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2010年4月 9日 (金)

櫻・桜・さくら…これは日本の花!

 215回目のブログです。

 先週末から、関西では(正漢字では“”)がほぼ満開であり、京都、滋賀、
奈良、和歌山、兵庫、大阪では、花見の人で大混雑となっています。今年は例年
よりも開花が早いのですが、穏やかな晴天に恵まれており、おまけに世の中が沈滞
ムードですから、一時の明るさを求めて、人出も余計に多いように見受けられます。

 今年はこのブログでは桜には触れないでおこうと思っていましたが、4年前の
ブログスタートが“桜”から始まったことから、桜のことを書かないとどうにも落ち
着きません。

 関西では、奈良の「吉野山」が山全体を桜として、下千本、中千本、上千本合わ
せて約3万本であり、最高の数を数えます。次に多いと言われているのが、私の家
から歩いて10分ほどの「万博記念公園」(日本万国博覧会記念公園)で、約5500
あります。

 万博記念公園は、40年前開催され、6400万人という膨大な人が入場した大阪
万博の跡地が公園になったもの(264ha・甲子園球場の65倍の面積)であり、40
年前に植えられた桜の木々が、今や大木に育っており、青い空に拡がるその枝
振りと薄紅色の豊かな花びらは見事であり、家族連れや色んなグループの花見に
最適のスポットになっています。

 今回は、ここをメインに花見とシャレましたが、ほとんど立錐の余地がないほど
多くの人が楽しい一時を過ごしていました。外国にかなり詳しい教授の話により
ますと、日本人以外は、桜の花の下に立ち止まったり、記念撮影したり、お花見
弁当で宴会を催したりはしないのだそうです。そうだとすれば、わたし達日本人は、
それだけ桜に強いシンパシーを感じ、花見を通じて、家族の結びつきや上下差の
ない集団意識の確認をおこなっていると見てもいいのではないでしょうか。

 ところで、日本の「国花」は、法律で決められているわけではありませんが二つ
あると言われます。もちろん、一つは菊であり、これは国の基である国民精神
(こころ)の象徴ですが、もう一つである桜は国民の美の対象であるとともに、国民
意識の象徴でもあります。

 以前にも書きましたが、わが国で桜が梅を圧倒し主役の座についたのは、国風
文化の開花を示す古今和歌集においてであり、この桜とかな文字の登場が文化に
おける「脱中華」の象徴だと言われています

 桜を愛することは、脱中華、すなわち脱他国文化、脱他国思想であり、自国の
文化、自国の思想、さらには、わが民俗やわが生き方に自信をもつことに他なり
ません。その意味で、わたし達は、今、混迷と混乱のさなかにありますが、独立
自尊の気概
をもつためにも、単に桜のもとでの花見の宴を催すだけでなく、あら
ためて、桜の持つ意義を考え、桜についての歌を鑑賞してみることも一考では
ないかと思います。
 
  童謡「さくら」 作詞者不肖(近世筝曲)

     (一) さくら さくら
        野山も里も 見わたす限り
        かすみか雲か 朝日に匂ふ
        さくら さくら 花ざかり

     (ニ) さくら さくら
        やよいの空は 見わたす限り
        かすみか雲か 匂ひぞ出づる
        いざや いざや 見にゆかん

  唱歌「児島高徳」 (南北朝時代の武将児島高徳が後醍醐天皇を救出
                するため、忍び込んだ庭の桜の木に、自分の忠心
                を記した故事)

     (一)船坂山や杉坂と
        御あと慕いて院の庄
        微衷をいかで聞こえんと
        桜の幹に十字の詩
         「天勾践(こうせん)を空しゅうする莫れ
           時に笵蠡(はんれい)無きにしもあらず」 

     (ニ)御心ならぬいでましに
        御袖露けき朝戸出に
        誦(ずん)じて笑(え)ますかしこさよ
        桜の幹に十字の詩
         「天勾践(こうせん)を空しゅうする莫れ
          時に笵蠡(はんれい)無きにしもあらず」 

 ◆ 和歌

   “またや見ん交野のみ野のさくらがり 花の雪降る春の曙”
                                                        (藤原俊成)

   “明けばまづ訪ねぞゆかん山桜 こればかりだに人に遅れじ”
                                (橘 元任)

   “敷島の大和心を人問はば 旭に匂ふ山桜花”
                          (本居宣長)

   “あしひきの山桜花一目だに 君とし見てば我れ恋めやも” 
                          (大伴家持・万葉集)

   “願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ”
                          (西行法師)

   “花の色は移りにけりないたづらに 我が身世にふるながめせし間に”
                         (小野小町・古今集・小倉百人一首)

   “風さそふ花よりもなほ我はまた 春の名残をいかにとやせん”
                     (浅野内匠頭長矩・忠臣蔵)

  俳句

   “桜花 何が不足で 散りいそぐ” (小林一茶)

   “散る桜 残る桜も 散る桜” (良 寛)

   “初桜 折りしも今日は よき日なり” (松尾芭蕉)

   “行く春や 白き花見ゆ 垣の隙” (与謝蕪村)

   “観音の 大悲の桜 咲きにけり” (正岡子規)

  俗謡

   “花は桜木人は武士”

   “酒なくてなんでおのれが桜かな”

   “咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒が勇めば花が散る”

 これらの和歌や俳句は、いずれも名歌として人口に膾炙されており、毎年、桜の
満開の時や、まさに儚く散ろうとしている時に、ふっと思い出したように頭に浮かび
上がってきます。不思議な感覚ですが、これは、われわれの先祖が、大昔から、
桜に対してある種の感懐を催し、それが今や、いわゆるDNAとなり骨の髄にまで
染み込んだのではないかと思える程です。

 桜に関する歌は数限りなくあると思われますが、どんな内容であれ、桜の言葉を
見ると、ホッとします。…桜は日本の花です。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

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コメント

芭蕉の句では「さまざまな事思い出す桜かな」の方がよいかも知れない。ところで国歌?文化と思われるは
1)日本では桜=一斉に盛り上がっては沈んでいく情念のう  ねりとして捉えられる。
2)韓国では木槿(むくげ)=1つの花が散っても下から上  へと次々を花をつけて行き、容易に根だやしにできない  しぶとさを持っている。
3)中国では桃=永遠の春、永遠の生命
4)インドでは蓮(はす)=仏教に影響か?
 政治では聖徳太子からの伝統と革新を願いものである。

投稿: 通斎 | 2010年4月 9日 (金) 12時01分

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