続・山の辺の道を歩く…素晴らしきかな大和!
117回目のブログです。
大和は
國のまほろば
たたなづく
青かき
山ごもれる
大和し
美し (日本武尊<倭建命>・川端康成書)
昨年10月末、気の置けない友人十数人と、古代のロマンと心の故郷を求めて、
大和に位置する「山の辺の道」を歩きましたが、その時は天理から柳本までであり、
今回は、その続きで、柳本から桜井まで歩きました。これで一応、日本のふるさと、
歴史の源である山の辺の道を体感したことになります。
距離は約9km。かなり短い印象を受けますが、全体に起伏に富んでおり、地道
も多いため、適当なハイキングでもあり、ウオーキングとしても申し分がありません。
それに加えて、前半に引き続き、ここでも、『日本書記』、『古事記』、『万葉集』に
たびたび登場する地名や旧跡が次から次へと現れ、わたし達を古代のロマンや
神話の世界に誘ってくれます。
当日は、午前中は霧雨のそぼ降る多少寒い気温でしたが、雨男がいなかった
のと、日頃の行いが正しかったからでしょうか、昼からは雨もあがり、快適な歩き
となりました。
見所は、景行天皇陵、箸墓古墳、桧原神社、玄賓庵、狭井神社、大神神社(おお
みわじんじゃ)、大鳥居、平等寺、金屋の石仏、海柘榴市(つばいち)、仏教伝来之
地碑などですが、古の人々が歩いた、途中の牧歌的な雰囲気も素晴らしいものが
ありました。特にさまざまな緑―若葉色・浅緑・萌黄色・青丹・松葉色・海松色・
深緑―が重層する山々の姿は、5月だからこその絶景と言えるでしょう。
スタートはJR柳本駅。そこから前回訪れた祟神天皇稜の脇を通り、しばらくする
と「景行天皇陵」に至ります。景行天皇はヤマトタケルの父にあたり、この陵は
囲に堀がめぐらされ、今に続く歴史の重さを十分に感ずることができます。
野見宿弥が祀られている相撲の発祥地である「相撲神社」や有名な「箸墓古墳」
は、残念ながら、遠くから眺めただけにおわりました。
大神神社の摂社のひとつで、天照大御神を祀り、元伊勢とも呼ばれている
「桧原神社」で昼食をとりましたが、趣のある境内では山桜桃(ゆすらうめ)が実り、
それも無人販売されており、素朴な味を楽しめます。
平安時代の高層・玄賓僧都が修行した場所であり、謡曲「三輪」の舞台となった
「玄賓庵」や、狭井川のほとりにあり薬霊泉も涌き出る、大神神社の摂社「狭井
神社」はちょっと立ち止まり、その雰囲気を感じ取るだけにしました。
次に、48峰といわれる多くの峰々から成り、笠をふせたような美しい山容を示す
「三輪山」を御神体とし、この山の辺の道を代表するひとつである「大神神社(おお
みわじんじゃ)」に至ります。
大神神社は、歴史と伝統を伝える神社であり、素晴らしい風格を備えています。
悠揚迫らぬ厳粛さのなかで参拝しましたが、何となく、凛然とした雰囲気に浸る喜
びを感ずることができます。
これは、背後に備わる御神体である三輪山の悠然とした存在に感応したもの
かも知れません。これこそ現在に生きる“自然”というものを示しているのではない
でしょうか。
最近、環境保護論者がよく共生という言葉を使いますが、わたしは、これは僭越、
おこがましいことだと考えます。わが国の歴史に素直であるならば、自然に学び、
自然に頭を垂れ、自然に手を合わし、自然に感謝することが、環境政策の根本と
ならなければならないでしょう。
であるならば、わが国の歴史を色濃く造った古代の大和人たちの感覚に触れる
ことは、あらためて現代を考えるきっかけとなるに違いありません。
大神神社の「大鳥居」は、今、日本で二番目の高さだそうですが、遠くから眺め
るに留め、「平等寺」を経て、「金屋の石仏」で足が止まります。金屋の石仏は、
平安時代の作で、高さ2.14m、2体あり、重要文化財として、かの棟方志功画伯
も絶賛したそうですが、さすがに見事な石仏だと思います。
いよいよ最終地点である「海柘榴市(つばいち)」に到着。海柘榴市はわが国
最古の市として繁栄しました。ここでは、山の辺の道、初瀬街道、磐余(いわれ)
の道、竹ノ内街道などの古道が交わるとともに、大和川水運の港として大阪難波
からの舟の便もあったため、さまざまな物産が集積し大いに賑わったそうです。
また、春や秋には、若い男女が集まって互いに歌を詠み交わし遊ぶ歌垣(うた
