国歌・国旗を敬う…これが国際人への第1歩!
114回目のブログです。
小・中・高・大学すべての新入生は、入学後ほぼ1ヶ月、それぞれ、それなりに
希望に燃えて、新しい学校生活を送り始めていると思います。それでも、連休直後
から、環境変化によるストレスがたまり、いわゆる5月病に罹りやすいと言われます
ので、十分注意を払って欲しいものです。
さて、新入生のスタートが、1ヶ月前の「入学式という儀式(セレモニー)」でしたが、
これが極めて大切なものでもあったのです。なにごとも、節目、くぎり、起承転結に
よって、新たな生活のリズムを創り出していくもので、儀式・セレモニーを軽視したり、
無視したり、あるいは蔑視したりすることは賢明なこととは言えません。
一般社会においても、企業の窮極の格を判断するには、滅多に行われない社葬
を見ればはっきり分かると言われます。生徒や学生などにおいては、いろいろな
セレモニーはあるでしょうが、入学式と卒業式が最も重要な儀式に当たるのでは
ないでしょうか。それこそ、厳粛さのなかでの凛とした挨拶、和やかな語らいが求め
られるのです。
多くの学校では、入学式や卒業式は、きちっと運営されているでしょうが、中には
とんでもない学校があり、とんでもない先生がいることに注目していただきたいと
思います。
■ 国歌斉唱 起立1人 卒業生170人 教員が指導か
大阪府門真市の市立第三中学校で今月13日に行われた卒業式で、約
170人の卒業生のうち男子生徒1人を除く全員が、国歌斉唱時に起立
せず、その多くが斉唱もしなかったことが26日、分かった。式に出席して
いた3年の担任、副担任計11人のうち9人も起立せずに斉唱もしなかっ
たという。学校側は事前に教員が卒業生に不起立を促した可能性がある
とみて担任らから事情を聴いており、事態を重くみた府教育委員会も調査
に乗り出した。
式は卒業生や保護者らが起立して始まり、教頭の「開会の言葉」に続いて
国歌斉唱が行われた。しかし、「国歌斉唱」とアナウンスされたとたん、それ
まで起立していた生徒たちは次々と座り始め、最終的に起立したまま斉唱
したのは男子生徒1人だけだった。着席した生徒の大半は斉唱した様子が
なかったという。
式には、3年生を受け持つ担任5人、副担任6人も出席していたが、生徒
たちと同様に相次いで着席し、起立していたのは副担任2人だけだったと
いう。
府教委小中学校課は教員が全卒業生に不起立を促していた可能性が
高いとみており、「非常に大きな問題で、偏向教育ととられても仕方がない。
教員の不起立についても経緯をくわしく調べ、厳正に対処したい」として
いる。
(2008/03/27 MSN産経ニュース抜粋)
いやあ吃驚しました。世の中にはとんでもない先生が牛耳っている学校が、現に
存在していることを証明していますね。
昨年12月のこのブログで、大阪府は全国学力テストでビリから3番目(45位)で
あり、その要因の一つが左翼教育にあることを指摘しました。そこで、他の最下位
グループである沖縄(47位)・高知(46位)・北海道(44位)にも同じような現象が
生じていないかと調べてみました。
■ 芽室町教委 「君が代」斉唱指導通知 入学式での児童着席問題視
北海道十勝管内芽室町の芽室小の入学式で、「君が代斉唱の際に新入
生を除く全児童の半数ほどが着席し歌わなかったことから、芽室町教委
は十日、同町内の七小中学校すべてに「国歌斉唱」の指導徹底を求める
文書を送った。
芽室小の教諭からは「学校への指導強化は児童の内心の自由の侵害
につながる」と、不起立を理由にした指導強化に懸念も出ている。
町教委などによると、八日に行われた入学式で、「君が代」のCD演奏が
始まると、全児童のうち四-五割が着席。学習指導要領は「国旗を掲揚
するとともに、国歌を斉唱するように指導する」としていることから、町教委
は指導の徹底を全小中学校に促した。
(04/11 北海道新聞抜粋)
ありました。悲しいことながら、やっぱりありましたね。ズバリ、わたしの読み通り
ですが、誠に残念。わが国には日教組的左翼反日教育が今も全国的にはびこり、
またある意味では、ますます巧妙に勢力を拡大していることがわかります。
わが国から真の教育が失われたのは昨日今日のことではなく、かなり以前から
でしょう。それを顕著に意識しだしたのが、遅ればせながら、最近社会に蔓延する
凶悪犯罪、主体性のなさ、社会意識・国家意識の薄さなどを契機とするのでは
ないでしょうか。さらにわが国リーダーの意識の浅さがそれに追い討ちをかけて
いると思われます。
その対応については、もはや遅すぎて絶望的かも知れませんが、井の中の蛙、
狭い世間だけから物事を見るのではなく、世界の中の日本という観点から見て
いけば、それなりの矯正もでき、正しい道を歩むこともできるのではないでしょうか。
そのためには、世界の基本はどういうことかを押さえることが肝要です。
明治維新以前のわが国には、儒教思想があり、武士道があり、また国学による
愛国思想もありました。明治になり、忠君愛国・質実剛健を合言葉に、弱肉強食の
世界のなかで、わが国は、東洋の小国・日本の独立を維持する強い使命感を持ち
つづけてきました。このような日本に対し、世界は相当な敬意を払ったのです。
その明治のバックボーンに「教育勅語」があります。教育勅語と聞けば、古い、
間違った思想だというイメージが浮かびますが、これは単にわたし達が先生や
メディアからそう教えられ洗脳されたからに他ならないのです。わが国とは逆に、
欧米先進国などは、世界共通の真理として、いまだに高い評価を与えていること
を知るべきでしょう。
教育勅語に示されている12の徳目。
・父母に孝
