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2006年4月28日 (金)

「A f t e r F i v e」の見方

 9回目のブログです。

 新学期も始まり、あちこちで新入生の姿を見かけるようになりました。最近は低学年
生でも、いろいろな不可解とも言える事件を起こしていろだけに、新入生達が心身とも
に、健全に育つことを祈るのみです。

 それにつけても、教育問題の根は深いですね。わが国の教育水準が世界的に見て、
危機的に低下し続けていることに関し、マスメディアでは今ごろになって、「ゆとり教育」
を批判的に報道していますが、こんなことは、スタート当時から危惧されていたことでは
ないのでしょうか。
 当時、ゆとり教育を積極的に推進した文部官僚の寺脇研氏の言動は未だに記憶に
残っています。すなわち、「120%成功する大いなる実験であるが、これによって日本
は、伸びやかな精神を取り戻せる」と。

 なんと言う傲慢な態度であったでしょうか。バカも休み休み言ってもらいたいと思いま
す。子供を実験台にするなど、現代版GHQではないか。さらに、120%成功するという
見通しなど、神様しかできないことを、ご立派な寺脇センセイは、出来るとおっしゃる。
こんな人間は、私の分類では、“人罪”といいます。
 寺脇センセイはいまだに、反省の弁を述べておりませんし、責任も取っていません。
おそらく、責任なんて爪の垢ほども感じていないのではないでしょうか。逆に、もっと、
ゆとり教育を進めるべきと考えているのでしょう。
 こういう人をメディアはちやほやしたのです。日教組とつるんだ文部官僚、政治家の
責任はもとより、メディアの責任も大きいと思います。

 幸いにして、中山前文部大臣の見識により、修正への道を歩み始めたようですが、
まだまだ油断はなりません。反日型・実験型・無責任官僚は山といますから、十分
警戒していかなければならないと思います。

 教育に関しては、国民全てが実感に基づいて発言できますから、もっと積極的に
問題提起すべきではないでしょうか。
 教育をどうするのか、教育行政をどうすればよいのかという課題はなかなか悩まし
い問題ですが、私は素人ながら次のように考えます。

 ①文部大臣を、教育に関しての見識ある碩学に、腕を振るって頂く。
   たとえば、大数学者の藤原正彦先生(「祖国とは国語」講談社、「国家の品格」
   新潮新書などのベストセラー多数あり)は最適任者です。
 ②文部大臣を5年間~6年間同じ方にお願いし、内閣、国民あげてサポートする
   よう、総理大臣が特別談話を発する。
 ③共通一次試験制度を即刻全廃する。
   諸悪の根源はここにあると考えます。入試は勝負であり、1発で決まっても良い
   と思います。入試に運、不運はつきもの、それが人生というもの。偏差値による
   鋳型はめは害あるのみ、バラツキがあってはじめて人生が、あるいは、人間関
   係が面白いと感ずるのではないでしょうか
 ④国民教育(日本国生存、発展のための教育水準アップ、志操)を中心に置く。
   反日、左翼、日本流リベラル勢力は反対するでしょうが、踏ん張りどころです。

 わが国民に対する慈愛と思慮にもとづいた、大胆で根本的な教育改革が必要なこと
は、皆様ご納得していただけるでしょうが、以上の4項目は、独断と偏見でしょうかね。
 ご意見をコメント頂ければ幸いです。

「君はサラリーマンかビジネスマンか」の第9回目です。
(毎週金曜日・30~40回を予定)
ビジネスマンへの道を示せれば幸いです。
必ずお役に立ちます。ご期待ください。

『君はサラリーマンかビジネスマンか』…⑨
[5章-6]
「After Five」の見方

  今、50代、60代の男性ならば懐かしく思い出すであろう、クレージィキャッツの植木
等が歌うスーダラ節の一節……♪サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ♪……に象
徴されるように、After Fiveが一番待ち遠しく、楽しみに思うのがサラリーマンの典型と
言えるでしょう。 

  学生時代を経て実社会に足を踏み入れてしばらくの間は、まだまだ学生気分は抜け
切らず、After Fiveに期待を寄せているのが実態です。
 社会人生活の期間が永くなっても、一日の定時内労働8時間に残業を少しこなして、
苦しい嫌な労働や、嫌な上司・同僚の世界から逃避することが、いかにほっとし、気持
ちが良いものか、大抵の人は経験があると思います。

