国旗掲揚率…建国記念の日に考える!
156回目のブログです。
前回のブログでは、清々しく可憐な“梅の花”について書き、多少とも心に和みを
感じたものですが、今回は寂しい現実について書きます。寂しいというよりは、悲しい
現実。それは、わたし達の精神が徐々に歪んできていることを一人一人が理解でき
ないまま、世界の常識から、さらに遠くへ離れて行こうとしていることなのです。
先週の2月11日は、「建国記念の日」であり、以前は「紀元節」と言いました。建国
記念の日(旧紀元節)は、わが国日本の永い歴史、山あり谷あり、苦難あり栄光あり、
その世界に冠たる誇るべき歴史を静かに振り返り、立国の先達に敬意を表すととも
に、その精神を心の底に認識する日です。
そのために、わが国の政府は、「建国記念の日」の式典を主催し、二千数百年前
の苦難の建国(ちなみに、今年は紀元2669年)から今日の厳しい国家環境に思い
を馳せ、それを厳粛に祝い、日本国の将来の発展を期すべく、覚悟を新たにしたに
違いありません。
それが、何でしょう、えっ…?。
◆ 「建国記念の日」…政府が率先し祝うべきだ
43回目の「建国記念の日」を迎えた。国民の祝日としてはすっかり定着した
といえる。しかし、今年も政府が主催する式典は行われない。かつてない
経済危機で、国民の結束が必要な今こそ、こぞって建国を祝うことができる
方法を考えるべきだ。
政府はまったく「建国記念の日」にタッチしない事態が続いている。民間団体
による式典はいくつか開催されているが、今年、麻生太郎首相が出席する
予定はない。
国際的にみても、国が制定した建国の記念日を政府自らが祝わないという
のは、異例なことと言わざるをえない。
(2009/2/11 産経新聞主張抜粋)
まさか、政府がこれほど重要な式典を行っていないとは知りませんでした。それに
しても、金融危機から始まった世界不況に対して、国家を挙げて対処しようとして
いる時、党利党略を離れ、明治政府にならい、建国の歴史にその団結の中心を置く
こと以外に何かあるのでしょうか。建国記念の日は重要な日であり、単なる休日では
なく、日本という国にとって特別な『祝日』なのです。
麻生総理をはじめ、政府の高位高官(与野党政治家・高級官僚)は、一体何を考え
ているのか。建国記念日の式典さえ主催できなくて、国家の藩屏ということはできず、
もはや、彼らは単なる薄汚れた権力亡者としか言えないのではないでしょうか。
何たる堕落! せめてもう少し、多少でも“公”のために力を尽くして欲しいものです。
とはいうものの、高位高官の問題だけではありません。わたし達一般国民も、
大東亜戦争(第2次世界大戦)後の、いわゆる戦後教育(これは、今も脈々と続いて
いるのです…)のなかで、特に国家=悪と教えられ、国旗、国歌を汚くて薄っぺらい
存在としか見なしてこなかったのです。
今、文科省は公立小中学校では「国旗も国歌もほぼ100%定着した」と発表して
いますが、これは嘘の報告を集計したものに過ぎません。たとえば、教員採用汚職
問題で学校教育の闇があからさまになった大分県では、文部省への報告は国旗
掲揚率も国歌斉唱率も100%となっていますが、一昨年の民間教育臨調によれば、
国歌斉唱については次の通りです。
児童生徒 全員斉唱 26%
半分以上斉唱できず 29%
全員斉唱できず 45%
教員 大部分斉唱 8%
半数以上が斉唱せず 18%
管理職以外斉唱せず 66%
全員斉唱せず 8%
これが、真っ暗闇の大分教育界(教育委員会・日教組・県の利権&左翼全面癒着
構造)の、これまで隠蔽され続けられてきた現実なのです。このことは、大分だけ
ではなく、例えば山梨なども人事利権の日教組完全支配など暗闇の側面がインター
ネットで初めて暴かれています。またこれらは、偏向利権構造を許容し癒着した文部
科学省ぐるみと言っても過言ではなく、根は深いところにあります。
もうひとつ、気が沈むデータ。平成19年度(2007)の公立小中学校教職員の国旗
掲揚・国歌斉唱に絡む処分は54人で、東京都が26人、広島県が21人など。
さて、一般家庭では国旗の掲揚はどうなっているのでしょうか。わたしは、祝日には
国旗を掲げていますが、掲げているのは近所で数軒、非常に少ない印象を持って
います。一般家庭での掲揚率はどれくらいだろうかと、データを探しましたが、みつ
かりません。唯一あったのが、わたしと同じ市に住む人が正月元旦1000軒を廻り
調査したところ、3軒だけあり、0.3%だったというデータです。
ところで、いまだに国旗や国歌に嫌悪感を持ったり、建国記念日という祝日に異を
唱えようとする人々やメディア(朝日・毎日・TBS・ NHKなど)がありますが、彼らは、
国際常識に全く無知というほかありません。まことにお気の毒な存在です。
世界中ほとんどの国では、国旗の掲揚、国歌の演奏や斉唱の際には、誰もが起立
して姿勢を正し敬意を表わします。もちろん、自分の国の国旗・国歌に対してだけ
でなく、外国の国旗・国歌にも同じように敬意を表わすのが普通です。これが国際
常識であるにもかかわらず、わが国では、それに頑強に異を唱えているイデオロ
ギー人間が存在しています。
それも、一面ではご都合主義のところもあるのです。例えば、ある有力な新聞社
(あえて名誉のために名を伏せますが)などは、国歌や国旗には相当の嫌悪感を
もって記事にしていますが、自社の主催する夏の全国高等学校野球大会(甲子園)
では、国旗「日の丸」を翩翻となびかせていますし、国歌「君が代」を高らかに演奏
しています。社旗自体も旧海軍の軍艦旗そっくりに誇らしく、それこそ高らかに掲げて
います。
ここまで行くとなかなかお見事! しかし、これは、どうなっているのでしょうか。
“Wスタンダード”あるいは、“二重人格”または“精神分裂”とも思えるほどであり、
まさに異常であると判断せざるを得ません。
それにしても、世界中ほとんどの国で常識とされていることが、日本の前近代性
の抜けきれない、遅れたイデオロギストには常識となっていないのですが、これは
何故なのか、いくら考えてもよくわかりません。
そんなことを嘆いても始まらず、わたし達は、若い人、児童生徒たちのためにも、
これからはできるだけ国旗を掲げるように努めるべきではないでしょうか。
20%の法則というものがあります。20%あれば、ほぼ全体のように見えるそう
ですから、10軒に2軒、すべての祝日に、日の丸の旗が翩翻となびき、穏やかな
雰囲気が漂う健全な社会、尊敬される国家になることを期待したいものです。因みに、
TVでも、20%の視聴率と言えば相当の高視聴率だそうですから。
祝日には、国旗を掲げ、素直にお祝いする豊かな心を持ちたいものです。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です
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