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2009年11月27日 (金)

「対馬」②…国境の島の守りに思う!

 196回目のブログです。

 「対馬」は、万葉集、日本書紀、魏志倭人伝にも登場する歴史的にも由緒ある島
です。加えて、日本大学・島方洸一教授(地図学の権威)によれば、対馬には白村江
の大敗の後に造られた唐・新羅軍に対する日本防衛の最前線である金田城(かなた
のき)もあり、明治時代まで「国境の島」という認識をもっていた、日本で唯一の場所
だったそうです。

 今回の研修旅行の目的は、国境の島・対馬の“守り”(防衛・国防)は今どうなって
いるのかを、その歴史と実情に触れることにより、考えてみることでした。

  航空自衛隊海栗島分屯基地

  海栗島(うにしま)は対馬島の北に位置する島。名前の由来は良質なウニが
  採れることから。ここは島全体がレーダーサイトの基地として、国境の空の
  警備を行っています。40,000坪の小さな島ですから、自衛隊員も対馬島から
  通う人が多く、単身者が半分くらいとのこと。近年、北朝鮮との緊迫した関係
  のなかで、航空自衛隊の方が厳しい勤務条件にもかかわらず任務を果たして
  いることに深い感銘を受けました。

  韓国展望所

  対馬島の最北端にあるこの展望台から、海栗島の遠方に韓国の釜山市を
  見ることができます。対馬と韓国との距離は50km弱ですから、指呼(しこ・
  呼べば答えが返るほどの近い距離)の間、大阪から京都までの近距離、これ
  だけの近距離ゆえに、まさに、貿易(友好)と侵略(争い)を繰り返してきた
  歴史を実感・納得できました。何度も侵略されたそうですから、“守り”が重要
  であることを理解。
 
  豊砲台跡

  豊砲台(とよほうだい)跡は、対馬島最北端の鰐浦にあり、昭和6年完成。
  この砲台は、大正11年ワシントン軍縮条約の締結により不用になった、
  巡洋艦船「赤城」の主砲を移管したものと伝えられています。砲台跡の大穴
  はコンクリートの厚みが3mもあるほど非常に頑丈で、砲台とはこんなもの
  かと、初見ゆえに驚きを覚えました。

  日本海開戦記念碑

  明治38年(1905)5月27日~28日、祖国の興廃をかけ、わが連合艦隊
  (司令長官・東郷平八郎)とロシアバルチック艦隊が、ここ対馬沖にて戦わ
  れた「日本海海戦」を記念して建てられた碑。碑には、東郷元帥の筆で、
  “恩海義きょう”(きょうの字は山扁に喬、めぐみのうみ、ぎはたかしの意)
  の四文字が鮮やかに書かれています。

  この地区の住人は、撃沈されたロシア軍水兵143名を民家に宿泊させる
  など手厚くもてなしたと言われています。日本人の国民性の良き一端として
  誇りに思いたいものです。それにしても、対馬の方々は立派ですね。

  この碑のそばに、ロシア政府が建立した「日露慰霊の碑」や、日本海海戦
  100周年記念に建てられたレリ-フ「平和と友好の碑」もあります。

  この巨大なレリーフには、東郷司令長官が、戦で負傷し、佐世保病院に入院
  している、敵・ロシアバルチック艦隊のロジェストウェンスキー中将をお見舞
  いし、敵将の勇猛な戦いに敬意を表している光景が描かれています。日本の
  武士道
ここにありの思いを、感激をもって新たにした次第です。
  
  日本海海戦といえば次の有名な言葉を憶いださざるを得ませんでした。

   “敵艦見ゆとの報に接し、連合艦隊は直ちに出動。之を撃滅せんとす。
    本日天気晴朗なれども波高し”

   “皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ“

  日本海海戦の圧倒的な勝利…これは、世界史に残る海戦として、わが国の
  輝かしき名誉であり、いつまでも語り続けなければなりません。

  元寇古戦場跡(小茂田浜)

  今から730年前、元が日本を侵略(文永の役1274年)、蒙古・漢軍25,000
  人、高麗軍8,000人、高麗水夫6,700人の大軍で、対馬には900隻の軍船
  で押し寄せ、対馬軍は防戦必死なるも全滅。この小茂田濱神社には、厳しい
  防衛戦・国難に殉じた方々が祀られていますので、わたし達もその神社に参拝。
  慰霊とともに、国境の防衛を祈願しました。

  海上自衛隊対馬防備隊

  対馬には当然のことながら、海上自衛隊の基地がありますが、場所は、旧日本
  海軍要港部にあり、対馬防衛隊として“国境の海の守り”を任務としています。
  海栗島の航空自衛隊と同じように、厳しい環境の中で海上警備に当っている
  姿にただ感謝するのみでした。

 旧海軍要港部の一部は防備隊本部になっているのですが、一部は韓国資本の
リゾート
となっています。本部とリゾートとは金網一枚でしか仕切られていません。

 これは、その土地を持っていた真珠業者が、事業が立ち行かなくなり、国や県に
買収を働きかけたのですが、“予算”と“時間”が上手くいかず、実質的に韓国資本
となったものです。リゾートの中には、天皇皇后両陛下の「行幸啓記念の碑」(平成
二年)が建っていますが、それは清潔に保たれていました。

 しかし、問題ですね。これだけの枢要な土地(海上自衛隊防備隊本部の隣接地・
行幸啓記念の碑がある場所)、それもわずかの土地を国の予算で緊急確保でき
ないとは、何たることでしょうか。無駄金、埋蔵金、ODA、ばらまき…いくらでもある
でしょうに、これは、歴代の総理をはじめ、国のリーダーと目されている方々が、
いかに藩屏意識・国家防衛意識を欠如しているかの明らかな証左と言えるのでは
ないでしょうか。この件は韓国サイドが悪いのでは決してなく、わが国、日本サイド
に問題があるのであって、大きな課題と言わなければなりません。

