« マスメディア・政治家の品性を問う! | トップページ | “心意気”を持とう…幕末の志士に学ぶ! »

2010年12月10日 (金)

媚・怯・卑屈・配慮・規制・謝罪の外交をやめよ!

 250回目のブログです。

    “ 朝露に 競いて咲ける 蓮葉(はちすば)の 塵に染まざる 人の尊さ ”
                                                              (良寛和尚)

 このブログも早いもので、今回で250回目となりました。ご愛読いただいている
方々に心より感謝いたします。

 週一回、最近は時事エッセーばかりですが、わが国から徐々に活力が失われ
つつあるように思われ、何となく元気が出ず、ある種の焦りを感ずるようになって
きました。その一因がタイトルの言葉に要約されていますが、タイトルの意味が
どんなことか、辞書をひもといてみます。

  「媚」    …こびること・へつらうこと・機嫌をとろうとすること
  「怯」    …ひるむこと・おびえること・恐怖
  「卑屈」 …自分を卑しめて、相手に屈伏したり妥協したり、へつらうこと
   「配慮」 …心をくばること・他人や他の事のために気をつかうこと
  「規制」 …規則に従って物事を制限すること
  「謝罪」 …罪や過ちをわびること

 冒頭に掲げた良寛さんの和歌は「朝の露とその清らかさを競っている蓮の花の
ように、世俗の塵に染まらない人は尊いものだ」という意味でしょうが、そんな「精神
の清らかな人」
は極めて少なく、「精神が汚濁(よごれにごること)にまみれた人」
あまりにも多くなり、われらが国民は怠惰に流れていますが、わが国の藩屏(国家
を守るリーダー)であるべき人には、汚濁が特に顕著であるように思えてなりま
せん。

 さて、いよいよ師走(しわす)、全国各地で、多彩で豊富な≪イルミネーション≫が
点灯され、市民の目を和ませています。東京表参道、大阪中之島、仙台、札幌、
大阪御堂筋、東京丸の内などなど、どれも魅力満杯ですが、全国のイルミネー
ションの頂点に位置するのは「神戸ルミナリエ」であると報道されています。

 「神戸ルミナリエ」は、阪神・淡路大震災における犠牲者への鎮魂の意を込め、
あわせて都市の復興・再生への夢と希望を託し、大震災の年から毎年開催され、
震災の記憶を語り継ぎ、都市と市民の「希望」を象徴する行事として、今年で16
回目になります。

 しかし、先日のテレビで報じられていましたが、この「神戸ルミナリエ」も本来の
意義である“鎮魂”を離れ、もっぱら“観光”と化しつつあるそうで、誠に残念と言わ
ねばなりません。たしかに、あれから15年以上も経ってはいますが、やはり、あの
悲惨だった阪神・淡路大震災の犠牲者に対する“鎮魂”の心(…これが本来の
精神
)を忘れるべきではないのではないでしょうか。

 同じことは、政治の世界でも覗うことができると思います。菅内閣の支持率が
JNNの調査で、22.0%と最低となりましたが、その根幹に、菅総理、仙谷官房
長官の、果たすべき役割の本質(…それは、国家の藩屏として主権・国民・領域
を守ること)を忘れ去るか、軽視・無視し、それを放棄するかの如き言動ばかりを
ふりまいていることにあることは明白です。

  仙谷官房長官(国務大臣・天皇陛下の認証官!)の言動各種

  『14人と船がお帰りになれば、違った状況が開けてくるのではないか』
    (9/13 尖閣諸島領海侵犯・体当り船の船員14人と漁船を中国に戻す際)

  『中国海洋調査船が周辺にいらっしゃることは確認している』
    (9/28 東東シナ海・白樺ガス田付近を航行中の中国海洋調査船について)

  『中国は司法権の独立、政治・行政と司法の関係が近代化され、随分変わ
    ってきていると認識していたが、あまりお変わりになっていなかった
    (9/29尖閣諸島沖の中国漁船領海侵犯・体当り事件で、日本政府の予想に
    反して中国側が強硬姿勢を強めてきたことに対して)

 ひどい言葉の連発。まさにタイトルに掲げた「媚」「怯」「卑屈」「配慮」外交その
ものであり、こんな言語を述べるとは、仙谷氏は正しい日本語を学んだとはとうてい
思えません(「東大」が泣きますよ)。それとも、もともと精神のひねくれた卑屈者
なのか、中国共産党心酔左翼主義者か、あるいは中国・朝鮮文化的観念的コンプ
レックス症候群なのか
、このうちのどれかでしょう。あれだけ、尖閣諸島で海上
保安庁監視船が無法無体に攻撃されたにもかかわらず“敬語”で敬意を表する
のですから、何ともはや…。

