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2010年10月15日 (金)

素晴らしき秋の古都…“奈良”を散策!

 242回目のブログです。

 先日、月に1回の志ある人たちの勉強会(異業種)に参加している10人足らずの
友人と秋の奈良を散策しました。奈良は、雅の京都と異なり、自然の息吹が全体を
覆っており、心を鎮める、素晴らしい「古都」であることを再発見しました。

 特に、ベテランのボランティアの方が分りやすい説明とユーモア溢れる解説を
されたので、難しい歴史の流れもすんなりと頭に入ったように思えます。やはり
“百聞は一見に如かず”、実物の塔、伽藍、像、庭を拝観しながら説明を聞くのは、
なかなか乙なものです。

 コースは、近鉄奈良駅集合 ⇒ 興福寺 ⇒ 平城宮跡 ⇒ 唐招提寺 ⇒ 薬師寺、
これで丸1日、目一杯であり、多少駆け足のところもありました。

 奈良は、今年、平城遷都1300年祭のイベントが県内各地で大々的に催されて
おり、特別展示などへの期待もふくらみ、まさに興味津々といったところがあります。

 集合場所は、奈良の玄関口である近鉄奈良駅の「行基菩薩像」前でした。わたし
達は、この平成の御世に、奈良時代で最も著名な僧侶であり、仏教の教えを機内
に遍く広めるとともに、池や橋などの社会事業にも尽力した行基上人(天智天皇
7年〈668〉―天平21年〈749〉)にお出迎えしていただいたわけであり、ある種誇ら
しげな気分をもつことができたのは、まことに幸先の良いことでした。

 行基菩薩像からゆっくり歩いて5分、「興福寺」に到着。興福寺は、天智天皇8年
(669)に創建された法相宗大本山であり、当時の大和国を領しており、比叡山延暦
寺とともに「南都北嶺」と称される、強大な勢力を有していたそうです。

 現在はもちろん往時の規模はありませんが、それでも広大な敷地には、五重塔、
三重塔、東金堂、北円堂、南円堂などがあり、現在中金堂を復元再建中です。

 薪能金春発祥の地であることを初めて知りましたが、何と言っても目的は「国宝館」
の拝観です。入って吃驚! 優に5mを超える巨像“千手観音像”、教科書にも載って
いる“阿修羅像”や“銅造仏頭”など国宝、重要文化財のオンパレード。金堂や塔を
含めると、興福寺全てが、まさに国宝そのものと言っても過言ではありません。

 (移動の道すがら、ガイドさんから、京都の着倒れ、大阪の食い倒れに対して、
  奈良の門倒れということを初めて聞きました。奈良は昔から門構え、外見を
   立派にするそうです、またピアノの普及率は全国NO.1…雑学!)

 次に「平城宮跡」を訪れました。平城京は和銅3年(710年)に誕生しており、今年、
平成22年(2010年)は、建都1300年にあたります。

 この1300年の超目玉は「大極殿」です。浅沼組、竹中工務店、森本組が、木造
建築技術の粋を集め、宮大工の技を結集して、その建築に当たったものであり、
また、上村淳之画伯が東西南北の四神である青龍、白虎、朱雀、玄武の絵を描い
ています。…素晴らしいですね。

 平城宮内に設けられた大極殿院と朝堂院は、重要な政策を決め、即位礼のほか
元日朝賀や節会などの国家儀式を行い外国の使節をもてなす際に使われるもの
であり、 その際に天皇が出御される建物が大極殿です。53m×28m×高さ29m
の荘重・典雅な、世界遺産に相応しい日本建築です。殿内には「高御座」(たか
みくら)が設けられており、その威厳ある荘重さには圧倒されます。

 このイベント会場には「遣唐使船」が実物大で展示。驚くべき小ささ! 当時こんな
小さな船で大陸に渡ったのかを実感でき、文化の導入における往時の先人の苦心
に思いを馳せることができました。
  
 それにしても、この平城宮跡の中を近鉄電車が通っているのですが、その“無粋さ”
はどうにかならないのでしょうか。とはいうものの、平城宮跡、一見の価値大いに
ありです。

