危機感と責任感…今、リーダーに厳しく問う!
244回目のブログです。
“ 樫の木の 花にかまわぬ 姿かな ”
(俳聖・芭蕉)
わが国の芸術に屹然とした足跡を示している俳聖・芭蕉が、ある人の山家に至って
読んだこの俳句は、まさに、今の時代を象徴しているように思えてなりません。
わたし達は、戦後60年、あでやかで浮ついた華麗な花ばかりを求めてきましたが、
それも限界に達し、今や、どっしりと、高く、黒々とした「樫の木」を求めているのでは
ないでしょうか。
“樫の木”…これを誰に、何処に、何に求めるべきなのでしょうか。ほんらい、
政治、行政、司法、教育、企業などのトップ層が樫の木であれば、国家は安泰で
あり、社会は生き生きとし、外国からも侮られることなく、未来に向って粛々と進んで
いるはずです。
ところが、樫の木はどこにもなく、わが国はますます漂流の度を深めているように
思います。たとえば、有力政治家の言動、菅内閣のビヘイビア、検察庁の汚濁、
マスメディアの歪み、組合の存在意義、企業精神、国家防衛などをみれば、樫の木
どころか小さな木さえも見当たりません。
これらの原因はどこにあるのでしょうか。それは、タイトルに書いたように、組織
の上層部に「危機感」と「責任感」が希薄ないしは皆無であることだと考えます。
企業においては、よく危機管理が叫ばれます。中堅企業や大企業では危機管理
マニュアルを作成し全社員に徹底させているところがほとんどです。危機管理は、
平時においては最悪の事態を想定して危機の発生を予防することであり、その
ための計画を立案し訓練もします。また、危機が万一発生した時は迅速な対応を
はかり最小限の被害に止まるようにすることとなっています。
企業の危機管理の基本的心得は、日大・大泉教授の言葉を借りれば次の通り
です。
① 事前活動(予防)を最高の危機管理と認識すること。
② 常に最悪のことを想定し、その最悪が起こらないように防止し、回避すること。
③ 悲観的に準備し、楽観的に実施すること。
④ 平時において危機管理対応の責任者を決めておき、万一、危機が発生した
場合、危機管理チームを招集し迅速に対応すること。
⑤ 悪い本当の情報こそ最優先で報告させるようにすること。
企業においては、上層部は常に“危機感”を持っており、必然的に危機管理を常識
としていますが、それが充分機能するかどうかは、実際、危機が生じてこないと分り
ません。それでも、“備えあれば憂いなし”です。
それに較べ、国家防衛は尖閣諸島問題で見るように、防衛体制も首相・官房
長官の意識〈危機感〉も全くおそまつであることが明確になりました。本来は、
企業よりも国家の方が、危機意識、危機管理で上でなければならないにもかか
わらず。あぁ!……。
さて、危機管理だけでは、組織は生々と機能しません。もうひとつは“責任感”です。
リーダーは危機感とともに責任感がなければならないことは言うまでもないでしょう。
責任とは組織に対してだけではなく、得意先、あるいは社会、いわゆる「ステーク
ホルダー」(企業の利害関係者のこと、株主・債権者・取引先・顧客、地域住民・国家
を含める場合もある)に対してであり、極めて重要なことなのです。また、これは民間
にかぎらず官僚、役人においても同じこと。
組織においては、真の使命感を有したリーダーが存在することを理想としますが、
それが問題です。かなり前、このブログで述べた“2:2:6の人材論”を援用して、
一つの人材公式を書きましょう。
人材公式 「真の使命感」=「危機感」×「責任感」
割 合 危機感 責任感
○ 人財(危機感・責任感あり) 20% 20%
△ 人材( 〃 少しあり) 60% 60%
× 人罪( 〃 なし) 20% 20%
真の使命感を有している人の割合
20%×20%=4%=4人/100人
100人中4人しか存在しないのですが、国を支えるリーダーはすべからく真の
使命感の持ち主、すなわち、危機感とともに責任感を旺盛に有している人であって
欲しいものです。
それでは、このことに関連してひとつの事件を考えてみます。
先日、郵便不正・偽証明書事件で、大阪地方検察庁の不祥事(証拠物フロッピィ
ディスクの改竄)があきらかになり、無罪になった厚生労働省の村木厚子元局長に
ついての報道が連日の如く報道されています。
