“拉致問題”…これは国民の課題だ!
248回目のブログです。
“ 亡き母や 海見る度に 見る度に ”
(小林一茶)
錦秋に微かに華やぐ紅葉も、それを見る心境により、さまざまな色合いに感ずる
ことでしょう。わが国の伝統色は、レッド、ワインレッド、ピンク、サーモンピンクなど
と言う大雑把なものとは異なり、身の回りの豊かな「自然」の色になぞらえた独特な
言葉で表現されます。
例えば、赤系の色だけでも、牡丹色、躑躅色(つつじいろ)、紅色、緋色、猩々緋
(しょうじょうひ)、朱色、辰砂(しんしゃ)、蘇芳色(すおういろ)、葡萄色(えびいろ)、
茜色、臙脂色(えんじいろ)、檜皮色(ひわだいろ)、栗色、小豆色、退紅(たいこう)、
薄紅、撫子色(なでしこいろ)、紅梅色、薄紅梅、桃色、桜色、一斤染(いっこんぞめ)、
鴇色(ときいろ)、東雲色(しののめいろ)、珊瑚色、灰桜など際限がありません。
そのような色をわたし達は身近に見ることはできますが、「拉致被害者」は、人生
を引き裂かれ、祖国、日本に、彩り豊かに色づいている紅葉もみることが出来ず、
その多くの方は、小林一茶の見た、荒い“海”から拉致されたのです。そして今も
なお、拉致された家族の方々は、遠い海を眺め悲嘆にくれていらっしゃるのでは
ないでしょうか。…まことに悲しいお話です。
一茶の俳句に触発されたわけではないのですが、縁あってある会合に行き
ました。
◆ 『忘れたらあかん 拉致被害者の救出を』大阪府民集会
月 日 11月23日
場 所 大阪中之島公会堂
内 容 ○講演 青山繁晴氏 演題「不屈の希望」
○パネルディスカッション
(司会:青山繁晴氏)
横田めぐみさんご両親
有本恵子さんご両親
特定失踪者ご家族多数
会場の中之島公会堂は明治44年、一個人岩本栄之助氏の寄付(100万円・
今のお金に直せばとてつもない金額)により建てられたものであり、重要文化財
に指定。
11月23日は勤労感謝の日(新嘗祭・天地の恵みに感謝する豊穣祭)にもかか
わらず、聴衆は千数百人の超満員、ある意味でこの拉致問題への関心の高さを
示していると言っても過言ではありません。
さて、青山繁晴氏が示唆したポイント、その他気付いた点をかいつまんでみま
しょう。
①2012年に着目。この年は北朝鮮が金正日から正恩にバトンタッチ、米国、
ロシア、中国もトップが交代する時節として、東アジア、特に北朝鮮情勢が
一気に激動化するのではないか
②しかしながら、その時に向けての準備が必要であるにもかかわらず、わが国
は全く着手していない。(現憲法の下で、救出に向うことができるのか。
具体的にどうするのかの幅広い議論が必要。憲法改正は急務であろう。)
③拉致は新潟、福井、鹿児島の原発所在地周辺で行われたのだ。(わたしは、
このことを全く理解していなかった。)
④横田めぐみさんは中学1年生の時拉致され33年経過、今46歳、…何と言う
ことか!
〈日本国政府認定済の拉致被害者は下記17人〉
1977年 三鷹市役所勤務 ・久米裕さん(52歳)●
1977年 鳥取会社員 ・松本京子さん(29歳)●
1977年 新潟女子中学生 ・横田めぐみさん(13歳)●
1978年 東京飲食店員 ・田口八重子さん(22歳)●
1978年 ラーメン店員 ・田中実さん(28歳)●
1978年 大工見習 ・地村保志さん(23歳)◎
被服店員 ・濱本富貴恵さん(23歳)◎
1978年 中央大学生 ・蓮池薫さん(20歳)◎
化粧品会社員 ・奥土祐木子さん(22歳)◎
1978年 電電公社職員 ・市川修一さん(23歳)●
事務員 ・増元るみ子さん(24歳)●
1978年 佐渡准看護婦 ・曽我ひとみさん(19歳)◎
曽我ひとみ母 ・曽我ミヨシさん(46歳)●
1980年 京都外大学生 ・松木薫さん(26歳)●
1980年 日大学生 ・石岡亨さん(22歳)●
1980年 大阪中華店勤務 ・原勅晁さん(43歳)●
1983年 神戸外大学生 ・有本恵子さん(23歳)●
(◎印は帰国済、●印は未帰国)
⑤特定失踪者(理由なく突然姿を消した人)のうち、拉致の疑いが否定でき
ない「特定失踪者」は400人以上もおり、平成14年(2002)の小泉首相
訪朝直前の2001年にも拉致された人がいることを認識しなければならない。
即ち北朝鮮は長期にわたり拉致を繰り返していたのだ。(わたしは、このことを
初めて知り、ショックを受けた!)
