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2011年4月 8日 (金)

“復興への王道”を問う!…東日本大震災に思う④

 267回目のブログです。

   “ 汝や知る 都は野辺の 夕ひばり 上がるを見ても落つる涙は ”

                                        (飯尾彦左衛門)

 この京都は応仁の大乱のために焼け野原になり、そこから夕ひばりが空へさえずりながら上がっていくが、それを見てもはたはたと落ちるわたしの涙を、夕ひばりは知っているのだろうか……この詠嘆は応仁の乱(応仁元年1467~文明91477)跡の都の状況に対してのものですが、このたびの東日本大震災による情景は、大乱以上の様相を示しており、自然の暴威によるものとは言え、誠に“無惨”の涙から逃れることはできません。

 大震災が生じてから既に1か月、漸くにして復旧への道を歩み始めましたが、前途はすこぶる多難であり、特に原発についての最終処理はどうなるのか、今、全国民は固唾を飲んで見守っているのではないでしょうか。

 それにしても、こんな時ですから言いたくはないのですが、政府(内閣)の認識に、“危機意識”を欠いているとしか思えないのは誠に残念なことです。それは、国家の危機に国が対処する機能組織『安全保障会議』が厳にあるにもかかわらず、不思議なことにまだ一度も開いていないことです。

何たることか!

安全保障会議は昭和61年(1986)国防に関する重要事項および重大緊急事態への対処に関する重要事項を審議する機関として、内閣に正式に設置されたものです。メンバーは総理以下、総務、外務、財務、経産、国交、防衛、内閣官房の各大臣と国家公安委員会委員長で構成された立派な組織なのです。

 「復旧段階」では既存の組織をフル活用し、その実をあげていくのが常識であるにもかかわらず、菅首相は、屋上屋を重ねるように実態機能を発揮できない組織を次から次へと捏ね上げており、これは、今の政府に“非常事態”の認識が欠けているかあるいは認識が全くないかのどちらかでしょう。

 あるのはパフォーマンスと政局のみ、と言えば言い過ぎでしょうか。

 このたびの東日本大震災は、産経新聞の田村編集委員によれば

  一次災害 … 自然災害(地震、津波)

  二次災害 … 人的災害(政府・東電の無能なリーダーによる)

  三次災害 … 政策災害

に分けることができ、今、復興増税構想や大規模財政出動回避などの三次災害(政策災害)が懸念されるとしています。

本来、想像以上の自然災害は避け得ないことかもしれませんが、人的災害や政策災害は、国家意識を持った叡知と幅広い知識と真の勇気で、避け得ることはできるにもかかわらず、既に二次災害をもたらしており、三次災害が目前の段階です。

 復興への王道は、非常事態の認識のもと、大胆な財政出動を行い、新機軸を打ち出すこと以外にはありません。そのためには、政府の知性と行動力が必要不可欠であることは言うまでもないことです。

わたし達、被災者でない一般国民(菅首相が大好きな無国籍世界市民ではありません)ができることは、義捐金(義援金・慈善や被災者救済のお金)を出したり、通常の生活のなかで、被災県(岩手・宮城・福島など)の産品を意識的に購入することなどが挙げられます。

 いよいよ、桜の木々が、地上での悲劇に同情しながら、例年のように、美しい花びらを満開に広げようとしています。この時、世間は自粛ムードで「お花見」さえも止めようとする動きがありますが、とんでもありません。経済は全体が動かなくては貧する一方ですから、部分を止めることは避けなければならず、したがって、お花見は積極的に行うべきでしょう。

 今年の花見は、自粛ではなく、いわゆる「バカ騒ぎ」だけは止め、自然の造形の美しさや自然の恵みに対し感謝の心を持ちながら、穏やかに、静かに、杯を酌み交わすべきだと思います。わたし達国民が選んだわが政治が、歴史と自然への畏れ、畏敬の念を失い、傲慢に傲慢を重ねたことが、“天の怒り・地の声”を呼んだとも言えますので、今年は“自然との対話”を心がけるべきではないでしょうか。

