凛冽の気風!江田島
66回目のブログです。
先日、土曜日から日曜日にかけて、呉・江田島への小旅行を行いました。一緒
したのは、大学時代から現在まで親しく友として付き合っている、気の置けない
連中11人(年齢、出身地、大学はバラバラ)です。最近、大東亜戦争(第二次
界大戦)を正しく理解しようという雰囲気が、青年若人の中から彷彿と沸き起こ
っております。ところが、わたし達の世代は、いわゆる戦後教育(戦前=全て暗黒
時代)を愚直に受け入れたままで、何かおかしいなと感じてはいますが、その解明
に関して何の術も講じていません。その意味で、実際の軍事関係の一端に触れ、
先の大戦を再考してみようというのがこの小旅行(研修旅行)の趣旨でした。
最初は、大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)を訪れました。平成17年4月
のオープンですから、まだ2年しか経過していません。戦艦「大和」が10分の1の
模型で展示されていますが、10分の1でもかなりの大きさを感じさせます。
ちなみに、一昨年、映画「男たちの大和」が上映されましたが、撮影は、尾道市
向島の日立造船跡で、原寸大のロケセットで行われ、そのロケセットは撮影後
一般公開され、大人気を博しました。大和の概要はつぎの通りです。
戦艦「大和」 全 長 263 メートル
最大幅 38.9メートル
排水量 65000トン
最大出力 27.46ノット(時速51キロ)
竣 工 昭和16年12月
最 期 昭和20年 4月
戦艦「大和」は、戦局の悪化する中、沖縄に出撃し、3056名の尊い命とともに
沈没し、壮絶な最期を遂げました。ここには、「大和」の乗組員の遺書なども陳列
されており、凛然とせざるを得ません。
この大和ミュージアムには、戦艦「大和」(1/10)、零式艦上戦闘機、人間魚
雷「回天」、特殊潜航艇「海龍」、戦艦「陸奥」主砲、各種砲弾などと、遺書や詩など
が展示されています。そのうち、心に残ったことばを記します。
伊藤整一中将(第2艦隊司令長官・大和)
“死ぬべきは戦の大野
生くべくは光あふるるかの愛の国
黒髪長き佳き人の姿はみえて海は鳴る
嵐にも咲けその花よ潔くすずしくいつまでも”
黒木博司大尉(人間魚雷「回天」訓練中殉職、24歳、)
“国をおもひ死ぬに死なれぬ益良雄が
友々よびつつ死してゆくらん”
心に沁みるものがありますね。さらに、心暖まるエピソードもあります。『開運・
なんでも鑑定団』の司会者である俳優の石坂浩二氏が、その番組に出品された
戦艦「長門」の軍艦旗を、アメリカ海軍艦長の娘さんから購入し、この大和ミュー
ジアムに寄贈され、その軍艦旗が展示されています。石坂浩二さんって素晴らしい
ハートの持ち主ですね。石坂浩二さんの心意気に敬意を表します。
つぎに、すぐ近くの、「てつのクジラ館」に行きました。この「てつのクジラ館」は
実物の潜水艦「あきしお」そのものであり、内部をつぶさに(とは言っても、他国に
情報スパイされない範囲に限定)見学できました。その他、海上自衛隊の掃海の
歴史を見ることが出来、現在の複雑な国際軍事情勢に思いを馳せました。
さらに、旧呉鎮守府(現海上自衛隊呉地方総監部)、旧呉鎮守府司令長官官舎
(現入船山記念館)など、レトロ調の歴史的雰囲気に溢れた浪漫コースを訪れ、
呉という街の静かな風格に圧倒されました。その日は呉に宿をとり、広島の地酒、
「千福・貯蔵酒」を堪能しましたが、やはり、本場のお酒はことさら美味しいですね。
翌日は日曜日でしたが、一度は行ってみたいと思っていた、念願の「江田島の
海上自衛隊」を訪問しました。日曜日にもかかわらず、広報の方から親切に案内を
していただきました。
現在の海上自衛隊は、歴史ある海軍兵学校の伝統を受け継いでおり、瀬戸内
海の風光明媚な江田島のなかで、総面積十数万坪の広さをもち、教育環境として
は、これ以上のものは望めないという感想を持ちました。
校庭には、塵ひとつなく白い石砂が敷かれ、歴史を語る松林が天に伸び、建物
はそれぞれ独自の美を主張するが如く構えており、美のなかにも得も言えぬ峻厳
さを感じさせます。
わたし達は、第1術科学校(砲術、通信、航海、掃海、潜水などの専門教育)、
幹部候補生学校(海上自衛隊初級幹部自衛官の知識、技能の習得)、大講堂
(入校式、卒業式)、教育参考館(幕末から大東亜戦争までの書や遺品、特攻
隊員の遺書などの展示)戦艦「大和」の主砲砲弾、特殊潜航艇(真珠湾攻撃艇)、
戦艦「陸奥」の主砲など全てをみることができました。さらには、学生たちが、
日曜日にもかかわらず、短艇を漕いで訓練に勤しんでいる姿も目にしました。
さすがに、江田島の兵学校が、アメリカのアナポリス、イギリスのダートマスと
ともに、世界3大兵学校と言われただけの風格を有しているのを実感できます。
幹部候補生学校や大講堂などの建築物は、ヨーロッパの雰囲気を伝える、
素晴らしく美麗で、明治時代のわが国の美と進取のゆるぎない精神を感じさせ
ます。これらの建物だけでも一見の価値があるでしょう。
さらに感銘したことは、ここで教育を受けている生徒の姿です。術科学校の生徒
が七つボタンの制服を着、背筋をピンとして歩き、引き締まった顔で、わたし達に
会釈をするなど(その生徒らは16歳でした)、一般の学校の生徒では、到底考え
られない、素晴らしい印象です。
数年前、文楽(人形浄瑠璃)の修行をしている若い人たちを見る機会があり、
その凛々しい姿に驚嘆した覚えがあります。その時の印象と今回の江田島の印象
が完全に合致します。これはどうしてなんでしょうか。私は、公と歴史のために若い
身体と精神を燃焼しているが故に、凛々しい人格を形成しつつあると考えます。
その意味で、この生徒らに接触するだけでも、一見の価値があるのではないで
しょうか。
もちろんのこと、わたしは初めて拝見したわけですが、若くして散華した特攻隊の
清冽な遺書には、言葉もなく、ただただ頭を垂れるのみでした。
みなさんもぜひ、江田島を訪問されることをお薦めします。心が洗われること、
必定です。
(現在、一般社会においては精神的弛緩状態が蔓延していますが、ここ江田島
もその影響を免れず、第1術科学校において機密情報の漏洩問題が発生して
います。これについては、国防における凛冽の気風により、厳しく克服される
ことを期待したいものです。)
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です。
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