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2010年12月 3日 (金)

マスメディア・政治家の品性を問う!

 249回目のブログです。

        “ 秋の灯や ゆかしき奈良の 道具市 ”
                                           (蕪村)

 ごく最近、二度ほど“古都”奈良を訪ね神社・仏閣などを拝観しましたが、奈良は、
蕪村の俳句にあるように、歴史のゆかしさをわたし達の肌にそれとなく感じさせて
くれます。

 永い歴史を育んできたわたし達の先祖のかすかな息吹のお陰でしょうか、
ゆったりとした気分にひたりつつあった時、たまたま、その日の新聞記事に目が
行きました。

  両陛下 壁画を鑑賞

  奈良市滞在中の天皇、皇后両陛下は9日、唐招提寺と薬師寺を訪問した
  唐招提寺では鑑真和上坐像を祭った御影堂で故東山魁夷画伯の障壁画を
  鑑賞。天皇陛下は「これはどこの柳」などと熱心に質問していた
  薬師寺では故平山郁夫画伯の「大唐西域壁画」を鑑賞し、かつてご夫妻で
  訪れたアフガニスタンの風景に懐かしそうに見入っていた
                               (2010/10/10 朝日新聞)

 わたしはこの記事に何とは言えない違和感を覚え、3回読み返し、それでもその
感覚は無くならず、さらに2回読み返しましたが、違和感を拭い去ることはできま
せんでした。

 これは、わたしの感覚がおかしいのかなと考えましたが、そうではないと気付き
ました。単純なことだったのです。それは、こう直せば落ち着くとわかりました。
  
  両陛下 壁画をご鑑賞

  奈良市ご滞在中の天皇、皇后両陛下は9日、唐招提寺と薬師寺を訪問された。
  唐招提寺では鑑真和上坐像を祭った御影堂で故東山魁夷画伯の障壁画を
  ご鑑賞。天皇陛下は「これはどこの柳」などと熱心にご質問されていた。
  薬師寺では故平山郁夫画伯の「大唐西域壁画」をご鑑賞され、かつて両陛下
  で訪れられたアフガニスタンの風景に懐かしそうに見入られていた。

  
 要するに、敬語表現すればいいだけのことですが、この新聞(朝日)は天皇とか
皇室に敬語を使用したくない、即ち皇室を敬いたくない社論(社の基本的考え方)
に基づいて
の表現を採ったものと思われます。

 日本国憲法第一条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴で
あって…」と書かれているように、天皇陛下は実質としては元首であり、わが国の
歴史とわが国、わが国民を体現されているものであり、敬語表現されて当然の
存在ではないでしょうか。

 (朝日は、皇室を特別視することはせず、むしろ軽視をするのですが、商売として
「皇室本」を発行してかなりの利得に励んでいるのですから、その鉄面皮な卑しさ
には何をか言わんやです。…筋を通す人間からみればかなり面妖だと考えます)

 ところで、わが国は、久しく言霊の国、言霊の幸映える国と言われてきました。
そして言霊の国、言霊の幸映える国と称されるまでに、わたし達の祖先は上下
こもごも言葉を大切にしてきたのです。

 特に上流階級やリーダー層は言葉を自在に、豊かに、また丁重に使えないよう
では失格とみなされ、さらには、言葉の使い方、使う姿勢に問題があった時は、
自らの立場で責任をとらされてきたのです。

 その意味で、言葉に躍らされ過ぎるという局面もあるにはありますが、言葉の
もつ重みはいくら強調してもし過ぎることはないように思います。そして、言葉の
遣い方は適切でなければなりませんが、それには三つの要素があげられます。

   言葉は論理的であること
   感性、感情豊かな言葉を使うこと。
   知性あふれる言葉を使うこと。

 上に揚げた新聞記事は③の知性を欠いたものと言えるでしょう。本当の知性は、
その人の使う言葉にどれだけの豊かな人間性が含まれているかということです。
その人間性というものの特徴は敬語あると言えます。敬語には尊敬語と丁寧語
があり、言葉が生命のジャーナリズムであれば、日本語の微妙な言い回しのなか
で敬語を自由自在に使えなければなりません。

 この記事には、本来高貴を美徳とされる皇室に対して敬語を充分使い切れて
おらず、敬意を表すべき高貴さを、記者の低俗なレベルにまで引きずり降ろそうと
する表現をしているのですから、こういうのは本当の知性とは決して言えず、品性の
卑しさを紛々と撒き散らしていると言っても過言ではありません。

 豊かな知性、豊かな人間性は、わが国の永年にわたる営みの物語、すなわち
歴史に対し、深い愛情を持つ人以外には身につかないのではないでしょうか。
その
意味では、あるいは、朝日の方々はわが国への愛情が極めて薄く、どこかの国か
どこかの民族にシンパシーを感じているのかも知れません。(…もしもそうである
ならば、何たることかと問いかけたいもの)

 ここまで書いて、これはマスメディアだけではなく、政治家にもとんでもない輩
(やから)が居ることが明白になりました。(…もう、書くのもイヤになりますが)

 ■ 秋篠宮ご夫妻に 「早く座れよ」 

  11月29日の議会開設120年記念式典で、民主党の中井洽前国家公安
  委員長
が、来賓の秋篠宮ご夫妻が天皇、皇后両陛下のご入場まで起立された
  のを見て「早く座れよ。こっちも座れないじゃないか」と不平を漏らしていたことが
  分かった。自民党は「懲罰の対象になりうる著しく品を欠く発言だ」と問題視
  している。西岡武夫参院議長も事実関係を調査する意向を示した。

  みんなの党の桜内文城参院議員は30日にブログで「想像を絶することが起こ
  った。これでは国会崩壊だ。1人の国民として今回の野次は決して許すことは
  できない」と批判した。

