・国民の徹底した反日姿勢、反日感情に嫌気が指している状況ではないでしょうか。

 現在、日韓関係には下記のような懸案事項が横たわっています。

  竹島をめぐる問題(日本領土を韓国が占領)
  ・いわゆる慰安婦問題(約定破棄・世界にプロパガンダ)
  ・歴史教科書問題(日本の歴史教科書へ内政干渉)
  ・いわゆる徴用工問題(判決・賠償請求)
  ・日本海呼称問題(日本海を東海に・世界にプロパガンダ)
  ・仏像盗難事件(盗難仏像を返却せず)
  知的財産権侵害問題(日本製イチゴ新品種の盗用栽培など)
  旭日旗批判問題(旭日旗=軍国主義との主張)
  ・韓国海軍レーダー照射事件(危うく戦闘一歩前)
  ・韓国国会議長・天皇陛下に謝罪要求(慰安婦に対して)

 あるは、あるは、まだまだいくらでもありますが、安倍内閣は穏忍自重し「残念」「遺憾」の意をただ述べるだけの状況が続いています。反論しない、反撃しない、何も対策を講じない、まったく軟弱外交の見本のようになっていることは衆目の一致するところです。ただ唯一、日韓の通貨スワップ協定(実態として:韓国が金融不安に陥った時日本は円およびドルを融通し支援すること)だけは打ち切っています。

 このような中、日韓の信頼関係は世論ベースではどうなっているでしょうか。平成30年(2018)6月、特定非営利活動法人・言論NPOが行った日韓共同世論調査を見てみましょう。

   【韓国に対する日本世論の印象】
      良くない印象           46.3(%)
      良い印象              22.9
      どちらともいえない        30.8

   【日本に対する韓国世論の印象】
      良くない印象            50.6(%)
      良い印象              28.3
      どちらともいえない        21.1

 この数字を見れば、両国民とも半数近くが不信感を抱いていることが分かりますが、ここ数か月の韓国政府の法理をわきまえない反日攻勢、例えば、いわゆる徴用工賠償判決などによる、わが国の嫌韓意識の高まりを加味すれば、日本世論の韓国に対する「良くない印象」は70%を越すのではないかと思われます。

 ここで、文在寅大統領率いる韓国の状況について考えて見ましょう。

 韓国最大の財閥企業であるサムスンが営業利益60%減を発表。また、中堅財閥企業の錦湖アシアナグループが中核企業である韓国第2位のエアライン「アシアナ航空」の売却を発表、韓国経済の行きづまりが顕著になってきました。

 左翼である文在寅政権は、人気取りのために2018年に前年比16.4%、2019年に10.9という急激かつ大幅な最低賃金引き上げ行いました。実体経済が上向いていないのですから、その結果、中小企業がガタガタになりました。

 韓国は、一応民主主義の形は取ってはいますが、文政権は司法も含み全権力を掌握し、「積弊清算」「親日派排除」の掛け声のもと、保守派や守旧派を弾劾、逮捕・失脚に追い込んでいます。

 4月5日韓国ギャラップ社の調査結果によると、文在寅大統領の支持率は41%で過去最低、不支持率は49%で過去最大となっています。不支持の理由は、経済問題と偏向した親北政策。

 ・文在寅大統領は、自ら蒔いた国内問題の解決が難しいことから、その矛先を外に向けようとしました。しかし、中国、ロシア、アメリカには頭があがらず、反論も反撃もしない弱腰の日本に向け、連日、国民受けもよく心地もよい「反日」姿勢を強く打ち出しているのです。

 韓国は、政治・経済・外交とあらゆる領域で袋小路に入ったと思われます。島田久仁彦氏によれば、韓国は世界の信頼を失い、世界的な韓国離れを来たしていると指摘。そして【朝鮮半島におけるEnd Games(終局・大詰め)】の局面を次のようにあげています。

  4/18北朝鮮による“新型誘導兵器”の発射実験
  落ちる一方の韓国の国際社会での威光
    ノーベル平和賞に言及
    北朝鮮に接近(国際社会にはかることなく)
    トランプ大統領との対話わずか2分
    戦略的な戦力を沖縄およびグアムに移動
  国際ビジネスの韓国離れ
      アメリカ・欧州・中国、日本企業も引き上げ、投資回収
  ④ローマ法王の政治利用
      ローマ法王に訪朝を依頼(金正恩氏の名代で)

  朝鮮半島におけるEnd Gamesから見えてくることは、これらは南、北、両朝鮮を孤立化させる方向に進んでいることであり、その矛先が日本に向かうこともありうると島田氏は警鐘を鳴らしています。

 End Gamesとは気付きませんでした。指摘されてみれば肯くことがあります。年初に、現役大統領である文在寅氏の娘と孫が東南アジアに移住したことが報道されましたが、これは極めて異例であり、一部では「亡命の準備」とも言われています。

 歴代の大統領はすべて、逮捕、収監、暗殺、亡命、自殺、など不幸な結末を招いていますから、いつ「亡命」があってもおかしくはありません。

 それにしても、1000年もの長い間「恨」(ハン)の感情を抱く民族に、未来志向を期待することは空しいことかも知れません。しかし歴史に学べば、隣国でもあり一定の距離を置いて最低限の付き合いをすることしかないような感じがします。近隣つき合いはそんなものではないでしょうか。

 難しい課題ですが、歴史に学びたいと思います。

 みなさんは半島との関係をどのようにお考えでしょうか。

次回は
時事エッセー
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2019年4月19日 (金)

「紙幣一新」… その意義は何か!

 686回目のブログです

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 “吹く風も 治まれる世の 嬉しきは 花みる時ぞ まづおぼえける”
          後鳥羽院(平安末期~鎌倉初期・82代天皇)

 吹く風も世の中も治まっているこの嬉しさは、春爛漫と咲き匂っている桜の花を見る時にこそ真っ先に思われることだ…。

 いよいよ、京、大阪では桜の花も散り始めたなと思ったら、あっという間に葉桜になってしまい、些か名残惜しい気分になっています。しかしながら、満開の桜を見ている間は、世の中の雑音も頭からすっかり飛んで行き、その麗しき美を満喫できる喜びに打ち奮えるほどの感動を覚えたものです。

 さて、世の中、新元号『令和』の話題でもちきりのところへ、新たに『紙幣一新』が加わりました。

4月9日、財務省は、現在使われている一万円札などの紙幣を20年ぶりに刷新すると発表。新しい一万円札の肖像画には「近代日本経済の父」と言われ る実業家の渋沢栄一、五千円札には、津田塾大学の創始者であり「女子教育の先駆者」とされる津田梅子、そして千円札には、破傷風の治療法を開発するなど「近代日本医学の父」と言われる北里柴三郎を採用。
麻生財務相は「それぞれ新たに産業の育成、女性活躍、科学技術の発展など現代にも通じる諸課題に尽力されており、新元号のもとでの新しい日本銀行券にふさわしい人物と考えております」と述べました。

 新紙幣に描かれた肖像画を見てみましょう。

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10000円札 渋沢栄一 東京駅の丸の内駅舎

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5000円札 津田梅子 藤の花

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1000円札 北里柴三郎 北斎「富嶽三十六景」

 紙幣は偽札防止の観点から、20年毎にデザインが刷新されますので、今回のデザインは令和6年(2024)発行の運びとなります。併せて、500円硬貨も複数の素材を用いた2色の硬貨になるとのことです。

 どんなことでも反対があるものです。この新紙幣が発表されてから、マスコミでは、賛否両論がたたかわされています。もちろん一般国民は賛成がはるかに多いのですが、反対論に耳を傾けてみます。

 世界はキャッシュレス社会になろうとしており、お札にいつまでも執着するのは間違いである。キャッシュレス社会が発達している中国や韓国は素晴らしい国家であり、その国々を模範とすべきである。にもかかわらず、新紙幣を発行しその魅力を増そうとするのは時代逆行ではないか。

 高額紙幣の10000円札を廃止すれば、膨大なタンス預金を吐き出させることに繋がり、消費が活発化し、景気が良くなるはずだ。

 デザインが全体にダサイ。特に10000・5000・1000の数字フォントがいかにも安っぽく風格がない。

 上の反対論には、もっともな点もありますが、これらを俎上にあげながら、紙幣一新についての感想を述べたいと思います。

 中国がキャッシュレス社会に突き進んでいるのは、中国紙幣が偽造で溢れ、信頼感がないからに他なりません。キャッシュレスはそれ自体が100%安全なものと確定しているものではなく、ハッカーによるサイバー攻撃の可能性もあります。従って、紙幣をきちっと流通させておくことも大切ではないでしょうか。

 キャッシュレスはすべてハッピーだと言う論者はキャッシュレス神話を信じすぎです。どんなシステムにも欠陥があるものだということを考えるべきでしょう。

 確かに、デザイン面はもう少し改善する余地があります。ネットでも騒がれていますが、誰が見ても、数字のフォントはあまりにも安っぽすぎます。「日本のお札」であれば、もう少し風格と品位を持たせてもよいのではないでしょうか。まだまだ時間はあり、修正すべきでしょう。

 5000円札の肖像画「津田梅子」の顔の向きが左右逆になっていることが指摘されています。津田塾大にある津田梅子の画像は全て逆。おそらくは、3種のお札の顔の向きを揃えるために画像を反転させたものと思われますが、そのことを丁寧に説明してほしいものです。

 渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎、この3人の人選には全く異論ありません。素晴らしいと思います。

 ただ、3人すべてが明治の人です。日本の歴史は皇紀2679年の永さを誇りますから、1人はもっと歴史の古い時代から選ぶべきだと思います。

 その意味からも、また、国民の敬仰厚い「聖徳太子」肖像画の紙幣が流通している時は好景気であったことをも加味すれば、今一度、聖徳太子に5万円札、あるいは10万円札に登場していただくべきだと考えます。ゲンをかつぎましょう。そうすれば、令和の運気も上昇疑いなしと思いますが…。

