現代日本の座標軸!
67回目のブログです。
さる4月28日の土曜日に、毎月行っている会合(わが国と関西のいろいろな
課題について議論しようという集まり)で、たまたま私が講師をつとめました。
テーマは、「今、ビジネスマンはどうあるべきか」として、このブログで述べてきた
中から、好評を受けたビジネスマン論を展開しました。①言葉遣いと言葉の責任、
②人事考課、③2・2・6の組織理論、を中心にしてお話しましたが、特に2・2・6
の組織理論は、出席者の興味を引き、質疑応答、議論伯仲、なかなか実りが
ありました。
その議論の中で、わたしの最も尊敬する、京都大学経済学部吉田教授が、現在
社会を「命と価値」のキーワードでコメントしました。わたしなどは、一般社会人で
あり、なかなか理論的な考え方をすることが苦手ですが、吉田先生の言葉をヒント
に、勝手な座標軸をつくり、自分の立ち位置(スタンス)をはっきりしたいと思います。
現代社会は、いろいろな考え方が複雑に入り混じり、しばしば多様化していると
言われますが、多様化というよりは、混迷化という方が正しいのではないかと考え
ます。そこで、ここに、この混迷化した現代社会を、自分流に、わかりやすく図に表
わしてみました。キーワードは、「歴史」、「現在」、「価値」、「生命」であり、下図の
ように、A、B、C、Dの4つのブロックに分けました。
≪現代日本の座標軸≫
<歴史>
↑
|
C | A
|
<生命> ←――― + ―――→ <価値>
|
D | B
|
↓
<現在>
横軸は、一個の人間の、生物的、身体的生命を重視する考えから、全体の絆
を背景にした国柄、精神的価値、無形の価値を重視するまでのラインと考えれば
良いのではないでしょうか。身体的生命重視派は、たとえば護憲派であったり、
いわゆる市民派であり、改憲派とか国民派は価値重視派と言えるでしょう。
これは政党別に分類しようにもできません。たとえば、自民党だから価値派で
あるということではなく、人により異なります。自民党のなかにも、生命派(護憲派
など)は大勢おり、過去にも、いわゆる保守派だと思われていた福田赳夫元首相
などでも、「人命は地球よりも重し」と名言(迷言?)を吐き、悪質極まりないテロ
リストを釈放した経緯があります。ましてや現在、河野議長、加藤紘一氏などなど
生命派は枚挙に暇がありません。
縦軸は、過去の歴史を汚らわしく、暗黒なものとし、現在は過去の歴史とは無
関係であり、歴史は単なる遺物として捉える現在派から、歴史の重みを考え、現在
を過去からの歴史の継続とみなし、それに尊敬と愛着と同情を感ずる歴史重視派
までのラインと考えれば良いと思います。
この分かりやすい座標軸において、「わたし」はA、B、C、Dのどの欄に位置する
のかを考えてみました。
現在の世相は、人が人でなく、家族が家族でなく、官が官でなく、民も自立した
民ではなく、メディアも偏向と捏造に溢れ、教育も混迷を極めていますが、これは、
国の絆がゆるゆるに緩んでいることの証左だと言えるでしょう。わたしは、その
意味で真の改憲に踏み切り、凛とした外交を追求し、国内に社会正義を確立し、
国民としての信頼感溢れる社会をつくるべきであろうと愚考しています。従って、
価値重視派と言えるでしょう。
縦の時間軸で言えば、わたしは昔から歴史に学び、歴史を尊敬すべきであると
考えてきています。このブログを読まれた方はお分かりでしょうが、わたしは、
しばしば、万葉集、百人一首、漢詩、奥の細道、明治の古典、皇室、祝祭日などを
取り上げています。「日本という国柄」は、永い歴史によって培われたものであり、
これを尊重することこそ、現在人の責務であり、そうすることによって、このギス
ギスした社会を、穏やかな文化国家に回帰させ得ると、これまた、愚考する次第
です。従って、歴史重視派と言えるでしょう。
上のような考えから判断すると、わたしは、歴史と価値を重視する「A」の位置で
あり、そのなかでも、多少左上寄りかなと思います。
この座標軸を眺めると、なかなか面白いですね。色んな政党、団体、友人、同僚、
町内会など、必ずどこかに当て嵌まりますが、社会の安定、安寧、より良い発展の
ためには、どの位置が良いと思われますか。わたしは、無条件に「A」(歴史・価値
重視)だと思いますが、世間には、結構、「D」(現在・生命重視)も多いのではない
でしょうか。わたしには、それが、社会の混迷を招いている最大の要因と思えて
ならないのですが……。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です。
| 固定リンク
コメント