 今、政局は「連立」をめぐって活発な駆け引きが行われているようです。これも、表向きは国家国民のためということですが、裏は、復興予算(10兆円~30兆円)をめぐっての相変わらずの利権争い、権力への執着、責任の押し付け合いでしょうが、半年間は与野党協力して復旧対策を実施し、それ以後は基本的な国家構想』をめぐって、政党間で大激論を活発に闘わしてほしいと考えます(下記)。これを経てはじめて政治が王道を歩めるのではないでしょうか。

経済成長路線か社会福祉路線(民主党4K路線)
親中か親米か真日か
国民主義か市民主義か
中央集権か地方分権(地方主権or道州制)
民営化か国営化か
防衛力維持強化か防衛力削減弱化か
現行憲法即時改正か現行憲法未来永劫不改正か
国家危機管理必要か不要か
日教組(=文科省)教育方針は是か非か
公務員と民間の格差をどうみるか
領土(尖閣・竹島・北方千島)は日本固有のものと判断するか
首都機能分散は是か非か

 わたし達国民も、今は復旧の段階ですが、本格的な復興に向かう段階では「私」ではあっても「公」の立場で考えを廻らす必要があるように思えます。今回の奇禍を将来に生かすためにも…。

 先日、ある友人から大阪大学の卒業式での鷲田総長の式辞を紹介されました。鷲田総長は、前途に希望あふれる若者に対して、文化人類学者の梅棹忠夫氏の言葉を引き「請われれば一差し舞える人物になれ」と励ましていますが、その前に、社会のリーダーとしての心構えを説いていますので次に一部抜粋します。

「…市民社会、その公共的な生活においては、リーダーは固定していません。市民それぞれが社会のそれぞれの持ち場で全力投球しているのですから、だれもいつもリーダー役を引き受けられるとはかぎりません。だとすれば、それぞれが日頃の本務を果たしつつ、public affairs については、あるときは「いま仕事が手を抜けへんので代わりにちょっと頼むわ」、あるときは「本業のこと、ほんとは心配なんやろ、しばらくはおれがやっとくわ」というふうに、それぞれが前面に出たり背後に退いたりしながら、しかしいつも全体に目配りしている…そういうメンバーからなる集団こそ、真に強い集団だということになるでしょう。

いいかえると、日々それぞれの持ち場でおのれの務めを果たしながら、公共的な課題が持ち上がれば、だれもがときにリーダーに推され、ときにメンバーの一員、そうワン・オブ・ゼムになって行動する、そういう主役交代のすぐにできる、しなりのある集団です。その意味では、リーダーシップとおなじくらい、優れたフォロワーシップというものが重要になってきます。自分たちが選んだリーダーの指示に従うが、みずからもつねに全体を見やりながら、リーダーが見逃していること、見落としていることがないかというふうにリーダーをケアしつつ付き従ってゆく、そういうフォロワーシップです。…」

 素晴らしい話ですね。社会人は、ビジネスマンであってもそうでなくても、public affairsに関しては「公」の立場で考えることが重要であると示唆しています。この鷲田総長の式辞を、本来、公の立場でのみ考えるべき政治家に読んでほしいと思うところ大なるものがあります。

(全文は下記アドレスからどうぞ)

http://www.osaka-u.ac.jp/ja/guide/president/files/h23_shikiji.pdf

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回は
時事エッセー
です

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コメント

 まったく同感ですね。
国の危機管理っていったい何?
何もかもが覆い隠されているようで、どこまで
信用すればよいのかわからなくなってしまいます。
あまり真実を報道しすぎて、大パニックになるのを避けたい配慮があるのかもしれないですが。
 ただ、だから民主党政権が悪いのだ!と言う人もいますが、どの政権が運営していても結果は
同じだったように思われます。
 一方、原発反対と危険性を指摘する人も、では
電力不足をどう対処すればよいか?自分の問題になるといいアイディアはないのだろうと思います。
 批判は、いつも格好のいいことが言えます!
そんなことを考えると暗い気持ちになってしまいます。

投稿: joya | 2011年4月 8日 (金) 16時31分

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