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2008年11月28日 (金)

研修旅行…熱海・箱根の現代史にスポット!

 144回目のブログです。

 先日、寒さはそんなに厳しくなく、紅葉が盛りであろうと思われる熱海と箱根を、
気の置けない友人10人(関東4名・関西6名)と1泊2日の旅行をしました。例に
よって、研修をも目的にしていますので、今回は、熱海・箱根の隠れた現代史に
スポットを当てたものです。いずれのスポットも、現場に立ってこそ、目から鱗、考え
させられるところの多い充実した旅行となりました。

 JR熱海駅で東西が合流し、興亜観音、小田原城、(湯河原)伊藤屋旅館「光風
 荘」、パール下中記念館、ケンペル・バーニー記念碑、旧箱根街道、箱根関所、
 ポーラ美術館、十国峠を研修観光。マイクロバスで移動しましたが、さすが箱根、
 目に染まる紅葉の盛りと美しい景色のハーモニーを十二分に堪能しました。

  貫一・お宮の像、お宮の松

  折角の熱海ですから、駅から200以上の急段を下がったところにある「貫一
  ・お宮の像」を見にいきました(ここは、私だけ)。文学史で習った尾崎紅葉の
  「金色夜叉」に因むものとして有名であり、一度見ておきたかったという大衆的、
  野次馬的興味からです。

  興亜観音

  熱海にある深い緑にかこまれた急峻な伊豆山に「興亜観音」という穏やかで
  美しい観音像が建っています。この観音像は、昭和15年、陸軍大将松井石根
  が、支那事変での日本と中国、両軍の戦没者をひとしく弔うために建立したもの
  彼は若い時から日中友好論者でした。

  松井石根は軍司令官として南京攻略を果たしましたが、戦後いわゆるA級戦犯
  として“南京大虐殺”の責を負い、昭和23年殉国刑死しました。

  今、この境内には極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)で殉国刑死した7名
  (松井石根・廣田弘毅・土肥原賢ニ・板垣征四郎・東條英機・木村兵太郎・武藤
  章)の遺骨が葬られ、吉田茂元総理の揮毫による「七士の碑」があります。

  吉田さんってすごいですね。吉田元総理が、堂々と、この殉国した七名を弔って
  いることからみれば、靖国神社に参拝しない、現在の腰砕けの総理大臣等は
  この石碑の苔でも(つめの垢に准じ)煎じて飲むべきでしょう。少なくとも、国に
  殉じた方の慰霊さえできない総理は真のリーダーではあり得ません。

  資料としていただいた、東京裁判での「松井石根大将供述書」には、支那事変
  (日中戦争)当時の心境、状況、事件などが誠実に語られています。それを読め
  ば、現在言われている“南京大虐殺”がはたして真実であるのか、政治的プロパ
  ガンダなのか
を解明する一助になるのではないかと思います。

  松井大将は、自己の思いはきっちり供述し従容として刑死に赴いたこと、また、
  このような観音像を建立したことからみて、誠実な、人間性あふれる人物と言え
  るでしょう。

  興亜観音を知らない人(もちろん、わたしも今まで全く知らず)がほとんどだと
  思いますが、戦争、南京、東京裁判、アジア、日中、英霊、慰霊を考えるには、
  一度訪れ、静かに頭を下げる必要があるのではないでしょうか。

  小田原城

  15世紀中頃の築城と推測。最初は大森氏、次いで北条早雲が奪取。秀吉の
  小田原攻めにより北条氏滅亡という城の歴史がありますが、わたしは、どこの
  生まれか定かでない北条早雲が一国の主、それも大きな小田原城の城主に
  まで登りつめた、その小田原城にある種の感懐を持ちました。それにしても、
  結構大きなお城であり、大掛かりな菊花の展示もなかなかの目の保養となりま
  した。

  「光風荘」(湯河原・伊藤屋旅館)

  昭和11年2月26日、国家改造を目指す陸軍の青年将校ら1400人は、首都
  の中心を占拠するという、いわゆるクーデター未遂事件「2・26事件」を起こしま
  した。

  2・26事件は東京以外でもあったのですが、それが、ここ湯河原の「光風荘」
  です。光風荘には、前内大臣の牧野伸顕伯爵(明治の元勲大久保利通の次男
  ・麻生現総理の曽祖父)が静養の為家族らと宿泊。牧野伯爵は天皇側近として
  国政の中枢にありましたが、青年将校は君側の奸として、襲撃の対象としたもの
  です。