今や、村木元局長は無実の罪であわや有罪になろうとした悲劇のヒロインとして、
マスメディアをはじめ国民から惜しみない同情を寄せられており、わたし自身も、
冤罪にならなくて本当に良かったと思っています。(高級官僚が偽証明書作成の
指示をすることは、官僚のビヘイビアを理解していれば、絶対的にありえないこと
であると、当初から判断していました)
しかし、検察はけしからん。村木さんは青天白日のもと一点の曇りもない澄んだ
人であると言って、はたしてそれで良いのでしょうか。
わたしはそうとは考えません。たしかに検察は、職業倫理、組織ともに大きな欠陥
を有していると断定できるでしょう。が、村木さんは“責任”ということから逃げること
は出来ないと考えます。(くれぐれも誤解しないでいただきたいのですが、冤罪に
なろうとしたことは、それはそれで別の大問題として充分認識していますので、その
上で疑問を投げかけていると理解してください)
障害者団体向けの郵便割引制度を悪用した不正金額は、何と220億円にのぼり
ます。実体のない障害者団体に「偽の証明書」が厚生労働省から発行されたことが
お墨付きとなったのであり、それを“独断で”(作成者談)作成したのが上村係長
でした。
どうでしょうか。上村係長がたとえ独断で作成したにしても、「公印」がおされて
おり、上司(村木さん)の『責任』は免れないのではないでしょうか。
220億円ですよ! 国家に損害を与えたわけですから、当事者の係長をはじめ、
課長、局長から大臣まで責任はあると考えるのが当然ではないですか。公印の
保管管理規定、捺印決裁規定はどうなっていたのか。担当者や係長が勝手に
パンパン押せるのが官庁なのか。大いなる疑問は未だに報道さえ行われていま
せん。
民間企業であれば、このような不祥事が発生すれば、係長で止まることはなく、
部長とか事業部長、取締役、社長まで処分対象となるのが常識です。そうでなけ
れば株主総会を乗り切ることはできますまい。
その意味では、村木さんは、犯罪はなくても、責任はあるというのが、良識ある
普通の判断だと思います。そうであるにもかかわらず、新聞、テレビなどのマスコミ
は、冤罪になろうとしたことへのセンセーショナルな視点ばかりであり、官庁、役所
の持つ根本的な問題についての冷静な視点を欠いていると言わねばなりません。
それにしてもいいですね。官の世界は「責任」を意識しなくてもいいのですから、
「無責任」が官の特権ですか。これらについて冷静に、建設的な意見をくみ上げる
のが「真のジャーナリズム」であるにもかかわらず、今のマスコミの有り様は扇情的
なセンチメンタルジャーナリズムといわれても仕方がないといえるでしょう。
まあ、わたし達のシャッポである菅氏が、自衛隊のトップであることを知らなかった
と広言するほどの、危機感と責任感を欠いた首相ですから、下々もゆるりとした
生ぬるい雰囲気を満喫できる世の中であり、「緊張感」を欠くのも致し方ないのかも
知れません。
その間に、わが周辺国家は、言いたい放題、やりたい放題、わが国は着々とその
存在感を弱めていることに気づかないまま……。
あぁ、このままでは奈落の底に落ちるかもしれません。そんな恐怖を感じざるを
得ない今日、リーダーは、あるいは、藩屏(国を守る人)は、「危機感」と「責任感」
をあわせ持ち、「真の使命」を果たすべきではないのでしょうか!
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です。
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コメント
とても同感しました。
郵便不正・偽証明書事件で、なんかすっきりしない理由が納得いきました。
投稿: のびー | 2010年10月29日 (金) 10時29分
全く同感です。加えて、上村係長が何故かかる行動を取らねばならなかったの解明(報道)もされていません。これにはもっと深い因果関係(依頼者及び依頼者の背後人物など)があったと睨んでいますが、人権に関る推測ですのでここには記入致しません。貴方ご指摘も加えこの課題でも報道の幼稚さ(無責任さ)に呆れています。
投稿: 岡村昭(神戸市) | 2010年10月29日 (金) 08時48分