 今、景気は下降気味です。デフレ脱却にも新紙幣で景気づけという発想は良いのではないでしょうか。

 特に注目されるのは渋沢栄一です。お札に描かれる経済人としては初めてですから、わが国では今まで、経済人を軽視してきたことの表われでしょうか。渋沢栄一は、1840年の生まれ、1867~68年欧州視察、維新後は大蔵省、その後実業家として大活躍。第一国立銀行(現みずほ銀行)、東京海上火災保険、王子製紙、田園都市(現東京急行電鉄)、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビール、東洋紡績、大日本製糖、明治製糖など、名だたる会社約500社の設立に関わりました。

  渋沢栄一の代表的著書は『論語と算盤』であり、ここで説かれているのは「道徳経済合一説」。経済的リターンを求めることは当然としても、同時に社会的価値も求めるべきという考え方です。(渋沢栄一の玄孫・渋沢健氏)

  渋沢栄一は日本資本主義の父として明治の勃興期に「富をなす根元は仁義道徳。正しい道理の富でなければその富は完全に永続することができぬ」との考えを実践したのです。

  近年、犯罪的ともいうべき企業不祥事が続出しています。レオパレス・欠陥住宅、KYB・免震装置データ改竄、スルガ銀行・不正融資、神戸製鋼所・品質検査データ改竄、東芝・長期不適切会計、SUBARU・データ書き換え、東洋ゴム・免震パネル試験データ偽装、など挙げれば切がありません。企業が“正しい繁栄”を目指すためにも、渋沢栄一の精神に学ばなければなりません。

 明治の時代は活力、大正は弛緩、昭和の時代は激動、平成は微温、という風に時代を帯として捉えれば、新元号『令和』の時代は、果たしてどんな言葉が来るでしょうか。わたしは「自覚と躍動」という言葉を期待したいと思います。

 紙幣一新の最大の意義は、わたし達国民が、歴史を代表するこの3人の根底にある薫り高い志に触れることにあります。そしてその志を、わが国を訪れる外国人にも理解してもらえるようになれば、それにすぐるものはありません。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回は
時事エッセー
です。

 

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2019年4月12日 (金)

大阪・知事/市長 W選 …“維新”圧勝の裏にあるもの!

 685回目のブログです

20194121 
(京都賀茂川 半木の道)

 “浅緑 野辺の霞は 包めども こぼれてにほふ 花桜かな”
                 詠み人知らず(拾遺和歌集)

 草が萌えて浅緑色になっている野原に霞がかかり、花を覆い隠そうとしているが、その霞の間からこぼれ出て、紅の色も美しく咲いている花桜であることだ…。

 5月1日からの新時代、新元号の出典となった万葉集には詠み人知らずの和歌も沢山あり、それ以後の和歌集にも詠み人知らずの秀歌が多く載っています。これらには、ただ名もない人々だけではなく、敢えて政治的立場などから名を伏せた場合もあり、それらを含めて詠み人知らずと言っているようです。

 さて、つい先日、京都賀茂川の堤沿いにある桜並木を友人2人と散策しました。枝垂れ桜で覆い尽くされた半木の道、ソメイヨシノ一色の堤、桜並木の大トンネル、いずれもすべて満開、春の空は抜けるように青く、穏やかな天気、これ以上の“美”はない、まさに桃源郷ともいうべき地を心ゆくまで散策する気分でした。京都および京都周辺での生活を数十年重ねてきましたが、これもひとえに神々の恵みだったのでしょう。

 そう考えれば、日ごろから、悪い考え、悪いことをしないように心掛けることが大切になってくると思われます。

 そこで、今回の統一地方選での血みどろの争闘を振りかえって見ましょう。

4月7日投票の統一地方選の目玉である「大阪府知事/大阪市長のダブル選」は、知事と市長が入れ替わって出馬する奇策が奏功し「大阪維新の会」が完勝。これで、大阪市を廃止し、再編する「大阪都構想」が再び推進されることになりました。投票結果は次の通りです。

【大阪府知事選】
  吉村洋文(維新・43歳・前大阪市長)
     2,266,103票(64.4%)
  小西禎一(無・自公推薦/国民府連支持・64歳・元大阪府副知事)
     1,254,200票(35.6%)

【大阪市長選】
  松井一郎(維新・55歳・前大阪府知事)
      660,819票(58.1%)
  柳本 顕(無・自公推薦/国民府連支持・45歳・元大阪市会議員)
      476,351票(41.9%)

【大阪府議会】(定数88・過半数45)
  維  新 51議席(前回40議席)
  非維新 37議席(  ∥  46議席)

【大阪市議会】(定数83・過半数42)
  維  新 40議席(前回34議席)-(前回定数86)
  非維新 43議席(  ∥  51議席)-(     ∥      )

 大阪維新の会は、市議会では過半数に僅か2議席足りませんが、府議会・府知事・市長では、他の野党(自民・公明・共産・立憲民主など)に圧勝しました。

 そのなかで、特に目を引いたのが自民党であり、府議会は24⇒15、市議会は19⇒17という低落を示しました。大阪維新の会の圧勝と、自民党など野党の敗北について、現地での肌感覚を交えて考えてみたいと思います。

 今回の知事、市長のたすき掛けW選挙については大半のマスコミは強く批判していました。強引、憲法に背く、奇襲、奇策、市民無視、などの表現で大阪維新の作戦にいちゃもんをつけたのです。しかし、吉村、松井の両氏は批判にひるまず、W選挙に持って行き、勝利しました。

 吉村、松井両氏のどちらかが落選すれば、党存続も危ぶまれ「都構想」は崩壊となります。この「退路を断つ大勝負」に出た心意気に大半の市民・府民は感動とともに賛意を示したものと思います。

 このW選を考え出したのは前大阪市長の吉村洋文氏と言われますが、勝負どころ、勝負勘を発揮した力、それを実行に移す勇気は大したものと言わねばなりません。吉村氏はいまだ43歳、関西においては最も優れた政治家と言っても言い過ぎではありません。国政の場においても、吉村氏以上の高い見識と不退転の勇気をもった政治家はまず見当たらないのではないでしょうか。

 過去、大阪の府と市の関係は「府市合わせ」(不幸せ)と揶揄されていましたが、近年、府と市のトップが同一政党、考えも同じであり、協調姿勢を取り、大阪万博の誘致にも結束してあたり、誘致に成功しました。府民、市民はこうした実績を評価したものと思います。

 一方、自民党の体たらくには目を覆いたくなります。本来ならば、保守政党として、かなりの支持を得るものですが、今回の街頭演説の様子を写真でごらんください。

20194122

 市長選に立候補した柳本氏(自民党/一応無所属)の初日に演説した選挙カーの幟を見てびっくり。国民民主党の平野博文氏・立憲民主党の尾辻かな子氏・連合大阪の山﨑弦一氏・大阪再生の会の坂本克己氏・部落解放同盟の赤井隆史氏・国民民主党の矢田わか子氏、この6本が翻る車の上で柳本氏は演説していたのです。

 これに加えて共産党が支持とは、一体、自民党の思想信条、そして最も大切な志操」(自分の主義や主張などを固く守って変えない心)はどこにあるのでしょうか。前回は不倶戴天の敵ともいうべき共産党の街宣車に乗ったのですから、もはや、あきれてモノも言えません。

 ・自民党ほどの大政党であれば、自民党街宣車で単独の選挙演説を行うのが本道であるにもかかわらず、他党の、それも思想の真逆の政党と一緒に政治活動を行なうのは、いかにも不純に思えるのではないでしょうか。

 ・それらの現象を見て、自民党支持者の約半数が維新の松井一郎氏に雪崩を打って投票しました。

 そう見れば、今回の選挙は、維新の勇気ある大胆な戦略自民の精神の自壊公明(創価学会)の既得権擁護のないまぜたものが結果として出てきたものと判断します。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回は
時事エッセー
です。

 

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2019年4月 5日 (金)

“平成”から“令和”へ … 新元号に思う!

 684回目のブログです

2019451 (万葉集)

“春されば まづ咲くやどの 梅の花 ひとり見つつや 春日暮らさむ”
             山上憶良(奈良時代初期・万葉歌人)

 春になると真っ先に咲く庭前の梅の花、この花を、わたし一人見ながら長い春の日を過ごすなどどうして出来ようか…

 大宰帥(大宰府長官・九州総督/外務大臣兼務)の重職にあるとともに万葉歌人でもあった大伴旅人は、天平2年正月、文化人30余名を招き観梅の宴を催しました。その折詠まれた32首が万葉集に載せられました。そのうちの一首が上掲の山上憶良の歌です。

 4月1日、新しい元号が発表。新元号は“令和”(れいわ)。「令和」の文字の出典は、万葉集巻五に収録された梅花の歌(32首)の「序」からです。

 “初春の令月にして、気淑(よ)く風和らぎ、
   梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす”

  (初春のよき月にして、空気はよく風は爽やかに、
   梅は鏡の前の美女が装う白粉のように白く開き、
   蘭は身を飾った香のように薫っている)

 万葉集は、奈良時代およびそれ以前に詠われた4536首を収めた日本最大の古典のひとつであり、天皇、貴族、官僚から、農民、防人に至るまでの歌を集めた「国民歌集」と言われます。

 新元号は万葉集からの出典ですが、中国の古典である文選にも「仲春令月、時和気清」という言葉があるようですから、和漢折衷と言えるかも知れません。

 新元号は4月1日午前11時40分、菅義偉・内閣官房長官が、墨痕鮮やかな文字『令和』の額を掲げ、発表しました。この映像は北海道から沖縄まで、全国いたるところに流れ、一瞬にして全国民の瞼に焼き付いたものと思います。

 新元号への感想について、ロバート・キャンベルさん(東京大学名誉教授/国文学研究資料館館長/TVコメンテーター)は次のようにツイートしています。

 “「令和」ぱっと見で「和せしむ」と読み世の中が平和になるよう
   仕向けること、平和に「させる」心で感心もしたが、万葉集
  「梅花歌」序の季節感あふれる取り合わせだと分かり再度合点。
  文選「仲春令月、時和気清」(張衡「帰田賦」)へのオマージュを
  含めてナイスチョイス。と言って、和せしむもいいなと”

