メール依存症から脱皮しよう!
126回目のブログです。
いよいよ夏本番、各地で夏祭りが行われています。豪華な中にも厳粛な歴史を
感じさせる「お神輿」、パリッとした色鮮やかな浴衣、庶民感溢れる団扇(うちわ)、
涼やかな風鈴…。これらは、情感豊かな民俗そのものであり、いずれも夏の風物
詩であると言えるでしょう。
こんな夏祭りのようなハレの時には、家族や会社などにおける人間関係は、以外
と素直で濃密であり、いわゆるコミュニケーションは上手くいっており、大きな問題
が生ずることは少ないでしょう。
先日来マスコミを賑わしている凶悪犯罪の背景には真のコミュニケーション不足
があります。一般社会はもちろんのこと、家族の中においても、精神的に孤独な人
が増えているそうですが、その原因は、直接会話の不足であると指摘されています。
そうであるならば、その直接会話というコミュニケーションさえあれば、人間は
孤独を感じなくて済み、犯罪に至ることも少なくなるに違いありません。
その意味で、真の「コミュニケーション力(りょく)・コミュニケーション能力」をどう身
につけるかを考える必要があるでしょう。それは、現代においての人間関係の中心
がコミュニケーションであり、今や、コミュニケーションの有り様が重要なテーマと
なっているといっても過言ではないからです。
まず言えるのは、企業のなかでは、言い古された言葉ですが、コミュニケーショ
ンの極意は、“報”“連”“相”だということ。すなわち、報告、連絡、相談です。組織
の上下関係のなかで、日常的に「報・連・相」が行われていれば、危機管理にも力
を発揮し、大きな社会問題を起こすまでには至りません。
組織のなかで、上に行けば行くほど孤独、孤立の状態になり、その孤立状態が
続けば、いわゆる裸の王様になり勝ちです。しかしながら、人間は弱い存在で、
孤独、孤立には耐えられず、何らかの接点を求めています。上司は部下からの
報告でもよい、連絡でもよい、相談ならもっとよい、何でもよい、常に待っている
状態です。石原裕次郎の古い歌ではありませんが、“♪俺は待ってるぜ!”で
しょうか。したがって、報・連・相はコミュニケーションの基本なのです。
ところで、最近はインターネットが発達し、すべての用件をメールで済ませる人が
多くなってきました。特に若い世代と理科系に多いと言われます。確かに、メール
の方が言いにくいことでも簡単に伝えることが出来るし、相手の顔を直接見なくても
済ますことができます。何と言っても、難しい案件などではメールの方が精神的に
楽ですから。
実際にわたしが見聞したことですが、はなはだしいのは、会社で隣の机の人とも
全てメールで済ませる人がいたことです。言葉を交わすのは、朝出社時の「おは
ようございます」と夕方退社時の「お先に」の2フレーズだけ。驚きを越えて、呆れる
とはこのことでしょうか。
本来のコミュニケーションとは、相手の顔の表情や身体の動き(ボディランゲージ)
を見て、その相手の感情や心理の変化を理解しながら、議論したり、交渉したりす
るものです。したがって、実際に相手と直接会うか、少なくとも電話で話さなければ
ならないことは言うまでもありません。
メールはデータのやりとり、スケジュールの確認、文書の送付、原稿の修正など
に限定し、議論、交渉、会話は顔を直接会わせて行うべきではないでしょうか。
100%メールに頼り、メール以外に不安感を覚え、メール世界に逃げ込もうと
する…こんな「メール依存症」が多くなってきたため、ある大手のIT企業では、全社
で毎週1日を「メールなしデー」と決め、その日は、メールはデータのやりとりだけに
限定したところ、コミュニケーションが各段に向上し、社員間の風通しが非常によく
なり、社員の顔つきも明るくなったと言われています。
今や、デジタル時代の到来ではありますが、人間の心理はアナログであり、これ
は将来とも変わらないのではないでしょうか。
メールは「情報」。会話が「コミュニケーション」。
何はともあれ、メール依存症から脱皮しましょう!
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です。
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