時事エッセー・人間性の喪失
51回目のブログです。
先週は「責任感の喪失」をテーマにしましたが、今週は、「人間性の喪失」につ
いて考えてみます。喪失という語感から言えば、元は有していたが、今は失って
しまった風に感じますが、世の中には、社会的に上位にある人でも、元から人間
性を有していない人がいることにあらためて注目したいと思います。
わたしは、責任感のない人よりも、人間性のない人の方が、社会にとって害毒
であると考えています。人間性のない人は、他人の心、国民の精神を平気で傷
け、潤いのない機械的なイデオロギー社会を志向しています。最近、人間性の
ない人、人間性を喪失した人が社会の上層部に増えており、由々しき現象となっ
ていることを具体的に示しましょう。
社民党衆議院議員・阿部知子女史は、阪神淡路大震災について、次のように
述べました。
「阪神大震災は12年目を迎えたが、国民を災害から守ることを任務と
されているはずの自衛隊が、国による命令を受けて救援に向ったのは、
数日を経て後のことであった。日本の場合、自衛隊は軍隊ではないし、
国土保安隊として出発し、防災のためにも働くことを任務としてきた特別
な生い立ちがあるのに、である。」
(平成19年1月19日のメールマガジン)
「阪神淡路大震災では自衛隊は全く役に立たなかった」
(平成14年5月29日有事法制院内集会)
驚くべき認識ですね。あの時、①自衛隊への要請が遅れたこと、②自衛隊出
動命令が遅れたこと、③米軍をはじめとする諸外国の援助申し出を断ったこと、
などにより、死亡者が6000人にまで膨らんだ事実は消しようもありません。
また、自衛隊は要請後極めて俊敏に対応し、粉骨砕身、救助にあたったことも
厳然たる事実です。わたし達はこの目で見ています。(なお、国土保安隊という
名称は存在しません。軍事に関してはこういう基本的知識もないのでしょうか。)
阪神大震災に少しでも触れた人であれば、驚くというより、怒りを爆発させるで
しょう。時の総理大臣は、社会党(現社民党)委員長の村山富市氏であり、彼等
の自衛隊無視、軍隊蔑視、反米のイデオロギー思想の影響で、決断が大幅に遅
れたことが、ここまで被害を甚大にしました。国民の生命、人命よりも、左翼平和
イデオロギーを優先した結果です。馬鹿も休み休み言ってもらいたい。自衛隊の
最高指揮官は、日本国総理大臣の村山富市氏です。そうしたなかで、自衛隊は
全身全霊、ことに当たったのではないでしょうか。
今だに自衛隊を敵視し、蔑視し、無視し、国民の心に刃を向ける、衆議院議員、
阿部知子女史の非人間性は、人間性を喪失したのではなく、元から人間性を有
していない卑劣、卑怯な存在とみるべきでしょう。このような社会のリーダーが、
まだまだ多数いることは残念というよりは、怒りを覚えますね。
わが国の古典に万葉集という和歌集があります。この万葉集には、国の防衛
に当たる防人(さきもり)の和歌が収められています。家族から遠く離れて、国家
防衛に赴く人をめぐっての情感溢れる和歌を、人間性を喪失した方々に薦めた
いと思います。万葉の文学は、人間としての涙と心情を豊かにしてくれますし、
万葉の歴史は、太古から、国の守りに苦心してきたことを教えてくれます。最高
学歴の阿部知子女史には、不遜かも知れませんが、まだお読みでないと思われ
る人間性溢れる万葉集を、今からでも即刻読まれることを進言します。普通の人
間になられるまでは、社会のリーダーを辞められるべきではないでしょうか。
ここに、長文になりますが、阪神大震災の被災者の思いをWEBから引用しま
す。人に感謝する心をもった被災者の品格と、冷血な国政のリーダーの品性を
比較していただければ、幸いです。
《ある被災者Aさん》
被災したとき、俺はまだ中学生でした。全壊した家で、たまたま通りに近い
部屋で寝ていたので、腕の骨折だけで自力脱出できました。
奥の部屋で寝ていたオカンと妹はだめでした。なんとかしようにも、あたり
も真っ暗、俺も怪我していて手作業ではどうしようもなく、明るくなってか
らようやく近所の人に手伝ってもらって瓦礫をどけながら、必死で掘り返し
ました。でもどうしようもなかった。
半日以上たってから、自衛隊の人を見かけて夢中で助けを呼びました。
数時間以上かけたと思います。自衛隊の皆さんは瓦礫の中から母と妹を
救助してくださいました。残念ながら母も妹もすでに亡くなっておりました。
