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2006年4月21日 (金)

労働時間のものさし・時間の捉え方

 8回目のブログです。

 8回目にはいりましたので、ブログの感想を述べてみます。
 週に1回だけブログに投稿するということで、非常に簡単に考えていましたが、中々
そうでもありません。上手く纏めようとしますと、結構気を遣います。該博な知識とか、
豊かな表現力とか、ほとばしる情熱でもあれば、楽に投稿できるのでしょうが、そんな
ものは持ち合わせていませんので、変な努力は止して、まあ、気楽にすすめてみます。
 
 前回は7回目ですから、ラッキー7、今回は8回目ですから、末広がり。私たち日本
人は数字合わせ、ゴロ合わせが大層好きですから、(ひょっとして、私だけでしょうか)
今回は7にかかわったことを記してみましょう。

 古は室町時代、時の有力者、細川頼之の慨嘆だったでしょうか、“人生50功無き
を恥ず”の言葉に代表されるように、人生は永くて50年でした。打って変わって、現
代は70才、80才もザラにいる時代となってきました。

  しかし、私たちは生まれてからこの方、人間としてどの程度変化、成長して来たの
でしょうか。また、現在成長過程のどの位置にあるのでしょうか。
 それに対する1つの見方として、『7年成人説』を紹介します。誰の説かは知りませ
んが、かなり以前に、ある方から教えてもらったものです。人間生まれてから、7年
毎にかくあるべしということだと思います。

         《7年成人説》  (数字は年齢)       
            
 1 ~  7  生
             8 ~ 14  整
            15 ~ 21  青
            22 ~ 28  性
            29 ~ 35  盛
            36 ~ 42  精
            43 ~ 49  政
            50 ~ 56  成
            57 ~ 63  征
            64 ~ 70  清
            71 ~ 77  聖(正)


 振り返ってみて、私は内心忸怩たるものがあります。
 みなさんも、自分の年齢に当てはめてみてください。さらに、周辺の方々を当てはめ
てみては如何でしょうか。22~28才で異性に関心のない若い人、36~42才で精力
的でない社員、43~49才で政治的判断ができない幹部などなど、結構面白いと思い
ますよ。
 コメントを頂ければ幸いです。(下のコメント欄をクリックして、記入、送信してください。
簡単にできます。)

「君はサラリーマンかビジネスマンか」の第8回目です。
(毎週金曜日・30~40回を予定)
ビジネスマンへの道を示せれば幸いです。
必ずお役に立ちます。ご期待ください。


『君はサラリーマンかビジネスマンか』…⑧
[5章ー4]
労働時間のものさし

 一日に働く時間は一般的に8時間から10時間位です。私たちは、この8時間から
10時間をどのような密度で働いているでしょうか。密度の尺度を何にするかは議論
のあるところでしょうが、労働の持続力を基準に考えれば良いと思います。
 日本人は骨格が弱く、その身体的特徴から、長時間労働を持続することに耐えら
れないと言われていますが、一方欧米人は、逆に長時間労働に充分耐え得るそう
です。こと体力に関しては、民族、人種によってかなり差があるのは事実でしょう。

 ところで、欧米人はさて置き、われわれ日本人のサラリーマンやビジネスマンは
労働時間をどのように捉えているのでしょうか。

 まずサラリーマンについて見てみます。サラリーマンは労働時間を、単純に、絶対
時間として捉えるのが顕著です。
 すなわち、どのような業務内容、業務密度であれ、3時間なら3時間働けば義務を
果たしたとみなします。したがって、一日8時間が就業規則に決められていれば、
どのような結果、成果であれ、密度が薄かろうが、濃かろうが、8時間労働すれば
こと足れりとします。8時間が経過すればよいのです。労働時間が刻一刻経過する
こと、すなわち絶対時間で労働というものを捉えていると考えられます。

 では、ビジネスマンはどうでしょうか。ビジネスマンは労働時間を絶対時間として
見るのではなく、効率的時間で見るのではないでしょうか。
 たとえ3時間でも、のんべんだらりと働いているとすれば、それを労働時間とみなす
ことはしません。いかにして絶対時間を効率的な時間にしていくかが大切になって
きます。真の労働時間は密度の高いものであり、また効率も高いものです。
 少し前、テレビの引越し企業のコマーシャルにありましたが、“仕事きっちり”が真の
労働であり、“時間きっちり”だけでは真の労働とは言えません。ビジネスマンは、自分
自身、“仕事きっちり”の時間が労働時間であると理解しているに違いありません。

 このように考えてくると、普通であるならば、ビジネスマンを志向したいと思うはず
です。
 のんべんだらり云々は、京都祇園の舞妓さんにだらりの帯ならば、誠に良く似合い
ますが、ビジネスマンにだらりは全くもって似合わないのではないでしょうか。
 ビジネスマンにぴったり合うのは、効率的労働時間の感覚です。また、こういうきび
きびしたビジネスセンスの持ち主は女性からも、男性からも高く評価され、もてるに
違いありません。

[5章-5]
時間の捉え方

 一般的なサラリーマンは時間にとらわれ過ぎるように思われます。たとえ、労働で
あれ、趣味の世界であれ、友人との会話であれ、その内容を問題にするのではなく、
それに係わった時間を重視する傾向があるでしょう。
 趣味の世界や友人との会話は、楽しく気軽で肩肘も張らず、たっぷりの時間を掛
け、厳しく苦しいことには少しの時間しか掛けないのが普通です。やはり充実した
内容を志向するよりは、時間にとらわれた感じ方をもっているように思えます。

 それに反して、ビジネスマンは時間にとらわれない姿勢を持ちます。どのような
場面であれ、それに係わった内容を重視します。すなわち、あまり絶対時間を気
にせず仕事に対応していると言えるでしょう。
 それでは、ビジネスマンは時間についての計画性を有していないのかとの指摘が
出てきます。もちろん、タイムスケジュールはそれなりに重要視しますが、個々の
内容を最大に重視するのです。当然のことですが、タイムスケジュールのないビジ
ネスは考えられないし、スケジュールに縛られてビジネスの内容を疎かにすること
はしません。

 したがって、ビジネスマンは密度高く行動しますが、また一面、実質本位の、時間
と形式にとらわれない自由な精神をもっているとも言えます。

 近年のわが国では、自由の概念が本来の意味とは違って理解され、自由=放縦、
すなわち好き勝手に振舞えることが自由だと曲解しています。本来の自由の意味は、
“Freedom from~”であり、束縛からの解放を意味しています。その意味で、ビジネス
マンこそ時間という束縛から精神的に解放されており、自由の戦士と言えるかもしれ
ません。

◎次回は[5章ー6]「A f t e r  F i v e」の見方です。

 

          
 

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コメント

毎週楽しく読ませて頂いています。7年成人説は初めて知りました。面白いですね。現在58歳、「成」を過ぎて「征」の2年目。赤字事業をなんとか黒字化でき、大型投資も呼び寄せてさてこれからですが、時間の経つ早さが年々早まっている事にあせりを覚えます。部下を育てるのに待つことも重要だとおもいつつ、時間サイクルのズレにイラダチを覚える日々です。なかなか難しいものですね。続報を楽しみにしています。

投稿: 浜口訓路 | 2006年4月22日 (土) 14時02分

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