犠牲者に名を与える…これが国家の品格だ!
113回目のブログです。
今年8月の北京オリンピック開催を前に、世界が騒々しくなってきました。それは、
オリンピックの聖火が世界各国をリレーするなかで、その主催国である「中国
(中華人民共和国)」が、由緒ある、独自の歴史・文化・伝統をもつチベット民族の
心の叫びに対して、軍隊を背景にした強権的な虐殺を含む弾圧を続けていること
に発しています。
オリンピックは一般的には平和の祭典と褒め称えられますが、歴史的にみれば、
時には、ヒットラーのごとき独裁者に翻弄された政治の祭典もあったのです。今回
の北京オリンピックは、平和の祭典か、独裁政治のための祭典か、はたしてどちら
なのでしょうか。おそらく、それは、チベットの乱から判断すれば、政治の祭典、
すなわち独裁政治のためのものであることは、今や明白になったと言わねばなら
ないでしょう。
明日、4月26日には、長野で聖火リレーがおこなわれますが、こんな世界注視の
なかでの騒乱状態で、はたして「聖火」…きよらかなともしび…と言うことができるの
でしょうか。もはや薄汚れた存在に成り下がったと言っても過言ではないと思います。
そういう意味で、聖火を掲げオリンピック(五輪競技)を主催すべきなのは、本来
は品格のある国であることが望まれます。なかなかそんな国は少ないでしょうが、
一昨年わが国でベストセラーとなった「国家の品格」という言葉をヒントに、優れた
国とはどんな国かを考えてみました。
■ 犠牲者に名を与えよ
南京事件70周年の翌日の南方都市報に朱学勤・上海大学歴史学部教授
の論文が掲載されていた。 その論は決して親日的なものではないとはいえ、
深く共感した。
「パール・ハーバーの記念碑には 犠牲者の姓名がしっかり刻まれていた
のに、南京大虐殺記念館には30万人の犠牲者の名前はない」
朱教授によれば、中国は世界有数の戸籍管理の厳しい国であり、犠牲者
の姓名を調べようとすれば、 可能であるはずだという。中国政府は長く、
民衆が南京事件に言及するのを禁じてきた。 それが許されたと思ったら、
いきなり犠牲者30万人という数字が出てきた。
朱教授は「数字が 大切なのか犠牲者を悼む気持ちが大切なのか」と訴え、
政治宣伝の具と化している南京事件に 中国人自身が追悼の念を失いかけ
ている点を鋭く突いている。
広島の原爆記念館にも靖国神社にも犠牲者・戦没者の名簿はある。知ら
ない人の名を見て初めて 感じる痛みがある。
3億元の財政的余裕があるなら、記念館の拡張ではなく、犠牲者の身元
調査費に 投じるべきだった。 だが、70年間そうしてこなかった中国政府
の怠慢を、中国人のほとんどは問題視しない。曖昧模糊(あいまいもこ)な
南京事件でこの一点こそ、まぎれもない本質のひとつではないのか。
<2007/12/20 産経新聞 北京春秋(福島香織)引用>
福島記者は、勇気ある女性新聞記者として永年北京特派員として活躍し、真実
を追求する辛口のズバリ表現で極めて高い評価を得ており、この記事もすばらし
い切り口、視点を示しています。
南京事件と言えば、虐殺数の多さのみがイデオロギー的に強調され、事実解明
も遅々として進まず、今もその真実には蓋がなされたまま、中国共産党政権の
政治ツールに供されていると言っても過言ではないと思います。
福島記者が指摘しているように、おそらく事実でしょうが、いくばくかの犠牲者が
南京市街で生じたとするならば、犠牲となった市民の姓名を記念碑に刻み、哀悼
と鎮魂の意を示すことが、ふつうの誠意ある国家・国民のビヘイビアではないで
しょうか。
いろんな悲劇的事象において、相手国やその国民に対しての反抗、怨恨、懲罰、
抹殺の気持ちを権力的に利用するのではなく、悲劇の犠牲者に対し、鎮魂の誠を
捧げること。これが品位ある国の取るべき姿勢だと考えます。
確かに、アメリカはパールハーバー(真珠湾)の犠牲者を刻印していますし、
わが国では、広島や靖国でも犠牲者・戦没者の名簿がありますが、中国(中華
人民共和国)では、その名簿がなく、犠牲者に鎮魂の誠をささげていないという
事実は、実に驚くべきことと言わねばなりません。
おそらくこれが事実でしょうから、そうであるならば、彼ら中国共産党政府や漢
民族がチベットを暴虐的に弾圧することに、心の痛みも何も感じないのでしょう。
自国民、自民族の犠牲者にさえ、きちっと哀悼と鎮魂の誠を捧げないのですから、
それも当然の行為であると考えているに違いありません。真に戦慄すべきことと
言っても言い過ぎではないと思います。
このような異状な精神の持ち主が、隣国にあり、それも超大国、超軍事大国です
から、わが国は覚悟を決めてかかり、外交の実を挙げる必要がありますし、マス
メディアもそれに協力しなければならないことは言うまでもありません。
はたして、今の福田内閣やその亜流(自民・民主・公明・他)で、毅然とした外交
が可能かどうか、…ほとんど希望は持てませんね。
そうであるならば、中国が一日も早く、普通の民主主義国家になることを期待する
ことしかありません。はたしてこれも何日になるのか期待は薄いと思われますが…。
それはそうと、長野で生じるであろうことに注視したいと思います。
① 日本の警察力だけで、無事に行われるか?
② 世界のメディアはどう伝えるか?
③ 親チベットの支持者の示威行為は?
④ 人権無視の中国への怒りはどの程度か?
⑤ わが国仏教界の示威行動は?
⑥ 創価学会は仏教教団にもかかわらず中国側全面支持か?
⑦ わが国人権団体の示威行動は?
⑧ わが国メディアの報道姿勢は?
⑨ 中国の反日姿勢は強まるか?
⑩ それとも、全くの平穏無事に終わるのか?
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です。
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