⑥現在、わが国には北朝鮮の工作員は20000人以上もいるとされており、
そのうち、コアメンバーは500人である(油断ならない!)
青山繁晴氏の、北朝鮮をめぐる国際情勢の冷静な分析、拉致被害者を救出する
ための国民への覚悟を求める熱誠あふれる言葉や、横田さんご夫妻、有本さん
ご夫妻の切々とした語りかけは、涙なくして聴くことはできませでした。
更に、最後のパネルディスカッションで、「特定失踪者」のある母親が述べられた
次の言葉が特に印象に残っています。
『みなさん、わが国、日本は戦後60年平和だったと言われていますね。本当に
そうなんでしょうか。北朝鮮はわが国に拉致という型の戦争を永い間仕掛けてきた
のではないのでしょうか。ずっと、平和ではなかったのではないでしょうか……。
…少なくとも我が家族においては平和ではありませんでした。』
一瞬会場はシーンと静まりかえりました。胸を突かれる言葉であり、胸がはちきれ
そうになりました。わたし達は政治家やマスコミや文化人の平和という似非言葉を
鵜呑みにしてきたのです。そう、“実は、平和なんかじゃなかった”ということを、今、
ここに、厳しく認識しなければなりません。
ひょっとして、今も拉致されているやもしれません。人も領土も領海も、金も水も
情報も、何もかも無防備に晒されているのが現状であり、本格的な国防に注力しな
ければ国が存立していかないのではないかとの懸念を拭い去ることはできません。
さはさりながら、わたし達は一体何をすればよいのか。それは、(今やインターネット
時代ですから)各自が総理官邸などに“拉致”解決を訴えることです。真の民意が
大きなうねりとなって、国を動かすのではないでしょうか。
評論家はダメ、斜に構えるのはやめましょう。当日いただいたリーフレットにこう
書かれていました
【拉致被害者家族会が始めた署名】
20万で、政府は全く無視!
80万で、外務大臣が家族会と面会
100万で、やっと国会で取り上げられる
317万で、当時の小泉総理の訪朝、そして
5人の被害者とご家族の帰国
まず、行動、小さな行動でいいのではないでしょうか。拉致被害者を取り戻すた
めの力を出そうではありませんか。
(当日、北朝鮮が、黄海にある韓国の延坪島を砲撃し民間人を含む多数の死傷
者がでました。朝鮮半島情勢はいよいよ緊迫化し、大きなうねりが起きそうです)
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です。
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コメント
拉致問題への深い御理解に感謝します。 私は17年前に当時21才の保母職の長女を僅か3ケ月の勤務ながら過激勤務の過労自殺(裁判所認定)で失いました。その直後に13歳で拉致された我が子(めぐみさん)の奪回に叫び続けられる横田早紀江さんのお姿に接しい強い心の痛みを感じました。私は最愛の娘を失った悲痛に浸る事を横に置いて、以来微力ながら拉致被害者奪回運動に参画していました。そうした運動に関わるほどに、我が国の国家意識の低さへの驚愕に絶望的な思いに追いやられながら、拉致被害ご家族に支援を継続しております。
これは日本国民に突きつけえられた挑戦です。どうか多くの方々への認識の浸透を願ってやみません。
投稿: 岡村昭(神戸市) | 2010年12月31日 (金) 16時08分