労働の位置づけ・労働の成果
7回目のブログです。
桜も散ったところも多く、例年のことながら、一抹の感懐がありますが、まだまだ見る
ことが出来る穴場的な名所も沢山あると思います。
大阪では、桜の名所として有名な大阪造幣局の通りぬけが、この12日~18日の
1週間にわたり行われています。桜の本数はおよそ360本くらいで、そんなに多くは
ありませんが、種類の多さは123種類を数えるとか言われており、まことに楽しみな
行事です。
この歴史は120年以上もあり、慈しみ、育て、守りぬいてきた財務省(旧大蔵省)
の歴史観、美的感覚、公開するという国民的センスに敬意を表したいと思います。
見事な枝振りと桜花を見ないという手はありません。既にご覧になられた方もある
でしょうが、大阪近住の方にお薦めします。
四季折々にふれ、微妙に、段々に、大胆に、劇的に変化する「自然」に、何とも言え
ない思いを寄せるのは、単に、文人墨客に限らず、日本人すべてではないでしょうか。
わが日本に生まれた幸せを感じます。
また、この自然との融合に思いを馳せるだけでなく、自然との調整、調和をいかに
志向していくかということも大切なことでしょう。
自然とわれわれ人間との関係を対峙的とみてゆくのか、融和、融合的にみてゆく
のかは、なかなか悩ましいことですが、その際、近年よく耳にする、為にするイデオロ
ギーとかイズムとかは極力排除し、日本人としての誇るべき歴史とDNA感覚に素直
に従って行くのが妥当だと考えます。
「君はサラリーマンかビジネスマンか」の第7回目です。
(毎週金曜日・30~40回を予定)
ビジネスマンへの道を示せれば幸いです。
必ずお役に立ちます。ご期待ください。
『君はサラリーマンかビジネスマンか』…⑦
[5章ー2]
労働の位置づけ
私たちは労働をどのように位置づけているでしょうか。
私たちは、何のために労働するのかとの質問に、なかなか咄嗟には答えられません。
日頃、このような難しいことを考えたことがない訳ですから、すぐに返答ができないの
は当然でしょう。
それでも、敢えて答えれば、生きるためにとか、飯のためにとか、家族を養うため
にとか、あるいはそのことが好きだからなどという人まで、千差万別の答えがでてくる
はずです。
サラリーマンとビジネスマンでどう違うのかを考えてみましょう。
サラリーマンは労働を手段としてみるのではないでしょうか。労働を何かのために
という位置づけです。労働するのも身過ぎ世過ぎであり、おまんまのために何となく
という態度です。
身過ぎ世過ぎでなければ、本当は労働(苦役)なんてしたくないものです。従って、
労働そのものに価値とか思いとかを置かず、できればスイスイと世の中を渡って
いければ幸いということにもなるのではないでしょうか。
一方、ビジネスマンは労働そのものに価値を置き、またその労働を上に記した
ように仕事として捉えているため、深い思いをめぐらしているのです。仕事をする
ことそのものに大いなる価値があるというものです。
サラリーマンとビジネスマンでは本当に、ことほど左様に異なるのでしょうか。。
ここではわかり易く二分法で説明しましたが、実際は、たとえばビジネスマンでも
労働はある意味では、生活の手段そのものでもあるといえます。
しかし、さはさりながら、ビジネスマンである以上は、自分の意識の中では、やはり、
労働=仕事として、そのものに高い価値を置きたいのではないでしょうか。
かの有名な社会学者であるマックス・ウエーバーも、資本主義精神の根幹として、
労働そのものに高い倫理価値をおいています。この場合の労働は、仕事(Work)
を意味することはいうまでもないことです。
[5章-3]
労働の成果
最近、人事考課で成果主義を全面的に取り入れる企業が増えてきています。
各自の労働の成果によって、月給やボーナスを、したがって年収を決めようという
ことですが、実際は、評価方法がなかなか難しく、いろいろ問題を起こしているのが
現状です。
完全な成果主義の根底には、評価方法や評価姿勢において、フェアーネスが
不可欠であることは、言うまでもありません。誰が考えても同じ結論に達するに
違いありません。
ところが、わが国において、人事にフェアーネスを求めるのは、木によって、魚を
求めるようなものと言っても良いのではないでしょうか。あらゆる組識のトップ、
たとえば企業経営者はフェアーネス感覚よりも、自分自身の使い勝手、好き嫌い
を基準にしがちであり、またフェアーネスの感覚が人それぞれによって意外に大きく
異なっていますから、なかなか良識的、常識的な線に納まらないのです。
企業経営者の理想は成果主義、本音は好き嫌いの心根は変えようがなく、仕方
なく、従来通りの曖昧な評価制度かちょっと新規に見せかけた評価制度に依って
いますが、今日の厳しい企業環境においては、何とかこの壁を乗り越えたいとも
考えています。
その制度を云々する前に、経営者はとにかく成果をあげて欲しいと熱望している
と思われます。そういう背景のなかで、サラリーマンとビジネスマンは労働の成果に
関してどのように見ているのでしょうか。
ビジネスマンは自らの仕事の中で、労働の成果に最大のウエイトを置いています。
その成果をあげるために、全力を傾注しようとするでしょう。どのように仕事をしよう
とも、成果あっての充実感であり、ある意味で仕事とは成果そのものであると考える
ものです。
一方、サラリーマンは労働の成果を一応求めはするが、それには軽いウエイトか
一定のウエイトしか置いていません。彼らはどちらかと言えば、成果よりも他のこと、
すなわち、自分にとって楽しいかどうか、自分自身に関心のあることかどうか、
アフターファイブを確保できるかどうかなどに主眼を置いているのではないでしょうか。
偉大なる成果を求めて、わき目も振らず、全力投球し、一所懸命にならなくてもよい
ではないかというのが本音だと思います。
このように見てくると、会社の業績をあげるには、ビジネスマンをいかにして増やす
かにかかわってくるといっても過言ではありません。そのためには、インセンティブ
制度に基づく成果主義を設けなければならないでしょう。
成果主義の内容を如何にするかは、その企業の歴史や取り巻く環境、経営者の
取り組む姿勢により、大きく異なります。
なにはともあれ、現状、わが国では労働の成果についての考え方が、不充分で、
徹底さを欠いており、今や真摯に、真剣に考えられなければならない重要なテーマ
であることを指摘しておきたいと思います。
◎次回は[5章ー4]労働時間のものさし、[5章ー5]時間の捉え方です。
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