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2009年5月15日 (金)

「民意」…この言葉をもてあそぶな!

 168回目のブログです。

 今週月曜日、いわゆる大型GWの明けたその日、わが国の野党第1党である
民主党の小沢(小澤)代表が辞意を表明しました。来る総選挙において民主党が
政権を奪取しようとし、その可能性も大きいと言われている、この時期の党代表を
辞退するのは、総理大臣を断念するに等しく、おそらく断腸の思いだったであろうと
推測します。

 それもこれも、田中元総理・金丸副総理から泥臭い金権体質を引き継ぎ、そこに
自ら種を蒔き、刈り取った当然の帰結かも知れません。この辞意表明の背景の
一部には、前日発表された読売新聞グループの世論調査の結果が芳しくなかった
ことが挙げられ、“民意”が辞意を促したのではないかとマスコミでは言われていま
す。

 近年、“民意”という言葉が頻繁に使われていますが、今や、民意という怪物が
政界を闊歩していると言っても過言ではなく、この怪物は神聖なベールをかぶって
おり、変幻自在であり、容易にその真の姿をあらわすことはありません。

 振り返ってみますと、郵政選挙で小泉首相は総選挙に圧勝しましたが、郵政
民営化法案に造反した自民党議員は、「民意」が示されたという判断で、あっさり
自説を翻し、賛成に廻りました。……これも<民意>。

 その後参議院選挙で民主党が大勝。これを機に、衆参ねじれ現象が生じ政治が
停滞。安倍・福田・麻生首相の三代続いた内閣に対して、すべての野党、ほとんど
のマスコミ(TV・新聞・雑誌)は「直近の民意は民主党にあり、即時、国民に民意を
問え! 信を問うべし!」と主張を続けました。……これも<民意>。

 それでは、民意とはどういうものなのでしょうか。

   「民 意」 →  国民の意見・人民の意思
              the will of the people           (大辞泉)

  
 辞書をひもとけば、上のような意味なのでしょうが、これでは何の変哲もありませ
ん。民意とは国民の意見だということはわかりますが、要は、国民の意見の総和、
総体、全体をどのように把握するのが正しいのかということではないのでしょうか。

 このことについて、わたしの考えを述べましょう。

  国民の意見の総和を正確に計量することはできません。計量の方法があれ
   ばそれにこしたことはありませんが、ないということを前提にしなければなら
   ないでしょう。

  国民自らが民意を形成することを期待できません。一人一人でさえも複雑極ま
   りないのに、何百人、何千人、何万人と増えれば増えるほど、まとまりが悪く
   バラバラ状態であると言えるでしょう。

  国民の意見は短期的に変動しやすいのではないでしょうか。あれだけ小泉
   政策に賛成だった人が圧倒的に多かったにもかかわらず、少し時間が経過
   すると、批判する人も増えてきています。一般的には、そんなに確かな知識と
   判断力を持ってはいないと思います。

  したがって、民主主義、民主政治は、ひとにぎりの政治家に政治を任せること
   (代議制)で成り立っており、かれら政治家が「民意」というものを体現している
   と認識すべきです。

  以上のように考えれば、いわゆる世論調査に一喜一憂する政治家や、その
   結果だけであれこれ主張するマスコミ、評論家、文化人は、政治の原理原則
   に無知であることを示していると言えるでしょう。

  また、世論調査というものも、その調査方法が杜撰であったり、必ず有して
   いる誤差を明示しなかったりしていますから、自ずと限界があるわけで、問題
   が多いことも認識しなければなりません。

  よく、“民意を問え”という言葉がTVや新聞で踊っていますが、個々の法案
   (案件・イシュー)でそれを実施すれば、毎日民意を問わねばならず、それは、
   民主主義・民主政治の崩壊であり、まさに、『大衆衆愚政治』そのものであり、
   戯画(カリカチュア)というものに他なりません。その意味で、わたしは民主
   主義者ですが、民意を問えという政治評論家やマスコミは、民主主義の敵
   して位置づけたいと思います。

  小泉元首相の郵政テーマ選挙や、小沢民主党の生活が一番というキャッチ
   フレーズも、ともに間違っているのではないでしょうか。総選挙は一つのテーマ
   のみでおこなわれるべきではなく、憲法・外交・安全保障・領土・拉致・貿易
   ・生活・年金・社会保障・医療・国土・運輸航空・労働・官僚・分権・地方政治
   ・教育・外国人・人権・農業などなどあらゆるものを総合的に判断する選挙で
   なければなりません。

 ⑨ 要するに、政治家は、民主政治の体現者として、世論調査やマスコミや、いわ
   ゆる民意に惑わされることなく、信念を持って、日本国の藩屏の役割を果して
   欲しいものです。

 京都大学の佐伯啓思教授は“今日の政治課題は、民意が反映されていないこと
ではなく、政治を「民意」に預けることで政治家が政治から逃げている点にある。
政治とは政治理念を打ち出して、それこそ「民意」を動かす指導行為だからなの
である。”(2009/3/30 産経)と述べています。

 民意というものは、もてあそぶものでもなく、葵のご紋でもなく、それは、政治家
の理想・理念の下に位置する普通の言葉なのです。

それはそれとして、混迷の時代、政治が政治として機能し、活性化することを望み
たいものです。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

 

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