労働観
6回目のブログです。
4月になりました。ブログ開始から1ヶ月経過しましたが、沢山の方々に見ていただき
感謝しています。いろいろな方から激励を受け、今後も張り切ってまいります。引き続き
ご支援をよろしくお願いします。
新入社員が入られた会社もたくさんあるでしょうが、入社後1~2年間の経験、教育
が、その本人の将来を決めると言われています。ほんとうは、その時の直接の上司
(課長、係長など)により、大きく影響を受けるというデータがあるそうです。
みなさんの入社時は如何でしたか。私は、まさしく、入社後1~2年間が決め手に
なりました。
そうであるならば、「教育」に価値を置くであろう上司を育てることが必要でしょう。
このブログなどを読ませるのもいいのではないでしょうか。向上心はきっかけから生ま
れると言いますから、きっかけをつくってあげるのも最上司の勤めだと思います。
「君はサラリーマンかビジネスマンか」の第6回目です。
(毎週金曜日・30~40回を予定)
ビジネスマンへの道を示せれば幸いです。
必ずお役に立ちます。ご期待ください。
『君はサラリーマンかビジネスマンか』…⑥
[5章ー1]
労働観
これから、10のポイントを順に考えていきたいと思います。
まず労働観から考えてみたい。私たちは何のために労働しているのでしょうか。
何のために仕事をしているのでしょうか。一般的に言って、毎日の会社勤務という
ものを、私たちはどのように受けとめているのでしょうか。
労働観というからには、もちろん会社勤めの立場ばかりでなく、自営の立場や一
人で仕事をしている立場からも考えてみましょう。
わかり易くするために、できるだけ単純化し、一応、労働を二種類に分類して
みます。ひとつは「苦役」であり、もうひとつは「仕事」です。こんな単純な分け方は、
はなはだ乱暴に思われるかもしれませんが、なかなか面白く、斬新な観点である
ことはいくら強調してもし過ぎではないと思います。
「苦役」という言葉は、今はほとんど使われません。苦役は、つらく苦しい仕事
のことであり、大昔の奴隷の労働を意味しています。さらに場合によっては懲役
と同義語でもあります。
サラリーマンの立場に立ってみれば、会社での勤務はなかなかつらいことが多く、
歯車の一員として、自主性もなく、できればもっと楽をしたい。働くことは本当は
いやいやなのであるが、いわゆる身過ぎ世過ぎ、食べて行くために仕方なく労働
しているというのが一般的だと考えられます。
これは、まさしく苦役という言葉がぴったりとあてはまるのではないでしょうか。
いやいや労働をすることが苦役であれば、苦役そのものが決して目的になること
はありません。
苦役は英語ではLaborと言い、たとえば、Labor Economicsと言えば、労働経済
学のことを指しています。労働経済学は労働を数値・計量で捉え、商品として扱い、
何となく冷たいイメージを醸し出す現代的学問です。したがって、Labor Economics
から、労働の精神的価値、そのものの存在価値を引き出すことはできません。
つぎに「仕事」について考えてみましょう。
仕事とは何かを成すための行動であり、時には職業をも意味します。ビジネス
マンの立場に立ってみれば、会社での勤務もそれなりに目的もはっきりしており、
かなり自主的であり、なかなか充実した毎日といえます。
苦役がいやいや行なう労働に対して、仕事はもっと前向きな労働であり、それ
自体に大きな価値を見出し得るのではないでしょうか。
仕事は英語では、Workと言い、ビジネスマンの立場にぴったりときます。私た
ちは“さあ仕事をしよう”とは言うが、“さあ苦役をしよう”とは言わないのが一般
的です。
それは日本人が今までは、概して仕事自体に価値を認め、職人的に黙々と
職務を果たしてきたからです。われわれ日本人はいままではこのような感覚で
労働に当たってきましたが、近年それが崩れはじめてきたと指摘する識者が
かなりおります。
果たして今後どのように推移していくでしょうか。
ビジネスマンにとって、仕事を何のためにするのかという問いかけそのものは
Nonsenseです。なぜならば、ビジネスマンは仕事自体を大切に考え、厳しいなが
らも仕事に楽しみを見出しているからです。
サラリーマンの労働観は苦役(Labor)であり、ビジネスマンのそれは仕事(Work)
であり、この二つの考え方には明確に相違点があります。
LaborかWorkか、苦役か仕事か、今までこのことを考えたことがない人は、自
分自身のこととして、今一度真剣に考えるべきではないでしょうか。
◎次回は[5章-2]労働の位置づけ、[5章-3]労働の成果です。
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コメント
村上建夫と申します。
毎回、貴欄を拝見させて頂いております。会社員をサラリーマンとビジネスマンに分けて論じられておられます。分類した形態を見ると、欧米式の方法で言いますと、サラリーマンは労働者階級の労働感を、ビジネスマンは中産階級の仕事感と同じかなと感じました。野宗様が呼びかけておられる対象は、こういった既存の分類を越えた日本人全体なのでしょうか。それとも、中産階級に属しておりながら労働者のような考え方をしている人に、「けしからん」と、おっしゃっているのでしょうか。
つまらぬ感想を述べて申し訳ありません。
投稿: 村上建夫 | 2006年4月 7日 (金) 19時22分