 さて、この新元号について、あるいは元号について、わたしの感想を述べたいと思います。

 「令和」の発表映像をみての直感は次のとおりです。

    ・文字面がしっかりしている。
    ・新鮮な響き。発音が明るく軽快である。
    ・穏やかな中に凛としたイメージがある。

 新元号が日本の国書、それも、文化の香り高い万葉集に典拠していることに大変な喜びを覚えます。万葉集は国民歌集であり、素朴、伸びやか、雄々しさ、豊穣な美、豊かな人間性を率直に表現しており、古典のなかの古典と言っても言い過ぎではありません。

  わたしも万葉集は好きですが、全てを読んでいませんので、この新元号、新時代に絡めて、あらためて読破しようと思っています。

 新元号「令和」の決定まで、選定の経緯を秘密にしたままに進めるには大変な苦労があったかと思いますが、政府が、菅官房長官を中心に立派にやりとげたことに敬意を表します。

 しかし、発表の翌日、4月2日には、本来、マル秘にすべき新元号の原案が漏れてしまいました。関係者に“精神の弛緩”があるからでしょう。わたしは、これには政府基幹統計の不適切な処置に通底するものを感じますが、いかがでしょうか。

     <新元号案>
       「 英 弘 」(えいこう)
       「 久 化 」(きゅうか)
       「 広 至 」(こうし)
       「 万 和 」(ばんな)
       「 万 保 」(ばんぽう)
       「 令 和 」(れいわ)

 「平成」のイメージは、国際的には、ベルリンの壁破壊、ソ連社会主義体制崩壊、イラク戦争、NYテロ、イスラムテロ、リーマンショック、トランプ大統領登場、などプラスマイナスいろいろ。国内的には、バブル経済の崩壊、非自民党政権誕生、オウム地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災、東日本大震災・福島原発事故、などマイナス面ばかりが目立ちます。

  国内経済を振りかえれば、安倍首相、一強体制はできたものの、アベノミクス政策3本の矢の金融緩和1本が辛うじて成果を得るも、2本目の財政投資、3本目の成長戦略には全く注力せず、財務省の財政規律最優先に従うことにより成果はなし。アベノミクスは実らず33点。日本経済は縮小均衡へ、国際社会における地位の低下はいよいよ明白になってきました。

  今のままですと、安倍首相にはいわゆる「レガシー」(遺産・業績)はありません。憲法改正、北方領土返還、北朝鮮拉致被害者帰国、国民所得の大幅増加、中韓の反日的歴史攻勢、靖国参拝、などどれもスローガン倒れの様相を呈しています。

 そうだとすれば、新元号による新時代において、積極的な平和主義、積極的な経済成長、積極的な国益確保、積極的な安全保障体制の確立を目指す以外に、わが国の道は拓かれないのではないでしょうか。

 新元号については、本来は、政府が新元号を内定の形で発表し、改元の政令には、これからの時代を担われる新しい天皇が御名御璽の署名・押印されるべきでしょう。そして、天皇が詔書で公布されることが望ましいと思います。

 新元号の選定が、内閣、総理大臣で決められるのにはかなり違和感があります。今回の総理談話を聞いても、自己の政治への利用ととられる表現が見受けられますから。そうだとすれば、新元号の選定は天皇大権事項とすべきではないでしょうか。それが、歴史に則った自然な流れだと思います…。

 以上、思いつくままに書きました。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか

次回は
時事エッセー
です。

 

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2019年3月29日 (金)

“元号”or“西暦”…時代の空気を表わすには!

 683回目のブログです


20193291 


“時知らぬ 富士のたかねの みゆきにも 春の光は みゆるなりけり”
                      明治天皇御製(明治31年)


 時を知らない富士山の高い峰にある御雪にも春の光が見えることである…。


 富士の高峰に降り積もった雪も、春の季節を迎えるようになると、何となく暖かい日差しの春の光が見えてきます。上掲の写真にあるように、桜の花だけでも素晴らしい景色ですが、それに加えて、富士山、それも冠雪の富士ともなれば、一幅の絵どころか二幅の絵が合体した、贅沢な日本の景色の最高峰と言えるのではないでしょうか。


 これを、神武の古から平成の今日まで万代に聳え立つ富士の山と言うべきか、2019年に聳え立つ富士山と言うのが良いのか、それは人それぞれかも知れません。


 さて、いよいよ4月1日には「新元号」が制定発表されます。どんな年号になるのか皆目わかりませんが、先日、国民が日ごろ使用するのが、元号か、西暦か、元号・西暦の両方かについての世論調査がでました。


  西暦より“元号”を使う…4割超 調査


  NNN(Nippon News Network)と読売新聞が週末に行った世論調査で、
  普段の生活や仕事で元号と西暦では元号を多く使っていると答えた人が最も
  多く、4割を上回った。
  【元号と西暦のどちらを多く使っているか】
    「元号」        41%
    「西暦」        25%
    「どちらも同じくらい」33%
             (3/24 日本テレビ)


 元号が、日常かなり使われていることがこの調査でわかります。そのことは、警察庁のパブリックコメントからも窺えるのです。


 昨年、警察庁は、日本で運転免許証を保有する外国人が増えていることから、免許証の有効期限をこれまでの「元号」から外国人にもわかりやすい「西暦」に表記を一本化する方向を打ち出し、パブリックコメントを実施しました。


 ところが、その結果、およそ2万件の意見が寄せられ、その8割が「西暦だけ」の表記に否定的だったのです。警察庁はこれを踏まえ「西暦(元号)」すなわち、西暦と元号の併記となりました。


 そもそも、元号を変える理由は何でしょうか。久禮旦雄・京都産大准教授は、歴史的な観点から次のように述べています。


  (1)新天皇の即位による「代位(=即位)改元」
  (2)縁起の良い奇跡を記念する「祥瑞改元」
  (3)自然災害や戦乱が起きたのを一新する「災異改元」
  (4)干支で大きな変革が起こる巡り合わせの年に
     差し替える「革年改元」


 明治以来は「一世一元」が制度としてあり、明治、大正、昭和、そしてこのたびは、譲位による新天皇即位の改元ということになるのでしょう。


 何はともあれ、一般の国民は、元号というものを身近に、大切に感じていると判断して良いかと思います。


 ところが、これに異を唱えるメディアがあります。それは、誰しも推測できるであろう、わが国唯一の高級紙を自称する「朝日新聞」に他なりません。もちろん、他の左翼リベラル紙もそうですが、朝日が最も露骨だと言えるでしょう。角度をつけることを社是とする朝日の主張を、3/21朝日新聞社説「『改元』を考える 時はだれのものか」から一部引用します。


 多くのメディアは「平成最後」や「平成30年間」といった表現をよく使っている。一つの時代が終わり、新しい時代が始まる、と感じる人も少なくないだろう。 でも、ちょっと立ち止まって考えてみたい。「平成」といった元号による時の区切りに、どんな意味があるのだろうか。そもそも時とはいったい何なのか。誰かが時代を決める、あるいは、ある歳月に呼び名が付けられることを、どう受け止めればいいのだろうか。


 スターリン時代の旧ソ連の強制収容所には、時計が無かったそうだ。歴史を振り返れば、多くの権力は、時を「統治の道具」として利用してきた。日本の元 号も「皇帝が時を支配する」とした中国の思想に倣ったものである。


 「天皇の死によって時間が区切られる。時間の流れ、つまり日常生活のこまごましたところまで、われわれは天皇の支配下におかれたということになる」(元海軍兵士・作家・渡辺清「私の天皇観」)


 人間は誰もが、何にも代えがたい時を持っている。そうした時の流れをどう名付け、区切るかは、個々人の自由の営みである。時を過ごし、刻む自由はいつも、自分だけのものである。


 左翼の元号観が滲み出ている社説といえるのではないでしょうか。彼らは、元号は最も排除すべき天皇の支配の道具、統治の道具、強制のツールであるとみなしており「時」の支配による束縛から免れたいとの願望を強く持っていることを示しています。


 この社説を読めば、左翼である朝日が度し難い思想の持ち主であることが良く分かります。文章は何となくソフトイメージを醸し出していますが、言わんとすることは、半島と同じく、恨み、妬み、民族への憎しみ、伝統の拒否、歴史の否定、唯物史観、などなど、豊かな人間性から遠く離れたものを感じざるを得ません。


 わが国で最初の公的な元号は「大化」(645年)ですが、全国的に定着したのは、律令制度の整備が完成した「大宝」(701年)以降になります。1400年近く続いてきている元号は、素直な気持ちで引き継いでいくべきではないでしょうか。そんなに、イデオロギー丸出しで、排除の論理を展開することは、悠久の歴史に対する個人的な冒涜とみなされることにもなり兼ねず、もう少し謙虚になるべきだと思います。


 わが国において、この道の第一人者である、碩学、京都産業大学・所功名誉教授「時代を『点』で示すには西暦が便利だろう。しかし『帯』として理解するには、元号が優れている」と述べておられます。(3/18 日経BizGate「元号が21世紀まで続く3つの理由」)


 今「平成30年を振り返る」「平成史 流行語」など、平成という時代を、平成という元号の時代を、平成の御世を『帯』として理解し、ベクトルを合わせた記事が続々と取り上げられています。したがって、反元号の朝日にとっては、怒りに震え、歯がゆくてならない現象でしょうが、国民の大多数が元号を使用したいと考えているのですから、朝日さん、本当に残念ですね!という以外に慰めの言葉をみつけることはできません。


 わたしは、所先生ご指摘のように、元号は時代の「帯」として位置づけることが正しいと考えます。


 みなさんはどのようにお考えでしょうか


次回は
時事エッセー
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2019年3月22日 (金)

“地図”から世界を考えよう!

