現代政治家の犯罪!「秋のGW構想」
65回目のブログです。
いわゆる5月のGW(ゴールデンウイーク)は、天気に恵まれ、人の動きも著しく、
何となく明るい結果となったようですが、これに触発された人々のなかで、それも
現在の政権与党の幹部が、「秋のGW(ゴールデンウイーク)」構想をぶち上げ
ました。
5月の、いわゆるゴールデンウイークはつぎの通りでした。
4月29日(日) 昭和の日(昭和天皇誕生日)
30日(月) (振替休日)
5月 1日(火)
2日(水)
3日(木) 憲法記念日
4日(金) みどりの日
5日(土) こどもの日
6日(日)
公明、自民両党が構想している秋のゴールデンウイークは、体育の日や勤労
感謝の日を移動し、3連休とする考えです。
(A案)
2日 体育の日 ← 10月第2月曜日
11月3日 文化の日
4日 勤労感謝の日 ← 11月23日
(B案)
1日 体育の日 ← 10月第2月曜日
2日 休日
11月3日 文化の日
5月の祝祭日を見れば分かるように、各祝祭日は、みどりの日を除いては、それ
なりに由緒に従っており、その存在価値がはっきりしています。
体育の日は、本来は、東京オリンピックの開会式が行われた10月10日であり、
国民の健康増進だけでなく、わが国の国際化や経済発展の大きな転機になった
東京五輪を実現させた往時に思いを馳せる意味が含まれています。
勤労感謝の日は、11月23日の「新嘗祭」(にいなめさい)を名称変更したもので
あり、今年の収穫を感謝し、翌年の豊穣を祈る伝統を継承しています。
文化の日は、11月3日の「明治節」を名称変更したものであり、明治維新、近代
日本の精神的基盤であった、明治天皇の誕生日を祝う日です。
(因みに、わたしは、昨年のブログで、勤労感謝の日を「豊穣祭」に、文化の日
を「明治の日」に名称変更すべきであると主張しました)
それに較べ、公明党主導、自民党服従の秋のGW構想といわれるものは、何と
低レベルの発想でしょうか。本来、「構想」というものは、深い哲学にもとづき、叡智
を廻らした上でなされるものであり、このような安っぽい思いつきに対し、構想と
いう言葉を付けるのは、安易というよりは、知性の欠如を示すものと言えます。
政治家の発言を記します。(新聞記事より)
▲ 公明党政調会長・斉藤鉄夫氏
「有給休暇を取りやすくなる上、金のかからない景気対策になる」
▲ 自民党幹事長・中川秀直氏
「与党の公約にすべきだという意見が出れば、真剣に考えればいい」
○ 自民党参議院幹事長・片山虎之助氏
「祝日にはその日付にそれなりの意味がある。休日を動かすことに皆の
納得が得られるのか」
◎ 自民党政調会長・中川昭一氏
「安易に祝日を変えるべきではない。皇室ゆかりの祝日はなおさらだ」
▲ 公明党幹部団
「秋は日本で一番良い季節なので、連休が取れるようにすべきだ」
▲ 自民党国対委員長・二階俊博氏
「公明党からの熱心な要請で検討することになった。3連休なら1日は
子供と遊ぶ親もいる」
○ 自民党閣僚級
「祝日には祝日の意味があり、簡単に変えるべきではない」
◎ 自民党中堅
「安易に祝日は変えるべきではなく、体育の日も元の10月10日に戻す
べきだ」
本来、祝祭日と休日は全く意味合いが異なります。祝祭日は、わが国の歴史と
伝統のなかで、自然に根づいたものであり、民俗と民族を融合したかたちで、国民
の全てがこぞってお祝いしようとするものに他なりません。したがって、この祝祭日
は、わたし達国民の、同胞意識、共同体意識、共通の歴史観を涵養することに
大きな力を発揮するものです。
祝祭日を、そのいわれ、歴史、意義などを無視し、経済的側面から変形、変質
させれば、わたしたちの同胞意識や歴史観に深い傷を残すことになるにちがい
ありません。政治家は、どうして、わが日本国に致命傷を与え、衰亡への道を急が
せることに、手を貸すのでしょうか。
上記の、各政治家の発言をみると、公明党幹部のすべて、自民党中川幹事長、
二階国対委員長などは、国家藩屏としての自覚を欠くとんでもない人間であり、
わたしの言う、「人財」、「人材」、「人罪」3分法のうちの「人罪」に属する人と言わ
ざるを得ません。
ものごとを判断する際の分かりやすい基準として、『6段階説』があります。
知性>良識>常識>非常識>痴性>犯罪
上記の▲印の先生方は、この分類のどれに当てはまるでしょうか。わたしは、
知性ならぬ痴性、あるいは、犯罪にあてはまると考えます。
政治家は、よく賄賂などで逮捕されたりして、一応犯罪者になったりしますが、
これは、数ある悪事のうちの一つであり、腐敗というべきものでしょうし、ある意味
で、そう大したことではありません。重要なのは、国民の同胞意識、共通の歴史
観、伝統を破壊し、国民精神を根底から崩し、頽廃へ向かわせていくことであり、
この罪の方が、数百倍大きいといわねばなりません。
このたびの、祝祭日変更議論にまつわる重要な問題点は、国家と国民を頽廃に
向けていくことではないでしょうか。
頽廃と腐敗は異なります。祝祭日を、政治家の選挙用人気取りで、適当に、
安易に変更、変質させることは、まさしく精神の頽廃そのものと言えるでしょう。
わが国が数千年、営々と築いてきた、誇るべき国民精神も、痴性溢れる政治家
主導による精神の頽廃によって一度失ってしまえば、大変なことになります。永い
歴史と豊かな文化に薫るわが国を、あえて無機質なものにすることが、大衆社会
に繋がり、それがいずれ独裁社会に至るであろうことに思いを馳せる必要がある
のではないでしょうか。良き伝統を築くには永年かかりますが、それを崩壊させる
のは一瞬だと言われます。
何としても、この破壊への悪企みを阻止しなければなりません!
それにしても、何と薄汚れた精神の政治家の多いことでしょうか。それが、政権
与党(公明党・自民党)の、幹事長、政調会長、国体委員長の大方を占めている
とは!
バカも休み休み言ってもらいたい!
本当にわが国は大丈夫なんでしょうか!
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です。
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コメント
hiromichitt1013さんへ
おっしゃる通り、祝祭日はそれなりに、故事来歴がありますね。
ここら辺を、常識としてわきまえているのが、普通の政党だと思います。
それを持ち合わせ得ない政党は、本当に品格がありませんね。
落ちるところへ落ちたと言うべきでしょうか。
投稿: のんちゃん | 2007年5月28日 (月) 10時00分
まったくそのとおりです。休日にはそれぞれ故事来歴があり、それを大事にすることが大切なのであって、単に連休を増やせばいいというものではない。それを言い出す党は公党としての存在意義が疑われる。こんな党と組まざるをえない党も品格が問われる。
投稿: hiromichitt1013 | 2007年5月25日 (金) 09時27分