素晴らしき古都…平城京跡~西ノ京を歩く!
143回目のブログです。
いよいよ紅葉のシーズンとなり、各地の山、森、林、公園、庭がそこにある落葉樹
の葉を得も言えない微妙な紅色系に変化させ始めました。わが国では、これを眺め
るに、“紅葉(もみじ)狩り”という優雅な名称を与え、その美意識をそれこそ高揚させ
るという遠い昔からの優れたものがあります。
古くからの歴史を感じさせる地と言えば古都。それも悠久の自然を感じさせる奈良。
その中でも、特段に素晴らしい西大寺、平城宮跡、垂仁天皇陵、唐招提寺、薬師寺
を、先日、気の置けない友人10人と散策しました。
気温も下がり、寒さも多少厳しく感じましたが、幸い雨男、雨女も居らず、天候に
恵まれ、楽しいウォーキングとなりました。
■ 西大寺
近鉄(近畿日本鉄道・日本一長距離の私鉄)西大寺駅は、近鉄奈良駅よりも
乗降客(乗り換え含む)が多い存在ですが、この駅を降りてすぐのところに
「西大寺」(真言律宗)があります。
天平神護元年(765年)、称徳天皇の勅願により創建。西大寺という名は、
大仏で有名な東大寺に対するもので、南都七大寺の一つに数えられていたそう
です。境内には本堂、四王堂、愛染堂、聚宝館などが静かに佇んでおり、多く
の国宝や重要文化財があります。
近鉄西大寺駅は知っていても、西大寺を知らない人は多いでしょうが、一度は
訪れてもいいと思います。
■ 平城宮跡・平城宮跡資料館
古の都、平城京にある時の太政大臣・長屋王の邸から、今から20年前、3万
5000点に及ぶ木簡が発見されました。この一部を資料館にて特別展示。木
簡は、現代でいう帳票、伝票、メモ、識別票の類であり、当時の貴族社会の実
態が如実に判明できます。貴重な牛乳の献上票とかお米の配布票とかなかなか
興味を引く存在です。
平城京は和銅3年(710年)に誕生しており、平成22年(2010年)は、建都
1300年にあたります。平城宮は朱雀門や庭園などは整備されていますが、
現在、第1次大極殿の復元中です。
大極殿は、浅沼組、竹中工務店、森本組が、木造建築技術の粋を集め、宮大工
の技を結集して、その建築に当たっており、建都1300年祭の超々目玉となる
に違いありません。今は工事中のため塀に囲まれて見えませんが、日々の進
捗状況が分かりやすく解説されています。
平城宮内に設けられた大極殿院と朝堂院は、重要な政策を決め、即位礼のほか
元日朝賀や節会などの国家儀式を行い外国の使節をもてなす際に使われました。
その際に天皇が出御される建物が大極殿です。53m×28m×高さ29mの
荘重・典雅な、世界遺産に相応しい日本建築の粋を、一刻も早く見たいものです。
それにしても、この平城宮の中を近鉄電車が通っているのですが、その目障り
な“無粋さ”はどうにかならないのでしょうか。
とはいうものの、平城宮、一見の価値大いにありです。
■ 垂仁天皇陵
平城宮で持参したお昼の弁当を食べ、しばらく歩いて垂仁天皇稜に辿りました。
垂仁天皇稜は正式には菅原伏見東稜(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)
と言い、全長227mの前方後円墳。豊かな水を周囲に廻らし、稜は深い緑の
木々で覆われ、大きな鳥が数羽木々に止まっている清澄な雰囲気はさすがに御
稜を感じさせます。
■ 唐招提寺
垂仁天皇稜から長閑な田舎道を歩いて次は有名な唐招提寺。唐招提寺は、
前後5回に及ぶ難航海に失敗したにもかかわらず初志を貫徹して、聖武天皇
の寵招に応え、授戒の師として来朝した鑑真和尚に由来するものです。
国宝17件、重要文化財200件はまことに天平文化を代表するものと言える
でしょう。金堂の微妙な稜線、鴟尾(しび)の簡潔な美しさなどは、天平様式
の象徴としてどんなに見続けても見飽きません。その他わが国最古の校倉
(あぜくら)、学問の場・講堂、全面に苔むした庭園などいずれもみごたえが
あります。
鑑真和尚の像を安置する御影堂は外からだけしか窺えませんでしたので、来年
には、昭和50年東山魁夷画伯が奉納した障壁画「山雲」「濤声」なども観賞
したく、あらためて参りたいと思います。
『若葉しておん目の雫拭はばや』(俳聖、芭蕉)
それにしても、唐招提寺は全体に、飛鳥・奈良の息吹、日本の古き良き都を彷
彿と感じさせる素晴らしいお寺です。
■ 薬師寺
唐招提寺のすぐ近くにこれまた有名な「薬師寺」があります。薬師寺は天武天
皇により発願、持統天皇によって本尊開眼、文武天皇の御世に完成。1300
年の歴史を持ちますが、室町時代の終りごろ東塔を除いて灰燼。
昭和42年、わたし達もよく知っている高田好胤管主が薬師寺白鳳伽藍の復興
を発願し、写経の勧進によってそれが実現したものです。その意味では、この
伽藍群を見れば、高田管主の力強い行動力、説得力に感動すら覚えます。
金堂、大講堂、東塔、西塔、いずれも素晴らしい伽藍、白鳳文化の華と言える
でしょう。金堂は各層に裳階(もこし)をつけた竜宮造りといわれ、ほんとう
にこれが竜宮城かと思わせられます。東塔、西塔も、表面上は6重の塔に見え
ますが、いずれも裳階をつけた3重の塔です。古の奈良の建造物の色は、朱・
緑・黄・白の4色が明瞭に使われているのが特徴であり、明るいながらも精神
的な品位を保っていると言っても過言ではありません。
金堂には「薬師三尊像」(国宝・白鳳時代)が安置されており、中央が薬師如来、
向って右が日光菩薩、左が月光菩薩。病気平癒の佛様であり、その美しさは例
えようがありません。わたし達はこの薬師三尊の側で若い和尚さんの説法を聞
きながら、日頃の不摂生を反省しましたが、このような説法こそ、本来の仏教
の姿であると思いました。そういう意味で、薬師寺の寺風は貴重なものと言わ
なければなりません。
この有意義な一日を終え、わたしは、飛鳥・奈良時代のお寺は、最高水準の深遠
な哲学・学問の場であったのではないかとの印象を強く持ちました。古の神社や
仏寺は、国家の護持、社会の安穏、国民の安心立命を、祈り、指導するという崇高
な使命を有していた…そんな雰囲気を全身に感じたのですが、一方、翻って現代は
どうなのかという思いを捨てることはできません。
奈良、この響きはなかなか心地よく、またそれに充分応えてくれるだけに、これ
からも度々訪れたいと考えます。夕方になると冷え込んできたために、薬師寺の
近くの店で、熱燗で一献、身体もあたたまり、一日の充実を実感した次第です。
“奈良…素晴らしき古都”を再発見!
みなさんはどのようにお考えでしょうか
次回も
時事エッセー
です
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