さあ、どこに、誰に投票しようかな!
183回目のブログです。
朝晩はかなり涼しくなり、はや秋の気配を感ずる今日このごろですが、駅頭や
街中では、総選挙最後の追いこみの大きな声が、騒がしく耳に入ってきます。
いずれの陣営も、マニフェスト、マニフェストと叫び、わたし達国民、庶民、大衆の
耳に非常に心地よい『サービス提供』を囁き続けていますが、これがすべて実現
できれば、マイナスはゼロでプラスだけですから、こんなに幸せなことはありません。…?…。
まさに“地上の楽園”(かつて北朝鮮がこのように言われていました)が出現するか
のごとき甘い囁きですが、一方、国民は、多少は冷めた目で見ているように感じ
られます。
政治家のなすべきことは、サービスの提供ではなく、将来を見据えたわが国の姿
を語り、その実現に向って“献身”“奉仕”することだと言われます。そのためには、
どの政党がよいのか、あるいは、誰が相応しいのかについて、国民が、ひとり一人、
真剣に考えるべきでしょう。
今回の総選挙は、政権選択ということでもあり(総選挙は常にそういうものですが)、
先週のブログで、「若者よ、選挙に行こう!投票に行こう!」と呼びかけましたが、
知人から、“じゃあ、どこに、だれに投票すればいいのか”を書いて欲しいとの要望
がありましたので、私なりにメモってみます。
■ 若者よ、選挙に行こう! 投票に行こう!
清新の気風を有する若い世代が、どうして既存の自民党や民主党、あるいは
公明党や社民党や共産などの胡散臭く古臭い政策に満足できるのか不思議で
なりません。わが国の主権や国土に価値を認めない古いイデオロギーや、
悪しき官僚体制(官僚+自治労)、政・官・業の相変わらずの癒着温存、60年
にわたる古臭い憲法護持、などなど、どれを取り上げても、若い世代としては、
一刻も早く“維新(これあらた)”の対象にすべきことではないのでしょうか。
(2009/8/21 ブログ一部抜粋)
このように書いてはいますが、たしかに、この文面だけではよくわかりませんので、
8月30日の投票日における投票基準を考えてみたいと思います。単純化すれば、
次の4項目の内どれを重視するかが問題でしょう。
① 政権交代すべきかどうかを基準とする
② 各党の詳細にわたる政策全般を基準に判断する
③ 各党の基本的スタンス(基本政策)を基準に判断する
④ 人物本位に選ぶ
まず、政権交代について。すでに新聞やテレビの世論調査によれば、政権交代を
望む人の割合が高く、それは、もう既成事実として捉えられています。しかしながら
「政権交代」は手段であって、目的ではありません。
近年、政権与党である自民党が自民党らしさ(保守政党・国民政党・自由主義・
民主主義・市場経済・官民バランス・宗教政党公明党と一線を画す)を喪失してきて
いるのは事実であり、今回の政権交代の風は、自民党の“らしさ”を失った、さまよ
える軟弱体質に失望を表明したものと言えるでしょう。
次に、詳細にわたる政策全般について。これはもう、各党耳当たりの良いことの
オンパレードですが、「バラマキ」と言われないためには、その根底にある理念を語
らなければなりません。たとえば「子ども手当て」などは、少子化対策なのか、格差
是正なのか、家計支援なのかということを明確にする必要があります。
心地よい政策ばかりであり、その美しいバラを身近に眺めたい気持ちもあります
が、しかし“美しいバラには棘がある”の格言も無視するわけにはいきません。各党
が表面上の美しさだけを競い、内面にあるであろう棘は隠されていますので、比較
してもあまり意味のないものと思います。
三番目に基本的スタンス。これは各党で大差があるというべきでしょう。
・ 安全保障、外交(日米安保、親中or親米、防衛力)
・ 北朝鮮 (拉致奪還orことなかれ、核)
・ 経済政策(成長路線or分配路線、自由経済or管理経済)
・ 教育 (知徳体育の充実or日教組思想)
・ 統治機構(官と民、国と地方)
・ 憲法、主権(護憲or改憲、国家主権)
これらの基本政策には大きな差があります。どれを採るべきか、悩むところは多い
でしょうが、各自の良識と常識に基づく以外にありません。
さいごに人物。自民党にも民主党にも、あるいはその他の政党にも、立派な人物、
政治家としてそれなりに尊敬できる人物は存在しており、そういう人が選ばれるべき
です。
今回は、あまりにもぐちゃぐちゃし過ぎており、こんな時は、三番目の基本的
スタンスを確認した上で、「人物本位」で一票を投じたいと考えます。それ以外に
適切な方法や基準がないのではないでしょうか。
それにしても、政治家の信念のいかに薄っぺらいものかということを実感して
います。まずもって、言葉に全く力がなく、基本政策がその場その場でブレにブレる
様相を示していることです。
言葉に力がないことは、発信力の弱さそのものであり、それはまさに“言葉の貧困”
ともいうべきもので、特に麻生総理の言葉の乱暴さは見るも無残の感じがしてなりま
せんし、次期総理といわれる鳩山代表の中心線のないブレも、これまた無残としか
表現できません。
それでも、わが国の選良を選ばなければなりませんので、限られた範囲で、“より
ベターな政治家”に清き(?)一票を投じたいと考えます。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です
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