今、福澤諭吉に学ぼう!
185回目のブログです。
晴天続きの凌ぎやすい季節となり、先日、大阪市立美術館で催されている、慶応
義塾創立150年記念「未来をひらく福澤諭吉展」に行きました。
展覧会に行く切っ掛けは、学生時代に買って未だに読んでいなかった、いわゆる
積読(つんどく)の「福翁自伝」をたまたま読了したばかりだったからです。この本は
福澤諭吉の一生を口述筆記したものであり、あまり隠しだてもなく、とにかく軽妙
洒脱であるとともに、時代精神を絶妙に表現しているなど、自伝としては出色の趣き
があります。
展示物は、遺品、書幅、書簡、自筆草稿、著書を主に、さらには門下生の収集に
なる美術コレクションなど、およそ500点を数え、なかなかの圧巻でした。
福澤諭吉(天保5年<1835>~明治34年<1901>)は、幕末から明治の激動期の
なかで、わが国の近代化に最も貢献した一人です。大坂(当時はこの漢字)の中津
藩の下級武士の子として生を受け、中津(今の大分県)で育ち、さらに、大坂の適塾
(緒方洪庵)に入門、蘭学を学ぶ。23歳で江戸に慶応義塾を開き、欧米を3度も
訪ねるなど、開明の教育者として、日本人ならば誰一人として知らない人はいない
偉大な存在です。
この福澤諭吉展は、「あゆみだす身体」、「かたりあう人間(じんかん)」、「ふかめ
ゆく智徳」、「きりひらく実業」、「わかちあう公」、「ひろげゆく世界」、「たしかめる
共感」で構成されており、諭吉の偉大な人となりと、そのとてつもない影響力を実感
できます。
これらの展示のなかで、いわゆる“福澤語録”をメモしました。
◆「僕は学校の先生にあらず、生徒は僕の門人にあらず」(書簡)
普通の人ではここまで謙虚にはなれません、すごい人ですね。
◆「実学」⇒「サイヤンス」
今まで、福澤諭吉のいう「実学」はいわゆる「実業の学問」だとばかり思っていま
したが、Science(サイエンス・科学的思考)を意味しているとは知りませんでした。
◆「一身独立して、一国独立す」
福澤諭吉の理想として、この言葉が語られたのですが、諭吉死してより100年
を越した今日、わが国民やわが国は、凛とした独立の精神を有しているので
しょうか。
先日の総選挙を見ても、わが国の状況は、いわゆる「薔薇色のタカリ合戦」で
あり、かのアメリカ大統領ケネディの有名な就任演説“my fellow Americans :
ask not what your country can do for you-ask what you can do
for your country”(アメリカ国民よ、あなたの国家があなたのために何をして
くれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうでは
ないか)の覚悟ある格調の高さとは程遠い状況にあるのではないでしょうか。
おそらく、泉下で、福澤先生はおおいに嘆いておられるように思います。
◆「苟も、一国に言語ありて国人互いに意を通ずるを得るの事実あれば、之を
演説に用ゆべからずの理なし」
言葉、演説、説得、説明…これは、今にも通ずることであり、先日の自民党の
直接的な敗北は、麻生総理が、この重要なポイントをないがしろにしたことに
あったと考えます
◆「慶応義塾は単に一所の学塾として自ら甘んずるを得ず、我日本国中に於ける
気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、
立国の本旨を明らかにして、之を口に云ふのみにあらず、躬行実践、以って
全社会の先導者たらんことを欲するものなり」
素晴らしい建学の精神ですが、現代の慶応義塾の学生にも、この精神が引き継
がれていることを望みたいものです。
さて、全ての展示物を見終わり、ふと気づいたのですが、福澤諭吉の“重要な
思想”が語られていない、いや展示されていないことだったのです。何故なので
しょうか、今の自流に合わないからでしょうか。そうであるならば、余りにも軟弱で
あり、福澤先生の教え(福澤精神)に背いているように思われてなりません。
(ひょっとして、わたしが見落としたのか?、そんなことはないと思います)
それは、『帝室論』と『脱亜論』、すなわち、尊王の論と脱アジアの論です。
◆ 『帝室論』
帝室は万機を統(すぶ)るものなり、万機に当るものに非らず。
我輩が今日国会の将さに開かんとするに当て、特に帝室の独立を祈り、遥かに
政治の上に立て下界に降臨し、偏なく党なく、以てその尊厳神聖を無窮に伝えん
ことを願う由縁なり。
我日本国民の如きは、数百年来君臣情誼の空気中に生々したる者なれば、精神
道徳の部分は、唯この情誼の一点に依頼するに非ざれば、国の安寧を維持する
の方略あるべからず。即ち帝室の大切にして至尊至重なる由縁なり。況や社会
治乱の原因は常に形体に在らずして精神より生ずるもの多きに於いてをや。
我帝室は日本人民の精神を収攬するの中心なり。その功徳至大なりと云うべし。
(一部抜粋)
◆ 『脱亜論』
我日本の國土は亞細亞の東邊に在りと雖ども、其國民の精神は既に亞細亞の
固陋を脱して西洋の文明に移りたり。然るに爰に不幸なるは近隣に國あり、一を
支那と云い、一を朝鮮と云ふ。
其古風舊慣に變々するの情は百千年の古に異ならず、此文明日新の活劇場に
教育の事を論ずれば儒教主義と云ひ、學校の教旨は仁義禮智と稱し、一より
十に至るまで外見の虚飾のみを事として、其實際に於ては眞理原則の知見なき
のみか、道徳さえ地を拂ふて殘刻不廉恥を極め、尚傲然として自省の念なき者
の如し。
左れば、今日の謀を爲すに、我國は隣國の開明を待て共に亞細亞を興すの猶豫
ある可らず、寧ろその伍を脱して西洋の文明國と進退を共にし、其支那朝鮮に
接するの法も隣國なるが故にとて特別の會釋に及ばず、正に西洋人が之に接
するの風に從て處分す可きのみ。惡友を親しむ者は共に惡友を免かる可らず。
我は心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり。
(明治18年(1885)時事新報一部抜粋)
今、政権交代が生じ、「アジア共同体」(中国・南北朝鮮・日本)なる妖怪がわが国
を覆わんとしていますが、もしも、それを真剣に検討するのであれば、学問的に
論じ、国家の独立との整合性を吟味し、歴史的に押さえた上でなければなりません。
単なる左翼リベラルのムード的イデオロギー的発想からでは禍根が残るのではない
でしょうか。
その意味で、福澤諭吉の論はおおいに考えて見る必要があります。安易で浅はか
な浮かれた考えで突っ走れば、とんでもないことになり、地獄を見、不幸に陥るで
しょう。なぜなら、福澤諭吉の述べているように、わたし達は、日本国民は、市民は、
大衆は、未だ“一身の独立”を果していないと思えるからです。
それにしても、中国(チャイナ・支那文明)、朝鮮(北朝鮮&韓国・朝鮮文化)と本当
に肌が合うのでしょうか。無理は禁物。アジアでもインド・東南アジア諸国もあり、
何事も、国益中心、公を基準に、これだけはジックリ、30年でも50年でも、あるい
は100年でも熟考すべきでしょう。
なかなか実りある展示会でした。このような催しには積極的に出向きたいものです。
さいごに、「福翁自伝」を読まれることをお薦めします。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です
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