ビジネスマンの心構え・志
38回目のブログです。
秋も深まり、山々の紅葉も麗しさをいやが上にも誇っているように見えます。
もう、冬も間近なところに来ているのでしょうか。そんな感じもする今日このごろ
です。
このブログも3月3日に1回目をスタートし、毎週金曜日、最初は楽しみながら、
夏ごろは中だるみ、秋口には多少の苦しみも味わいながら、やっと38回目に
たどり着きました。
今回で、「君はサラリーマンかビジネスマンか」という小論を終わりますが、
ちょっと振り返ってみます。構成は、下記の通りとなりました。
序章 君はサラリーマンかビジネスマンか
2章 ビジネスマンへの道
3章 充実感と生きがい
4章 2・2・6の組織理論
5章 サラリーマンとビジネスマンはどう違うか(10項目)
6章 ビジネスマンの武器(5〃)
7章 ビジネスマン必勝法(7〃)
8章 大型ビジネスマンになろう(7〃)
9章 ビジネスマンの心構え(7〃)
内容は、私なりの独断と偏見に満ち満ちていたとは思いますが、それでも、乏し
いことは承知していますが、極力、自分の体験、経験の中から抽出、纏めたつも
りです。その中で、多少は、新しい切り口も示すことができたのではないかと微か
な自負も持っていますが、みなさんの判定はいかがでしょうか。
この小論について、ぜひ、ご感想をお聞かせください。
このブログの閲覧者のなかには、この小論よりも、前説(イントロ)の時事エッセ
ーの方に大層興味を抱いていただいた方々も多くおられますが、それこそ、乏しい
知識に加え、他人と異なった切り口をネタに発信したものですから、とにかく、汗顔
の至り、穴に入りたいほどです。
今後しばらくは、小論は休憩させていただき、充電したいと思います。したがっ
て、これからは、当分、時事エッセーのみのブログとなりますが、引き続き、お目
をお通しいただければ幸いです。もっとも、これは、もうちょっと、切れを良くした
いと考えています。
次週、次々週は、これまでの38回分のなかでの、いわゆる好評ベストスリー
(時事エッセー3、小論3)をご報告します。
「君はサラリーマンかビジネスマンか」の第38回目です。
(3/3より毎週金曜日・今回で最終)
ビジネスマンへの道をしめせれば幸いです。
必ずお役に立ちます。ご期待ください。
『君はサラリーマンかビジネスマンか』…38
[9章]ビジネスマンの心構え
[9章-7]志
長いビジネスマン生活の中で、山あり、谷あり、喜びあり、悲しみあり、いろいろ
な場面を幾度も経験しますが、非常につらく、苦悩する時があります。その時とは、
自分の所属する企業、組織の方向が、国家社会のためにならず、短期的な、
場合によっては違法的な私益の追求をする時です。
おそらく全てのビジネスマンがその渦中で苦しんだ経験を持っているはずです。
もしも、そのような悩みを経験しなかったとしたら、その人は、おそらく、たまたま
そういう場面に遭遇しなかったか、あるいは、重要な仕事を任されなかったかの
どちらかでしょう。
今日でも、企業、官庁やいろんな組織の犯罪、違法活動、違反行為が報道され
ない日がありません。最近でも、イラン向けに、核兵器開発に転用可能な3次元
測定器を違法輸出した、精密機器製造会社の例があります。おそらくは、この
会社に働く人達もこの違法性に気づいていたのでしょうが、上層部の指示に逆ら
えなかったと思われます。
この時、ビジネスマンはどのように対応すればよいのでしょうか。それは、ビジ
ネスをどのように見るのかということに尽きると思います。ビジネスは、国家、社会
の福利向上のために、所属する企業、組織の極大の利益を確保しようとする経済
活動です。そうであるとするならば、世界の中の日本、日本の中の企業と位置付
けるとともに、継続、存続の重要性を認識し、社会性のあるビジネス活動に留意
する必要があります。
ビジネスマンの志の真髄はここにあり、この観点から、自己の主張を行わなけ
ればなりません。志を失えば、それは、真のビジネスマンとは言えないのではない
でしょうか。
最近の風潮において、社会性の観点がかなり薄れてきていますが、この点に
ついて、碩学、故京都大学教授、高坂正堯先生は次のように述べておられます。
『この2~30年間、とみに私論と公論、私益と公益の区別がつかなくなってきた。
今日では私論を合わせれば世論となり、私益を合計すれば公益になるかのよう
に考えられている。
しかし、実はそうではない。公共の問題を論ずるときに、私的な立場からそうして
も答えは得られない。たとえば、税金を払う際に、自分はこれこれのことをして欲
しいから、そのための税金は払うが、それ以外のことに使われるカネは払わない
と、国民の全てが言い出したならば、およそ収拾のつかない混乱が生ずるであろ
う。もちろん、私益を簡単に否定し、国益至上主義になるのはよくないけれども、
国益というものは存在するし、それは時によっては、だれの得にも直接にはなら
ず、かえって犠牲のみを強いることもある。
それでも、国益や公益は守られなくてはならない。
政治や経済、さらには教育や文化の問題を論ずるときには、そうした公共の利
益が存在することを前提にし、人間にはすべて偏見があることを認めつつ、しかも
なお、公共の立場にたつように努力しなくてはならない。
最近の日本がすべて悪くなたというつもりは私にはないけれども、公共の立場
からの議論が少なくなったことは否定できない。』
ビジネスマンは、この高坂先生の言葉をしっかりと頭に入れる必要があるで
しょう。
わたし達は、「志」というものは、公の観点にのみ存在することをあらためて認識
しなければなりません。
(ビジネスマン論の最後に、恩師、高坂正堯先生の言葉を引用できました
ことに感激を覚えるとともに、みなさま方の、38回に亘る永いお付き合
いに、心より感謝申し上げます。 了 )
次回は
時事エッセー・好評ベストスリー
です。
(「君はサラリーマンかビジネスマンか」の小論はこれで終わりました。
小論についてのご感想を、ぜひご投稿願います。)
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コメント
通実さんへ、
永らく「君はサラリーマンかビジネスマンか」をお読みいただき、感謝します。
最後の項を「ビジネスマンの心構えー志ー」としましたが、通実さんのおっしゃるように、官僚が公の感覚を喪失したことが、社会の全体的な崩壊に結びついてきたといえるでしょう。
ご指摘のように、その基本が「本質的な教育」にあると考えます。
これからは、小手先の教育論ではなく、教育というものの本質からの議論を望みたいと思います。
また、自分なりにも、考えてみます。
こんごとも、よろしくお願いします。
投稿: のんちゃん | 2006年11月20日 (月) 11時08分
野宗さん、ご苦労さんでした。
予定調和説的に私益の延長・集合上に公益があるのではなく
質的に全然異なるものです。
しかし90年代は公益を代表すべき官僚の権威(これこそ公益を基盤の
上にしか咲かない花)が失墜した時代です。
失墜したので政治の要諦である「よらしむべし政治」が出来なくなった。基本的なエリート層のバックボーンが点取り主義で喪失したということです。
次からは教育論を期待します。
投稿: 通実 | 2006年11月19日 (日) 15時09分