・兄弟に友
・夫婦の和
・朋友の信
・謙遜
・博愛
・修学習業
・智能啓発
・徳器成就
・公益世務
・遵法
・義勇
今は、教育勅語は一顧だにされませんが、この徳目に間違いや悪い点など全く
ありません。一度は目を通す必要がありそうです。
欧米では社会のバックボーンに宗教が厳然として存在し、それが国家の基軸を
なしており、深く人心にしみ込んでいます。一方わが国では、宗教という基軸は弱く、
バックボーンとしては基盤に皇室というすぐれた存在があり、表層には生活文化
から生まれた立派な徳目がありました。
しかし戦後は、長い間、学校や家庭で「真の徳育」を放棄したままになっており、
その影響で、徐々に、あるいは急速に社会が不安定・不安全になって来ています。
それにもかかわらず、昨年、学校での「徳育科」創設が見送られると決まり、その
見送りを積極的に推進したのが中央教育審議会会長ですから、もはや何をか
言わんやです。
また不思議なことに、わが国では、いまだに国歌や国旗でのゴタゴタが生じて
います。世界のなかで、学校での重要な儀式(セレモニー)において国歌や国旗を
ないがしろにしたり、反国歌・反国旗の態度を示す教育をしている国は一つもあり
ません。わが国だけに見られる、反国歌・反国旗を指導する教師は、教師とは
言えず、異常なる反国家労働者というべきでしょう。
今や世界はますますグローバル化しており、資源の乏しい日本は、それこそ、
ますます広く世界を相手にビジネス展開をしなければなりません。それであるなら、
わたし達は世界の常識を身に付けた国際人を育成する必要があります。その
第1歩が国歌や国旗に対して素直に敬意を払うことであり、これは世界の最低限
の常識です。もしも、反国歌や反国旗の姿勢を示せば、非常識な日本人として
バカにされ、世界から全く相手にされないでしょう。
今の学校は、大部分の左翼メディアの影響下において、日教組という反日特別
公務員組合を隠れ蓑に、とんでもない教育を推し進めているとしか思えません。
これでは、ほんとうに、生徒が可哀想です。こういう教育を受けた生徒らは、残念
ながら、真の国際人にはなれず、将来はメチャメチャ、台無しと言えるでしょう。
こんな教育を、はたして教育と呼べるのでしょうか。これは犯罪、それも極悪の
犯罪と呼ぶべきではないでしょうか。
このブログを読まれた方は、ご自分の周りの学校教育に、ぜひとも関心をお寄せ
いただきたいと思います。
ほんの少々激しい言葉を使わせていただきました。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です。
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コメント
えまのんさんへ
東南アジアの例などは、初めて教えていただき、ありがとうございます。
ほとんどご指摘の通りだと思いますが、わたしは、わが国の「民主主義」は、第二次世界大戦後からではなく、明治維新からだと考えます。それでもまだ140年ですから、これを長いと見るか短いと見るか、それぞれの見方があるでしょう。
国歌や国旗を蔑視する人たちは、いわゆる「反日思想」の持ち主であり、左翼思想や全体主義のイデオロギーに染まりすぎ、歴史と民族と人間への豊かな感情(共感)を無くした、誠に、気の毒な不幸な人たちだと判断しますが…。
投稿: のんちゃん | 2008年5月13日 (火) 10時03分
民主主義が根付いて日の浅い諸外国などでは、国旗掲揚や国歌斉唱の場で、敬意を表すことを法律などで強制していることもあります。
東南アジアの国では、国旗掲揚時は、外国人であろうとも立ち止まることを警官に求められた例もあるそうです。
欧州諸国やアメリカなどでは、式典において、国旗掲揚や国歌斉唱時に起立などの指示は出ませんし、学校でも教えていませんが、それは「教えるまでも無い、言うまでもない、当然の行為」であるからです。
日本の民主主義は、それが革命や王権との係争によって獲得されたものではなく、敗戦によって占領国(アメリカ)から与えられたものであるだけに、まだまだ成熟しているとは言い難いのでしょうね。
投稿: えまのん | 2008年5月12日 (月) 11時24分
えまのんさんへ
まったくコメントの通りだと思います。
国歌を歌わず、国旗に敬意を示さない人たちは、日本という国が
厭(反日)であるにもかかわらず、日本という国に暖かい保護と
保障を求め(頼日)ています。
彼らは、虫のいいWスタンダードの持ち主であり、「甘えの
構造」に自分自身がどっぷり漬かっているのではないでしょうか。
あまりにも、「幼稚な現象」が全国で跋扈していることに驚かされます。
やはり、政治が規律をもどさねばならないと考えますが、如何でしょうか。
投稿: のんちゃん | 2008年5月 7日 (水) 10時03分
同感です。
教師個人が日の丸、君が代が国旗、国歌であることに反対する思想を持つこと、私的な場で主張することは構わないと思います。日本には思想信条の自由や表現の自由がありますから。
しかし、その主張表現が公の式典の場で…となると、ちょっと待てよ…ですね。
問題となる教師は、国際的な式典に出席した場合も国旗掲揚、国歌斉唱の場では不起立を貫くのでしょうか? 近々行われるオリンピックの開会式とかでも?
国旗掲揚、国歌斉唱の際には、自国他国に関わらず敬意を表するのが国際的なマナーだというのに。
日の丸、君が代が国旗、国歌にふさわしくないのならば、国旗国歌法を改正すれば良いのですが、反対派の中で改正についての運動をされている方は、ほとんどいませんねぇ。
投稿: えまのん | 2008年5月 2日 (金) 09時08分