“増税ありき・増税やむなし”…これはまやかしだ!
257回目のブログです。
“ この秋は 雨か嵐か 知らねども 今日の勤めの 田草取るなり ”
(二宮尊徳)
この秋は大雨になったり大きな嵐が来るかも知れないが、秋の豊作のために、今の努力が無になることなど考えず、今日の勤めである田の草取りを一生懸命にやろう…昨今、あらためて再評価されつつある二宮尊徳(幼名:二宮金次郎)が、今日の仕事をコツコツと“真剣に”なってやることの大切さを詠んだものでしょう。
いよいよ通常国会が開かれました。菅首相の施政方針演説やそれに対する各政党の代表質問が行われ、丁々発止(ちょうちょうはっし・激しく議論をたたかわせ合うさま)と渡り合ったり、侃々諤々(かんかんがくがく・正しいと思うことを堂々と主張するさま)と意見を闘わせはじめましたが、時世を正常に戻すためにも、さらに激論に激論を重ね、二宮尊徳の言葉にあるように、政治家としての本来の仕事を“真剣に”果たしてほしいものです。
菅新内閣の目玉は何と言っても「消費税を含む税制・社会保障の一体改革」であり、分かりやすく言えば『増税』によって財政再建を行いたいということであり、財務省の思惑に乗る大臣シフトを敷いています。
政治の中心課題は、古来「税」と「国防」と言われてきました。国防を怠たったために究極的に国家そのものが消滅してきた歴史は、古今東西数え上げれば切りがありません。「税」については、これこそが政治そのものであり、政治の争い、政治のヘゲモニー(支配権)をめぐる死闘の要因であったことは、これも古今東西数え上げれば切りがありません。
そういう意味では、「税」、「税金」、「税制」、「税体系」、「減税」、「増税」について、特に『増税』に関してはとことん議論を重ねて欲しいと思います。
昨今、マスコミも何を思ってか、増税やむなしの大合唱であり、「税収が国債発行額を下回っているのは異常であり早く増税しないと国が破綻してしまう」と、国民に将来の不安感と恐怖心をあおり立て、まさに「増税のムードメーカー」の役割を果たさんとしています。
今や、財政状況が非常に厳しいのは事実ですが、大マスコミの扇動(行動をおこすように煽りたてること)に惑わされず、冷静に『事実』を見ていくべきではないでしょうか。
平成19年(2007)、20年(2008)度の予算はおよそつぎの通り
歳出総額 83兆円
歳入総額 53.5兆円
国債発行額 25兆円
平成22年(2010)度の予算
歳出総額 92.3兆円
歳入総額 37.4兆円
国債発行額 44.3兆円
平成23年(2011)度の予算(案)
歳出総額 92.4兆円
歳入総額 40.9兆円
国債発行額 44.3兆円
この予算のなかでおかしなことが指摘されています(高橋教授)。歳出のうち、国債費が21.5兆円計上されていますが、これは国債償還費11.6兆円と利払費9.9兆円です。この国債償還費と国債は相殺されますので、国際基準による実質国債発行額は、44.3兆円-11.6兆円=32.7兆円となるのです。さらに、実質プライマリー赤字=32.7兆円-9.9兆円=22.8兆円です。
要するに、22.8兆円をなんとかせよということです。その額を歳入で増やし、歳出を抑えることで充足させることにほかなりません。44.3兆円ではなく、22.8兆円なのですから、なんとかなるのではないでしょうか。何とかすべきです。
マスコミが、真のジャーナリズムであるとするならば、表面上の事実から真実をくみとり、それを正確に冷静に報道し、政党や政府・官僚の嘘飾を白日の下に明らかにすべきでしょう。
さて、財政再建策は増税だけなのでしょうか。マスコミは増税、増税と大合唱していますが、他にも方策があるのではないのでしょうか。それは、ひとつには行政改革であり、ひとつには積極的な経済成長へ舵を切ることです。
まず行政改革について、民主党のマニフェストの行政改革は一切実行されていません。一部事業仕分けでお茶を濁しただけであり、まさに、大嘘つきと大法螺ふきだと言われても返答できないのではないでしょうか。今からでもおそくないのであり、もう一度政治に“真剣に”取り組むべきだと思います。
つぎに、積極的な経済政策。我が国が深刻なデフレ下にあるのは事実であり、デフレを克服する政策を最優先すべきです。菅首相の唱える「最小不幸社会」などという、リベラル左翼市民主義的政策を施行すればするほど、日本経済は陰々滅々、デフレを加速すればこそ、決して収束に向かわせることは不可能でしょう。
・積極的な公共投資を行うべし!
