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2010年12月17日 (金)

“心意気”を持とう…幕末の志士に学ぶ!

 251回目のブログです。

 師走もなかばとなり、何となく慌しい日が続いています。とはいうものの、先日の
12月14日は、赤穂浪士、四十七士が吉良邸に討ち入りを果たした日、いわゆる
「忠臣蔵」の日であることを忘れることはできません。(もっとも、元禄15年12月14日
は、現在の太陽暦では1月末に当りますが…)

 「忠臣蔵」の記憶が、江戸中期の元禄から現代にまで連綿と語り継がれてきた
ことは、あの四十七士の清々しい精神が日本人の心に強烈に共鳴したものだと
考えられます。

 今、わが国は何となく元気がなく、鬱々とした雰囲気に陥っている感があります
が、こういう時は思いきって歴史に学ぶことが良いのではないでしょうか。歴史の
中には数々の精神の昂揚する場面があり、もちろん忠臣蔵もその一つですが、
今回は、幕末における英傑の“心意気”に触れてみたいと思います。

    「題焦心録後」(焦心録後に題す) 高杉晋作

    内憂外患迫吾州(内憂外患、吾が州に迫る)
    正是存亡危急秋(正に是れ、存亡危急の秋)
    唯為邦君為家国(唯、邦君の為、家国の為)
    焦心砕骨又何愁(焦心砕骨、又何ぞ愁えん)

  (通釈)
     「焦心録(内憂外患、存亡危急の今こそ、志あるものは身分
     に関係なく立ち上がれ、対処せよという本)を書いて説き、
     騎兵隊を編成した後に作った詩」

    国内の政治は混迷を極め、諸外国の脅威が我が国に迫っている。
      まさに、今こそ、国家存亡の危急の時である。
     かかる時こそ、藩主の為、国家の為に、粉骨砕身、尽くすべき。
    他に何を悩むことなどあろうか。

 久し振りに漢詩に接しましたが、漢詩の持つ力強い言葉とリズムにあらためて
その素晴らしさを実感しました。高杉晋作は幕末の志士、29歳の若さで亡くなり
ましたが、その活躍は斬新な創造力と他を圧する行動にあり、「寄兵隊」創設と
「功山寺挙兵」により、明治維新樹立への決定的原動力として抜群の力を発揮
しました。

 晋作のこの名詩は、当時のわが国の現状を冷静に分析、その厳しさと危うさを
認識し、救国のために“一身を投げ出す”情熱と気迫を示しています。心にズシン
と響く見事な漢詩ですが、さすがに維新の志士、その“心意気”に感動を覚えます。

 「内憂外患迫吾州」(内憂外患、吾が州に迫る)…幕末もそうであったかも知れ
ませんが、これは、まさに、現在、平成22年、西暦2010年のことかと錯覚します。
内政での与党はガタガタ、軽量の政治、国益無視の政治、加えて中国、ロシアを
はじめとする他国がわが国に迫る姿は高杉晋作の時代背景と同じではないで
しょうか。

 ところで、菅首相は高杉晋作の大ファンとして有名ですが、あろうことか、自分
自身を現代の高杉晋作と位置づけています。菅氏は何をったのでしょうか、
事実認識に大いなる誤まりがあります。

 高杉晋作は藩を支配する俗論党を倒すために立ちあがりますが、それに反対
したのが和解派の寄兵隊総督赤根武人でした。「功山寺挙兵」の時、晋作は赤根
武人に一喝。「赤根、貴様は何をいっているか。敵(幕府)に向かう時に身内の
議論が二分していれば敗けるに決まっている。異論を包み込めばそれだけ力が
弱まるのだ」と。

 田中秀征元経済企画庁長官は、民主党と奇兵隊の差を次のように述べて
います。『私が特に感動してきたのは、「異論を包み込めば弱くなる」という高杉の
高度な政治感覚だ。民主党やその内閣と奇兵隊との決定的な違いはそこにある。
民主党は異論を無制限に抱え込んで意思統一もできなかった。その弊害は、政権
交代後の迷走につながっている。』(
DIAMONDONLINE「政権ウォッチ」より)

 赤根武人は奇兵隊を撹乱し俗論党に擦り寄ろうとしましたが、それも上手く
行かず、最後は奇兵隊を捨て不幸な最期となったそうです。菅首相とかつては
同士であった田中秀征氏は、菅首相を、高杉晋作とはまるで真逆の赤根武人に
近い俗物であると論じています。

 菅氏のような、芯と度胸がなく、あっちについたりこっちについたりする軽い人に、
明治維新の英傑(高杉晋作)を僭称してほしくありません。高杉晋作に失礼にあた
るどころか歴史の冒涜であり、歴史にもっと謙虚になるべきではないですか。
 
 さて、“日本の心意気”と言えば、何といっても聖徳太子に辿りつきます。聖徳
太子はわが国最初の成文法である十七条憲法で、「和を以って貴しとなし」とし、
「和」…すなわち話し合いを最も重要なポイントに掲げましたが、外国に対しては、
毅然とした態度を堅持し、凛とした姿勢で臨みました。

 このブログで、何回か書きましたが、遣隋使として小野妹子が隋の煬帝に渡した
国書の最初の言葉を、ここで再度確認します。

     “ 日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。
                             恙(つつが)無きや 

 聖徳太子のこの言葉は、何度読んでも、これほど素晴らしいものはありません。
凛とした姿勢が貫かれており、現在の菅・仙谷内閣の対処姿勢とは、雲泥の差、
月と鼈(スッポン)、釣鐘に提灯と言っても言い過ぎではないのではないでしょうか。

 日本を元気にするには、日本人が“心意気”を持つことだと思います。心意気は
真に自立した姿勢からではないでしょうか。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です。

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コメント

私は民主党結成直後の13年位以前に東京で行われた関係者集会に、当時私が懇意だった民主党議員の誘いでその集会に2度出席した事があります。 その2度の菅氏への私の挨拶時に、僕を見下した彼の態度の観察を通じ、私は瞬時に彼の異様な性格(権力亡者)を看破していました。彼が私淑したと喧伝する市川房江先生は彼の政治家転身には賛同できず、選挙時の推薦者にならなかった事は有名な話しですが、傍で観察していた市川先生は素早く彼の本性を看破されていたのでしょう。今の菅総理は馬脚を現しただけだと思っています。

投稿: 岡村昭(神戸市) | 2010年12月24日 (金) 09時31分

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