ビジネスマンの武器・コミュニケーション
16回目のブログです。
いよいよ梅雨に入りつつありますが、この鬱陶しさに加えて、さらに鬱陶しくなる経
験を毎日のようにしています。みなさんもおそらく経験をもっておられるでしょうが、
それは、電車内での女性の化粧です。
高校生や20代(あるいはそれ以上も)の女性が、車内で、パフ、マスカラ、口紅、
頬紅、アイライン、眉毛描きなどを、鏡のなかで、没頭する姿を日常のごとく見ます。
私などは、それを非常に見苦しいと思っています。
こういうことを言えば、女性の敵になりそうですが、そういう女性は本当に品があり
ませんね。どうして家で、密かに化粧をしないのでしょうか。
古、世阿弥は、かの有名な『風姿花伝』書のなかで、舞台での感動が花であり、珍
しさであり、面白さであると言っていますが、その根本は意外性であり、その舞台裏
を見せれば、感動は半減すると述べています。
世阿弥の有名な言葉“秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず”は非常に含蓄
のある言葉だと思います。ほんとうに美しくありたいと望むのであるならば、お化粧
は密かに、“家という舞台裏”で行ってほしいものですね。
ところで、こういった現象は一部の若い女性に限られたものではありません。
たとえば、わが国最古の伝統であり、わが国柄の至宝ともいうべき「皇室」をテー
マにしたことでも、政治家、識者、メディア(田原総一郎氏、みのもんた氏、筑紫
哲也氏などのTVや新聞、雑誌)は“声高に、下品に”わめき散らしています。
このようなわが国の将来にとって極めて重大なことに関しては、それこそ“秘すれ
ば花”の精神で、静かに真摯に語っていただき、最終的には、温厚篤実なその道
の碩学、京都産業大学教授の所功先生のような方にお任せするのが一番良いの
ではないかと思う次第です。
みなさまのご意見はいかがでしょうか。
「君はサラリーマンかビジネスマンか」の第16目です。
(毎週金曜日・30~40回を予定)
ビジネスマンへの道を示せれば幸いです。
必ずお役に立ちます。ご期待ください。
『君はサラリーマンかビジネスマンか』…⑯
[6章]
ビジネスマンの武器
[6章ー4]
コミュニケーション
人間関係ほど難しいことはありません。大抵の人は、組織の中で人間関係が上手
く行かずに悩んだ経験を持っているのではないでしょうか。経営学という学問のなか
に、人間関係論とかヒューマンリレーションズの科目があることから見ても、それなり
に重要なテーマと言えるでしょう。
人間社会が人と人で構成されている限りにおいては、人間関係は古来大きなテー
マでありました。紀元前五百年前、かの孔子の哲学を表わした「論語」には、国家の
経綸、組織論はもちろんではありますが、かなりの部分が人間関係の機微について
書かれています。
したがって、東洋の古典中の古典といわれる論語を読めば、人間関係の本質につ
いては、全てが理解できると言われています。また、この論語に書かれた内容、エッ
センスは現代にもほとんど全てと言ってよいくらい通用すると思われます。
しかしながら、論語を全て読み、理解するのはなかなか容易ではありません。高校
生の時、漢文科目を選択した人は少し触れたことになるでしょうが、今、社会人として、
一度は通しで読んでみるのも価値のあることではないでしょうか。
現代の学校教育では、人間の本質を語り、理解させてくれるであろう古典や歴史が
著しく軽視されていたり、あるいはイデオロギー的に歪曲されているのが実態です。
したがって、論語などの古典や、正統な歴史を読めば、論語通とか古典通とか言わ
れて、周囲より高い評価を受けるようになるに違いありません。
ところで、現代においての人間関係の中心はコミュニケーションであり、今や、コミュ
ニケーションの有り様が重要なテーマとなっているといっても過言ではないでしょう。
真のコミュニケーションのない所に健全な組織はありえず、健全な組織の拡大発展を
願うならば、ビジネスマンとしては、コミュニケーション論についての自分なりの答えを
持つ必要があります。
言い古された言葉ですが、コミュニケーションの極意は“報”“連”“相”です。すなわ
ち、報告、連絡、相談です。組織の上下関係のなかで、日常的に「報・連・相」が行わ
れていれば、危機管理にも力を発揮し、大きな社会問題を起こすまでには至らない
でしょう。
組織のなかで、上に行けば行くほど孤独、孤立の状態になるのが常であると考えな
ければなりません。その孤立状態が続けば、いわゆる裸の王様になるのです。しかし、
人間は弱い存在で、孤独、孤立に耐えられず、何らかの接点を求めています。上司
は部下からの報告でもよい、連絡でもよい、相談ならもっとよい、何でもよい、常に待
っている状態です。石原裕次郎の歌ではありませんが、“♪俺は待ってるぜ”です。
したがって、報・連・相はコミュニケーションの基本ではありますが、誤解を恐れずに
言えば、ある意味で良質のゴマスリともいえるのです。その意味からして、もっと頻繁
に報・連・相を行ってもよいのではないでしょうか。報・連・相をおこなうことで、得はあ
っても何の損もありません。
ある中堅の会社では、ボーナスの支給時に“ほうれん草(本物の野菜)”を併せて支
給するそうです。社長としては、社員に報連相人間になって欲しいと思い、野菜の現
物支給となった次第です。ユーモアと見るべきか、そこまでしなくてもと見るべきか、
はたして………。
コミュニケーションは報・連・相だけでこと足れりというわけではありません。従来の
組織では、クリスマスツリーのように、上から下へ段々に伝達されていました。例えば、
取締役から部長へ、部長から課長へ、課長から課員へというように上から下に拡が
りつつ降りていくシステムでした。
しかし、今や情報化時代と言われ、組織という組織はネットワーク型の組織に移行
しつつあります。色々な地位肩書きを超えて情報を発信し、コミュニケーションの実を
挙げなければならなくなっています。
ネットワーク型組識、あるいはネットワーク型コミュニケーションは、コンピューター
の発達により、今や、さまざまなIT技術の急速な進展により、何の問題もなく可能に
なりました。ネットワーク型組識はどのレベルの人でも情報を共有できるとともに、相
互にやりとりできるため、コミュニケーションの広がりがますます強烈になってゆきま
す。
したがって、自分自身の所属する組織だけでなく、外部の人や組織とのコミュニケ
ーションも非常に重要になってきます。
現代は、社会全体が激動の真っ只中にあり、社内ネットワーク型ビジネスマンでは
乗り越えられない可能性が高いと考えられます。これからの時代は、社内はもとより、
社外の様々な人、どんな組識ともコミュニケーションできるスーパーネットワーク型
ビジネスマンを志向する必要があります。それによって、21世紀の難局を乗り越え
なければなりません。
◎次回は[6章ー5]
自己啓発
です。
| 固定リンク
コメント