言動の軽さ…劣化した政治家は退場を!
154回目のブログです。
アメリカ合衆国44代大統領オバマ氏の就任式が、1月20日、200万人が見守る
中で盛大に且つ厳粛に行われましたが、その同じ1月20日にわが国では見事な
までの田舎芝居が参議院予算委員会でおこなわれていました。TVや新聞や雑誌や
ネットで何回も報じられましたが、これがいかに異様で恥ずかしいことであるかを
国民がどれだけ認識しているのか、いささか疑問に思っています。
■ 首相に漢字テスト=石井氏がプレッシャー-参院予算委
「これはあなたの文章にある漢字だ」。民主党の石井一副代表は20日の
参院予算委員会で、麻生太郎首相が昨年10月の月刊誌に寄せた手記に
出てくる12の漢字・熟語を列挙したパネルを示し、「あなたの漢字力からして、
誰かが書いたと思わざるを得ない」と迫った。
(2009/1/20 時事通信一部抜粋)
石井氏はTVの向こうにみえる有権者(選挙民)への受けを狙い、ボード(パネル)
をTVカメラに向け、次の問題を出したのです。
(問題) (解答)
① 就中 なかんずく
② 唯々諾々 いいだくだく
③ 揶揄 やゆ
④ 畢竟 ひっきょう
⑤ 叱咤激励 しったげきれい
⑥ 中興の祖 ちゅうこう(の)そ
⑦ 窶し やつ(し)
⑧ 朝令暮改 ちょうれいぼかい
⑨ 愚弄 ぐろう
⑩ 合従連衡 がっしょうれんこう
⑪ 乾坤一擲 けんこんいってき
⑫ 面目躍如 めんもくやくじょ
世界各国がアメリカ大統領の就任式での演説、そのなかの基本政策に固唾を
飲んでみている時、わが国では、何と、かりそめにも予算委員会と言う、日本国の
予算を考える場で、最大野党の副代表が、いやしくも内閣総理大臣に“漢字のテスト”
を主要な質問としていたのです。
情けなや! どうなっているのか。本来この予算委員会では、揚げ足を取る質問
ではなく、本質的な予算の審議をおこない、首相の政策にきびしく議論を挑むのが
本筋というものではないのでしょうか。時間の浪費、税金の無駄遣い、的外れ、無
能力、非政治家、本来は選良として動かねばならないにもかかわらず、これでは、
まさしく選悪であり、存在しない方が国民のためになると思います。
さらに、政治家にはスピーチライターがいるのは当然のことであり、誰が書いたか
ということより、何を述べているのかが重要なことであり、石井氏の質問は、全く的を
得ていません。
また、麻生首相にしても、こんなくだらぬテストにはまともに応対せず、質問自体を
撥ね付ける強さを発揮してほしいものです。さらに、マスコミも面白おかしく取り上げ
“政治ごっこ”に輪をかけている観がありますが、本来は、そんな状況にストップを
かけるのが役目ではないでしょうか。このマスコミ業界も劣化につぐ劣化状態を露呈
していると言っても過言ではありません。
● 「100年に一度の危機だ…」
麻生首相を筆頭にして、政治家もマスコミも文化人も、今は100年に一度の不況
であり、100年に一度の危機であるという言い方をしていますが、はたしてそうなの
でしょうか。
わが国の歴史を振り返りますと、100年少し前に、日清戦争(1894)・日露戦争
(1904)があり、過去100年間には次のようなことがありました。
1914(大正 3)年 第1次世界大戦
1939(昭和14)年 第2次世界大戦
1945(昭和20)年 原爆投下(広島・長崎)
今、100年に一度と言う人は、今回の危機を、国運を賭けた大東亜戦争(第2次
世界大戦)や憎むべき原爆に匹敵するほどのことと認識した上で発言しているので
しょうか。もしもそうであるならば、彼らの発言に、歴史認識に立った重厚さ、身体
から滲み出す誠実さ、事態への緊迫感、国民・市民への厳しい責任感、これらを総合
した深刻な時代認識が、ひしひしと伝わってくるはずですが、わたしにはどうしても
そのようには感じられません。空疎な言葉を弄ぶことは避けなければならないのでは
ないでしょうか。
● 「麻生総理は、徳川慶喜と同じ最後の将軍だ…」
自由民主党政権が風前の灯火となっており、自民党政権を江戸幕府に見立て、
麻生総理を徳川慶喜になぞらえたりしていますが、とんでもありません。江戸幕府
や徳川慶喜にまことに失礼にあたるばかりか、歴史に無知蒙昧であることを示して
います。江戸幕府も徳川慶喜も、日本という国の根本、国柄をきっちり認識していた
存在であり、国の根本や国柄の認識に欠ける自民党や麻生総理と比較するのは
おこがましいにも程があります。これも、言葉があまりにも軽いのではないでしょうか。
■ 『綸言汗の如し…』
「綸言汗のごとし」という重い格言があります。天子の言葉は、体から流れた汗が、
再び体内に戻らないのと同じように、一度口からでた言葉は取り消すことはできない
という意味です。
重い立場の人の言葉、たとえば総理大臣などの言葉は、重大なる決意と言えば、
内閣総辞職、衆議院解散を意味し、一度口から漏れてしまえば、もう止めることは
できません。それが総理大臣の意図したことか、そうでないかは別にして、一度口
から発せられたならば、一瀉千里に事態が展開してゆくことは、たびたび経験した
ことであり、これは厳然たる歴史の事実と言えます。
最近は、政治家、大企業の社長、高級官僚、ジャーナリストなどはもとより、総理
大臣といえども、大層口が軽く、その発言に重みがなく世間を徒に掻き乱している
傾向があります。連日の新聞やテレビで報道される事件を見ればよくわかりますが、
国のリーダーとしての言葉、藩屏らしい志ある言葉を、真摯に、丁重に、豊かな語彙
で語る場面が少ないように思えてなりません。
今、わが国が混迷の真っ只中にある時、各界のリーダー、特に政治家に求め
たいのは、軽い言動しかできない人には退場していただき、重厚で行動力ある人、
「綸言汗の如し」を体現できる人達に重責を担っていただきたいということです。
みなさんはどのようにお考えでしょうか
次回も
時事エッセー
です
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