政治家は“けじめ”をつけよ!
256回目のブログです。
“ 降る雪や 明治は遠く なりにけり ”
(中村草田男)
雪が降りしきるなか、わが母校そのものは変わっていないが、小学校からでてくる児童たちが、自分達の服装と違い、金ボタンの外套を着ているとは、歳月の流れを感じないわけにいかない。…ああ、明治の良き時代は遠くにいってしまったものだ。
俳人、中村草田男は、風俗の変わりようで時代の流れを鋭く感じ取ったのですが、この有名な俳句に重ね合わすと、今、現在の政治家の在り姿が様変わりになっているように思えてなりません。まさに、“ 降る雪や 昭和は遠く なりにけり ”でしょうか。
先日、菅首相が内閣を改造しました。仙谷官房長官と馬淵国交大臣の更迭(マスコミは交代と好意的に表現)を機にそれなりの改造となりました。尖閣諸島での対応において問責ということであれば、菅総理、仙谷長官、前原大臣の3人が当然問責されてしかるべきだと考えますが、野党(自民党・公明党・他)は仙谷・馬淵の両大臣でお茶を濁したにすぎず、自民党なども、真剣に現政権を倒そうという気構えはこれっぽっちもないと判断してもいいのではないでしょうか。
さて、改造の目玉は、何といっても与謝野馨氏が経済財政担当大臣に就任したことでしょう。与謝野氏は「自民党の比例区」で当選しましたが、離党(除名)し、「たちあがれ日本」を創設、さらにここを離党し、「民主党内閣」に加わりました。現在の党派は無所属、院内会派は民主党無所属クラブです。
与謝野氏は経済政策通として知られており、昨年1月には『民主党が日本経済を破壊する』(文春新書)という本を著し、民主党の政策を、その根本から筆法鋭く大批判してきました。与謝野氏と民主党の考えは180度異なっており(財源、ムダ、事業仕訳、年金改革、子ども手当、消費税などすべて)、これは単に「調整」で済む問題では決してありません。
ひどいですね。与謝野経済財政担当大臣の問題点を指摘してみましょう。まず第一に、与謝野氏は、前回の衆議院総選挙においては、小選挙区で敗れ、自民党として比例復活で当選した経緯があります。民主党内閣の大臣になるのであれば、当然、議員辞職し「純粋民間人」として大臣に就任しなければなりません。そうでなければ、民主主義の基盤である選挙制度の意義が失われることになります。議員辞職しないというのであれば、それは、誰がどう考えても納得できるものではありません。それにしても、与謝野大臣は、今に至るも一向に議員辞職しようとはしません。
政治家は“けじめ”をつけよ!
さらに、著書において民主党を鋭く批判しておいて、大臣として、どんなスタンスで政策実行しようとするのか、国民にわかりやすく説明してもらいたいものです。それにしても、何となく「胡散臭さ」が紛々としているようで、お身体が弱い故の血のめぐりの悪さが影響しているのかなと思う他ありません。
与謝野馨氏のビヘイビアは、明治の著名な歌人であった、祖父、祖母の与謝野鉄幹、与謝野晶子も草葉の陰で嘆いているのではないでしょうか。
ところで、菅首相が与謝野氏を経済政策の大臣に据えたということは、従来主張してきた民主党の政策(マニフェスト)を放棄することを意味します。民主党のマニフェストから経済政策がらみのもののみを振り返ってみましょう。
●消費税は議論せず
●子ども手当て26000円/月
●高速道路無料化
●ガソリン税・自動車重量税廃止
●歳出歳入改革で20兆円捻出
●国家公務員人件費2割削減
●天下り根絶
●国家予算207兆円全面組替え
●無駄なダム建設中止(八ッ場ダムなど)
これをみると民主党の選挙公約(マニフェスト)がすべて実現していない、実行されていないことが明白であり、政党として、結果的にはマニフェストがすべて嘘であったことの責任を免れることはできません。そして、マニフェストの放棄ということであれば、それはそれで、わたし達国民に対して、丁寧な説明をすることが最低限の責務と言えるでしょう。それが誠実さというものです。それにしても、菅首相は、今に至るも一向に説明しようとしません。
政治家は“けじめ”をつけよ!
最後に、小沢一郎(もうひとつの名は「小澤一郎」)氏の問題です。今月末までには起訴されるようですが、国民感情として言えば、パフォーマンスのみの政治倫理審査会ではなく、国会での証人喚問を正面から受けるべきでしょう。
疑問点は、
①現金4億円の出所はどこか? なぜ「現金」(CASH・げんなま)で動かせて
いるのか?
②政党解散時の残金(政党助成金…税金)をどこへ入れたのか?
の2点のみであり、やましくないのであれば、質問に対して堂々と答えればいいのではないでしょうか。「政治とカネ」は古今東西永遠のテーマです。それにしても、小沢氏は今に至るも、一向に説明しようとしません。
政治家は“けじめ”をつけよ!
先日、石原慎太郎氏が与謝野氏の件で、「男伊達」(おとこだて)を売ったんだ、友人として心配していると評していましたが、さすがに芥川賞作家、政治家、言いえて妙と感心しました。
【男伊達】
男としての面目が立つように振る舞うこと
強きをくじき、弱きを助け、命を捨てても信義を重んじること
また、そういう人 (大辞泉)
最後になりますが、とんでもない政治家が存在しますね。民主党の石井一副代表ですが、1月17日のTVで、『昨年は後ろ向きな話ばかりだった。尖閣で漁船がぶつかったとか、やれ政治とカネだとか、やれ普天間だとか。そんなことはどちらかと言うとちっぽけなことだ』(時事通信)と述べたのです。
これらの大問題に対する菅民主党内閣の対応のまずさが外交、内政に重大な失策として特筆されているではないか。国益を損なったではないか。ちっぽけなこととの認識は、国民意識と180%乖離しています。バッカじゃなかろうか。こんな政治家が日本のリーダーですから、いやはや開いた口がふさがりません。常識と良識と見識を欠く政治家とはこのような輩をいうのではないでしょうか。
常識と良識と見識を欠く政治家に対し、わたし達国民から“けじめ”をつけて差し上げようではありませんか!
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です。
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コメント
全く同感です。 加えて、それを報じるメデイアが思考停止状態である事に国家的危機を痛感します(私は今は一切新聞購読を中止しています)。
投稿: 岡村昭(神戸市) | 2011年1月22日 (土) 17時43分