18歳は成人だ…若者よ自己主張をしよう!
150回目のブログです。
おかげさまで150回目という節目を迎えることが出来ましたが、今後ともご愛読を
お願いします。
さて、今年はほとんどの会社や役所が、1月5日の月曜日を仕事始めとしていまし
たが、話題はもっぱら不景気、金融不安、株価、デフレ、アメリカ経済、雇用不安など
であり、一年の展望を誰か明言してほしいという雰囲気です。
しかし、そんな展望をできる人は極めてまれであり、各自がそれなりに、ない知恵、
ある知識をしぼって、考えなければならないのではないでしょうか。考えなければ、
時は刻一刻、無情にも過ぎていってしまいます。
今年は、平成21年、皇紀2669年、十干十二支は己丑(つちのとうし)、 西暦では
2009年。元日はすでに過ぎ、はや来週の月曜日、1月12日は成人式を迎えます
が、今回は、「成人」について考えてみます。
人生の節目をどう見るかは、人それぞれでしょう。3年前にも書いたのですが、
興味ある年割りを再度ご紹介します。人間の成長過程を7年ごとに区切り、それ
に漢字一文字を与えた『7年成人説』。誰の説かは知りませんが、かなり以前に
教えてもらったものです。人間生まれてから、7年毎にかくあるべしということで
しょうか。
《7年成人説》
1 ~ 7 生
8 ~ 14 整
15 ~ 21 青
22 ~ 28 性
29 ~ 35 盛
36 ~ 42 精
43 ~ 49 政
50 ~ 56 成
57 ~ 63 征
64 ~ 70 清
71 ~ 77 聖(正)
(数字は年齢)
これを見ますと、78歳以上がありませんが、現代はそれだけ長寿の人々が
増えたことを示しています。現状では、71~77は正、78~84で聖、が妥当かな
と思います…。
わが国では、高齢者は65歳以上を指しますが、パワーは強烈で、先般の後期
高齢者問題でも、その力を遺憾なく発揮したことは記憶に新しいものがあります。
まさに、清、正、あるいは聖とはほど遠い雰囲気であり、彼等は選挙の投票率でも
高い数字を示し、己が生きることへの自己主張は止まる所を知りません。
わたしは、彼等は、出来るだけ子どもや孫の世代に負担を掛けないような方策を、
穏やかに、静かに主張すべきだと考えます。ヒステリックな主張は、社会、世間の
騒乱の要因であり、まさしく、清、聖の真逆でもあります。特に、理想的には清・正・
聖であるべき年代の人は、“美しく生きる”ことと同等に、個人的には“清らかな死
に方”、社会的には“迷惑を掛けない死に方”を模索し、それを明確に認識すべき
ではないでしょうか。≪死≫というものについての厳粛且つ真剣な議論を抜きに
して、国家・社会の安定はあり得ないと考えます。
それに引き替え、20代、30代の若者の主張はあまりにも大人しすぎます。若者
がもっと強く主張しなければ、このままでは、わが国は、高齢者の意向に沿った政策
ばかりとなり、健全な国家、安定した社会、継続した歴史を築くことはできません。
若い世代はその主張を、自分の所属する組織で行うだけでなく、マスメディアに
おいても積極的に行うべきです。さらに最も大切なことは、選挙、特に衆議院・参議
院選挙では必ず投票し、若者の意見を政策に反映するように努めなければならない
のではないでしょうか。現在の投票率ではあまりにも低すぎます。
無関心は敗北に繋がります。若者よ、中高年、高齢者、後期高齢者を圧倒せよ!
現代は少子化時代。このままでは大変なことになりそうですが、わたしは、ここで
成人年齢を、現行の20歳から18歳に引き下げ、選挙権も18歳以上に与える法律
改正を即時実施することを提案します。
昔の元服は12~16歳でしたから、18歳が大人・成人・元服の年齢であっても、
全く問題はありません。そうすることによって、成人の自覚を促すとともに、若い世代
の選挙権者を増やすことで、その意見・考えをも配慮した政治が行われることを期待
したいと思います。
若者よ自己主張をしよう! そのためには、選挙の投票に行こう!
18歳は成人だ。18歳に選挙権を与える法律改正を!
わたしは、若い世代に暖かい声援をおくります。
みなさんはどのようにお考えでしょうか
次回も
時事エッセー
です
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コメント
ご指摘のように、最近では若者の意見がないがしろにされているように思います。ないがしろにされないためには、積極的に発言する以外の道はなく、そのためには選挙で意思表示するほかはないのでしょう。若者の自覚に期待したいと思います。
投稿: yuichirou | 2009年1月 9日 (金) 09時26分