「対馬」①…自然と歴史の宝庫に触れる!
195回目のブログです。
壱岐から対馬へはジェットフォイル船でおよそ1時間強。対馬は南北82km、東西
18kmの縦に細長い島。韓国まで50kmの短い距離のため、古くから大陸と日本を
繋ぐ要衝として重要な役割を果してきています。
歴史的には、大陸や半島と、経済や文化の交流拠点として位置づけられるだけ
ではなく、国家防衛、国土防衛、すなわち“防人”(さきもり)の拠点としても位置づけ
られてきたのです。
それにしても、島の89%を占め、天然記念物に指定されている原生林や大木を
有する美しい山林、周囲すべてが深いエメラルド色の海、海岸はほとんどがリアス
式という、この対馬は、美しい自然を堪能できる、わが国でも抜きんでた素晴らしい
島だということを、今回初めて認識しました。その一部をご紹介します。
■ 和多都美神社(わたづみじんじゃ)
彦火火出見尊(ひこほほでのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祭る
海神神社。本殿正面に5つの鳥居がありますが、その内2つは海中にそびえて
おり、まさに神話の世界を彷彿とさせてくれます。龍宮伝説があるのも、むべ
なるかなと思われるほど古代のロマンを駆り立てられました。
■ 烏帽子岳展望台
標高176m、リアス式海岸である浅茅(あそう)湾の中央にある展望台から眺め
る景色は、まさに『絶景』というべき。周囲360度(360度ですよ!)すべてが美
しいリアス式海岸ですから、これまさしく、自然の織りなす絶妙な舞台“ビッグ
パノラマ”と言っても言い過ぎではありません。
わたしは、日本三景(宮城県松島・京都府天橋立・広島県宮島)を観たことが
ありますが、この烏帽子岳は、日本三景に優るとも劣らないでしょう。素晴らしい
眺めであり、ずっと見つづけても飽きることはありません。
■ 椎根の石屋根
わが国では対馬にだけある「石屋根」の高床式倉庫。火災から食糧や貴重品
を守るため、母屋から独立して建てられており、屋根は板状の頁岩(けつがん
・対馬産)で葺いたもの。はじめて見る珍しい建築物ですが、地震が全くない島
であればこそ、風に強い建物なのでしょうか。今でも倉庫として使われていまし
た。なかなか壮観です。
■ 万葉集歌碑
対馬は万葉集にも深い関連があります。万葉集には“防人の歌”が93首あり
ますが、それを歌った防人は、対馬・壱岐・九州の防衛のため、東国から派遣
されました。任期は原則3年だったそうですが、当時のことですから、故郷に帰
れる保証はありません。万葉集は4500首あり、天皇から市井の読み人知らず
や一兵士までを含む壮大な国民文学であり、世界に誇れる宝です。まさしく、
無形の世界最高峰の遺産と言うべき存在ではないでしょうか。
国境の島・対馬には防人の歌以外にもあると思いますので、歴史ある大和の
「山の辺の道」にあるように、著名な文化人(万葉学者・歴史家・小説家・詩人
・歌人・俳人・学者・音楽家・画家・建築家など)の筆による小さな歌碑を数多く
建て、本土からの観光客を呼ぶことも、島の振興策のひとつとして、面白いと
思います。
もちろん、すでに、万葉歌碑が建っておりました。
“竹敷きの うへかた山は 紅の 八入(やしお)の色に なりにけるかも”
天平の遣新羅使 小 判 官
(万葉集巻15)
■ 上見坂公園(かみざかこうえん)・砲台跡
対馬の実権をめぐり宗家と阿比留家が争い、宗家が実権を確立した場所であり、
わが国有数のリアス海岸である浅茅湾を一望できる標高358mの公園。複雑
な入江と島々が点在する景色はまるで美しい箱庭を見るようであり、遠望すれ
ば朝鮮半島も見えるそうです。近くには砲台跡の要塞もあり、厳しい国境の姿を、
わが身にズシンと感ずる場所でもありました。
■ 万松院(ばんしょういん)
対馬藩主である宗家の菩提寺。元和元年(1615)の建立ですから、永い歴史を
有しています。この墓地は日本三大墓地(金沢市前田家・萩市毛利家・対馬市
宗家)のひとつと言われており、その言葉には誇張はありません。
132段の広い百雁木(ひゃくがんぎ)と言われる階段の幽玄さ、周囲に立つ樹齢
1200年を数える大杉(3本)の巨大さ、宗家10万石の力と重みを示すであろう
墓石の荘厳さには、それはそれ、圧倒されました。
■ 金石城跡・八幡宮神社・清水山城跡
万松院に隣接して金石城跡があります。金石城は宗家の居城ですが、現在は
城壁、城門跡、庭園の池、櫓門などがわずかに残っており、かすかにその余韻
を感ずることができます。
近くに神功皇后、応神天皇、武内宿禰などを祭神とする八幡宮があり、三韓征伐
の時代を想起させるに足る歴史の重さに思いが至ります。
また、そのすぐ近くに清水山城があります。標高206mの峻険な山ですが、この
城は天正19年(1591)秀吉の朝鮮出兵の時築城。肥前名護屋・壱岐勝本城・
対馬清水山城・朝鮮釜山城を結ぶ駅城だったそうです。わたし達はとりあえず
三ノ丸までフーフーしながら登り、眼下の厳原(いづはら)の町を、感慨をもって
見下ろしました。
対馬は、古くは「津島」「都斯麻」とも言われ、万葉集、日本書紀、魏志倭人伝など
にも度々でてくる歴史ある島ですが、その遺跡などはまだまだ数多くあります。
加えて、その自然の美しさは言語を絶するほど素晴らしいものです。初めて訪れて、
ほんとうに吃驚するとともに、心から感動を覚えた次第です。
一度訪ねられることをお薦めします。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
<国境の島・対馬の守りについて>
です
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