纏向遺跡(まきむくいせき)を散策する!
221回目のブログです。
この5月16日、日曜日、五月晴れのもと、ウォーキングを兼ねてわが国の古代史
に触れてみようと、奈良県桜井市の纏向遺跡(まきむくいせき)を友人10人と散策
しました。
纏向遺跡周辺を選んだのは、同行10人のうち3人がわが国の古代史を熱心に
学んでおり、昨秋、纏向遺跡で宮殿跡が発掘されたというニュースに触発された
からに他なりません。わたしは万葉集以外にはあまり知識もないのですが、それ
なりに大いに興味をそそられ、わくわくした気持ちで参加した次第です。
歴史の中心地を、気のおけない友人らとゆったりとした気持ちで散策することは、
わが心と精神を、隅から隅までリフレッシュしてくれました。
コースは、JR天理駅集合→JR桜井線・三輪駅→三輪神社大鳥居→桜井埋蔵
文化センター→ホケノ山古墳→箸墓古墳→勝山古墳などの古墳群→山の辺の道
→景行天皇陵→祟神天皇陵→黒塚古墳・展示館→JR柳本駅→JR天理駅で解散。
桜井線の三輪駅から桜井埋蔵文化センターへと歩く間に、青空に聳え立つ「三輪
神社大鳥居」が目に入ります。32mの高さを誇る、日本で2番目に大きい鳥居です
から壮観です。ここが笠をふせたような美しい山容を示す三輪山を御神体とする
大神神社(おおみわじんじゃ)の入り口となりますが、大鳥居から遠くに見える三輪
山が一段と神秘的に感じられました。
大鳥居のすぐ近くに「桜井埋蔵文化センター」があります。ここでは旧石器・縄文・
弥生・古墳・飛鳥・奈良時代の埋蔵文化財がわかりやすく陳列されていますが、特に
纏向遺跡コーナーには、出土した土器・木器・祭祀用遺物が多量に並べられ、その
なかで、マスメディアでも大きく取り上げられた「木製仮面」には目を奪われました。
次に「ホケノ山古墳」。これは纏向古墳群のひとつであり、ホタテ貝型の前方後円
墳です(因みに、前方後円墳には帆立貝型と柄鏡型があり)。周りには、おそらく
古墳造成時に全面に並べたであろう石々(約20cm~30cmの“葺き石”)が見えて
おり、はるかなる往時を静かに、また、かすかに偲ばせてくれます。わたしたちは、
ここで昼の弁当を食べましたが、自然の歴史に囲まれた和やかな雰囲気の昼食は、
喧騒の都会では決して味わうことはできない、ある種、至福の時と言っても過言で
はありません。
散策のメインは「箸墓古墳」。箸墓古墳は纏向遺跡のなかの盟主的古墳であり、
3世紀中頃に築造されたと推定、全長278m、高さ30mの立派な古墳です。
被葬者は、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと・第7代孝霊天皇
の皇女)と伝承されていますが、近年、卑弥呼の墓ではないかと主張する研究者
もいます。
ところで、考古学の立場から、全ての御陵を発掘し、それを検証し歴史の真実を
明らかにすべきであるという主張をする人がいますが、これは大いなる間違いと
言わねばなりません。考古学者のために日本文明があるのではなく、日本文明の
ために考古学者はあるのです。わが民族の中心である、高貴な人のお墓をあえて
あばくのは、避けなければなりません。さらに言うならば、世阿弥の言葉に“秘すれ
ば花”と言う名言があるように、歴史にはある種の神秘性も必要なのではないで
しょうか。
わが国の御陵は、エジプトのピラミッドやギリシャのパルテノン神殿などとは異なり、
古代から現代に至るまで連綿と守られ、現在も生きている御陵であり、皇室に繋が
っているものです。単なる死んだ遺跡、遺物、墳墓ではなく、現代に連なる類縁の
あるものです。これは、わが国の誇るべき歴史だということを、今一度認識しなけれ
ばならないと考えます。
お隣の大陸や半島の民族ならばいざしらず、わが国には、他人のお墓を暴いて
恨みを晴らすような、おぞましいほどの野蛮な風習はありません。“穏やかで、慎み
深く、祖先を大切にする”…これが日本文明の原点でしょう。わたし達日本人は、
歴史のもつ精神をもっと大切にし、それを良き伝統として、次代に引き継ぐ使命が
あると思います。
次に、纏向遺跡にある纏向石塚古墳、纏向勝山古墳、纏向矢塚古墳、東田大塚
古墳をまわり、JR巻向駅にある「3世紀前半の大型建物跡」の地に辿りつきました。
これは昨年11月に調査発表され、今は保存のため土で覆われています。常識的
には祟神天皇の宮跡と考えられますが、卑弥呼の宮殿跡ではないかとメディアは
大きく報じました。
今、古代史・考古学が一般にも盛んになっており、“邪馬台国”はどこかという
話題で百家争鳴、侃侃諤諤(かんかんがくがく)の状況のようです。九州説から
畿内説までいろいろあり、決着は当分つきそうになく、だからこそ、面白いとも言え
るわけであり、わたしは、全くの素人ながら、神話、伝承、古事記、日本書紀、
その他の書物に素直に基づくのがよいと考える立場です。
ここから一昨年に歩いた「山の辺の道」に入ります。山の辺の道は、わが国最古
の道であり、『日本書記』、『古事記』、『万葉集』にたびたび登場する地名や旧跡が
次から次へとあらわれ、わたし達を古代のロマンや神話の世界に誘ってくれます。
古代の道・山の辺の道を歩き続けると、やがて「景行天皇陵」に至ります。第12代
・景行天皇は日本武尊・倭建命(やまとたけるのみこと)の父にあたり、この御陵は
周囲に堀がめぐらされ、今に続く歴史の重さを感じさせます。
さらに歩き続け、「第10代・崇神天皇稜(正式には、崇神天皇山邊道勾岡上稜)」
に到着。全長242mの壮大な前方後円墳。御陵をとりまく老松が美しく、山の辺の
中でも最も大和らしい風景と言われています。御陵を建立した時は30cm大の石を
積み上げたものだそうですが、年月を経て大きな樹木が自然に育ち、全体を覆う
ようになったものと思われます。
最後に、「黒塚古墳」を訪れました。古墳には、前方後円墳、前方後方墳、円墳、
方墳の4種類がありますが、黒塚古墳は、全長132mの前方後円墳です。今から
12年前に発掘され、竪穴式石室と副葬品が多数出土しました。展示館には、石室
が原寸大で再現されており、興味はつきません。33面の三角縁神獣鏡もあります
が、それぞれが、描かれている対象が微妙に異なっていることが分ります。古代の
ロマンここにありという意を強くしました。
さらに、JR柳本駅から天理駅に行き、軽くビールで乾杯!
これで纏向遺跡周辺の散策を終わったのですが、古代のロマン、神話の世界、
悠久の歴史に浸ることができ、まことに充実した一日でした。
わたし達は、この喜びを単なる喜びに終わらせるのではなく、よろこびの源泉で
あるわが国のよき歴史を次の世代に繋いでいく努力をしなければならないと、あら
ためて感じました。
みなさんにもぜひ歴史の散策をお薦めします。わが国は歴史の宝庫です。近間
にも、ちょっと遠方にも気軽にお出かけになってはいかがでしょう。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です
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