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2007年11月 9日 (金)

大和は心の故郷…山の辺の道を歩く!

 89回目のブログです。

    大和は
    国のまほろば
    たたなづく
    青かき
    山ごもれる
    大和し
    美し 

 これは、日本武尊(倭建命)の歌であり、わが国の歴史そのものである「古事記」
に収められています。この大和の中心を彩る地が、山の辺の道の周辺であり、
日本の心を体現した偉大な人々の原点でもあります。かの文豪、川端康成も、
ノーベル賞受賞記念講演で“美しい日本の私”を語り、山の辺の道の風景を絶賛
したと言われています。

 先月の下旬に、わたし達、気の置けない十数人は、古代のロマンと心のふるさと
をもとめ、併せてウオーキングを兼ねて、山の辺の道を歩きました。

 山の辺の道は、わが国最古の道であり、『日本書記』、『古事記』、『万葉集』
たびたび登場する地名や旧跡が次から次へとあらわれ、わたし達を古代のロマン
や神話の世界に誘ってくれます。

 山の辺の道は、桜井の海柘榴市(つばいち)から奈良まで、全長26kmあります
が、普通に山の辺の道コースと言えば、桜井駅から天理駅までの、約16kmを指
します。今回、わたし達は、その半分の天理駅~柳本駅9キロメートルを歩きました。

 当日は、雨男がいなかったからでしょうか、素晴らしい秋晴れに恵まれ、古代の
ロマンと歴史の豊かさ、さらには、緑豊かな山々と牧歌溢れる里に、直接触れる
ことができ、心が癒された一日でした。

 見所は、天理教教会本部、石上(いそのかみ)神宮、竹之内環濠集落跡、大和
神社御旅所、長岳寺、崇神天皇稜、黒塚古墳・資料館などですが、歩いている
途中の牧歌的な雰囲気も、又、別の味わいがあります。順を追って行きましょう。

 スタートの天理駅ですが、天理市の謳い文句は、“A Magical City of Romance
and Smiles”です。商店街を過ぎると、左側に巨大な「天理教教会本部」が見えます。
天理市は天理教の信者が街を掃除しますので、いわゆる汚いゴミは見当たりま
せん。江戸後期(1839年)に起こった神道系の新宗教の外観、雰囲気は一度は
見ておく価値はありましょう。

 しばらくすると、「石上神宮」に入ります。石上神宮は飛鳥時代の豪族、物部氏
の氏神で日本最古の神社として有名であり、美しい鶏が放し飼いされています。
杜は、鬱蒼とした樹々に囲まれ、森林浴さながら、清々とした息吹きを感じさせて
くれます。当日は初宮参りの方が多く、子や孫の希望に満ちた将来を祈っている
風景は、周囲を穏やかで輝いた雰囲気に包んでいました。
 
  うち山やとざましらずの花ざかり(芭蕉・句碑)

 歩いていて気付くことは、途中のいろんな所で、この地域で採れる果物や野菜
が無人で、超安価に販売されていることです。すだち、柿、みかん、ざくろ、かん
ぴょう、ずいき、里芋、さつまいも、お米などバラエティに富んでいます。

 さらに、可憐な花・秋桜(コスモス)があちこちに群生していました。赤、ピンク、
白、黄色、薄茶色など、さまざまな色彩を示していますので、これは自然に生えた
ものかなと思ったのですが、小さな表示を見て、そうではないことを知りました。
真実は、田畑の休耕地に景観植物を植えようとの地域社会の要請に応えたもの
であり、山の辺の道周辺で生活をしている人々の豊かな感受性と心意気に感心
するばかりです。

 「竹之内環濠集落」は、戦国の世、村落の自衛のため、周囲に堀をめぐらせ、
外敵を防いだものですが、現在は、村落の入り口に一部が名残を留めている
のみです。

 途中に万葉集の歌碑があります。わたし達現代人が持ち合わせない、往時の
時代人の繊細で豊かな感性の息吹をしのぶことができます。

  衾道(ふすまじ)を 引手の山に 妹をおきて
            山路を行けば 生けりともなし
              (柿本人麻呂、万葉学者犬養孝先生書)

  石上(いそのかみ)布留の神杉 神びにし
                       われやさらさら 恋に逢ひにける
              (作者未詳)

  未通女等が 袖布留山の 瑞垣の
                久しき時ゆ 思ひきわれは
              (柿本人麻呂、元暦校本書)

 「大和(おおやまと)神社御旅所」で、お昼の弁当をゆったりとなごやかに食べ
ました。大東亜戦争(第二次世界大戦)で有名な、悲劇の戦艦大和は、この大和
神社の名前から採ったそうです。この由緒ある場所で休憩できる喜びは、何物
にも替え難い実感でした。

 すぐ近くに、「長岳寺」があります。このお寺は弘法大師が824年、大和神社の
神宮寺として創建したものであり、山門は日本最古のものであり、入り口の巨木は、
見上げても紺碧の空が見えないほど、大きな存在感を主張しています。

 さて、いよいよ、「崇神天皇稜(正式には、崇神天皇山邊道勾岡上稜)」に到着
です。全長242mの壮大な前方後円墳。御陵をとりまく老松が美しく、山の辺の
中でも最も大和らしい風景と言われています。御陵を建立した時は30cm大の
石を積み上げたものだそうですが、年月を経て大きな樹木が自然に育ち、全体
を覆うようになったものと思われます。

 わが国の御陵は、エジプトのピラミッドやギリシャのパルテノン神殿などとは異
なり、古代から現代に至るまで連綿と守られ、現在も生きた御陵であり、皇室に
繋がっているものです。単なる死んだ遺跡、遺物、墳墓ではなく、現代に連なる
類縁のあるものです。これは、わが国の誇るべき歴史だということを、今一度
認識しなければならないと考えます。

 時折、考古学者や文化人のなかで、天皇御稜をすべて発掘し、歴史の真実を
明確にすべきだなどと主張する人がいますが、冗談ではありません。考古学者
のために日本文明があるのではなく、日本文明のために考古学者は力を発揮
すべきなのです。わが民族の中心である、最も高貴な人のお墓をあばくのは、
言語道断というべきでしょう。それこそとんでもありません。

 お隣の大陸や半島の民族ならばいざしらず、わが国には、他人のお墓を暴いて
恨みを晴らすような野蛮な風習はありません。穏やかで、慎み深く、祖先を大切に
する…、これが、日本文明の原点でしょう。
わたし達日本人は、もっと歴史のもつ
精神を大切にし、それを良き伝統として、次代に引き継ぐ使命があるのではない
でしょうか。

 最後に、「黒塚古墳」を訪れました。古墳には、前方後円墳、前方後方墳、円墳、
方墳の4種類がありますが、黒塚古墳は、全長132mの前方後円墳です。今から
10年前に発掘され、竪穴式石室と副葬品が多数出土しました。展示館には、石室
が原寸大で再現されており、興味はつきません。33面の三角縁神獣鏡もあります
が、それぞれが、微妙に描かれている対象が異なっていることが分ります。古代
のロマン、ここにありという感じでしょうか。さらに、この古墳の上に上がって、全体
を実感することができました。

 これで山の辺の道の一部を散策したことになります。古代のロマン、神話の世界、
悠久の歴史に浸ることができ、充実した一日を過ごせました。この喜びを、単に
わたし達だけに限るのではなく、この良き歴史を次の世代にも繋いでいく努力
しなければならないと考えます。

 残りの半分を、おそくとも来年春には歩きたいと思っています。

みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です。

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