  中井氏は「『早く座らないとだれも座れないよ』と言ったかもしれないが、秋篠宮
  さまに向けて言うはずがない」と釈明した。
                          (H・22/12/30 産経新聞一部抜粋)

 異様、異常、あまりにもひどい! 中井氏は、知性も、感性も、人間性も、憲法
遵守感覚も、政治センスも何もないか、あるいは確信犯かもしれません。と言う
のも、先般、元北朝鮮テロリストの金賢姫(大韓航空機爆破実行犯)をわが国に
政府招待した時、国賓級の特別扱いとし、丁寧な“敬語”を使用していたからです。
それにしても、わが国の皇室は侮蔑し、元北朝鮮テロリストには敬語を使うとは、
さすがに開いた口が塞がりません。まさに、品性の欠片(かけら)もなく、下劣
そのものであると指摘しておきます。

 ところで、他の政党にも少なからず居るのでしょうが、どうして民主党の政治家
にはこんな連中ばかりが多いのでしょうか。鳩山前首相(ルーピー)は中国の習
近平・副主席を「強引に」天皇陛下に謁見させたし、小沢前幹事長は陛下のご意向
を自分勝手に「忖度」(他人の心を推し測ること)したり、岡田現幹事長は国会開会
式の天皇の“お言葉”に「難癖」をつけたり、大幹部が揃いも揃って、皇室軽視、
皇室蔑視の姿勢を見せ付けています。

 皇室を軽視するということは、日本の歴史(皇紀2670年…何と、これも連綿と
続いてきた2670年ですよ!)を軽視することと同意語であり、それは、日本国、
日本国民を軽視することであり、したがって、彼らは、わが国やわが国民に対して
の誠実な愛着と愛情を有していないことを意味します。これで日本の政治家と
言えるのか。…嗚呼!

 日本の政治家ならば、皇室(=日本の歴史そのもの)、すなわち天皇・皇后
両陛下ならびに皇族に対して、素直に敬意を払わなければならないことは言う
までもありません。

 今の政治家で「期待できる政治家」はいないのでしょうか…しかし、こんな品性
なき、良識なき政治家を国民は支持してきたのですから、いやはや、わが国も
奈落の底へ一直線という他はありません。

 しかし、何とか奈落への道をくい止めたいものです。

 そのためには、品性なき、良識なき政治家やメディアには早期退場を強く促さ
ねばなりません。今まさに、国民すべてに「理性」を取り戻すことが求められている
のではないでしょうか。
 
 そして「正統な政治」「堂々たる政治」を実現すべく懸命の努力を重ねようでは
ありませんか。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です。

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コメント

日本は、天皇を中心とする神の国です。

日本人には日本語があり、日本語には階称 (言葉づかい) がある。
「上とみるか、下とみるか」の判断により序列関係 (義理) を作る。
義理が廃ればこの世は闇と考えられている。

日本人は、礼儀正しい。
日本人の礼儀は、序列作法である。
序列なきところには、礼儀なし。

日本人の社会は、序列社会である。
社会の構成員は、神々と下々に分かれている。
天皇は、序列最高位の人である。

天皇の御前では、全ての国民は「わし」でもなく、「わたし」でもなく、「わたくし」である。
価値観を揃えることで、日本人は一体感を得ている。安心感を得ている。
日本語の無い社会では日本人は価値観に迷いを生じ、心身ともに疲れ果てる。

序列社会では、序列判断とその作法により、人を遇する。
礼儀作法により、人々は向上心を掻き立てられている。
学校でも生徒に「身を立て、名をあげ、やよ励め」と歌わせている。

日本人の社会は、向上心により活気を得ている。
その原動力は、序列競争である。そのための試験地獄もある。
序列人間を作るのが、日本人教育の目的である。

教科の内容は、雑学ていどのものでよい。
日本人の学校は、格差を検出するための道具立てである。
だから、日本人は、序列人間となるために日本の学校で修業しなくてはならない。
四年間、大学で遊ぶことも、また序列作りに必要なことである。
生涯の協力も序列協力でなされるからである。

意思薄弱と他力本願を伴う幼児症に罹っていて、序列の外には出られない。
英国も日本も島国であるが、島国根性になるのは日本人だけである。

移民をすれば、序列社会を出なければならない。
外国では、序列判断も序列協力も成り立たず、日本人は本来の力を発揮できない。
それで、さまよえる日系人となり、精神的な不安定さにさいなまれる。

日系人は、移民先で勢力を拡大することもなく、祖国に帰って国の柱となることもない。
我が国の天皇制は、日本人に心の安らぎを与え、仕事に励ましを与える世俗の上下観である。
我々の過去を語ることもなく、行き着く先を示すこともない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812


投稿: noga | 2010年12月 4日 (土) 09時57分

全く同感です。
 貴台のご指摘の様な事が内部(幹部)で話題にさえならないのが現在のメデイアのレベルである事は政治の混迷以上に、国家的な危機だと憂慮しています。

投稿: 岡村昭(神戸市) | 2010年12月 3日 (金) 14時23分

吉田和男先生の「21世紀日本フォーラム」でお世話になりました中野です。ご無沙汰いたしております。また、いつも読ませて頂いており、感心したり、怒ったりしてます。
小生、先日より小室直樹氏(故人)の著書を数冊読みました。今回、野宗さんの言われる状況は教育の欠如が最大の原因かと。小室さんの言う「規範」「権威」等の根本的重要性が成長期に教育になされたないからと。皇室の方々に対する姿勢は今更とは思われる程の当然中の当然かと。それがこの体たらくですから。
長くなりますが、今後ともご指導賜ります様お願い申し上げます。  敬具

投稿: 中野 勝 | 2010年12月 3日 (金) 09時39分

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