 682回目のブログです


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 “若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る”
                      山部赤人(奈良時代・万葉集)


 和歌の浦に潮が満ちて来ると、干潟が無くなるので、葦の生える岸辺を目指して鶴が鳴き渡ってゆく…。


 歌聖と呼ばれる山部赤人の著名な和歌のひとつ。和歌の浦の絶景を格調高く詠ったものであり、万葉集のなかでも秀歌と言われ、ひろく人口に膾炙しています。まさに、和らいだ気持ちで眺めるに相応しい一幅の絵を描いていると言えるでしょう。


 それにしても、日本の美はその景色にあり、山、森、野原、あるいは、川、湖、海があってこそ、その趣を際立たせるように思えます。そして、海と言えば、瀬戸内のような穏やかな内海ばかりではなく、外海、大海原が日本海や太平洋を通じて地球全体に広がっていることに目を向けなければなりません。


 今や、地球は、未踏の地は皆無と言っていいほど狭くなってきました。加えて、情報革命が激烈に進みそれに輪をかけていることは周知の事実です。近年のインターネットなどの高度情報産業の目まぐるしく凄まじい進展を目の前にすれば、誰しも納得できることではないでしょうか。


 そう考えれば「世界のなかの日本」という視点を忘れるわけにはいきません。そのためには世界地図は必須でしょう。


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  そこで、日本版「世界地図」を見てみると、日本が真ん中、中心にある世界地図であることに気づきます。自国のポジションを中心に置くのは他の国も同様であり、イギリスだとイギリスが中心、アメリカではアメリカが中心です。


 しかしながら、小学生の時から成人に至るまで、いつも日本が中心にある世界地図だけを見ていれば、日本を中心に世界情勢が動いているような錯覚に陥ってしまうのではないでしょうか。わが国の政治家を含めたリーダーが、往々にして「井のなかの蛙」的な発言をするのも、これが一因になっているのかも知れません。


 それでは、スタンダードな世界地図をみてみましょう。


20193223


 この地図では、日本は東の端「極東」に位置していることが明瞭です。日付変更線はいちばん右、したがって太陽が最も早く昇るのが日本、すなわち「日出ずる国」と言うこともできるのです。


 次に、欧州とアメリカ大陸(北米・南米)の近いことが画像として脳にインプットされます。「欧米」ということが何となく理解できるのではないでしょうか。


  そして、中南米にスペイン語圏がなぜ多いのかの答えもすぐ出てきます。それは、スペインと中南米が「すぐそこ」に位置していたから、スペインが植民地にしてしまったことに他なりません。因みにスペイン語圏を挙げてみましょう。


  ・キューバ   ・コロンビア   ・ドミニカ
  ・ベネズエラ  ・メキシコ    ・エクアドル
  ・グアテマラ  ・ペルー     ・エルサルバドル
  ・ボリビア    ・ホンジュラス  ・チリ
  ・ニカラグア  ・アルゼンチン ・ コスタリカ
  ・パラグアイ  ・パナマ     ・ウルグアイ


 このように見てきますと、教室で学ぶ地図は、日本が中心にある地図と日本が東の端にあるスタンダード世界地図の両方ある方が望ましいことになります。


 地図と言えば、世界覇権に全力を傾注している独裁国家・中国(中華人民共和国)は、日ごろ、中国本土から南シナ海・東シナ海を睥睨した地図(俗にいう逆さ地図)を見ています。


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 太平洋に大手を振って進出し、海洋覇権を握ろうとする中国にとって、最も邪魔になるのは「日本」であることは、この逆さ地図を見れば一目瞭然。尖閣諸島・沖縄諸島は目の上のたんこぶ、いかなる手段を弄しても侵略しようとする魂胆は見え見えであり、わが国は一瞬たりとも領域防衛の力を抜くわけにはいきません。ハードパワー、シャープパワー、ソフトパワーのすべてに警戒を怠ってはならないのです。


 わが国は領土面積だけ見れば世界で60位にすぎない小国ですが、海域を加えた海陸総面積で見れば、何と世界第6位の大国です。そうだとすれば、わたしたちは海洋というものを基本的に意識しなければなりません。


  【海域】
    領海              12海里( 22km)
    接続水域           24海里( 44km)
    排他的経済水域(EEZ)    200海里(370km)


 世界のなかの日本、海洋国家日本を感覚的に認識するために最も効果があるのは『地球儀』(made in JAPANに限る!)を備え、日々眺めることではないでしょうか。それが、国際派日本人になるための第一歩。


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 教室に、家庭に、地球儀を備えましょう!


 みなさんはどのようにお考えでしょうか


次回は
時事エッセー
です。

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2019年3月15日 (金)

大阪“都構想”再燃…知事・市長W選挙!

 681回目のブログです                    

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“空に向きて 羽ひろげたる 鳥のごと 辛夷は咲けり 卒業の季”
 
                 佐藤靖子(平成2年時/学習院女子短大生)

 空に向かって白い翼を広げた鳥のように、辛夷(こぶし)の花が咲いている。卒業の喜びのこの季節に…。

 辛夷(こぶし)は、3月から4月にかけて咲く木蓮科の美しい花であり、蕾が開く前の形が子供のこぶしに似ていることからこのように呼ばれています。

 

 学窓を巣立ち、実社会に入っていく若き人々が幾多の挫折や苦しみを乗り越え、豊かな実りある人生になっていくことを望まずにはいられません。

 

 世の中は、表面を見れば奇々怪々の様相を呈しているように思えることも多々ありますが、裏面に立ち入り、事態を虚心に静かに見れば、その本質、実相が見えてくるものです。その観点から、東京のマスコミがほとんど理解していない大阪“都構想”(都抗争?)について考えてみましょう。

 

 大阪 松井知事と吉村市長が辞職願 ダブル選挙へ

 

大阪府の松井知事と大阪市の吉村市長は、いわゆる「大阪都構想」の実現に向けて改めて民意の後押しを得たいとして、辞職願を提出し、松井氏が市長選挙に、吉村氏が知事選挙に立候補することを正式に表明しました。
2人の辞職に伴う大阪府知事選挙と大阪市長選挙は、統一地方選挙前半の4月7日に行われることになりました。
        (3/8 NHKニュース一部抜粋)

 

 【大阪都構想】は、大阪市を廃止し、現行の24行政区を東京23区と同様の特別区に再編しようとする構想。他府県の方はなかなか理解されないことですが、大阪府と大阪市の関係は、市民の間では永年に亘って“府市合わせ”(不幸せ)と揶揄されるほど、対立状態にありました。構想は広域行政を一本化して二重行政を解消する狙いです。

 

 平成27年(2015)5月「大阪市を廃止し5特別区を設置する」大阪都構想の是非を問う「住民投票」が、大阪市民を対象として実施されました。

 

       支持  694,844票  49.6%
 
      反対  705,585票  50.4%
 
           (投票率:66.8%)

 

 何と10,791票の僅差で都構想は否決。.77%の差ですから、大阪維新の会は諦められません。同年の平成27年(2015)11月には松井氏が知事選に、12月には吉村氏が市長選に「大阪都構想を1丁目1番地」の公約として掲げ、激戦の結果二人とも圧勝しました。

 

 爾来、大阪府と大阪市は、トップ同士が大阪維新の会ということもあるのでしょう、協調してことに当たっていると伝えられています。

 

 大阪維新の会としては、都構想を一歩進めるべく、公明党(母体/創価学会)と住民投票の実施について同意する密約を交わしていましたが、いざとなった段階で約束が反古となったのです。政治家の、あるいは政党の約束なんて羽毛のように軽いものなのでしょう。まあ、お隣の韓国(朝鮮)では、国家間の条約でさえ無きものにしようとしていますから、何か、風土、民俗が似ているようにも思えますが…。

 

 そこで、今回の府知事、市長のW選挙となり、あらためて大阪都構想が争点になってきました。これに関しての私の感想を述べたいと思います。

 

 在阪マスコミは、ほとんどが反維新です。かつて、橋下徹氏(府知事&市長)が定例の記者会見で、新聞・テレビ記者の、行政というものの無知、非論理性、イデオロギー、いい加減さなどを、毎回、徹底的に、時間制限なくやり込めました。記者会見のすべてが放映されましたから、報道記者のレベルの低さが如実に示されたと思います。あわせて、コメンテーター、学者、知識人の多くが橋下徹氏に完膚なきまでに論破されていたことも鮮明な記憶として残っています。(そのためもあり、批判の的になったマスコミやコメンテーター、学者、知識人は恨み骨髄ではないでしょうか)

 

  毎日新聞3/9には、大阪ダブル選のネーミングとして「どの面下げて選挙(ジャーナリスト・大谷昭宏氏)「恨みつらみ選挙(大阪国際大准教授・谷口真由美女史)「いびつな自治軽視選挙」(作家・若一光司)など、反維新、反都構想の人の言葉を取り上げています。

 

果してこれでよいのか。4年前の住民投票でほぼ五分五分であったことを考えれば、W選についての意見、都構想についての意見は、双方半々に割り振った意見を取り上げるべきだと考えます。0対100で印象操作をするのは精神の弱さをしめすものであり、マスコミが真のメディアとなるためにも、陰湿な印象操作は止めるべきではないでしょうか。

 

 基礎的な自治体の最適規模は、人口30~50万人というのが定説と言われており、大阪市のような260万人規模が適切かどうかは、当然、議論を尽くさなければなりません。

 

  そのためには、大阪市のホームページに掲載されている大都市制度(総合区設置及び特別区設置)の経済効果に関する調査検討業務委託 報告書をベースに真摯に議論、対話を重ねるのが、市会議員、府会議員の当然果たさなければならない重要な役割だと考えます。

 

  そこには、具体的な数値(政策効果分析・マクロ計量経済モデルなど)が分かりやすく掲載されており、党利党略の足の引っ張り合いは検討の後にすべきだと思います。

 

 反維新、反都構想の自民党は、元大阪府副知事・小西禎一氏を擁立しましたが、報道によれば、維新以外の政党もこちらに結集する見込みです。

 

  大阪の自民党は、前回の大阪府知事・大阪市長のダブル選の時、自民党の柳本卓治参院議員(大阪府連元会長)「共産党系の集会」に参加したり、大阪都構想の住民投票の際には「共産党の街宣車」に上って、共産党をベタほめした過去を有しています。

 

  これが4年前。大阪自民党は、他の都道府県とは異なり、もともと有していたはずの志、理念をかなぐり捨て、その時その時の利害で動いていると考えられますから、人間としての矜持を失い、政治的資質も大きく劣化しているのではないでしょうか。今回がそうでないことを願っていますが…。

 

 マスコミは今回の“たすきがけW選”に批判的ですが、わたしはそうは考えません。政策実現のために、最善の策で権力を奪取しようとする姿勢は当然のことではないでしょうか。リスクを賭してこそ、新しき政策をすすめていけると思います。

 

どういう結果になるかわかりませんが、実りある選挙を望みます。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか

 

次回は
時事エッセー
です。

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2019年3月 8日 (金)

待たれる新元号…元号について考える! 

