大型ビジネスマンになろう・多元的価値
30回目のブログです。
本格的に秋を感ずるようになりました。それにしても、いろいろな事件が立て続けに
起こっていますが、どうも近年は、「正義の基準」に大きなブレが生じてきているので
はないでしょうか。
象徴的な例として、ライブドア事件の堀江貴文前社長の裁判と、岐阜県裏金問題の
梶原拓前知事の認識について考えてみます。
新聞やテレビの報道によりますと、ライブドア事件では、堀江前社長は粉飾決算に
ついては、すべて部下の役員が行ったことであり、自分は一切タッチしていないと主
張しているそうです。弁護人も強力にそう述べ、だから無罪であると主張しています。
しかし、待ってほしい。たとえ、部下が行ったことだとしても(そんなことは、企業組織
では、ありえませんが)、責任は、トップすなわち社長にあると認識するのが、常識です。
弁護士(検察出身)もそんなことの認識すらないのでしょうか。弁護士はもちろんのこと、
上場企業の社長といえども、国家のリーダーであり、藩屏であるとするならば、ために
する発言は控えてほしいものです。
粉飾決算の有無が争われるべきで、責任はトップにあるというのは、自明ではない
でしょうか。
社長は何のために存在するのかということを考えてもらいたいとおもいます。
企業のトップは、事業展開を指揮するとともに、結果がどうであれ、責任を負わなけ
ればなりません。これこそ、正義の基準というものです。
岐阜県の裏金問題は、もう開いた口が塞がりません。17億円の裏金を、表向きは
知らなかったという、梶原前知事は自らの責任を自覚していません。こんな人が地方
分権の華々しい旗手だったんです。正義の基準はどこへ行ったのでしょうか。
非常識な論、非常識な正義の基準が大手を振って横行しています。民も、官も。犯
罪が立証できさえすれば、厳罰を科されんことを望むや切なるものがあります。
みなさんはどのようにお考えですか。
「君はサラリーマンかビジネスマンか」の第30回目です。
(毎週金曜日・30~40回を予定)
ビジネスマンへの道をしめせれば幸いです。
必ずお役に立ちます。ご期待ください。
『君はサラリーマンかビジネスマンか』…30
[8章]大型ビジネスマンになろう
[8章―6]多元的価値
現代は価値観の安定しない時代と言えるでしょう。価値観は、国家、民族、歴史、経
済状態などにより形成されますが、時代環境の変化があまりにも激しく、かつ社会的
リーダー達の「公」の倫理感が薄らいでくると、緩やかな価値観の共有が崩れ、連帯
感の喪失に結びつき、社会不安が醸し出されてくると言われています。今のわが国
がまさしく、そのままそっくり当てはまります。
経済的側面から見てみましょう。いわゆる大東亜戦争(第二次世界大戦)からこのか
た、食うや食わずの時代から、高度成長をヘ、いわゆるバブル絶頂に至り、わが世の
春を永遠に謳歌できると思い上がったとたんに、バブル崩壊となりました。バブル崩
壊後10数年にわたり塗炭の苦しみを味わい、やっと回復基調へのステップを踏んで
いるのが現在です。 また、バブル時代を防ぎ得なかった社会の上層部のうち、その
実質的な責任者で責任を取った者は皆無です。
政治的側面からも見てみます。戦時中からの反動で、国内ジャーナリストや進歩的文
化人、大学教授を含む教育者たちが、反日本国家、反日本民族、反日本歴史のムー
ドづくりに参画し、その大半の人は、ソ連・中国・北朝鮮・東欧などの共産主義国を理
想としました。しかし、ソ連・東欧は瓦解し、共産主義が歴史的に世界で否定されたに
もかかわらず、それを推進し、若い世代に教育したいわゆる進歩的文化人で、責任を
取った者もまた皆無なのです。
このような社会的リーダーの無責任極まりない姿勢から、価値観の喪失を来しており、
現況はさらに進展し、虚無の感覚が横溢した社会になってきているのではないでしょう
か。
マスメディアでは大衆社会、大衆迎合社会の到来として、それをほとんど肯定的に報
道していますが、ジャーナリストとして、本当に信念をもって報道しているかは疑わしの
ではないでしょうか。マスメディアもまた無責任です。ポピュリズム社会が来ればどんな
事態になるのかの洞察を抜きにして、軽軽にはやし立てるべきではないにもかかわら
ず、大衆に迎合し、あるいは大衆を扇動し、浮かれているのが今の姿です。
人間はひとりで生きては行けません。家族なり、隣人なり、会社、仕事仲間などと共に
生きる共同体的、社会的存在です。したがって、共通した価値観を共有しなければ、何
でもシニカルに虚無的に見勝ちであり、社会が暴力的になり、崩壊してゆくでしょう。
この点に関しては、世界的に著名な社会学者コーンハウザーの「大衆社会の政治」が
大変参考になります。この著書では現代社会の真の悩みとその処方箋が明快に論じ
られています。
これからの社会はどの方向を目指せばよいのか。彼は社会の状態を四つに分類して
います。
①全体主義社会
②貴族主義社会
③多元社会
④大衆社会
現代の世相を見ればほとんどの人が大衆社会、ポプュリズム(大衆迎合主義)である
と言うに違いありません。マスメディア特にテレビを見ればそう断ぜざるを得ません。
国家観、歴史観を欠いた人物で、枝葉末節にかまけたり、大衆迎合の発言をしたり、
映りを良くすることにのみ注力したり、もとから下品であったりする人物が、わが国の
枢要な地位についています。こういう社会は政策にも一貫性がなく、いつもふらふらし
ており、付和雷同タイプであり、最後は全体主義・独裁国家になる可能性が高いとい
えるでしょう。
したがって、わたし達ビジネスマンはこれからのわが国の向かうべき方向として、より
安定した社会で、寛容性に富み、自由度も高い多元社会を目指すことがベストである
との認識を持たねばなりません。お互いの多元的な価値観を認め合う社会を志向し、
自分自身に多様な価値観を包含するよう努めねばならないのです。
そのためには、自分の雇用されている会社や役所だけでなく、特にプライベートな面
においては、色々な組織に属し、切磋琢磨することが望ましいと思われます。その組
識は、自分の心の安らぐもの、落着くもの、充実感を得られるもの、楽しいものであれ
ばなんでも良いのではないでしょうか。テニスクラブでも俳句の会でも地域研究会でも
なんでもよいのです。
多様な組識はそれぞれ多様な価値観を有しているのが普通です。
したがって、複数の組織に属すれば、自分自身が、一本太い幹の価値観は持ってい
るが、その周りに多様な価値観で包むことができ、精神的に安定します。そういう人が
多くいれば社会全体も安定するのは必定です。この多元的社会は容易には全体主義
社会、大衆社会には移行しないでしょう。
そうはいっても、一旦全体主義社会・独裁国家になれば取り返しがつかないので、
常に、目を光らせる必要があるし、大衆社会を回避する施策を講じなければなりませ
ん。
わが国の現状を見ますと、全体主義、独裁主義を信奉している政治組織、宗教組織、
市民組織など、ありとあらゆる場所に群生していると言えます。警戒が必要です。
何はともあれ、大型のビジネスマンはわが国の目指すべき方向まで考えなければなり
ません。
次回は
[8章]大型ビジネスマンになろう
[8章―6]ベンチャー精神の発揮
です。
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