がき・求婚の場)が行われていました。『歌垣』…何と心地よいロマンチックな響き
の言葉でしょうか。古の大和人が歌(和歌)で求婚するという、素朴で繊細な情緒
を持っていたのは、まことに驚きです。そうした当時の人々の持つ、ほとばしる
感受性、豊かな人間性、おおらかな国民性が、天皇から読み人知らずまでを含む
国民歌集として、世界に誇る万葉集を編ませることになったものと思われます。
紫は ほのさすものぞ 海柘榴市の
八十のちまたに 逢へる子や誰 (読み人知らず・今東光書)
この地、大和川(初瀬川)のほとりに、ひときわ大きな石碑が建っているのが目に
入ります。石碑には墨痕鮮やかに「佛教傳來の地」と書かれていますが、これは、
西暦552年、百済から仏像や経論がこの港に上陸したのを記念したものです。
さらに、推古天皇の時、遣隋使・小野妹子が、隋使を伴って帰国した際、75頭
の飾り馬をもって迎えさせた場所もこの海柘榴市だったのです。現在、往時を思い
起こさせる飾り馬の石造が数頭建っています。
先日、中華人民共和国主席の胡錦濤氏が来日し、奈良の法隆寺や唐招提寺
を訪問しました。宗教を悪として弾圧する共産党の立場としては、この海柘榴市
を訪ね、せいぜい仏教伝来の地碑を仰ぐにとどめ、双方とも利益を享受したで
あろう往時の日中交易の場に思いを馳せるべきだったと考えます。法隆寺や
唐招提寺は仏教寺院ですから、仏教を虫けらのように踏み潰す人物を招き入れる
のは、それがいかに中国(支那・中華文明)の重鎮だとしても、まことに腑に落ちな
いところです…。
そんな汚れた心を清らかに洗うのが山の辺の道でしょう。柳本から桜井までの間
に、30もの歌碑があります。作者は、神武天皇・柿本人麻呂・倭建命・額田王から
読み人知らずまで多岐にわたります。筆者は、批評家の小林秀雄・画家の堂本
印象・同じく東山魁夷・数学者の岡潔先生・万葉学者の犬養孝先生・歴史家の
平泉澄博士などなど高名な碩学の方々ばかりであり、目が眩むほどです。
最終到着地点はJR桜井駅ですが、駅の近くの食堂で、有名な「三輪そうめん」
に舌鼓を打ちました。
山の辺の道…“素晴らしい”の一言につきます。日本文明、日本文化の原点、
本当の日本はここにあるのではないでしょうか。
一度訪ねられることを強くお薦めします。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です。
∞∞∞∞∞ ご 紹 介 ∞∞∞∞∞
このブログをお読みになっている、学生、ビジネスマン、官僚、先生、シニアなど
のみなさまに有益な勉強会を下記ご紹介します。この勉強会は、新聞やTVなど
では得られない真実の情報をもとに、正統な国と社会を目指すべく積極的に貢献
しようとするものです。大阪での集まりは、そんなに多くの人数ではありませんので
議論も活発です。ご一緒に参加しませんか。 参加ご希望の方は、6月15日まで
にEメールにて k.nosou@nifty.com ( 野宗邦臣) までご連絡下されば、
わたしの方から幹事さんに申し込みます。
■ 弘志会(関西)6月例会ご案内 ■
新緑の候各位には益々ご清祥の段お慶び申し上げます。
さて弘志会(関西)6月の例会を下記の通り実施しますので振ってご出席下さい。
今回は元防衛研究所第一部長の近藤重克様に安全保障問題を語って頂き
ます。戦後の多くの日本人にとって平和を叫ぶことは出来ても国の安全を語る
ことは出来ません。また経済を語ることは出来ても国の防衛を議論することは
出来ません。例会では講師にそのあたりを国際分析しながら語って頂きます。
記
◎日時:6月28日(土)13:30~17:00
① 13:30~15:15 (質疑応答を含む)
講演:「日本を取り巻く国際環境とそれへの対応
―安全保障の観点からー」
講師:元防衛研究所第一部長 近藤重克氏
② 15:15~17:00
懇親会
◎場所:たかつガーデン(大阪府教育会館)「桜」会議室
TEL:06(6768)3911
〒543-0021 大阪市天王寺区東高津町7番11号
地下鉄千日前線(又は谷町線)谷町9丁目下車、徒歩5分
◎会費:4,000円程度(懇親会費を含む。講演のみは1,000円)
ただし、学生は無料
以上
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