・明確なインフレターッゲトを設けよ!
(4%の名目成長率)
・新産業分野の長期育成を!
・強力な国家防衛政策を!
・乗数効果の高い政策を!
・その他あらゆる政策を総動員!
増税、増税という前に、やるべきことを大胆にやるべきではないでしょうか。我が国は過去において、苦しい中でも、経済成長で活路を開いてきた輝かしい歴史をもっているではありませんか。それも、つい昨日のことであり、わが国、わが民族はそれなりに優秀であり、叡知を結集する器量のあるリーダーさえ選べれば、経済成長の路線を歩むことができ、若い世代に対しても希望を懐かせ得るのではないかと確信しています。
それにしても、テレビで見たのですが、国会の代表質問での菅首相の答弁には、開いた口が塞がりませんでした。
質問:自民党谷垣総裁
「首相は6月までに成案を得ることに“政治生命を懸ける”と明言
した。なし得なかった場合は辞職する、もしくは信を問うため解散
するのか」
答弁:菅内閣総理大臣(首相・宰相・民主党代表)
「“政治生命を懸ける”というのは改革に向け最大限努力していき
たいという覚悟を申し上げた」
あまりにも悲しい答弁…これがわが日本国首相の言葉ですから。政治生命を懸けるという言葉は、最大限努力するという軽い言葉ではないことさえ知らないとすれば無教養そのものであり、知っていてそう言うのであればあまりにも軽い人間と言わねばなりません。あらためて、口あんぐり。こんな無教養な品性がわが国の総理とは、悲劇を通りこして悲しい惨めさを感じざるを得ません。
あぁ…!
みなさんはどのように考えられますか
次回は
時事エッセー
です
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コメント
「この秋は・・・」の歌を、二宮尊徳の歌として紹介されていますが、実は尊徳の歌ではありません。二宮尊徳全集36巻(昭和2~7年)を編集された佐々井信太郎氏の著書『解説 二宮先生道歌選』(現代版報徳全書)(昭和34年初版)(一円融合会発行、報徳文庫発売、平成5年改版)(報徳二宮神社・報徳博物館で入手可)の151頁に「たれかの歌」として紹介され、巻末索引で「二宮先生以外の人の作」と明解に否定しています。二宮尊徳の道歌の出典を徹底して調査した八木繁樹『二宮尊徳道歌集』(緑蔭書房、1982年)の134頁には「二宮尊徳の作ではないようである」とあり、314頁では「二宮尊徳の作と誤伝された道歌」の一つとして解説しています。この道歌は、淘宮術の開祖として知られる、尊徳と同時代の幕臣であった横山(春亀斎)丸三(まるみつ)の作品であり、北條宇輔編『淘祖春亀斎丸三道謌集 初篇』(北光堂、明治13年)の廿三丁表に「此秋ハ水かあらしか知らねども けふのつとめに田草とるなり」が収録されています。こういった情報は、国会図書館の『レファレンス事例』にまとめてあり、この歌の前半部分をインターネットでグーグル検索すれば、見つけることができます。この歌を尊徳翁の歌として紹介している著書やインターネットサイトは多数にのぼり、今でも拡散し続けていますが、虚偽情報がこれ以上、広がらないことを祈念しております。ご確認のうえ、二宮尊徳が作者であるという記述は削除されますことを希望いたします。お書きになっておられるように尊徳の勤勉さにふさわしい歌として誤解して受け止められ虚偽情報が広がりやすい素地を作ったのだと思います。
投稿: 柴田 昭彦 | 2014年11月23日 (日) 17時51分