 それでは、どうしてこんな体たらくなのかを歴史に学んでみましょう。

 豊臣秀吉の時代、藤原惺窩(ふじわらせいか)という儒学者がいましたが、彼は
「中国や朝鮮では儒教という学問が浸透し、理想的な政治が行われており、非常に
羨ましい。一方、わが日本では、民衆は疲弊しており、できれば、朝鮮軍と民国軍
が日本に入り、日本を占領し、儒教をベースに民衆を救済して欲しいものだ。
…それにしても、自分としては、朝鮮か明に生まれ得なかったのは実に残念だ。」
との考えを述べています。

 藤原惺窩は有名な歌人・藤原定家の末裔ですが、何と、教崇拝が行き過ぎ、
朝鮮・明国崇拝という、異常な思想に陥
ったのです。

 しかし、この思想を笑うことはできません。これは延々と現代に繋がってきており、
その人々の名を『進歩的文化人』(戦後民主主義者)と言います。彼らは、わが国
の歴史やわが国の主権・国民・領域を徹底的に蔑み、中国や南北朝鮮等の外国を
全てに亘って羨むという観念にとりつかれているのが特徴であり、今でも大きな
勢力を有しています。

 最近、進歩的文化人(戦後民主主義者)と言う言葉は流行りませんので、
「環境…」「人権…」「自然…」「人間…」「世界…」という具合にシャッポ(帽子)だけ
を変え、外観は従来と異なって見えるように、巧妙に悪意的に演出していますが、
中身はそのまま健在だと言えるでしょう。

 戦後民主主義を高く評価するグループ、それは、大手メディアでは、朝日、毎日、
中日、NHK、TBS、テレビ朝日、文化人では大江健三郎を筆頭に岩波グループ
など多数、組合では日教組、自治労など、政治家では民主党の50%、自民党の
20%とかなりのものです。

 戦後民主主義者の主張、その本心を率直に書けば、次のようになると思います。
(博学の谷沢永一名誉教授「こんな日本に誰がした」平成7年クレスト社刊による)

  国家の恩恵はすべて当然のこととして享受する。
  反権力という姿勢をとる。国家を、人間を抑圧する「暴力装置」と定義する。
  反防衛。防衛の必要はなく、非武装でよいとする。
  反皇室。つまり天皇制廃止論である。
  反自由主義経済。経済発展・経済成長を第一義としない。
  社会主義国・共産主義国の賛美。共産主義国こそ新しい世界をつくるという
    考え方。
  暗黒史観、罪悪史観。神武天皇以来の日本の歴史、特に近代日本の歩みは、
    すべて出発点から間違った「侵略」「南京大虐殺」「悪逆非道」の歴史で
    あったという見方。
  自虐思想、自虐史観。原爆を落とされたこと、国中を焼け野原にされたことは、
    すべて日本が悪いからだという考え方。
  謝罪史観。日本はアジア全体に謝罪すべきであるという考え方。
  無反省。優越感からくる説教をするだけで、反省は一切なし。

 この10項目に照らすと、菅内閣、仙谷官房長官の、中国への繰返し繰返しの
「へつらいの言葉」や、韓国への繰返し繰返しの「謝罪談話」は、本当に納得でき
ます。また、先日仙谷長官が国会で述べた「自衛隊は暴力装置」だというのも、
②に記した通り、本心がぽろりとでたものと思われます。

 即ち、菅氏、仙谷氏は、進歩的文化人、戦後民主主義者であり、日本よりも
中国(中華人民共和国)や朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国・大韓民国)を理想と
しているとんでもない輩(やから・よくない連中)だということが明白となりました。

 菅総理(代行・仙谷長官)は、即刻、対外拝跪を止めるとともに、「最小不幸社会」
を目指すなどという陰気極まりないキャッチコピーから、「最大幸福社会」を目指す

という、明るく国民を鼓舞する政策とキャッチフレーズを掲げるべきです。

 菅さん、仙谷さん、目を覚まし、民主党ともども、もういい加減に普通の日本人に
なろうではありませんか!

 もちろん、自民党も真の日本人を目指しませんか。

 わたしたち国民も、お互いに目を覚まし、素晴らしい日本を索める行動に移ら
なければなりません。 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です。

|

« マスメディア・政治家の品性を問う! | トップページ | “心意気”を持とう…幕末の志士に学ぶ! »

コメント

ご高説に全く同感です。 国民は報道が判断材料です。日本国民の批判力ををここまで堕落させた責任の大半てはメデイアの堕落(大衆芸能化)にあると強く思っています。
 私は数年前から新聞の購読を一切中止し、自らの情報収集方法(特に国際情勢)を通じて、判断の手がかりとしています。
       岡村昭(74歳、経営コンサルタント)  

投稿: 岡村昭(神戸市) | 2010年12月10日 (金) 08時42分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 媚・怯・卑屈・配慮・規制・謝罪の外交をやめよ!:

« マスメディア・政治家の品性を問う! | トップページ | “心意気”を持とう…幕末の志士に学ぶ! »