時事エッセー・言葉狩り
52回目のブログです。
先週は「人間性の喪失」をテーマにしましたが、今週は、「言葉狩り」について
考えてみます。それにしても、最近の政治家やメディアは大層ヒステリックにな
ったものですね。通常国会の冒頭で、全野党幹部、なかんずく女性議員等が、
柳沢厚生労働大臣のいわゆる失言に対して、ヒステリックなほどの謝罪と辞任
を要求しました。政治家の発言は、政略と駆け引きとえげつない誹謗が常では
ありますが、それにしても、政治の本質から外れた言動だと考えます。正確な
発言をもとに、冷静になって判断してみましょう。
柳沢厚生労働大臣の発言(1/27)
『特に、今度我々が考えている2030年ということになりますと、2030年に例え
ば、まあ20歳になる人を考えると、今いくつ、もう7、8歳になってなくてはい
けないんですよ。もう生まれちゃってるんですよ。2030年のときに20歳で頑
張っている人とか、やってくれる人はですね。
そういうようなことで、後は、産む機械って言ってはなんだけども、装置の数
がもう決っちゃったということになると、機械って言っちゃ何だけど、機械って
言ってごめんなさいね。その産む役目の人が1人あたまで頑張ってもらうし
かないんですよ。みなさん、もうね、役人の人からいわれるんですが、2030
年には大臣、勝負は決っているんです。こう言われちゃうんです。
で、今どれくらい1人あたまで産んでくれるかというと、それが合計特殊出生
率というこむずかしい名前で呼ばれる事実なんですね。今は日本は1.26、
去年は1.29だったんです』
菅直人民主党代表代行(1月愛知県知事選)
『愛知や東京は生産性が高いといわれるが、子どもを産む生産性は低い』
柳沢大臣は、「産む機械・装置」という即物的な言葉の故に、マスメディアを中
心として、野党幹部、女性議員から総スカンにあうとともに、強烈なる罵倒と嘲り
を受けました。一方、菅代表代行は、「生産性」という同じように即物的な表現を
しましたが、野党幹部のせいでしょうか、メディアと女性議員の暖かい好意により、
それほど大きな問題となっていません。そう言う意味では、柳沢大臣の大騒ぎは、
所詮、党利党略であったこと言えるでしょう。
政治家に品格を求めるのは、八百屋で魚を求めるようなものですが、「機械・
装置」、「生産性」などの言葉を女性の出産、子どもの出生に使用するのは、些
か品性に欠けるところがあると思います。また、この語彙には、品位の香りをか
ぐこともできません。そうは言っても、その単語だけを聞けば、ちょっと嫌な気持
ちになるのは事実ですが、言わんとする内容は、前後の脈絡から判断すれば、
そんなに、ヒステリックになるほどのことではないと考えます。
経済学とか統計学などでは、情緒、心情、感情、人情などの心の側面は捨象し、
即物的、機械的に数字を扱いますから、あまり、そのなかの一部の単語を取り
出して、非難したり、論うことは避けなければならないと思います。
本質的なことは、この言葉ではなく、かれら有力政治家(柳沢氏・菅氏)の具体
的な政策を問うべきであり、また、かれらは、用語論争で謝罪するのではなく、
堂々と自己の政策を開陳すべきではないでしょうか。今や、少子化対策は喫緊
の重要課題ですから。
それにしても、最近は、“言葉狩り”が横行しすぎています。これは、マスメディ
アの自殺行為ではないでしょうか。マスメディアは、言論の真の自由を基盤にの
み存在するものであり、自ら首を絞めるような“言葉狩り”を推進するのは、どう
みても、納得がいきません。おそらく、マスメディアは、言論よりも、イデオロギー
と政略を優先していると見て間違いないでしょう。このまま行けば、真の言論は
行われなくなりますね。
思い出してみましょう。平成12年の森首相の発言から
『言いたいことは、私は、人の命というものはお父さまお母さまから頂いたもの、
しかし、もっと端的に言えば神様から頂いたものだ。神様から頂いた命は、
まず自分の命を大切にしなければならないし、人様の命もあやめてはなら
ない。ということが基本でなければならない。その基本のことがなぜ子供た
ちが理解していないのか。いや、子供たちに教えていない親たちや学校の
