政治家は「言葉」に責任を持て!
90回目のブログです。
わが国は久しく言霊の国、言霊の幸映える国と言われてきました。言霊の国、
言霊の幸映える国と称されるまでに、わたし達の祖先は上下こもごも言葉を大切
にしてきた歴史を持っています。
特に上流階級やリーダー層は言葉を自在に、豊かに、また丁重に使えないよう
では失格とみなされました。さらには、言葉の使い方、使う姿勢に問題があった時
は、自らの立場で責任をとらされたのです。
その意味で、言葉に躍らされるという局面もありますが、言葉のもつ重みはいくら
強調してもし過ぎることはないように思います。総じて真のリーダーは言葉には細
心の注意を払ってきたのではないでしょうか。
重い立場の人の言葉、たとえば総理大臣などの言葉は、重大なる決意と言えば、
内閣総辞職、衆議院解散を意味し、一度口から漏れてしまえば、もう止めることは
できません。それが総理大臣の意図したことか、そうでないかは別にして、一度口
から発せられたならば、一瀉千里に事態が展開してゆくことは、たびたび経験した
ことであり、これは、厳然たる歴史の事実と言えましょう。
最近は、大臣、大企業の社長、高級官僚、ジャーナリストなどはもとより、総理
大臣といえども、大層口が軽く、その発言に重みがなく世間を徒に掻き乱している
傾向があります。
先月末から今月はじめにかけて、連日の新聞やテレビで報道された、民主党
代表・小沢一郎氏の辞任記者会見、および3日後の翻意の顛末を見てください。
いやしくも、「大政党の党首の言葉」がこんなに軽いものでいいのでしょうか。国家
の藩屏らしい責任ある言葉とは余りにも距離があり、情けないと思うのはわたし
だけではないでしょう。
「民主党代表として、けじめをつけるに当たり、私の考え方を一言申し上げる。
福田総理の求めによる2度の党首会談で、総理から要請のあった連立政権
の樹立をめぐり、政治的混乱が生じたことを受け、民主党内外に対するけじ
めとして民主党代表の職を辞することを決意し、本日、鳩山由紀夫幹事長に
辞職願を提出し、執行部をはじめとして同僚議員の皆様に私の進退を委ね
た。」 (11/4 MSN産経ニュース)
小沢代表は、それこそ明確に、「…けじめとして民主党代表の職を辞することを
決意し…」と述べました。それが、3日後には、なんとなんと、辞意を撤回したの
です。その理由も、「辞意表明は、張りつめて頑張っていた気力が、『プッツン』した
というか、そういう精神状態に陥りまして…」という、まったく開いた口が塞がらない
ほどのものです。
小沢代表の発する、「決意」という言葉は、そんなに軽い存在なのでしょうか。
民主党は、今や衆議院では第2党ですが、参議院では、第1党であり、小沢氏
(不動産は小澤氏)は押しも押されもせぬ代表ではないですか。わたし達のような、
一庶民ではありません。もう既に手遅れかも知れませんが、また馬の耳に念仏かも
しれませんが、多少とも、国家の藩屏としての自覚を持つよう、促したいと思います。
『綸言(りんげん)汗の如し』 (漢書・劉向伝)
という重い格言があります。「体から出た汗が再び体内に戻り入ることがないよう
に、君主の言は、一度発せられたら取り消し難いこと」(大辞林)という意味ですが、
現代の高位高官、国家社会のリーダーには、ぜひとも認識していただきたいもの
です。
この格言の出典になっている話は、まだ子どもであった皇帝がその弟との遊び
の中で、「弟よ、お前を○○国の王に任命する」と言ったところ、すぐに書記官が
その言葉を書き留め、実際に皇帝の弟に王の印綬を授与する準備を始めたと
いう故事にあります。
もちろんのこと、言い出しっぺの皇帝は、遊びの中での冗談の発言でしたので、
慌ててこれを取り消そうとしましたが、「皇帝の言葉は汗のようなもので、一度口
にしてしまった以上これを戻すことは出来ません」といわれ、そのまま皇帝の弟君
に王の印綬が与えられてしまいました。
今回の民主党代表のドタバタ劇に表れたのは、党最高位の代表の発言で
あって、君主の話ではありませんが、同じことと見るべきでしょう。
わたし達国民は、国のリーダーの発する言葉や姿勢を自然に見習っており、また
それに大きく影響されています。今、社会には責任と恥じらいを放棄した現象が激
増しているように思えますが、たとえば、学校に対して自己中心的な理不尽な要求
を繰り返す、モンスターペアレントなども、社会上層部の姿勢の反映とも言えるので
はないでしょうか。
その意味で、あらためて、国家のリーダーには、己の発する言葉は重いこと、
またその言葉には責任があることを、認識していただきたいと思います。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です。
| 固定リンク
コメント