 さらに足を運んで「唐招提寺」。唐招提寺は、前後5回に及ぶ難航海に失敗した
にもかかわらず初志を貫徹して、聖武天皇の寵招に応え、授戒の師として来朝した
鑑真和上に由来するものです。

 たわわになった可憐な萩の花が秋の趣きを感じさせるこのお寺は静謐のなかに
凛とした雰囲気を醸し出していました。

 数多くの国宝や重要文化財に囲まれた唐招提寺は、まことに天平文化を代表する
ものと言えるでしょう。金堂の微妙な稜線、鴟尾(しび)の簡潔な美しさなどは、天平
様式の象徴としてどんなに見続けても見飽きません。その他、わが国最古の校倉
(あぜくら)、学問の場・講堂、全面に苔むした庭園などいずれもみごたえがあります。

 鑑真和上の像を安置する御影堂は外からだけしか窺えませんでしたので、来年
には、東山魁夷画伯が奉納した障壁画「山雲」「濤声」なども観賞したいものです。
俳聖・芭蕉もこの鑑真和上の像を拝観(元禄元年〈1688〉)したのでしょう、芭蕉句碑
が建っておりました。

          “ 若葉して おん目の雫 拭ぐはばや ”
                         (俳聖、芭蕉)

 それにしても、唐招提寺は全体に、飛鳥・奈良の息吹、日本の古き良き都を彷彿
と感じさせる素晴らしいお寺です。
    
 最後が、唐招提寺のすぐ近くにあるこれまた有名な「薬師寺」です。薬師寺は天武
天皇により発願、持統天皇によって本尊開眼、文武天皇の御世に完成。1300年
の歴史を持ちますが、室町時代の終りごろ東塔を除いて灰燼に帰しました。

 昭和42年、わたし達もよく知っている高田好胤管主が薬師寺白鳳伽藍の復興
を発願し、写経の勧進によってそれが実現したものです。その意味では、この伽藍
群を見れば、高田管主の力強い行動力、説得力に感動すら覚えます。

 金堂、大講堂、東塔、西塔、いずれも素晴らしい伽藍、白鳳文化の華と言えるで
しょう。金堂は各層に裳階(もこし)をつけた竜宮造りといわれ、ほんとうにこれが
竜宮城かと思わせられます。東塔、西塔も、表面上は6重の塔に見えますが、
いずれも裳階をつけた3重の塔です。古の奈良の建造物の色は、朱・緑・黄・白
の4色が明瞭に使われているのが特徴であり、明るいながらも精神的な品位を
保っていると言っても過言ではないでしょう。

 東塔は奈良時代からのものであり、傷みもはげしく、この秋から大々的に解体
修理されます。修理に10年掛かるとのことですから、あるいは見納め拝観になる
かもしれません。

 金堂には、有名な「薬師三尊像」(国宝・白鳳時代)が安置されており、中央が
薬師如来、向って右が日光菩薩、左が月光菩薩。病気平癒の佛様であり、その
美しさは例えようがありません。わたし達はこの薬師三尊の側で若い和尚さんの
説法を聞きながら、日頃の不摂生を反省しましたが、このような説法こそ、本来の
仏教の姿であると思いました。そういう意味で、薬師寺の寺風はまことに貴重な
ものと言わなければなりません。

 この有意義な一日を終え、わたしは、飛鳥・奈良時代のお寺は、最高水準の
深遠な哲学・学問の場であったのではないかとの印象を強く持ちました。古の神社
や仏寺は、国家の護持、社会の安穏、国民の安心立命を、祈り、指導するという
崇高な使命を有していた…そんな雰囲気を全身に感じたのですが、一方、翻って
現代はどうでしょうか。

 崇高な使命…これを現代宗教に望んでも無駄でしょうか。今、あまりにも、金銭
欲、物欲、権力欲に染まるか、あるいは無関心か、はたまた葬式宗教か、これでは
国家も、衆生も救済できないのではないでしょうか。

 “奈良”…この響きはなかなか心地よく、またそれに充分応えてくれるだけに、
これからも度々訪れたいと考えます。

 “奈良…素晴らしき古都”を再発見!

 今年は平城遷都1300年に当っています。ぜひ奈良を訪れましょう。奈良は日本
の心のふるさと、Japanese Spiritsのふるさとです
。 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です。

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