  2月26日早朝、河野寿大尉以下8名が襲撃するも、当直の護衛官皆川義孝
  巡査の応戦で、牧野伯爵は脱出に成功。皆川巡査は死亡。河野大尉は負傷
  入院するも、病院にて自決。

  ここには、関係者の直筆の手紙、当日の新聞、辞世の句などが展示。まことに
  粛然たる気持ちになりますが、襲撃した当時の将校らや護った巡査らが双方
  真剣であったことを感じざるを得ません。それに引き替え、現代は心底ヌルイ
  時代と言えるでしょうか。

  それにしても、首都・東京以外に2・26事件の現場があったとは知りませんで
  した。近現代史をもう一度勉強する必要を感じた次第です。

 ■ パール下中記念館

  極東国際軍事裁判(東京裁判)で判事として、日本が国際法に照らして全員無罪
  であることを主張したインドのパール判事を記念する記念館です。(この印象は
  強烈であり、極めて重要なので、来週のブログで詳しく述べます。)

  旧箱根街道 ケンペルとバーニー記念碑

  箱根にはわずかに旧街道が残されており、鬱蒼とした杉木立の旧街道に立って
  みるとタイムスリップした感じを持ちます。なかなか落ち着きますね。

  その旧箱根街道に、外国人が建てた自然保護の碑があります。イギリスの貿易
  商バーニー
が大正11年(1922)建立。碑文は、300年前の親日家、ドイツの博物
  学者ケンペル
の著「日本誌」を引用。

     “人民は謙譲・勤勉・敦厚にして、その地は最も天恵に富めり。
      この光栄ある祖国をば、さらに美しく尊くして卿らの子孫に
      伝えられよ” 
 (敦厚→人情に厚いこと)

  300年前のドイツ人がわが国の自然と国民性の素晴らしさを賞賛していたの
  ですが、現代のわたし達は果してそれに応えているのか、大いに疑問がある
  のではないでしょうか。

  箱根関所

  昨年、箱根関所が完全復元。箱根関所がこの地に置かれたのは江戸初期、
  元和5年(1619)。全国に53箇所の関所がありますが、中山道の木曾福島
  (長野県)、碓氷(群馬県)、東海道の新居(静岡県)・箱根(神奈川県)が4大
  関所であり、なかでも箱根関所が最も有名です。

  大番所・上番休息所、厩、上番所雪隠、京口御門、京口千人溜、矢場、御制札
  場、遠見番所、足軽番所、三つ道具建、江戸口御門、江戸口千人溜、外繋と
  すべて復元されており、見ごたえは充分。江戸時代、幕府体制維持のため、
  通行人を厳しく取り締まった様子が窺われ、非常に参考になります。現代に
  置きかえれば、国境海洋警備でしょうか。これを怠ったがために北朝鮮の無法
  ・無道な拉致を許したとも言えますので、厳しい国境警備は国家安泰の必須
  条件
であるとあらためて認識しました。

  ポーラ美術館

  当初の予定になかったポーラ美術館を訪れ、絵画などを鑑賞しました。ポーラ
  美術館のコレクションは、オーナーの鈴木常司氏が収集した9500点の美術品
  であり、西洋絵画、日本画、東洋陶磁などの他に、この会社ならではの化粧道具
  があります。

  特設展示として「佐伯祐三とフランス」が展示されており、佐伯祐三、ヴラマンク、
  ユトリロの作品が数多く、その他、モネ、ルノワール、セザンヌ、ピカソ、シャガー
  ル、モディリアーニ、モネ、林武、フジタ、黒田清輝、青木繁、坂本繁二郎、東山
  魁夷など、一流の画家揃いでなかなか見ごたえがありました。

  この美術館は6年前にできた、非常に明るく洒落た造りとなっており、化粧品
  会社を連想させるに相応しいものであり、こういう美術館を建設運営するオー
  ナーの心意気に尊敬の念を持ちます。

 1泊2日の旅、非常に実り多いものであり、前もってよく調べてくれた友人に感謝!
興亜観音、パール下中記念館、ケンペルとバーニー記念碑などを訪ねられること
をお薦めします。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか

次回も
時事エッセー
です
 

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