世論(せろん)から輿論(よろん)へ!
231回目のブログです。
連日35℃を越す熱暑、酷暑…うんざりする程の暑さに少々参っていますが、
日本の四季から言えば、春は暖かく、夏は暑く、秋は涼しく、冬は寒くですから、
この暑さを当たり前として受け留めるべきでしょうか。
先日、経済も多少回復気味(あまり実感はないのですが)と報道されていましたが、
景気はどんなに暑くなっても大歓迎ですから、もっともっと燃えてほしいものです。
さて、参議院議員選挙も終わり、菅内閣は来年度予算編成に向けて動き始め
ました。菅首相はこれを力強く推し進めたいところでしょうが、如何せん、世論調査
での支持率が急落し、党内求心力が弱まっており、苦心の日々を経ることになるに
違いありません。
■ 2010年7月定例世論調査(日本テレビ)
調査日:7月23日(金)~7月25日(日)
世帯数:2096
回答数:1093(回答率52%)
方 法:RDD電話調査(ランダム・デジット・ダイヤリング)
内 容:参議院通常選挙・民主党大敗評価 世論調査
<菅内閣総理大臣支持率>
支持する 支持しない わからない
前々回(6月緊急) 62.4% 23.6% 14.0%
前 回(6月定例) 58.1% 22.4% 19.5%
今 回(7月定例) 39.2% 45.8% 15.0%
菅内閣は6月8日に発足したのですが、発足直前(6/4~6/6)における菅総理の
支持率は62%もあったのが、約1ヶ月半で39%に急降下しました。
しかしながら、よくよく考えてみれば、1ヶ月半で62%→39%に急変する「世論」
とは一体何なのでしょうか。何となく腑に落ちないものを感じつつも、わたし達は、
何の疑いもなく、世論は絶対的なものだと思い込んでしまっています。絶対的なもの
ということは神であることをを意味しており、いうならば“世論=現代の神”ということ
になります。
はたして、世論はそんなに神聖不可侵のものなのでしょうか。世論の正体に
ついて考えてみたいと思います。
明治時代には世論と輿論とは使い分けられていました。それが、大東亜戦争
(第二次世界大戦・太平洋戦争)後の昭和21年(1946)当用漢字表公布により、
神輿(みこし)、輿論(よろん)の「輿」という漢字の使用が制限され、輿論を世論で
代用、その後、世論を「せろん→よろん」と読ませるようになり、今日に至っていま
す。
当用漢字は本来、あくまでも“当用”であるべきものでしたが、戦後の奇妙な
言語空間が、それ以外は使用すべからずの雰囲気を醸しだしました。それ以来、
輿論(よろん)という重要な意味を持つ貴重な漢字を放ってしまったために、輿論に
ついて思考することができず、それが、現在の混沌とした政治社会状況の一因でも
あるとすれば、当用漢字制限は大変な犯罪者であったと言わねばなりません。
それでは、ここで、世論と輿論の区別をしてみましょう。
≪世論・せろん≫ ≪輿論・よろん≫
Popular Sentiments Public Opinion
私情 公論
世間の空気 公的な意見
気晴らし 建設的意見
感情 冷静
情緒的 理性的
雰囲気・ムード 意見
心情 意識
気分 理想
本音 言葉
情念 正義感
好奇心 戦略
ウーン!うなりますね。今行われている調査は、はたして世論調査(せろんちょうさ)
なのか、輿論調査(よろんちょうさ)なのでしょうか。RDD電話調査ですから、一部には
建設的な輿論(よろん)もあるでしょうが、おそらく、ほとんどが即答世論(せろん)
ではないでしょうか。
つい先日、毎日新聞に載っていましたが、マスコミの世論調査に対しての風当たり
が激しく、「やり過ぎだ!」「世論調査が政局を作っているのではないか!」という批判
が結構あるようです。
さもありなん。菅内閣が発足した6月8日から参議院選(7/11)直後までの支持率
調査が、毎日新聞で3回、多い社は6回も実施しているそうですから、何をかいわ
んや。世論調査自体がポピュリズム(大衆迎合主義)を煽っていると言っても言い
過ぎではありません。毎月1回の定例調査だけにすべきではないでしょうか。
このような度々の世論調査は、政治家に世論(せろん・Public Sentiments)に阿る
ことばかりを迫ることになり、難局に直面しているわが国にとってプラスになることは
ありません。
今、わが国に求められているのは、真の世論、すなわち“輿論”(よろん・Public
Opinion)、公論です。たしかに、理性的な公論、輿論と私的、情緒的な世論との間
を明確に線引きすることはなかなか困難かもしれませんが、それでも、公論を作り
出したり、それを拾い上げる努力を払う必要があります。
国難の今こそ、国民も、メディアも、単なる「世間の空気」ではなく、「公的な意見」
を尊重することこそ求められていると思います。900兆の赤字、少子高齢化、周辺
国家の軍事的干渉、教育の劣化などなど、これらの問題を解決するには私的感情
では不可能であり、公論によって解決していかねばどうにもならないのではないで
しょうか。
一部参考にした佐藤京大準教授の著書「輿論と世論」(新潮選書)の表紙帯には
“いまの日本に必要なのは、空気より意見、セロンよりヨロンなのだ”と大書されて
おり、「気分」や「感情」が国を左右する危険をするどく指摘しています。
さいごに、碩学、警世の京都大学教授・故高坂正堯先生の言葉から。
『最近とみに私論と公論、私益と公益の区別がつかなくなってきた。今日では私論
を合わせれば世論となり、私益を合計すれば公益になるかのように考えられている。
しかし、実はそうではない。政治や経済、さらには教育や文化の問題を論ずるとき
には、公共の利益が存在することを前提にし、公共の立場に立つように努力しなけ
ればならない。』 ―「現代日本の政治経済」よりー
世論(せろん)から輿論(よろん)へ!
『輿論』という漢字をメディアに復活させようではありませんか!
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です
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コメント
いつもありがとうございます。
輿論(よろん)って漢字自体知りませんでした。
当用漢字の影響を受けてるのだなぁと思いました。
投稿: ノビー | 2010年7月30日 (金) 10時32分