 5時過ぎからは、カラオケ、居酒屋、レストラン、ショッピング、喫茶店、昔ならば麻雀
などなど楽しいことばかり揃っています。
 そう、今では、サラリーマンはアフターファイブ(After Five)に最大の価値を置いてい
ると思われます。これは間違いのないことでしょう。ややもすると、アフターファイブの
ために労働をしていると言っても差し支えないかもしれません。

 これに対し、ビジネスマンはアフターファイブ(After Five)をどのように捉えているで
しょうか。ビジネスマンは、アフターファイブを明日の「Work」(仕事)のための憩いの
時間であり、場所でもあると捉えるのです。あるいは、人間関係の幅広い交流や異業
種交流の時でもあると認識しています。
 すなわち、自分自身のビジネスを生かすための準ビジネスといっても間違いないか
もしれません。もちろん、昼間に比べ、よりリラックスして、時にはアルコールも入れな
がら、談論風発のなかでビジネスの糧を求めているのではないでしょうか。
 ことほど左様に、ビジネスマンとサラリーマンはこの点で極端に差があります。

 ところで、第2次世界大戦(大東亜戦争)後バブル時期までは労働と言えば、ほとん
どが仕事(work)として受けとめられていました。わが国の国民は等しく、勤勉で実直
で誠実に仕事に励み、世界に冠たる経済大国に押し上げていきました。仕事を仕事と
して、苦役というよりは、勤労として、努力を惜しまなかったがために経済的な国力が
飛躍的に増大したと言えるでしょう。

 その後の労働市場で、大変な人手不足が生じ、就職求人、雑誌俗に言うリクルート
雑誌が大手を振るうようになりました。
 各企業が労働力を確保することに、今まで経験したことがないほどの苦心を重ねな
ければならない時代背景において、彼らリクルート雑誌は、数々の甘言を弄したので
す。
 すなわち、若い人は、これからの時代はアフターファイブのために働くんだ。日中の
勤務は苦役だから、できるだけ楽な会社、残業のない会社、給与の良い会社に就職、
転職すべきであると強く主張したのです。

 これに共感した若人は数多く、楽な仕事へ、手の汚れない労働へ、カッコ良い職業
へと流れていきました。当時の表現でいう3K(キツイ・汚い・危険)を積極的に避けよう
としたのです。彼等がこのようなビヘイビアになびいたのは、一面、当然のことでした。
 なぜならば、若人は時代の風潮に流されやすく、染まりやすいのは、いつの時代でも
生じる現象ですから。

 その意味で、リクルート雑誌が日本人の実直な勤労思想を破壊していったと言っても
過言ではないでしょう。この時期からわが国が徐々におかしくなり、活力を失うようにな
ったと見ても間違いはないと思います。

 その当時、かの有名なリクルート社の社長は、政治家などへ贈賄をし、一応犯罪者
にはなりましたが、このことは数多くあるうちの一つの悪事というべきもので、ある意味
でそう大したことではありません。
 重要なのは、わが国の労働観、勤労意識を根底から崩していったことであり、その
罪の方が、数百倍大きいと言わなければなりません。

 リクルート社の贈収賄事件にまつわる重要な問題点は、人と組織と国を頽廃に向け
たことではないでしょうか。
 頽廃は腐敗とは異なります。世間で糾弾されたリクルート社の贈賄は、悪いとは知り
ながら私利私欲に走る腐敗と言えますが、わが国の健全な労働観を、意識するしない
に拘わらず、積極的に崩していったことは、まさしく精神の頽廃そのものと言えるで
しょう。

  腐敗はいつの時代においても、どんな組識でも、常に生じることですが、頽廃は、
社会のリーダーが健全な意識を持ち合わせれば、生じないことであり、防ぎ得ること
ができます。
  わが国が営々と築いてきた誇るべき職業観も、社会的リーダーによる精神の頽廃
によって一度失ってしまえば、当分回復は難しいかもしれません。
 良き伝統を築くには永年かかりますが、それを崩壊させるのはほんの一瞬だと言
われます。まことに残念の極みと言うべきでしょうか。

 腐敗は、単に欲得の組織的な現象であり、努力と対策によってそれなりに正常に
戻せるでしょうが、頽廃は精神の全体的な蝕みであり、正常への回復は至難である
と言わざるをえません。

 何はともあれ、この“After Five”は最も注目すべき項目であり、重要な課題でも
あります。

◎次回は[5章-7]労働の姿勢、[5章-8]創意・工夫への取り組み方です。

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