 さて、日曜日にもかかわらず、わたし達のために、対馬市長・財部能成氏や副市長
らには、懇談の時間をさいていただきました。市長が、厳しい対馬の現状について、
ご自分の考えを率直に述べられたのが印象的でした。

  対馬市人口   昭和35年70,000人⇒平成20年36,000人(激減)
  対馬市の発展 大陸半島との貿易、本島特に九州とのタイアップが必要
  来島者数    平成20年 韓国人72,000人、日本人493,300人
  土地買収問題 外国資本による国境の土地買収は、国家が基本姿勢として
             取り組むべき問題である。

  要望書【対馬の活性化に向けて】 (一部抜粋)

  ≪防人の島新法≫の制定について

    国境離島では、国防や資源管理、燃油対策、漂着ゴミ問題など地域で
    解決できない問題も少なくありません。
    国境離島の問題を一地方の問題と捉えることなく、日本全土の問題と
    して捉え、国境の島を守り活力を与えることは国土を守っていくことに
    通じるとの観点から国境離島地域の問題解決や地域振興に向けた新法の
    制定を強く望みます。
                                 (対馬市・対馬市議会) 
                                          

 対馬市の悲痛な叫びが聞こえますね。対馬市は、要望書のなかで、国防関連機関
の設置、領土保全特別措置、基盤整備特例、産業支援、漂着ゴミ対策、運賃対策、
財・税制措置、金融措置、観光振興などで具体策を要望しています。

 過去の歴史をひもとけば、対馬は“防人”がいるときは、半島から攻められず、
“防人”がいなかった時に攻められた事実がある
ことを案内の方から聞きました。
これは初耳なのですが、対馬は過去、外敵(新羅・高麗・女真・元など)より10回以上
も攻められているそうです。

 今、わが国を取り巻く状況ははいかがでしょうか。ロシアは北方領土を占領した
まま、韓国は竹島を略奪し、沖の鳥島、尖閣諸島は中国が虎視眈々。いずれ、
対馬も…待ったなし。

 南の島では、与那国島に自衛隊を配備することはすでに決まっていたのですが、
先日、民主党鳩山政権の防衛大臣は、中国に阿ねって(気に入られるようにペコ
ペコすること・へつらうこと)中止することにしたと報道されました。歴史に無知、防衛
に無自覚、こんな人が防衛大臣とはまことに情けなく、一度じっくり、対馬を勉強して
もらいたいものです。

 大陸を繋ぐ国境の「辺」であり日本海と東支那海を結ぶ「要」である『対馬』は延喜
式により「辺要」と定められているほど、防衛の最前線であり、戦略的要衝でもあり
ます。

 その意味で、対馬市から出されている「要望書」に国、国家として、真剣に、緊急に
対応を検討すべきであると考えます。わたしは、対馬問題について次のように考え
ます。

  「対馬」は国境の島・辺要の島として位置づけること。
 「国境の島基本法」を策定し、防衛、振興については国の責任において
   行うようにすること。
    (土地売買については制限を設け、国家の買収を優先させる)

   国境の島としての認識を広めるための啓蒙活動(広報)を、国と自治体
    (たとえば対馬市)が協同で行う。

 何はともあれ、防衛は国、国家の基本的行為です。対馬、尖閣諸島、与那国島、
沖ノ鳥島、竹島、北方領土などは、辺要の地です。国で守るのは当然ではないで
しょうか。それが、民主党政権であろうが、自民党政権であろうが、それらの島は、
日本の領土です。日本そのものです。

 それにもかかわらず、政治家は、メディアは、文化人はどうして、他国に、近隣諸国
に遠慮し、へりくだり、おもねり、卑屈
な姿勢を取るのでしょうか。不思議でならない
どころか、その人たちの日本人としての精神を疑います。彼等に、「凛」とした姿勢を
期待するのは所詮無理なのでしょうか。

 辺要の島・対馬は、防人や島に住んだ先人たちが、艱難辛苦を重ね守ってきた
歴史を有しています。…この気高い国家防衛、島嶼防衛の精神に、わたしは、ある
種の感動を覚えざるを得ませんでした。

 しかし、感動は猿でも出来ます。わたし達は猿ではなく、“国民”なのです。である
とするならば、わたし達国民は、現代の防人ともいうべき自衛隊に感謝するとともに、
市長や市民が切望している対馬等の“基本法”の成立に向け、共感をもった積極的
な支援
を行う必要があるのではないでしょうか。

 壱岐・対馬の研修旅行はまことに実り多く、いろいろ考えさせられました。

 何はともあれ、一度訪ねられることを強くお薦めします。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

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コメント

数字を間違っていました(ブログ訂正済みです)
来島数 韓国人72000人、日本人493000人
訂正して、お詫び申しあげます。

投稿: のんちゃん | 2009年12月 1日 (火) 15時05分

上記記事の「政治家は、メディアは、文化人はどうして、他国に、近隣諸国に遠慮し…」に関し→→これと類似のことが、日頃、よくありますが、私はいつも次のことを知りたいと思います。つまり、彼らの本心が「遠慮し、へりくだり、おもねり…」か、相手国との友好とかその他高度の政治判断で、国益を考えて、「凛とした主張」を、喉元まで来ているが、腸が煮えくり返る思いで抑えているのかを知りたいと思います。

投稿: 小澤厚夫 | 2009年11月30日 (月) 17時34分

来島者数の韓国人、日本人の差にびっくりしました。これはやばい。
是非一度、行ってみたいとも思いました。

いつもありがとうございます。

投稿: のびー | 2009年11月27日 (金) 14時58分

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