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2008年10月24日 (金)

日本の進むべき道…今、文明論から見てみよう!

 139回目のブログです。

 世界的な金融の大混迷と景気後退により、超厳しい経済環境となり、はたして
これからどうなっていくのか予断は許せない状況になってきました。こうしたなか、
またまた、中国生産の「冷凍いんげん豆」に劇薬が混入され、被害者が入院する
という事件が生じたのです。混入場所は国内か中国か不明ですが、早く解明して
貰いたいものです。

 今、わが国と中国(中華人民共和国)とは、経済的な結びつきは大きく、政治的
にも、良い意味でも悪い意味でも、かなり密接度を増してきているように見えます。

 政治的には、靖国を中心としての内政干渉、尖閣諸島への脅し、ガス田ガス吸引、
反日教育の徹底、毒薬解明の不実行など、歴史的中華思想そのものの態度で
もって、わが国に圧力を掛け続けています。

 それに対して、わが国のリーダー層(政治家・メディア・官僚・学者・市民団体・
文化人)の大半は、親中の立場で、にこにこ喜んで対応していると言っても過言で
はありません。彼等は、平和的な、融和的な、穏便な対応が外交の基本だと考えて
いるようです。

 しかし、わたしは何かしっくりいかないと感じています。未だに、中国は、1月の
毒ギョーザも解決の糸口さえ示そうとしないからです。漠然とではありますが、一般
国民、一般市民も中国の異様、異質、異状さに、今ごろになってやっと気付き始め
たと思われます。

 それでは、わが国は政治的にはどこに立てば良いのでしょうか。

 イギリスの歴史家トインビーやアメリカの学者ハンチントンは、世界を七つの文明
に分類し、西欧キリスト教文明、ロシア正教文明、イスラム文明、ヒンズー文明、
中華文明、中南米ラテンアメリカ文明そして「日本文明」を挙げています。日本文明
を別個に取り上げたということは、日本は独自の文明要素を持っていると判断した
からであり、この文明論もわたし達に重要な視点を示してくれています。

 ところで、ここにきてあらためて注目されているのが、国立民族学博物館初代館長
梅棹忠夫教授が数十年前に著した「文明の生態史観」です。最近、日本人の
ビヘイビアが自己中的主張(たとえば、モンスターペアレント)になってきましたが、
これは、日本人の大陸人化(大陸中国などは強烈な自己主張の世界)を示している
ものであり、わが国が大陸と同一化することに強く警鐘を鳴らしたのが梅棹教授の
「文明の生態史観」だからです。

  文明的分類

    第1地域    a 西ヨーロッパ世界
              b 日本世界  

                     
    第2地域   Ⅰ 中国世界
             Ⅱ インド世界
             Ⅲ ロシア世界
             Ⅳ 地中海・イスラム世界

           (東ヨーロッパはa´、東南アジアはb´)

    第1地域は、歴史の型からいえば、塞外野蛮の民としてスタートし、第2
    地域からの文明を導入し、のちに、封建制、地方分権、ブルジョア革命
    をへて、現代は資本主義による高度の近代文明をもつ地域である。

    第2地域は、もともと古代文明はすべてこの地に発生しながら、封建制
    を発展させることなく、その後巨大な専制帝国をつくり、その矛盾になやみ、
    おおくは第一地域の植民地ないしは半植民地となり、最近にいたってよう
    やく数段階の革命を経ながら、あたらしい近代化の道をたどろうとしている
    地域である。
                   (梅棹忠夫「文明の生態史観」より一部抜粋)

 なかなか面白いですね。昔、読んだはずなのですが、全く頭から抜けており、あら
ためて読むと考えさせられます。日本の進むべき道について、メディアなどは軽々
薄々なイデオロギーを主張していますが、今一度落ち着いて考えてみなければなら
ないのではないでしょうか。

 梅棹教授は、十年来、「日本人が大陸人化し、中国人や韓国人に似てきている
のが心配だ。自らの利益よりも他者への慮りを優先し、調和を尊ぶ抑制的な資質
が崩壊しているのではないか。日本と大陸アジアは全く異質である。」
と語っている
そうですが、完全に失明されている教授の内心はいかばかりかと思う所です。

  異質性と同質性 新しい関係

  わたしは「おたがいにアジア人だから」というような言葉が、いったいどれ
  ほどのないようをもちうるか、たいへん疑問だとおもう。感覚的、あるいは
  観念的な意味においてのみ、アジアは同質的なのであって、論理的、ある
  いは実質的な意味においてはけっして同質的であるとはいえない。日本は
  とくにそうである。あゆんできた歴史もちがうし、現在の生理もちがう。

  このことは、国際関係の友好的・敵対的などということとは全然別のことで
  ある。同質性を強調しながら、ひどいことになった例を、わたしたちは、いく
  つもみた。

  逆に、異質性をみとめた上だって、いくらでもうまくゆく道をみつけることは
  できるとおもうのだ。おたがいにアジア人だということばは、一種の外交的
  フィクションである。
わたしは、この種の外交的フィクションが効をおさめる
  場面のあることもわかるし、いちがいに無用とはおもわないけれど、フィク
  ションはフィクションである。

  現実にどうなってゆくかをかんがえるためには、いちおうフィクションをはな
  れなければならない。
                                 (同じく一部抜粋)

 政治的には、大陸中国や半島にへつらう人が増え、政治家、財界、メディア、
学者、官僚などに、中国との友好関係の中での大東亜共栄圏を夢見て、東アジア
共同体」
とか「アジア共同体」を推進しようとする親中リベラル派が増えていますが、
果して問題はないのでしょうか。今、ここで冷静にならなければなりません。

 わが国はもちろん一般的にはアジアに位置していますが、環境とメンタリティに
おいては、第2地域の中国とは異なり、西ヨーロッパと同質の第1地域に属している
という碩学・梅棹教授の指摘に耳を傾けなければなりません。

 わたし達の国が安寧で穏やかであった時代は、大陸や半島と適度な距離を保ち、
毅然とした時でした。歴史の上で思い起こすのは、聖徳太子の中国隋の皇帝煬帝
に宛てた国書。そこにある

   『日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや』

の凛とした精神です。今、わたし達にその覚悟と心意気があるのか、はなはだ心もと
ないのではないでしょうか。

 梅棹忠夫教授の「文明の生態史観」(中公文庫780円)はなかなか読みやすい
本です。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか

次回も
時事エッセー
です
 

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