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2007年12月 7日 (金)

鎮魂と研修…知覧・鹿屋を訪ねて!

 93回目のブログです。

 いよいよ師走に入りましたが、未だ身を切るような寒さとは言えない今年の冬
ですね。とは言いましても、この1年を振り返ってみる事も大切でしょう。

 わたしは、7月6日のブログで、映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」について
の感想を記しました。その映画は知覧の特攻隊を描いたものですが、未だ知覧を
訪れていなかったもので、ぜひとも訪れたいと思っていましたので、先月、気の置
けない友人9名と鹿児島の知覧、指宿、鹿屋、桜島、西郷神社などを巡ってきま
した。

 大阪伊丹空港から1時間、あっという間に鹿児島空港に着きます。1泊2日の旅
は全て小型バスを足に使いましたので、広範囲に巡ることができました。

 まず最初が鎮魂と研修の重要ポイントである知覧です。知覧市全体の雰囲気
は、なかなか品の良い町だというのが第一印象です。ここでは、大東亜戦争末期
に特攻隊員として知覧を飛び立って行った若き兵士たちの群像を見守り続けた
「冨屋食堂」(ホタル館)、特攻隊の全てを語る「知覧特攻平和会館」、国のために
命を捧げた特攻隊員を慰霊する「特攻平和観音堂」、そしてこの町の豊かな歴史
を示す「知覧武家屋敷庭園」を訪れました。

 冨屋食堂は、若き特攻隊員に母と慕われた鳥浜トメさんの食堂ですが、映画
「俺は、君のためにこそ死ににいく」では、鳥浜トメさんの役を岸恵子が演じました。
現在は、鳥浜トメさんの生涯と特攻隊員とのふれあいの遺品・写真などが資料館
(ホタル館)として、当時の場所に忠実に復元しています。

 鳥浜トメさんと特攻隊員の感動の物語は、下記の本に詳しく書かれています。
普通の感動物語という安っぽいものではありません。明日は必ず死ぬという若き
兵士と彼等を暖かく見守る特攻の母との心の交流は、涙なしには読めませんが、
心が清らかに洗われるのは必定でしょう。是非お薦めします。わたしはホタル館
で買いましたが、一般書店でも求められます。

    著  者  赤羽礼子(鳥浜トメの二女)・石井宏
    書  名  『ホタル帰る』
               ――特攻隊員と母トメと娘礼子――

    出版社  草思社
    価  格  1500円+税
    書  式  単行本(平成19年5月1日 第36刷発行)

 いろいろなエピソードが語られていますが、なかには鬼気迫る、厳粛ならざるを得
ないエピソードもあります。例えば…

 出撃の前夜、特攻隊員の宮川軍曹は、鳥浜トメに「小母ちゃん、死んだらまた
小母ちゃんのところへ、ホタルになって帰ってくる」と言い残して知覧基地から出撃
していった。
 ところがその夜、本当に1匹のおおきな源氏ボタルが入ってきたのである。娘たち
はほとんど同時に気がついた。「お母さーん、宮川さんよ、宮川さんが帰ってきたわ
よー」暗い店の中央の天井、その梁に止まっているホタルを見たとき、トメは息が
止まるかと思った。
 「歌おう」、「歌うぞ」、
 涙でくしゃくしゃになりながら、みんなで「同期の桜」を歌った。
 いつ果てるともなく。

 富屋食堂には、中学生や高校生からの千羽鶴が飾ってありましたが、これも、
若い心が感応したものだろうと思われます。

 次に、特攻平和観音堂に参拝し、いよいよ、「知覧特攻平和会館」に入りました。
この会館には、大東亜戦争末期の沖縄決戦で、人類史上類のない爆装した飛行機
もろとも肉弾となり敵艦に体当たりし散華された陸軍特別攻撃隊員の遺影・遺品・
記録、さらに戦闘機「飛燕」・「疾風」などが展示されています。

 今、年間に65万人の人が訪れているそうですから、かなりの人々といえるのでは
ないでしょうか。わたし達のまわりはふやけた平和現象で被われており、この当時
の特攻の精神(スピリッツ)を理解するのは、理屈的には難しいのですが、中に入
りおびただしい遺書・遺詠を実見すれば一変します。このあたりを、先述の「ホタル
帰る」から引用します。

 ……いまやこの聖地は観光名所でもあるのだ。聞くともなく聞こえてくる赫ら顔の
おっさんの声――
 「なんや、昭和二十年五月二十日に出撃やって。アホか、あと三か月もすれば終
戦やないか。なあ」
 ふやけた平和な会話がそこにある。