先生や社会の方が悪いんだといえば、私はそのとおりだと思う。・・・
お父様、お母様から頂いたことは間違いない。しかし、この人間の体ほど、
不思議なものはない。これは神様から頂いたものということしかない。そう
みんなで信じようじゃないか。神様であれ、仏様であれ、それこそ天照大神
であれ、神武天皇であれ、親鸞聖人さんであれ、日蓮さんであれ宗教は心
に宿る文化なんですから。そういうことをみんな大事にしようということをもっ
と教育の現場で何で言えないのかなあ、「信教の自由だから触れてはいけ
ない」のか、そうではない。信教の自由だからどの宗教も、神も仏も大事に
しよう。ということを学校でも社会でも家庭でも言うということが私はもっと
もっと今の日本の、精神論から言えば、一番大事なことではないか、こう思
うのです。』
これを読めば分かるように、森首相の主張は、最近の青少年が簡単に人を殺
したり、いじめたりするのは、人の命の大切さを教えられていないことが原因であ
り、それを是正するためには、人間の命の不思議さを感じさせ、神仏への敬虔な
心を身につけさせなければならないということだったのです。
これにたいして、たとえば、朝日の社説は「天皇を中心とした神の国」という前説
の一部の言葉尻をとらえて、「深刻かつ重大」と煽るように非難しました。森首相
の話は、朝日新聞が論じたような天皇主権や、国家神道などという話とは、およそ
かけ離れた「教育問題」がテーマでした。ここにも、言葉狩りを見てとれます。ひと
つの単語(One Word)、ひとつの成句(One Phrase)のみをとりあげ、論難し、
全体の主張、論調を見ようとしない傾向は、どう考えても異常ではないでしょうか。
近年、人権擁護団体や業界団体から言葉の規制を求められ、どんどん使用
範囲が狭められています。もう、無茶苦茶と言えます。
・ 「メッキがはげた」×(業界団体から、最近のメッキは剥げないとクレーム)
・ 「将棋倒し」×(将棋団体からイメージが悪くなるとクレーム)
・ 「父の日」×(子供のいない夫婦や両親の揃っていない子供に精神的苦痛
を与え、差別することになるという意見)
・ 「母の日」×( 〃 )
・ 「馬鹿」×(物言えぬ馬や鹿を差別しているという考え方)
・ 「看護婦」×(両性を意味しなければ駄目、→看護師)
・ 「サドンデス」×(殺すと言う言葉が駄目、→ゴールデンゴール)
・ 「精神分裂症」×(心の病を意味する言葉は駄目、→統合失調症)
差別用語のやみくもな排除をベースにした言葉狩りによって、何か、得るもの
はあるのでしょうか。この点に関しては、特にマスメディアの方々に聞きたいと思
います。内心は、こんなことでは、ものごとの本質に迫る文章や論説を書けない
のではないかと感じているのではないでしょうか。
たった今のわが国の言論は、似非人権主義者に振り回されているといっても
過言ではありません。もちろん、人権主義者のなかには、真っ当に人権を考えて
いる人も一部にはいるのでしょうが、似非人権主義者(これも差別用語?)が大
手を振っています。
たしかに、差別用語(家柄・階級・学歴・思想・障害者・地域・収入・職業・人種・
性差・部落・容姿・年齢・民族・信仰など広範囲にあり)を使用しない方が良いと
は思いますが、“言葉狩り”というのは、度を越した単なる過剰な言語規制であり、
言葉を変更しても、本質は変わっていないことを理解しなければなりません。
その意味で、極端な差別用語は使わないにしても、何もかもに差別、人権の網
を張った広範囲な言語規制は、避けるべきであると考えます。また、あまりにも、
差別や人権を強調すれば、既に一部に見られるように、逆差別現象が生ずる
ようになり、新たな社会不安を醸し出すことになりかねません。
今回の言葉狩りを扇動した、マスメディア(新聞・TV・雑誌、―意外にWEBは
冷静でしたー)と政治家に対し、大いなる疑問を呈します。ギスギスした、ヒステ
リックな言葉狩りを止め、もっと穏やかな本来の日本人に帰り、本質の議論を
しようではありませんか。
みなさんはどのようにお考えになりますか。
次回は
時事エッセー
です。
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