“ゾンビ復活”を許すな!…東日本大震災に思う②
265回目のブログです。
(当ブログも5年を経過したのですが、先週のアクセス数は従来の数倍以上、楽に万を大幅に超すほどの驚異的多さで吃驚しています。先々週(3/11)は「日本の政治…“党員資格”に疑義あり!」、先週(3/18)は「“天の怒り”か!…東日本大震災に思う」と題して、政治の基本についての常識を、一国民の立場から述べたのですが、こんな“普通の見方”に多くの方が共感していただいたものと考えています。)
東日本大震災が生じてから、早、2週間が経ちました。被災者の置かれている実態や、今だに未解決である原発の緊迫した処置状況は、メディアを通じて連日報道されていますが、あらためてこの地震の凄まじさを感じざるを得ません。
民主党・菅内閣は、そこはそれ、それなりの危機感もあり、懸命の対応策を講じているようですが、はたして当を得ているのか、正道を歩んでいるのでしょうか。“普通の見方”、すなわち常識的、良識的な観点から考えてみたいと思います。
まず、菅首相は本当に、発言や行動に「国家・国民」(もちろん日本のこと)のみを念頭においているのかどうか、非常に疑わしい点が多々あります。
たとえば、計画停電は、本来国が主導して東電に指示すべきであるのに、3/13の国民へのメッセージでは「私は東京電力に対して、東京電力管内で計画停電を実施することを了承いたしました」と述べ、東電に丸投げです。責任逃れか政府内統一組織が未確立のどちらかでしょう。
また、原発対応で悪戦苦闘している最中、3/21総理自らのヘリコプター視察を発表しましたが、批判に耐えきれず中止となったことなど、その行為が原発対応に障害であることは100も承知ではあっても、あえて「パフォーマンス」を求めるという、政治屋としての面目躍如です。わたしたちは首相の言動を期待を込めて注視しているのですが、国民の生命など、頭にはこれっぽっちもないことが証明されました。あるのはパフォーマンスのみです。ああ!
さて、今、救助、救出、救援、復旧の最前線で、ある意味身命を賭して懸命に活躍している(というよりは、いただいていると言うべき)のは、自衛隊、警察、消防、自治体、さらには東電の一部であることは、周知の事実です。わたし達国民は、この方々の、国家国民に対しての献身に心から敬意と感謝の気持ちを持っているのではないでしょうか。
ところが、閣僚のなかにはとんでもない輩がいます(⇒海江田大臣)。自分だけは東京の快適な官庁ビルに居りながら、被爆を恐怖しつつ作業を行わねばならない東京都消防レスキュー隊に対し、無法な権力強権的な心ない脅し(従わなければ人事罰を科する)を弄し、彼らの士気を貶めたのです。当該閣僚は、レスキュー隊らの献身的な活動に対して感謝の心を有さない冷血権力動物と言うべきであり、日本人の心を有しているとは到底思えません。
さて、民主党には自衛隊をけなし米軍を毛嫌いしてきた政治家が多くいますが、菅首相がその人たちを「重用」(ちょうよう・重要な職務や地位につかせて用いること))していることを認識する必要があります。彼ら反自衛隊、反米軍の政治家たちは最近とみに跋扈していますが、この大震災で大活躍する自衛隊や、艦船派遣までしたアメリカの救援活動を見て、現在、どのような心境にあるのかを聞いてみたいものです。はたして、自分の心の中で、葛藤はないのでしょうか。
おそらく、わたし達とは精神構造が大幅に異なっているので、誠実さの証ともいうべき内心の葛藤や深刻な反省は全くないのでしょうが、あらためて彼らの過去の発言をひもといてみましょう。(あまりにも非人間的なイデオロギーに驚き!)
仙谷由人(官房副長官・前官房長官)
「自衛隊は暴力装置だ!」
蓮舫(内閣府特命担当大臣・節電啓発等担当)
「自衛隊はディズニーランドを見習ったら如何です!」
辻本清美(内閣総理大臣補佐官・災害ボランティア活動担当)
「自衛隊は違憲や! いらん!」
湯浅誠(内閣府参与)
「自衛隊は貧困ビジネスだ!」
北澤俊美(防衛大臣)
「“トラスト・ミー”発言を想起させた陸自連隊長の発言は
クーデターに繋がる極めて危険な思想だ。自衛隊を賛美して
甘えの構造をつくることが最も危険だ」
菅直人(内閣総理大臣)
「えっ? 僕が自衛隊の最高指揮官だったの?」
つい先日、菅首相は内閣総理大臣補佐官に、あの辻本清美議員を任命しましたが、彼女はコチコチの反自衛隊論者であり、反自衛隊の積極的な行動家ですから、今、自衛隊を否定するような輩を任命するとは、菅氏は何をとち狂ったのでしょうか。あるいは菅氏も反自衛隊ですから(とはいうものの最高指揮官ですが…)確信犯と言うべきでしょうか。
それにしても、極左・反自衛隊の仙谷氏も官房副長官に復権とは、いったい菅首相は本当に国民の救援を行おうとしているのか極めて疑わしいと考えます。
つけ加えて、これは政界だけではありません。マスコミのデタラメさにも開いた口が塞がらないのです。
先日、テレビに、地震災害のコメンテーターとして、なんと、前兵庫県知事の貝原氏が登場していました。彼は阪神淡路大震災の時、伊丹の自衛隊に救援依頼することを最後の最後まで拒んだ人物であり、気骨ある課長が独断で依頼することで、助かった人がかなりあったのです。彼がもっと早く決断していれば、1500人~2000人は助かったと言われています。自衛隊を嫌悪することが肝心で県民を救助することを躊躇するという極めて人間性を喪失した人間を、あろうことか、今回の東日本大震災のコメンテーターとして呼ぶマスコミの出鱈目さ、不誠実さにはあきれてものも言えません。
国政も地方政治も、無責任、無反省の人を復活させるべきではありません。「公」(国家・社会)のための信念がかけらもなく、この場に及んでも「私」「自己のイデオロギー」のみを求めんとする政治家は最低であり、彼らをゾンビのごとく生き返らせることは決して国家社会のためにならないと考えます。
もう、菅氏ではダメでしょう。菅氏が総理をやる以上、わが国はとんでもないことになりそうです。ものごとを総合的に常識的に判断できる人であれば誰でもよく、たくさんおられるのではないでしょうか。
わたし達も、もう、覚醒しなければなりません。
凛とした人物、凛とした政策で復興への道を目指したいものです。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です
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コメント
福島原発の電源を引く作業が着々と進んでいる。
これができると恒久的な冷却ができるらしい。早くそうなってほしいと念じる。
しかし、一方で放水の困難さばかりが報道されて、一定時間の一定の被ばくという制限が最大の関心事になっている。
だが、ふと思った。電線を引っ張りこんで繋いだり切ったり、固定したりする作業は屋内作業の筈だ。
自衛隊、消防、東電の人々は「何メートル離れて」という作業だが、電機屋はもろにかぶ
ってやっているだろう。
もし、この大事故が無事に収束した暁には、本当に感謝すべきは「電機屋」である。殊勲第一等の、この無名の人々をこそ顕彰すべきで、政治家などが勲一等などという茶番はやめるべきだ。
投稿: 鎌倉 | 2011年3月25日 (金) 11時03分
この文章が、被災している私にとって、
なんの意味があるのか?
100年後に、その意味がわかるのか。
災害の中で、ここぞとばかりに日ごろの
鬱憤をぶちまける、こんな論は、
読んで損した!
投稿: 被災者k | 2011年3月25日 (金) 09時02分