 しかし、この人たちも特攻平和会館の中に入ると様子は一変する。そこに飾られ
ているのは飛行服を着た十七歳から二十歳前後の若者の凛とした肖像写真。
それはあまりにも清々しく美しく、その数一〇三六人に及ぶ。その若者たちの残し
たみごとな筆跡の遺書。それは申し合わせたように書いている。「母上様、この歳
までお育て下されたご恩のほど心からお礼申し上げます」「なにとぞ先立つ不幸を
おゆるし下さい」。

 この若者たちがみな自分の命を投げうって米軍の巨大な軍艦めがけて体当たり
をくれたのだ。それらの写真を見ていれば、「特攻」がなんであったかはわからず
とも、戦争がなんであるかは知らずとも、人間として絶えられないほどの悲しみに
襲われる。命の尊さ、命の厳粛さ、散った命の不憫さは無条件に心にしみてくる。

 館内に入るまではがやがやしていた連中から大声が消え、代わって聞こえてくる
のは鼻をすする音である。特攻平和会館の中はまさにすすり泣きの合唱となる。
この子たちが死んだ、爆弾を背負って敵艦に突っこんだ、と思えば、人間なら必ず
泣けてくる。

 そう、「特攻」とは是非善悪いっさいを超越した無条件の悲しみなのである。人間
のこれほどの大集団がこれほど崇高な存在と化して死
んでいったことは、人類の
歴史において一度たりともあったためしはないのだ。……

 わたしが求めた「魂魄の記録…旧陸軍特別攻撃隊知覧基地」には、数多くの
遺書と遺詠が載せてありますが、これを読めば、理屈抜きに粛然とした気持ちに
させられます。もっと若い時、20代の時にこの知覧を訪れ、人の真の悲しみとは
何かに少しでも触れるべきであったと思います。

 わたしの尊敬する岡潔先生は、崇高なる自己犠牲の極致が特攻隊の精神で
あると喝破されていますが、訪れてみてはじめて、ストンと心に落ちました。

 知覧市では最後に武家屋敷の庭園を観ました。260年の歴史をもつ、薩摩の
小京都らしい品のある庭園が7ヶ所ありますが、往時そのままに残されており、
なかなかの雰囲気を保持しています。各家には当代の方々が実際に住んでおり、
観光客のために庭園を公開していることには感心しました。

 その後、指宿温泉に泊まり、1日の疲れを豊かな泉量で流し、夜は遅くまで、
鹿児島について、特攻について語り合いました。友人とのこころを通わせた時間
でした。

 翌日は、早朝よりバスに乗り込み、海上自衛隊鹿屋航空基地・史料館を訪れま
した。この鹿屋航空基地は、昭和11年に創設され、この基地から旧海軍航空隊
の海鷲たちが数多く飛び立っていきました。

 史料館周辺には、現在活躍している軍用ヘリコプターなどが多く設置されており、
なかなか見ごたえがあります。さらに、史料館に入ると、名機「零戦」(零式艦上
戦闘機五二型)がその威容を誇っています。

 この鹿屋にも、知覧と同様に、平均年齢21歳という若さで飛び立った特攻隊員
の遺書・遺詠・資料が展示されていますが、涙なしに拝見することは出来ず、その
崇高な精神に自然と頭が下がりました。

 次に、有名な活火山、桜島を全ての方角から眺めましたが、方角によってかなり
かたちが違います。桜島の威容を眺めていますと、鹿児島の人たちが一人残らず
誇りに思う気持ちがなんとなく理解できました。

 最後に、西郷隆盛ゆかりの城山に登り、墓前に線香を手向け、西郷神社に
お参りし、西郷南洲顕彰館を訪れ、西郷隆盛の偉大さに触れました。バスの
運転手さんは、若い人でしたが、西郷隆盛のことを西郷先生と言っていました。
それから判断すると、西郷隆盛は、鹿児島県人から郷土の誇りとして、敬愛置く
価わざる存在だと認識した次第です。

 一泊二日の有意義な旅でしたが、何はともあれ、散華された特攻隊員に対し、
あらためて頭を垂れ、鎮魂の誠を捧げたいと思います

 みなさんもぜひ、知覧・鹿屋を訪れてはいかがでしょうか。

次回も
時事エッセー
です。

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コメント

僕はまだ九州へ旅行したことはありませんが、富屋食堂の鳥浜トメさんのことを読んで、やさしかった祖母のことを思い出しました。昔の日本人は、清らかな心を持った若い人をわけへだてなく面倒をみたことがうかがえます。特攻隊の精神はまだピンときませんが、九州へ行くなら知覧に行きたいと思いました。

投稿: yuichiro | 2007年12月12日 (水) 09時46分

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