« 時事エッセー・戦後60年、歪められた自画像 | トップページ | 時事エッセー・色彩のことば »

2007年1月 5日 (金)

時事エッセー・正月考

 45回目のブログです。

 皆様、あけましておめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 今年は、平成19年、丁亥(ひのとい)、紀元2667年、西暦2007年ですが、
あらためて記してみると、わが国の歴史が2667年という永さに感嘆せざるを
得ません。先達が、上下こもごも、営々と築き上げてきた歴史の重みは、ある
意味で、素晴らしいと感ずるともに、厳粛にもさせられます。

 昨年3月よりスタートしましたこのブログも、新しい年を迎え、更に充実したも
のになるよう精進してゆきます。とは言いましても、あまり肩肘を張らず、率直
な発言を心がけたいと思います。

 ところで、皆さんはこの正月をどのように過ごされたでしょうか。最近の正月
風景は、わたし達の子供のころと大きく異なり、年々、年の初め、年の区切り、
いわゆる“節目”という意識、意義付けが薄くなっているように感じます。本来
は、粛然とした国民の祝日であり、ハレの日でもあるわけですが、そのような
ことを感じさせる風景が、薄いというより、弱くなってきているのではないでしょ
うか。たとえば、国旗、日の丸も、ところどころにしか翻っていないことを見ても、
社会全体が、生き生きとした、Vividな状態ではなく、鈍感な不感症という病理
に入っているのではないかと危惧します。

 それでも、数千万人という老若男女が、神社、仏閣に初詣、参拝するという
ことは、まだまだ安心できる心象風景かもしれません。

 幼いころの正月風景は、いま憶い出しても、懐かしさを覚えますが、これは、
人によってかなり異なった記憶となっているはずです。当然ながら、北の雪国
と南の温暖な地方では大きく違うでしょうし、市町村の風習や、家族、家系の
習慣によっても大きく異なります。

 それでも、わが日本の風土は、東西南北、多様な環境であったとしても、
“叙情と叙景”の心象風景を共有するという特徴を有していると思われます。
神社仏閣への初詣により、家族、自分自身、関係する人達の今年の幸せを
祈るとともに、1月1日という特別な日の凛とした風景に、清清しさを覚えます。
たとえ、昨日までと同じ状況の延長であっても、一部の為にするイデオロギスト
は別として、全ての人が、このような心象を抱くのではないでしょうか。

 わたしの正月の経験は、餅つき、大掃除、お年玉、おせち料理、お宮参りな
ど、それなりに一般的ですが、他所の家と大きく違うのは、ゲームや遊びです。
もちろん、凧上げ、独楽回しなどは野原や庭で何回も遊びましたが、室内での
ゲームは非常に貴重な経験をしたと思っています。幼稚園位の幼い時から、
「花札」、「かるた」、「トランプ」、「百人一首」を経験したのです。これは、正月
だけに許されたゲームでした。

 花札なんていえば、バクチかと叱られそうですが、花札に描かれたモチーフ
は、わが日本の花鳥風月
であり、その芸術的表現です。全ての札が芸術的表
現ですが、そのなかでも、種々の組み合わせである、梅・松・桜、赤丹、青丹、
猪・鹿・蝶、月見に一杯、花見に一杯などの役牌は、それこそ、花鳥風月をデ
フォルメした現代美術に通ずる素晴らしいイラストと言うことも出来ます。
 後年パリコレの一端に加われたのも、この花札の好もしい影響かとも考えて
います。
 
 花札は花鳥風月ですが、トランプは社会構造を表わしています。キング、
クイーン、ジャック、その他いろいろな階級があり、その強弱も固定的ではなく、
変動もするという、なかなか面白いゲームです。考えようによっては、国家体制、
経済構造、戦争、階級周流などの側面も含んでおり、示唆することも結構ある
のではないでしょうか。
 後年経済学の一端に触れることになったのも、些か、このトランプゲームの
影響かとも思います。

 百人一首は、幼い時から空で覚えており、平安朝の平和で優雅な時代風潮や、
五七五七七の風雅な調べは甘い香りとして、頭の隅に記憶しています。わが家
での、この和歌の読み方(調べ)は、歌会始めの悠遠典雅な平安調や、万葉学
者犬養孝先生の清々しく素朴な万葉調ではなく、もっとも一般的な調べでした。
今では、わたしは、学生のころ習った、犬養先生の万葉調(犬養節)を最も好ん
でいます。
 後年、わが国の文化に深い関心を持つようになったのも、明確ではありません
が、この百人一首が要因ではないかと思量します。

 繰り返しますが、これらの遊びは、幼い時から、正月だけに許された遊びでし
た。それだけに、われながら、印象深いものがあります。
 
 何はともあれ、正月のような節目の時には、記憶に残るようなこと(遊びであ
れ、参詣であれ、何であれ)を、家族のため、社会のために行うのが大切では
ないかと、あらためて感じた次第です。

 みなさんはどのように考えられますか。

次回は
時事エッセー
です。

|

« 時事エッセー・戦後60年、歪められた自画像 | トップページ | 時事エッセー・色彩のことば »

コメント

hiromichit1013さんへ

簡潔かつ重厚な年賀状に深く感謝申しあげます。
今年も、世間では、色々あると予想されますが、
お互いに頑張りましょう。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
                    

投稿: のんちゃん | 2007年1月 5日 (金) 19時04分

 謹賀新年
 本年も相変わらずよろしくお願い申し上げます。
 致致格物
 平成丁亥19年
 皇紀2667年
 西暦2007年

投稿: hiromichit1013 | 2007年1月 5日 (金) 11時42分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 時事エッセー・正月考:

« 時事エッセー・戦後60年、歪められた自画像 | トップページ | 時事エッセー・色彩のことば »