その後、家は火事で焼け落ちました。
あの時、自衛隊の皆さんが来てくださらなかったら、妹の遺骨を焼け跡
から拾うことになったのかも知れません。ボロボロになった妹の体を引き
ずり出して、「ごめんなあ」とつぶやいた自衛隊の方の顔を俺は一生忘れ
ません。
あの時は、本当にありがとうございました。それから、俺の怪我の手当て
もしていただきました。ありがとうございました。
政治家が何と言おうと、俺達はあのときの皆さんに感謝しています。
本当にありがとうございました。
《ある被災者Bさん》
私達親子は阪神淡路大震災の時、自衛隊のみなさんに大変助けていた
だきました。
震災当時、私達夫婦には6歳になる息子があり、私は神戸市役所勤務、
妻は保健婦として勤める共稼ぎをしておりました。震災直後から、二人
とも職務に忙殺されていて、息子は保育所の先生とボランティアのケース
ワーカーの方に頼らざるを得ないような状況でした。
これは、私達夫婦がいない時に起こったことで、後になって息子とお世話
になった自衛隊員から聞いたことです。
震災のあと、二月に入ったころ、息子が近所の公園で遊んでいた時に
かなり大きな余震があり、息子は「揺れ」にトラウマがあったためにその
場で動けなくなっていました。そばで給水活動をしていた若い自衛官が
息子を抱き上げてくれたそうです。息子はその自衛官の足にしがみつい
たまま震えていたと聞きました。「お兄ちゃんがいるから安心しな」って
ずっと抱きしめていてくれた、と後になって息子から聞きました。給水活
動の持ち場は、その人の上官が代わってくれたそうです。
このことは、私達はしばらくのあいだ知らないままでした。息子が小学校
二年生になったとき、「あのときのお兄ちゃんにあいたい」と聞かされ、
そのときに息子を助けてくれた自衛官のいたことをはじめて知ったのです。
息子が小学校二年になったときに、本人の口から聞かされた「お兄ちゃん」
のことは私達夫婦にとっても、直接あってお礼を言わなければならない
人になりました。
その年の七夕の笹飾りに「お兄ちゃんにあいたい」と息子が書いたのを
みて、わたしは息子の希望をかなえるべく人捜しをはじめました。記憶を
たどりながら、「たしか、あの車には、第○××大隊、と書いてあった」防
衛施設庁に電話をして、事情を話すと極めて迅速に調べてくれました。
滋賀県にあるその部隊まで息子をつれて出かけました。前もって電話で
お願いしていたので、息子は「お兄ちゃん」との再会を果たすことができ
ました。
会ったとたんに、息子が飛びつき、「おにいちゃん」も「おおきくなったなー」
と抱き上げてくれました。息子が身体をぶつけてそのうれしさを表現して
いるのを見て、あの混乱の最中、父親として満たしてやれなかった部分を
補ってくれた、この若い自衛官に頭の下がる思いでした。
息子は「お兄ちゃん」のことを「臭いお兄ちゃん」とずっと」言っていました。
抱き着いた時、よほど汗臭かったのでしょう。息子の言う「臭い」は決して
悪い意味ではなく、憧れのようなものがあったはずです。
そう言えば、当時いちばん辛かったのは自衛官の人だったかもしれません。
私達に炊き出しはしてくれても、あの人たちはカップラーメンを食べていた。
簡易風呂も私達が先に入った。涙がでます、思い出して。
その息子も、はや高校生です。
今年の春は「お兄ちゃん」の婚礼に息子が招待されました。
一人前にあつかわれた息子はうれしそうでした。
自衛官の御一人お一人に感謝の言葉を言いたいです。本当に感謝して
います
最後に、私達は、村山元総理の犯した罪を忘れることはありません。
以上二つのエピソードを紹介しました。感動、感涙のエピソードです。みなさんは
どのようにお考えになりますか。
次回は
時事エッセー
です。
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コメント
心暖まるエピソードを読み、すがすがしさを覚えました。
世の中には、このような「良い話」もあるのですね。
それにしても、いまだに自衛隊を敵視し、自衛隊の功績ある過去の
実態を無視する政治家がいることに、驚きました。
考え方は違っても、事実は事実として、見るべきであり、このような
人間性を欠く、あるいは、人間性のない人は、社会のリーダーから
排除されるべきだと考えます。
投稿: 大阪の人 | 2007年2月20日 (火) 10時19分