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2009年4月 3日 (金)

桜賛歌…唄・歌・詩・和歌・俳句を楽しむ!

 162回目のブログです。

 “ 唐崎や 春のさざ浪 うちとけて 霞みをうつす 滋賀のやまかげ”

 これは平安時代の摂政太政大臣であり、歌人としても有名な藤原良経(ふじわら
のよしつね)の名歌ですが、琵琶湖畔の春の風景がみごとに詠まれています。
今は春、まさに桜の季節、大阪ではもうすぐ造幣局の桜の通り抜けが行われよう
とする時、人口に膾炙した、桜についての歌々をピックアップしてみたいと思います。

  童謡「さくら」 作詞者不肖(近世筝曲)

  (1) さくら さくら
     野山も里も 見わたす限り
     かすみか雲か 朝日に匂ふ
     さくら さくら 花ざかり

  (2) さくら さくら
     やよいの空は 見わたす限り
     かすみか雲か 匂ひぞ出づる
     いざや いざや 見にゆかん

  唱歌「花」 武島羽衣作詞(滝廉太郎作曲)

  (1) 春のうららの隅田川
     のぼりくだりの船人が
     櫂(かひ)のしづくも花と散る
     ながめを何にたとふべき

  (2) 見ずやあけぼの露浴びて
     われにもの言ふ桜木(さくらぎ)を
     見ずや夕ぐれ手をのべて
     われさしまねく青柳(あおやぎ)を

  (3) 錦おりなす長堤(ちょうてい)に
     くるればのぼるおぼろ月
     げに一刻も千金の
     ながめを何にたとふべき

 童謡「さくら」は穏やかで、暖かい雰囲気を持っており、これぞ童謡の中の童謡で
しょうし、年を経て聴いても、幼いころを懐かしく思い出させてくれる名歌と言えるで
しょう。

 唱歌「花」は、滝廉太郎の名曲として記憶から離れませんが、隅田川のたゆとう
流れを包む長い堤に、伸びやかに大らかに佇む桜花、その素晴らしい光景を、
美しい調べに乗せて心を和ませてくれます。

  軍歌「歩兵の本領」 加藤明勝作詞(永井建子作曲)明治44

  (1) 万朶(ばんだ)の桜か襟の色
     花は吉野に嵐吹く
     大和男子(やまとおのこ)と生まれなば
     散兵線の花と散れ

  軍歌「同期の桜」 西條八十作詞(大村能章作曲)昭和19

  (1) 貴様と俺とは同期の桜
     同じ兵学校の庭に咲く
     咲いた花なら散るのは覚悟
     見事散りましょ国のため

 いわゆる軍歌として歌われた中に、桜、桜花が多く出てきます。何と言っても、桜
の花は儚い命ではありますが、散り際は見事なまでに美しく、青い空に見える薄紅
色の柔らかな色彩は、日本人全てに愛されてきたものであり、それだからこそ、
軍歌にも取り上げられたのだと思います。わが国の軍歌には、美しい情景と心こもる
情感を豊かに歌い上げたもの…ある意味では叙情歌ともいうべきものが少なくあり
ません。

  俳句

  「桜花 何が不足で 散りいそぐ」 (小林一茶)

  「散る桜 残る桜も 散る桜」 (良 寛)

  「よし野にて 桜見せふぞ 檜の木笠」 (松尾芭蕉)

  「初桜 折りしも今日は よき日なり」 (松尾芭蕉)

  「行く春や 白き花見ゆ 垣の隙」 (与謝蕪村)

  「観音の 大悲の桜 咲きにけり」 (正岡子規)

  和歌

  「あしひきの山桜花一目だに 君とし見てば我れ恋めやも」
                     (大伴家持・万葉集)             

  「桜花ちりぬる風のなごりには 水なき空に浪ぞたちける」
                      (紀貫之・古今集)

  「花の色は移りにけりないたづらに 我が身世にふるながめせし間に」
                  (小野小町・古今集・小倉百人一首)

  「高砂の尾上の桜咲きにけり 外山の霞立たずもあらなむ」
            (権中納言匡房・後拾遺集・小倉百人一首)

  「世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」
                         (在原業平)  

  「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」
                            (西行)

  「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」
                    (本居宣長)

  「風さそふ花よりもなほ我はまた 春の名残をいかにとやせん」
                   (浅野内匠頭長矩・忠臣蔵)

  俗唄

  “花は桜木人は武士”

  “酒なくてなんでおのれが桜かな”

  “咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒が勇めば花が散る”

 これらの和歌、俳句、俗唄、いずれも名歌として人口に膾炙されており、毎年、
桜の花がきわめて盛んな時や、あるいは、まさに儚く散ろうとしている時に、思い
出したように頭に浮かび上がってきます。

 これは、われわれの先祖が、大昔から、桜に対してある種の感懐を催し、それが
今や、いわゆるDNAとなり、骨の髄にまで染み込んだのではないかと思える程です。

 先日、外国にかなり詳しい教授の話が新聞に載っていましたが、日本人以外は、
桜の花の下に立ち止まったり、記念撮影したり、お花見弁当で宴会を催したりは
しないのだそうです。わが日本人は、それだけ桜に強いシンパシーを感じ、花見を
通じて、上下差のない集団意識の確認をおこなっている
と見るべきではないで
しょうか。

 それはともかく、まだまだ桜を楽しむことはできます。近くにはいくらでもあるで
しょうから、大いに目の保養をしたいものです。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

  

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