« 「ホワイトカラー・エグゼンプション」 | トップページ | 時事エッセー・責任感の喪失 »

2007年2月 2日 (金)

時事エッセー・「わが家・わが社・わが国」

 49回目のブログです。

 先々週のブログで、わが国の領土である竹島について書きましたが、日本を
代表する情報企業グループは、暗に、竹島はわが国の領土と認識しなくてもよい
のではないかと示唆しています。このような状況を見ますと、国や会社を守り、
組織を維持していこうとする姿勢が、ここ十数年、かなり変貌し、変質してきた
ように思えてなりません。

 その根底にあるのは、自然な気持ちや精神から涌き出るであろう愛社心や愛
国心の意識が、薄くなり、歪んできている
ことではないでしょうか。少々難しい問
題だとは思いますが、これについて考えてみます。

 十年以上も前になるでしょうか、メディアや政治家がこぞって、それまでの
「わが国」という言い方を「この国」というようになりました。これは、とりもなおさず、
著名な小説家、司馬遼太郎のベストセラー「この国のかたち」という評論文の影
響にほかなりません。わが国のリーダーが、自らの皮膚に密着した言葉である
わが国」という表現を捨て、あえて自分自身と距離を置く「この国」という言葉を
使う
ことには、おそらく大きな心の変化があったに違いありません。

 それは、国というものを、自然な感情から捉えるのではなく、客観的に見るよう
にし、いわゆる自然な愛国心から、距離を置こうとしたことを意味します。そういう
感覚が、国を愛する気持ちを徐々に弱くしていったように思えます。

 江藤淳さんによりますと、司馬遼太郎氏が『この国のかたち』と言った時、日本
に対して、敢えて知的な距離を設定し、「そのかたち」を見直そうという意識を
もっており、その時期の日本と日本人にとっては、貴重な試みであったと述べて
います。

 しかし、彼はこうも付け加えています。この司馬遼太郎氏の発想は、静的な
ものであり、「この国」と言い替えるとき、心の底に疼くかすかな疼痛を、どこか
に捨て去ってはいなかっただろうかと。

 それでは、混迷する国の状況をどのように見ればよいのでしょうか。わたし達
は、今の日本を、「この国」として、静的に、冷たく、分析的、客観的に見るので
はなく、「わが国」として、愛情を込め、同胞としての生き生きとした、ダイナミック
な存在として見るべきだと思います。今、求められているのは、「わが国の姿」を
どのようにするかであり、
この国」の根本を、外国の基準、思想、思惑に合わし
ていくことではありません。
 わが国のリーダーには、ぜひとも、「わが国の姿」を描いて欲しいし、「わが国」
という愛情溢れる言葉で語っていただきたいものです。

 会社についても同じようなことが、生じているのではないでしょうか。近年、一部
のビジネスマンやサラリーマンは、「わが社」、「うちの会社」、「わたしの会社」と
言い表さず、「この会社」と言っているようです。この二つの言葉に潜む、微妙
そうには見えますが、おそらくは大きいであろう意識の変化は見逃せません。

 最近、洋菓子の不二家が事件を起こしましたが、その他にも、ガス湯沸し器の
パロマ、エレベータのシンドラー、ホテルの東横イン、金融の日興コーディアル、
新聞の日経、TVの関西テレビなどなど枚挙に暇のないくらい多数の事件が起き
ています。

 これらの会社の事例は、社会的責任、法令遵守にもとるものばかりです。各社
は、表面上は、いろいろとマニュアルを作成し、法令遵守などを徹底しようとして
いますが、うまく機能していません。各社とも、それなりに苦心しているでしょうが、
なかなか機能しないのは、社内コミュニケーションに問題があるからです。社内
コミュニケーションは重要なテーマであり、それだけに、これを確立できていれば、
事件を発生することは防げたかもしれません。

 そのコミュニケーションが上手く機能する根本は、経営者と幹部社員における、
真の愛社精神の存在です。これらの問題を起こした会社には、経営者と幹部に、
真の愛社精神の持ち主がいなかったことでしょう。愛社精神とは、会社の存在を
社会的なものと認識し、その存続と発展のために、自身のもつ全能力を、自然
な気持ちで発露することに他なりません。

 家庭や家族についても、同じことが言えます。昨今では、家族の崩壊、家族意
識の低下、家族の諍い、はては家族の殺人、それも、親殺し、子殺し、なんでも
ありの状況になっています。今あらためて、家族愛の自然な発露がもとめられて
いるのではないでしょうか。

 そのためにも、これに対しては、「わが家(わがや)」、「わが家族」、「うちの家」、
「わたしの家族」「わたしの家庭」という愛情溢れる言葉を日常に使うべきであり、
間違っても、距離を置いた「この家」「この家庭」などの言葉を使うべきではない
でしょう。

 そしてさらに、「この会社」とか「この国」とかいう、客観的な冷たい表現は、
いわゆる評論家にまかせ、日常より、会社については、「わが社」、「うちの
会社」、「わたしの会社」、また国については、「わが国」という言葉を使うべき
だと思います。
 それがとりもなおさず、凛とした豊かな国民精神を醸成し、安寧で、生き生き
とした社会を築くこと
になるに違いありません。

 みなさんはどのように考えられますか

次回は
時事エッセー
です。

|

« 「ホワイトカラー・エグゼンプション」 | トップページ | 時事エッセー・責任感の喪失 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/166202/13662350

この記事へのトラックバック一覧です: 時事エッセー・「わが家・わが社・わが国」:

« 「ホワイトカラー・エグゼンプション」 | トップページ | 時事エッセー・責任感の喪失 »