 680回目のブログです                     

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       橿原神宮

“天てらす 神の御光 ありてこそ わが日の本は くもらざりけれ”
 
                明治天皇御製(明治43年)

 天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御神光が六合(くに)のうちに照り徹(とほ)りてあればこそ、わが日本の国は曇ることなく晴れ渡るのである…。

 

 日の神の子孫の治める国、だから日の本「日本」なのです。国生みの神話と建国の神話と皇統は一続きのものであり、この神話を無視しては日本の国柄は解らないのではないでしょうか。

 

 いよいよ改元の時が迫ってまいりました。5月1日、践祚・改元の儀式が厳粛にとりおこなわれ、新しい御代を迎えることになります。今上陛下で125代ですから、次は126代、永い、永い、誇るべき歴史の新たな積み重ねを目前にしているのが今だと言えるでしょう。

 

 改元に先立ち、4月1日には新元号が発表される予定になっていますので、ここで「元号」について考えて見たいと思います。

 

 わが国では日常使用するにあたって、元号と西暦の二つがあり、近年では、徐々に西暦の使用が増えているようです。全国紙の日付欄の表記は以下の通りです。

 

 朝日新聞  西暦(元号) 昭和51(1976)元号(西暦)より変更
 
 毎日新聞    ∥   昭和53(1978)    ∥
 
 読売新聞    ∥   昭和63(1988)    ∥
 
 日本経済新聞  ∥   昭和63(1988)    ∥
 
 産経新聞  元号(西暦) 変更せず

 

 これを見れば、わが国の歴史の中心に対する姿勢、考え方がよく分かります。わたしは、例えば今であれば、平成31年(2019) と表記し、いままでずっとこのスタイルで来ましたが、特に問題はなかったと思います。

 

 現在、元号を使用している国は「日本」以外にはありません。古き時代に、中国、ベトナム、朝鮮で元号が取り入れられたことはありますが、現在は使用されていません。

 

 日本の元号(年号)の始まりは大化の改新の「大化」(西暦645)です。爾来、現在の「平成」まで247の元号を数えます。元号の漢字は、天平の時に四文字が数回使われただけで、他はすべて二文字となっています。そして、明治以後は「一世一元」であり、改元は御代替わりの時しか行われません。

 

 さて、この元号に対して、その存在価値に疑問を投げかけた論稿が、東洋経済オンラインに載っています。(H30/7/26

 

  『世界で日本だけが「元号」に固執し続ける理由』
 
   このガラパコスな慣習はいつまで続くのか?
 
   元号は今もなお天皇の権威を示す記号なのでしょうか?
     鈴木洋仁(事業構想大学院大学准教授)

 

 中身を読まなくても、この見出しを眺めるだけで、理解できそうです。わたし流に反論、批判をしてみましょう。

 

 “「元号」に固執”とありますが、固執とは、自分の意見を主張してまげぬこと(新潮国語辞典)とあるように、むりやり自分の主張を通すことであり、良い意味には使われません。裏から陰険に非難する用語を使うべきではないと考えます。

 

  学者として客観的に分析しようとするのであれば、陰険な用語は使わず『世界で日本だけが「元号」を継続しようとする理由』とのタイトルにすべきです。

 

 “ガラパコスな慣習”と言いますが、元号は、単なる慣習ではなく「大化」以来1300年以上続く日本国の伝統なのですよ。あだや疎かにすべきものではありません。慣習は意識するしないにかかわらず続いていくものを言います。元号は一般的な慣習とは異なり、時代を拓こうとする強い意識でもって決められてきたものです。たとえガラパコスであっても、聖なるもの、美なるもの、徳なるもの、真なるものであるならば、それを保持することは正しい認識に基づくものと言えるのではないでしょうか。

 

 “元号は今もなお天皇の権威を示す記号なのでしょうか?”とあります。このフレーズから解釈すると、准教授は、今までの元号は単なる記号であり、新元号は内閣総理大臣が選定するものであるかぎり、天皇の権威を示す記号でさえないとの主張に聞こえます。

 

  わたしは、元号は日本の歴史を体現したもの考えます。単なる記号ではないはずです。わが国の歴史を翻って見ても、大きな事象は元号で表すのが最もしっくりと行くように思えます。

 

  また、たしかに、天皇陛下が元号を選定され、御示しされる方が永い歴史の精髄に沿っていると思います。

 

 全般的に見て、鈴木准教授の見立ては、余りにもシニカルすぎます。もう少し、柔軟に、歴史を大切にするという普通の感覚で論をすすめて貰いたいと思います。歴史というものは、単純に捨てるものではなく、暖かく育み、後世に引き継ぐものではないでしょうか。

 

 日本の近代化である明治維新は、ヨーロッパや中国の革命の血なまぐささとは異なり、最小限の紛争で決着し、穏健な政治姿勢が終始貫かれ、いろいろな難関を見事切り開き成功へと進むことができました。これも偏に、幕府が政治権力を大政奉還により天皇にお返しし恭順の意を示したこと、そして、明治以後、立憲君主制としての天皇を戴き、国の安全と国富の強化、四民平等、国民の安寧と教育の深化につとめたことによるものです。

 

 わたし達の父祖は、常に天皇と共に歴史を歩んできたのです。

 

 歴代の天皇は神武天皇から今上陛下まで125代、皇紀2679年の輝かしい歴史を有しています。そして、元号、年号は「大化」から「平成」まで、これまた1374年の輝かしい歴史でもあります。

 

 永い歴史を持つことは誇りです。わたし達現代日本人は、今、熱い目が注がれている「縄文」から数えると1万5000年の悠々とした歴史の上を歩んでいることを認識しようではありませんか。

 

 もう、自虐・反日の思想は放り投げてしまいましょう。そして、永い歴史に包まれた豊かな文明を誇りに思う普通の感性をとり戻そうではありませんか。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか

 

次回は
時事エッセー
です。

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2019年3月 1日 (金)

中国・伊藤忠社員拘束事件の不可解!

 679回目のブログです             

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 “春の園 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つをとめ”
 
                 大伴家持(万葉集)

 春の庭が紅色に美しく照り輝く桃の花が木の下まで照り映えている道に出てたたずむ少女よ…。

 小ブログを始めたのが、平成18年(2006)3月3日、桃の節句、雛祭りの日でしたから、早いもので、この3月3日で丸13年になります。13年、679回、われながらよく続いたものだと思っています。

 

 続けるにはなかなか骨が折れ、そういう時には、古都散策エッセーを筆休めにしながら、今日まで何とか繋いできました。ブログ発信の内容は大したものでないことは重々承知していますが、自分なりのプロットをつくるべく多少の工夫は凝らしたつもりでいます。もうすぐ700回になりますので、そこまでは1週も欠かさずに続けたいと考えています。まあ、内容はともかくとして、無欠勤だけが自慢の種とは、何とも地味だなと思ってしまう今日この頃です。

 

 …という風に、多少回顧にふけようとはするのですが、現実の国際社会が断然と厳しさを増してきていることの方に心が向いてしまいます。

 

 去る2月14日、伊藤忠商事につとめる40代の男性社員が、昨年2月より1年に亘って中国広東省広州市の国家公安局に逮捕、拘束されていることが判明しました。

 

 男性社員は、国家の安全を害したとして、スパイ行為を取り締まる国家安全局に拘束され、昨年6月に「国家機密情報窃盗罪」で起訴されたようです。

 

 この事件については不可解なことが多過ぎますので、いろいろと考えて見たいと思います。

 

 中国ビジネスでは「最強の商社」を誇る伊藤忠商事の社員がなぜ逮捕拘禁に至ったのでしょうか。中国共産党との太いパイプを有している伊藤忠が、本来ならば逮捕されるというヘマなことをするはずはなく、その理由について巷間では、①権力闘争(電力利権 伊藤忠=李鵬 ⇔ 習近平)、②反スパイ法絡み、など種々の憶測を呼んでいます。

 

 それにしても、伊藤忠はなぜ、逮捕されたことを即時に公表しなかったのでしょうか。これが不可解の①。1年間も公表しないということは、中国ビジネスに従事している数多くの社員の恐怖感にあまりにも鈍感であることを意味します。いつ拘禁されるかもしれない恐怖を事前に出来るだけ除去するよう努めることこそ企業が配慮すべき重要なポイントのはずです。これでは、高級なブラック企業と言われても返す言葉はないのではないでしょうか。企業は、社員の命と安全を守るべきです。

 

 また、政府、外務省も1年間何をしていたのでしょうか。中国へ赴く日本人に“危険”の警鐘を鳴らすことこそ国家の役割のはずです。いつまでも、親中・媚中・屈中の姿勢のままで、伊藤忠社員の逮捕拘束の理由さえ問いただそうとしないとは全く言語道断。これが不可解の②。

 

  外務省の海外安全情報によれば、中華人民共和国は、新疆ウィグル自治区とチベット自治区がレベル1(暴動など・十分注意してください)で他は危険度ゼロとなっています。中国が危険度ゼロとは…本当ですかね。甘すぎる判定ではないでしょうか。

 

 125日の小ブログにおいて、中華人民共和国では習近平主席になってから安全保障法案が立て続けに法制化されてきたことに留意すべきと書いています。

 

