君はサラリーマンかビジネスマンか③
3回目のブログになります。
コメントを頂いていますので(右欄クリックしてください)、おこたえします。
「バツイチ女のひとり言」様へ
おっしゃる通り、ヨチヨチ歩きのブログです。こんごともよろしく!
「保険部長(小川秀樹)」様へ
あまり力はありませんが、できるだけ内容の充実を図りたいと考えています!
「一山一文」様へ
ご指摘の通り、姉歯設計士はビジネスマンではありません。私もこれから触れて
いきますが、“志”のある勤め人がビジネスマンと言えるでしょう!
「浜口訓路」様へ
ごぶさたしています。コメントありがとうございます。人材育成には大変苦心
されておられることと思います。お役に立てれば幸いです!
つい先日、ライブドアの堀江貴文前社長が起訴されました。マスメディアはもとより、
有力政党までも、一時は現代の風雲児ともてはやしましたが、風向きが変わると、手の
平を返すように、その非を打ち鳴らしています。(言論も政治もあまりにも軽いですね。)
ライブドアの問題点については、識者によって微に入り細に入り解説されていますが、
現代の病巣が、1点抜けていることを指摘したいと思います。
ライブドアの違法は違法として、断罪されねばなりませんが、証券市場で「時間外取
引」によって、一瞬時に大量のフジテレビの株を取得した際、金融担当大臣、金融庁
が合法であるとお墨付きを与えたことも大きな問題です。(藩屏の感覚が全くありませ
んね)
常識的にいって、こんなことがインサイダー取引でなく、成立するとは到底考えられ
ないし、また、時間外取引の法の趣旨からいって、許されることではないと思います。
最近では、法律の条文に書いていないことは何をやっても許されるとの風潮がまん
延していますが、『法の精神』というものに、今一度戻ってみる必要があるのではない
でしょうか。
条文に書かれたことだけではなく、法の精神を理解しておれば、と残念に思わざる
を得ません。
3月4日の産経新聞に、吉田和男京都大学教授が、“道徳的基盤あっての資本主
義経済”と強く主張されていますが、資本主義経済の健全な発展には、道徳的基盤
が不可欠であることは、ご指摘の通りだと思います。お読みになられることをお薦め
します。
キーワードは「法の精神」と「道徳的基盤」
大分以前に読んだ、碩学、尾高朝雄先生の著書を読み返してみようかなと思う
今日このごろです。
さて、「君はサラリーマンかビジネスマンか」の第3回目です。
(毎週金曜日・30~40回を予定)
ビジネスマンへの道を示せれば幸いです。
必ずお役に立ちます。ご期待ください。
『君はサラリーマンかビジネスマンか』…③
[2章]
充実感と生きがい
社会人といっても、民間会社から公務員までありとあらゆる職業のなかで、色々
な人生の道がありますが、それなりに毎日充実した生き方をしていると自覚している
人は少ないのではないでしょうか。また、自分自身にとって生きがいとは何か、と
いうことを常に意識しながら日々を過ごしている人も、同じように少ないでしょう。
一般的には、ほとんどの人が毎日毎日、平々凡々、無意識にすごしていると思わ
れます。生き甲斐は人それぞれによって受取りかたが違うでしょうし、そんなに論理
的に詰め切れるものではありません。むしろ、生き甲斐というよりは充実した生き方
と表現した方がわかり易いのではないでしょうか。
それでは、充実した生き方すなわち「充実感」とはどのようなものでしょうか。毎日
8時間、残業をすれば10時間、きっちり仕事をすれば、それだけで充実した生き方
をしていると言えるでしょうか。決してそうではないと思います。
社会人として、充実した生き方とは、自分自身の志に叶い、所属する組織と人、
すなわち会社全体、部署、上司、同僚、得意先などに恵まれ、切磋琢磨しながら
目的に向かって前進する生き方を実感できることです。
とはいっても、充実した生き方は与えられるものではなく、偶然とか、たまたまとか
いった運命的なものもありますが、自分自身の自覚によることも多いでしょう。
自分自身がアグレッシブに、情熱をもって、熱い心を燃やしながら仕事を進めて
いけば、それなりの結果が出てくるであろうし、たとえ失敗に終わるとしても、その
貴重な経験は次に生かされるでに違いありません。これが充実した生き方という
ものではないでしょうか。
さて、「生きがい」について考えてみましょう。かなり前、生きがい論がもてはやされ
た時期がありましたが、今では生きがい論は流行らなくなっています。
それはなかなか難しいテーマであるため、議論することすら避けているからです。
生きがいの意味するものは、充実した生き方よりも、内面的であり、多少哲学的な
感覚を示すものですから、難しすぎるのです。
“人生如何に生きるか”は昔の旧制高校の青春の悩みであり、一度は経験しなけ
ればならない大きなテーマでした。その悩みを悩むのが若き学生の特権でもあった
のです。人生如何に生きるかの結論を見出せなくて日光華厳の滝に身を投げた若
き学徒もいたほどです。
旧制高校の学生は、勉学に励むとともに、クラブ活動にも情熱を注いでいましたが、
多くは自分自身の人生に深刻に悩む青春群像そのものであったといっても過言では
ありません。
現代の学生は、人生いかに生きるかなどという難しい内面的な課題について、おそ
らく真剣に悩むことは少ないのではないでしょうか。
深く考えれば考えるほど、生きがいの根は深いものというべきです。
したがって、学生の段階では深刻に捉えられてもよいとは考えますが、一般社会人
にとっては、生きがいに関しては、もう少し軽く考えてもよいのではないでしょうか。
生きがいは人それぞれによって大きく異なり、一概に決め付けることは避けなけれ
ばなりません。また時の変化によっても、自分自身の心境の変化によっても生きが
いのターゲットが変わることも考える必要があります。
人によっては、家族のためにといいます。ある人は社会のためにといいます。また
ある人は自らの職人的な腕を磨き続けることだというでしょう。
そう、生きがいとは、自分自身に己の生き方を言い聞かせること、そして、誠実に
実行し続けることなのです。
理想的な仕事の進め方は、生きがいをもって、充実感溢れる毎日を過ごすことに
ほかなりません。しかし、これは理想論であって、人生そう上手くはいくものではあり
ません。われわれ凡人は、理想的な生活にあまりとらわれなくてもよく、多少おぼろ
げでもよいのではないでしょうか。
おぼろげな理想を索めて、日々の仕事に邁進すしていくことが肝要だと思います。
◎次回は[4]2・2・6の組織理論です。
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コメント
ホリエモンの裏技に対し、金融担当大臣、金融庁が合法であるとお墨付きを与えたことは、
本当に理解に苦しみますね。
アメリカで企業を売るタイミングを誤ったことをさして、ベンチャービジネスの失敗例として説明を受けた記憶があります。全く違和感を持って聞いておりました。鉄道屋の私は、懐妊期間の長い仕事ですので、じっくり着実に成長させるやり方が本物だと思っています。
良い情報を有難うございました。
投稿: 仲津 英治 | 2006年3月18日 (土) 18時35分