     2013年「国家安全保障理事会」設立
 
2014年「反スパイ法」     (新設)
 
2015年「国家安全法」     ( ∥ )
 
2016年「インターネット安全法」( ∥ )
 
  ∥  「反テロ法」      ( ∥ )
 
2017年「NGO管理法」    ( ∥ )
 
  ∥ 年「国家情報法」     ( ∥ )

 

  ものすごい安保補強態勢であり、中国共産党独裁、あるいは習近平個人独裁ならではという感じがします。

 

 この事件について、マスメディアはどのように報道しているのでしょうか。一例を挙げましょう。218日の日経ビジネスon lineでは
 『伊藤忠社員の拘束は中国が進める“近代化”の余波か?』
というタイトルで、副編集長が寄稿しているのです。

 

  えっ!と吃驚しました。中国は、上に記した苛斂誅求極まりない法律によって、全国民を、全中国訪問者を「スパイ嫌疑」で合法的に逮捕できるようになりましたが、果たして、それを近代化というべきなのかどうか、これが不可解の③です。

 

  「『習政権になってから次々新たな立法をして取り締まりを強化している』というイメージがあるが、過去に中国人相手には法律に基づかない苛烈な取り締まりがあった。皮肉を言えば、人治を、全人代が関与した法治に変えようとしているとも言える」という識者の発言を紹介していますから、マスコミの人は、中国を、明るい未来、近代法治国家、民主主義国家へ着々と進んでいるとの幻想に捉われているのではないでしょうか。

 

  習近平氏は、2012「中国国家の偉大な復活を実現することは現代中国の夢である」とぶち上げており、世界覇権、世界制覇への道をまっしぐらに歩んでいますが、これはいわゆる「民主主義への道」とは全く異なるものであることを知らなければなりません。詳しくは、『China 2049』秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」マイケル・ピルズベリー著 日経BP社 をお読みください。中国の長期戦略にまんまと騙されたアメリカの驚愕と恐怖がまるで知的サスペンスのように描かれており、背筋の寒くなること請負いです。

 

 当局は、過去法律に基づかず苛烈な取り締まりを行っていましたが、2013年~2017年の安保関連法7本により、スパイ容疑での逮捕に御墨付けを貰ったことになります。今後、スパイ容疑での逮捕が激増するであろうことは大いに予想でき、これは、まさしく、近代化ではなく、弾圧の強化と見るべきではないでしょうか。

 

 いよいよ恐ろしい国になりました。外交評論家の宮家邦彦氏「中国にとって、外国人は基本的にみんなスパイだと思われています。なぜかというと、中国のシステムでは外国に行っている中国人は誰でもスパイになり得ると思っているからです」「港で不用意にスマホを出してカシャッと撮るなんてやめて下さい、お願いだから」と警告を発しています。

 

 くわばら、くわばら。中華人民共和国には警戒を怠ることのないようにしたいものです。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか

 

次回は
時事エッセー
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2019年2月22日 (金)

民主党政権は“悪夢”か否か? …スローガン政治に思う

 678回目のブログです                   

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  “七里浜 夕日漂ふ 波の上 伊豆の山々 果てし知らずも”
 
            西田幾多郎(哲学者・京大教授)

 ゆったりとした時の流れを感じさせてくれるのが鎌倉の七里浜である。波の上には今まさに夕日が沈み赤く輝いており、伊豆半島の山々が果てしなく続いている。わが人生は波乱万丈ではあったが、今は安らぎの境地に立っている…。

 「人間の至福は高屋にあらず、風景にあらず、ただ無事平常の中にあり」の心境を詠んだものであり、七里ガ浜にはこの歌の歌碑が建てられています。

 

 世界的に高名な哲学者である西田幾多郎(明治30年~昭和20)は、若い時、姉・弟・娘二人・長男を亡くし、父の事業の失敗で破産、妻との離縁など、多くの苦難を味わっていますが、晩年の鎌倉での生活では心を安んじたと言われています。

 

 “人間の幸せは、無事平常のなかにあり”という言葉は、心の荒んだ現在社会に生きているわたし達にとって教えられるところ多いものがあります。

 

 さて、内政、外政に厳しい環境が続く中、わが国の政界が近年、混乱、混迷の坩堝にあったことは紛れもない事実と言えるでしょう。去る210日、自民党大会の演説で、安倍総裁(首相)「民主党政権時代は悪夢であった…」と発言、これに対して野党の幹部、とりわけ岡田克也氏(立憲民主党会派)は国会討論で「悪夢というレッテルを貼るべきではない。発言を撤回せよ」と舌鋒鋭く反論、追及しましたが、安倍首相は「民主党政権時代は少なくともバラ色ではなかった」とし、発言の撤回を強く拒否しました。

 

 それでは、ここで、民主党政権時代がどんな内容であったか振り返ってみたいと思います。

 

 民主党政権時代とは、鳩山由紀夫 菅直人 野田佳彦の3人が首相の大権を担った時代であり、平成21年(2009)9月~平成24年(2012)12月の3年3ヶ月の期間を言います。

 

 この民主党政権は圧倒的な国民的人気とマスメディアの支持を背景に成立したものですが、ひとつには、首相などの上に立つ政治家の「国家観」の薄っぺらさや「危機管理」の未熟さなどから、ふたつには、易しい時代に恵まれず厳しい「時代」に遭遇してしまったことにより、僅かに3年3ヶ月で終了となりました。

 

 人気は移ろいやすいもの。日本国を守る姿勢がはっきり見えず、バラ色の公約は極端に色褪せたため、国民の支持は急降下し、この期間を「失われた3年」と今でも揶揄されるほどです。その結果、民主党は四分五裂の状態になり、現在は、立憲民主党・国民民主党・自由党・希望の党・無所属などに分かれています。

 

 民主党の特徴は素晴らしい「スローガン」「キャッチフレーズ」「キャッチコピー」にありました。

 

 「マニフェスト―甘くて美味しい政権公約
 
 「埋蔵金」すぐに使える隠された予算・10数兆円あり
 
 「コンクリートから人へ人工物から生きた人間を主体に
 
 「2位じゃだめなんですか日本の科学技術振興を抑制
 
 「最低でも県外米軍普天間飛行場の移設先
 
 「中国人船長釈放!」尖閣での中国漁船と日本巡視船衝突
 
 「現地視察最優先!」福島原発事故・首相官邸による人災

 

 まだまだいろいろありますが、思いだすと言うよりも頭にきちっと記憶されているものばかりです。このスローガンはことごとく裏目、虚偽、安易、夢想、実念であり、覚悟をもって「最低限の」国家を守る・国民を守る・未来への針路を示すというリアルポリティックス(現実政治)が欠けていたと思います。

 

 それは、おそらく、政権奪取の可能性が高くなりつつあった世間の空気から、民主党内の雰囲気が全体的に高揚感で満ち溢れ、冷静な判断が全くできなかったこともあるのでしょう。余りにも空虚なスローガンが多くはありませんか。

 

 外交面でも見ていきましょう。

 

 民主党政権で最初の首相となった鳩山由紀夫氏は、悪名高いスローガン「最低でも県外」という、実行不可能な無責任な言葉で沖縄県民を弄び、結果的に普天間基地の移設問題を複雑にしたまま現在に至っています。鳩山首相の責任は極めて大きいと言わざるを得ません。

 

 そして加えて、普天間基地の移設問題に関して、アメリカのオバマ大統領に「トラスト・ミー」と断言したのです。ところが何も進捗できず、米大統領に嘘をついたことになりました。史上最悪の総理大臣と言われるのも肯けるところです。

 

 また、鳩山内閣時の小沢一郎幹事長は483人の使節団を率いて訪中、胡錦濤主席に全員握手してもらいました。TV放映されたこの時の胡錦濤主席の小沢一郎氏ら483人に対する憐れみの表情は、いまだに私の脳裏に焼き付いています。

 

 そして、あろうことか、小沢一郎氏は胡錦濤主席に対して「私は、人民解放軍の野戦軍司令官であります!」と宣言したのです。まさに“属国宣言”そのもの。日本国が民主党政権により中国共産党の軍門に下った瞬間でした。

 

 次の菅政権の時、平成22年(2010)「尖閣諸島中国漁船衝突事件」が発生。証拠映像があるにも関わらず隠蔽し、船長を釈放しました。義憤に駆られた海上保安官・一色正春氏は、映像をYouTubeに投稿、事件があからさまになり、国民の怒りは怒涛の如く弱腰・屈中の民主党菅政権へ向かいました。

 

 一方、中国はこうした日本を弱腰と判断し、尖閣諸島の領有権は中国にありというプロパガンダを積極的に世界に発信し続けています。そして今も中国漁船軍団が虎視眈々と尖閣領域を侵略しようとしていることを知らねばなりません。

 

 さいごの野田政権の時、平成24年(2012)ロシアのメドベージェフ首相が北方領土(国後島)に上陸、国民は激怒。また韓国李大統領が竹島に上陸「日王は韓国に来たければ土下座して謝罪せよ」と暴言、日本国民の怒りは沸騰しました。その後、日韓関係は悪化の一途を辿っており、今やPoint of no return(帰還不能点)の状態ではないでしょうか。

 

 上で見てきたように、外交面においては、民主党政権時代は最悪だと言っても過言ではありません。①日米関係、②日中関係、③日露関係、④日韓関係、全てにおいて悪化、戦後最悪の状態になったことは断言できると思います。

 

 悪夢の反対は吉夢あるいは瑞夢ですが、民主党政権を吉夢と言うことはできません。「悪夢」と表現するよりも「最悪の事実」という方がぴったりと来るのではないでしょうか。

 

 これもそれも、民主党政権が国家観をもたず、スローガン政治で理想を志向したからに他なりません。(もっとも、近年、自民党がスローガン政治の様相を見せていることに対し警戒が要りそうです。)

 

 さいごに、批評家・小林秀雄の含蓄のある言葉を引用します。

 

  “理想というものは一番スローガンに堕し易い性質のものです。自分で判断して、自分の理想に燃えることの出来ない人はスローガンとしての理想が要るが、自分でものを見て明確な判断を下せる人にはスローガンとしての理想などは要らない。若しも理想がスローガンに過ぎないのならば、理想なんか全然持たない方がいい。”――『歴史の魂』

 

 本当の理想を持たない人ほどスローガンで理想を語るようですから、スローガンに容易に惑わされないようにしたいものです。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか

 

次回は
時事エッセー
です。

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2019年2月15日 (金)

「慰安婦」「徴用工」… ジャパン・タイムズ英語表現を変更!

 677回目のブログです


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“思ふこと いふべき時に いひてこそ 人のこころも つらぬきにけれ”
 
                  明治天皇御製(明治44年)

 思う事を言うべき時に人に言う。そうすることによってのみ人の心を貫くことができる。当たり前のことのように思えますが、言うべき時に言うことができず、大切な機会を逃したことが如何に多かったかを反省するばかりです…。

 さて、日韓の間で様々な問題が横たわり、暗礁に乗り上げたままになっており、今や一触即発、外交断絶にまで至るのではないかと言われるほどです。日韓間の主要な懸案事項をあげてみます。

 

 竹島をめぐる問題(日本領土を韓国が占領)
いわゆる慰安婦問題(約定破棄・世界にプロパガンダ) 

  ・いわゆる徴用工問題(賠償請求・裁判)
 
 日本産水産物等の輸入規制問題
 
 日本海呼称問題(日本海を東海に・世界にプロパガンダ)
 
 仏像盗難事件(盗難仏像を返却せず)
 
 韓国海軍レーダー照射事件(危うく戦闘一歩前)
 
 韓国国会議長・天皇陛下に謝罪要求(慰安婦に)2月8日

 

 それにしても、凄まじい問題ばかりであり、韓国サイドの不実には言うべき言葉もありません。このうちどんな人にも、子どもから大人まで、男子でも女子でも、理解できるのは、韓国の窃盗団が盗んだ仏像(重要文化財)を返さなくてもいいとの判決を韓国裁判所が下したことでしょう。もう、無茶苦茶、窃盗が正義とは、韓国人の民度を疑わざるを得ません。未だに近代社会を築けない遅れた民族なのでしょうか。

 

 上に掲げた日韓間の主要な懸案事項が生じたのは、ひとつには韓国が未近代社会であること、ふたつには韓国サイドの小中華思想による日本蔑視であり、三つには、わが国の親韓・媚韓・屈韓の人々が反日姿勢と韓国アシスト姿勢を煽りに煽ったことにあるのではないでしょうか。

 

 特にわが国の大半のマスコミは「言葉」「用語」の点についても、自虐、反日の立場をずっと守ってきていると言う摩訶不思議な現象があります。この件について、いわゆる慰安婦問題といわゆる徴用工問題で考えて見たいと思います。

 

 朝日新聞は、平成26年(2014)、いわゆる慰安婦問題の誤報(…実際には「虚報」「フェイクニュース」というべきもの)を認め、読者に詫びましたが、英字報道においては従来路線を引き継いだままです。

 

 ところが、その朝日と同調していた国内英字新聞大手の「ジャパン・タイムズ」が「慰安婦」と「徴用工」に関して、誤解を招く表現を用いてきたとして、昨年11月30日付の紙面において変更する旨を告知したのです。

 

 私はそのことに気付くのが遅く今ごろになって気付きましたが、ジャパン・タイムズの決断には拍手を送りたいと思います。

 

 まず、どのように変更したのかを見ていきます。

 

 【慰安婦】

 

  従来 women who were forced to provide sex for Japanese troops before and during World War(第2次世界大戦前と戦中に、日本軍に性行為を強要された女性たち

 

  変更 women who worked in war time brothels, including those who did so against their will, to provide sex to Japanese soldiers ”(自ら望まなかった者も含み、戦時下の娼館で日本兵相手に性行為を提供していた女性たち)

 

 【徴用工】

 

  従来 forced labor ”(強制労働)

 

  変更war time laborers ”(戦時労働者)

 

 簡単に言いますと、今後は戦時売春婦』『戦時労働者と表現するとしているのです。

 

 ジャパン・タイムズのこの変更は極めて常識的であり、高く評価したいと思います。加えて、NHKや朝日も、事実を歪めた表現を排し、常識的な線に変更してほしいもの。

 

 ジャーナリズムの雄を自称する朝日新聞は、平成18年(2006)

 

 “言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞”

 

というキャッチフレーズでジャーナリスト宣言を大々的にキャンペーンしましたが、宣言は良しとしても、その根底には事実は事実として報道するという基本的な姿勢が不可欠のはずです。そもそも、誤報・虚報・捏造はもとより、自虐反日の姿勢が根本的に誤っていることを認識しなければなりません。

 

 余りにも遅かったとは言え、ジャパン・タイムズ紙が、正しい用語、言葉に変更したことを評価したいと思います。

    過ちては則ち改むるに憚ること勿れ”(論語) 

あやまちては すなわち あらたむるに はばかることなかれ)

 

という有名な格言もありますから、NHKも朝日も、今からでも勇気を奮って英文表記を変更してはどうでしょうか。あらためて強くすすめたいと思います。

 

 ところで、韓国がとうとう本性を表わしてきました。2月8日、韓国の国会議長が、いわゆる従軍慰安婦に関して、日本国天皇陛下の謝罪を要求したのです。日本の中枢に匕首を突き付けてきました。“日本を代表する首相から謝罪の一言でいい。近く退位するのだから、日王がそれを行うことを願う。日王は戦争犯罪の主犯の息子ではないのか。そのような人が、高齢の元慰安婦の手を握り本当に申し訳なかったと言えば、これを最後に問題は解決する”(日王とは韓国が使う天皇陛下を蔑んだ言葉)

 

 まあ、まるで土下座を要求すると言わんばかりの強い口調です。まさに暴言の極と言わざるを得ません。

 

 それに対して、安倍首相は、僅かの憤りを表わし、謝罪と発言の撤回を求めました。河野外務大臣に至っては「発言には気をつけていただきたい」と苦言を呈したに過ぎません。

 

 これが、わが国の内閣総理大臣と外務大臣の姿ですから開いた口が塞ぎません。本来ならば、直ちに閣議を開き、現代版の「暴韓膺懲」(ぼうかんようちょう/暴虐な韓国を征伐して懲らしめること)の策を講ずべきではないでしょうか。政府も、政治家も、マスコミも、国民も、平和ボケで指を咥えてポカーンと、…余りにも鈍くなってしまっているように思えてなりません。

 

 韓国の国会議長が天皇陛下を中傷する言葉を吐くとは、これはまさしくPoint of no return(帰還不能点)、日本国民は、もはや後に引けない段階に来ていると考えなければなりません。

 

 厳しい怒りの声を発しようではありませんか。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか

 

次回は
時事エッセー
です。

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2019年2月 8日 (金)

「統計」の信頼性を確立せよ! 

 676回目のブログです                        

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 “大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立”
 
          小式部内侍(和泉式部の娘/百人一首)

 大江山を越え、生野を通って行く丹後への道のりは遠すぎて、まだ天橋立の地を踏んだこともありませんし、母からの手紙も見てはいません…。

 当時、世間では、小式部内侍の歌が優れているのは、母・和泉式部が代作しているのではないかという噂がありました。それをからかった藤原公任の息子である藤原定頼に対して、丹後に居る母に頼っていない自分の歌才を示すために、間髪を入れず詠みあげたのが上の和歌です。

 

 それにしても、平安時代上流階級の文藝における感性の鋭敏さには圧倒されます。

 

 そのような鋭い感性の真逆にあるのが、先週のブログの後半で触れた政府統計の不適切調査であり、この考えられない犯罪とも言える行為について、詳しく考えて見たいと思います。

 

 昨秋「厚生労働省」の『毎月勤労統計調査』で賃金上昇率が高めに出ている問題がエコノミストあたりから指摘されていました。この疑問を解明すべく総務省が独自に数値を精査したところ、東京都の500人以上の事業所では全数調査すべきところを一部抽出調査していたとの告白があり、不適切な調査が浮上したのです。

 

 問題点を詳しく見ていきましょう。(第1生命経済研究所・Economic Trends1/16を参考)

 

 500人以上の事業所については全数調査とされていたにもかかわらず、そのルールが無視される形で東京都では抽出調査となっていたこと。

 

  これは手続きの不正。東京都で本来調査されるべき500人以上規模の事業所は1464ですが、実際は491事業所(約3分の1)しか調査しなかったのです。もしも、このような抽出調査に変更したい場合は、総務省に申請し、適切かどうか検討されなければならないにもかかわらず、厚労省の判断で変更したようです。

 

  厚労省という有力省庁が、国家の重要な「基幹統計」調査で、安易にルール無視を行うのは犯罪的と言わねばなりません。

 

 適正な手続きを行わずに一部で抽出調査に変更していたにもかかわらず、抽出調査を行う際に必要となる処理(復元/補正)が行われていなかったこと。

 

  これは数値処理の誤り。東京都における抽出調査は平成16年(2004)から始まっていたにもかかわらず、厚労省は復元処理をしなかったのです。東京都以外の500人以上規模の事業所は全数調査であり、それに合わせるようにするには、東京都は抽出調査(抽出率・約3分の1)の数値に3を乗ずれば良いだけです。3を掛ければ良いのですから、実に単純なことと言わねばなりません。…信じられません。

 

  東京都は大規模事業所が多く、平均給与は他府県よりも大幅に高いため、このウェイト低下に伴い、全体の平均給与が実態よりも低く算出されたことになります。何ともはや、統計の数値が実態を表わしていないという摩訶不思議かつ無意味な存在に成り果てたと言わざるを得ません。

 

 平成30年(2018)1月以降のみ復元処理を行うことにした結果、数値の連続性が失われてしまったこと。またそのことについてアナウンスがなかったこと。

 

  これは不適切な数値処理ならびに不適切な情報提供。平成30年(2018)以降のみを復元処理したとなれば、平成30年(2018)1月から12月までの前年度比は実態と較べて高くなります。

 

  本来ならば、平成16年(2004)から復元しなければならないのですが、復元に必要なデータが存在するのは平成24年(2012)以降のみとのことです。しかし、果たしてこれも事実かどうか、過去「裁量労働制における労働時間の不適正調査データ」や「消えた年金記録問題」のこともありますので、厚労省は全く信用できません。また、昨年の給与アップの数値が連続性のない浮いた数値となっていることも知らず、アベノミクスの成果を強調した首相・官邸はある種の気の毒なピエロと言えるかも知れません。それとも官邸による捏造の指示だったのかは、まさか……。

 

 この不適切調査の影響ははかり知れず、多岐にわたるでしょう。

 

   平成16年(2004)以降の不適切調査数値の早急なる復元
 
雇用保険、労災保険への遡っての差額給付……795億円
 
GDP統計の改定
 
日本国の経済統計への国際的信用の毀損

 

 特にわが国の国際的信用の低下は避けられない思います。日本国・日本人の名誉回復には時間が掛ることを覚悟しなければなりません。しかし、なぜこのような重大な過失が起きたのか、思うことを述べてみます。

 

 統計法の第60条には「基幹統計の作成に従事する者で基幹統計をして真実に反するものたらしめる行為をした者は、6ヶ月以下の懲役又は50万円以下の罰金に処す」となっています。この条文に照らせば、今回の厚生労働省の基幹統計不適切調査は、犯罪に当たるほど重大な過失ではないでしょうか。

 

 今回の事態を見るに、何か責任感の欠如の様なものを感じます。そして、国家公務員としての自覚が薄く、緊張感に欠けているように思えてなりません。

 

 統計は国家の重要な基盤を成すものとして位置づけたのは吉田茂でした。吉田茂は、統計というエビデンスに基づいた意思決定や原理原則に沿った意思決定を重んじており、戦後復興のためには政府統計の充実が極めて肝要であると考えていたのです。その意味を踏まえ、政府統計に携わる人は国家の基礎に存するのだという気概を持ち、業務に励んでほしいものです。縁の下の存在かも知れませんが、誇りある崇高な仕事と言えるのではないでしょうか。

 

 時代は大きく変貌しつつあります。経済も、製造業からサービス業へとシフトし複雑な様相を見せている時であるにもかかわらず、おそらく、政府統計に携わる人員が従来のままに置かれており、人員が少なすぎるために目が届かないこともマイナスに作用しているように思えてなりません。

 

 今回の事態を奇禍として、政府としては、あらためて統計処理の充実を期すべきであり、滋賀大や同志社大にはデータサイエンスを中核とした学部はありますが、分かりやすい「統計学部」の新設なども検討すべきではないでしょうか。

 

 何はともあれ、統計の信頼性を確立することが肝要です。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか

 

次回は
時事エッセー
です。

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2019年2月 1日 (金)

一億総悲観論を切る!

 675回目のブログです

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 “木の葉なき 空しき枝に 年暮れて また芽ぐむべき 春ぞ近づく”
 
            京極為兼(鎌倉後期・玉葉和歌集編者)

 木の葉が落ち尽くし何もない枝に一年が暮れ、また新しく芽ぶきの春が近づいてくるのだなあ…。

 一見すると既に枯れたかのような冬の木々ですが、再び春が巡ってくれば、また新しい清々とした生命が萌え立ちます。日本の四季は春から始まり、夏、秋、冬と廻っていくのであれば、その春の力強い立ち上がりを、感動をもって受け止めるとともに四季の一巡に大いなる期待を込めたいものです。

 

 さて、世界が緊迫化し明日の予測さえも立てられないほど複雑な情勢にある時、わが国では最近「日本は終わっているのではないか」という話をよく聞きます。あるいは、インターネットスラングで「日本オワコン」という言葉も出てきます。オワコンとは「おわったコンテンツ」のことであり、一時は栄えていたが現在では見捨てられてしまったことを意味します。

 

 要するに、一億総悲観論というところでしょうか。昭和32(1957)社会評論家の大宅壮一は「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、白痴番組のオンパレード、テレビばかり見ていれば想像力や思考力が低下し“一億総白痴化”を来たす」と言いましたが、その一億総……にならえば、確かに一億総悲観論に陥っているかも知れません。

 

 日本は終わっている論の理由を一部あげてみます。

 

 少子化が進み80年後には人口が5,000万人以下になる
 2040年までに約900の地方自治体が消滅する
 財政は近いうちに破綻する
 年金制度は崩壊する
 日本は技術力で中国や韓国に抜かれつつある
 次世代ではノーベル賞をとれない
 キャッシュレス社会が進まず世界から取り残される

 

 果たして、日本は終わっているのでしょうか。上掲の項目について考えて見ましょう。

 

 (人口5000万人)将来の人口減が確定したかのような議論が横行していますが、確定数値ではなく予測の数値です。今、議論すべきことは、人口減の防止、人口の維持、人口の増加についての対策を根本的に講じることであり、それが十分なされていないことに問題があるのではないでしょうか。

 

 (900自治体消滅)10,000人以下の自治体が存続できないとした場合の数値ですが、地方が消滅することとは異なります。これも、地方再生の道を、単なる経済的観点からだけではなく、国土保全、安全保障などの国家的観点を加えた“地方再生基本プラン”(田中角栄元首相の土建流ではない)を作成し、対処する以外に道はないと思います。

 

 (財政破綻)財務省、マスコミから、財政は破綻するすると何年も前から高説が述べられてきましたが、今、どうなっていますか。破綻していないではないですか。国家の財政について、資産を除外して負債のみを強調し“破綻する・破綻する”の合唱は国民を惑わすばかりです。企業の再生時には、経理の実態を明確にしてから対応策を講ずるのが普通であり、国家財政の再生も、財政の真実を明らかにしてから諸策を講ずべきではないでしょうか。

 

 (年金崩壊)真実のデータを冷静に議論してから、崩壊論を唱えて欲しいと思います。年金の崩壊はないと断言する学者もいることですから。

 

 (技術力)中国や韓国が素晴しい技術を発揮していることは疑いもありませんが、日本の技術もそれなりに発展、進歩してきていることも事実ではないでしょうか。オワコン論は間違っています。

 

 (ノーベル賞)わが国が、国家をあげて基礎研究に注力しなければ、次の世代ではオワコンになるかも知れませんが、技術立国“日本”を支えるためにも基礎研究にも力を入れることは大切です。そして、忘れてはならないのは、その成果を日本の技術力向上に振り向けることではないでしょうか。

 

 (キャッシュレス社会)現金主義かキャッシュレスかは、時代の流で決まってくるものであり、これ一つで、日本は終わった、韓国は素晴らしいと言うのは、大きな間違いだと考えます。韓国は確かに、サムソン・LG・SKなどの優れた財閥がありますが、国全体として他国からは全く尊敬されていません。そんな国をキャッシュレス化が進んでいるからというだけで褒め称える日本の政治家(ex.有田芳生参議院議員/立憲民主党・1/27 Twitter)の感覚にはあきれてモノも言えません。

 

 わが国に“悲観論”が蔓延する原因は二つあると考えます。

 

 日本人はどちらかと言えば悲観論が好です。従って、悲観論での予測であれば、間違っていたとしても文句を言われなくて済みます。明るい見通しを語って間違っておれば、それ見た事かと叩かれてしまいますから、悲観論がはびこりやすいのではないでしょうか。

 

 マスコミ、政治家、文化人、社会的リーダーの中に、日本を貶める見方に喜びを感ずる人たちがそれなりに存在することです。彼らは、学校教育や社会の雰囲気で知らず知らずのうちに「自虐史観」「反日姿勢」「サヨクリベラル思想」「媚中・屈韓・親朝」を身に着けたものと思います。

 

 ところで、わが国は先のない国なのでしょうか。外国人が日本を極めて高く評価する項目に「国際貢献」「世界で一番住みたい国」「社会の安定・安心安全」がありますから、そう悲観的になることはありません。

 

もっとも、国際貢献については、ODAとして、日本から中国へ過去3兆3,000億円供与しましたが、中国は恩義も感じず、感謝も一切ないのですから、日本の国際貢献は評価さえしていないことになります。また、昭和40年(1965)韓国に対しても日韓基本条約で韓国国家予算の2倍(現在に直せば86兆円という厖大な金額)供与していますが、恩義も感じず、感謝も一切ありません

 

 その他、日本を悪しざまに悲観しなくても、長所を覗いてみることも時には必要かも知れません。・治安が良い・時間に正確・清潔な環境・礼儀正しい・責任感がある・協調性がある・常識を重んじる・商品の品質が良い・生水が飲める・健康で豊かな日本食・多様なサブカルチャー・伝統ある神社仏閣・自然との調和……などいくらでもあるようです。あまり悲観しなくてもよいのではないでしょうか。

 

 しかし、そう楽観視することはできない事象が発生しました。厚生労働省の「毎月勤労統計」で不正調査問題が発覚。他の基幹統計でも続々見つかっており、霞が関全体を揺るがす事態に発展しています。国家の根幹に関わる基幹統計で14年もの間不正が行われていたことは、極めてゆゆしき事態であり早急に原因究明し、改善しなければなりません。

 

 企業でも、どんな組織でも、政策は「正しい統計」に基づいて立案されなければなりません。統計を正しく取り扱うことができるかどうかが国家の成熟度のバロメーターと言われているのです。

 

その意味では、今回の厚労省不正調査事件は極めて深刻であり、これこそが「日本は終わった」と言われかねない点を含んでいるように思えてならず、この問題は決して政局にしてはなりません。

 

嗚呼、公に尽すべき官もここまで落ちたのか…、単なるミスであることを祈るばかりです。

 

(それとも、19世紀英国の首相・ディズレーリの名言“世の中には3つの嘘がある。ひとつは嘘、次に大嘘、そして統計である”の方が真実なのでしょうか)

 

 本当に大変な事象です。みなさんはどのようにお考えでしょうか

 

次回は
時事エッセー
です。

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