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2011年5月 6日 (金)

“いわゆるGW・国民の祝日”に思う!  

 271回目のブログです。

             “ 春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな ”
(蕪 村)

 沖には春霞がたなびき、穏やかな空と海が広がり、紺碧の春の海は、一日中のたりのたりとうねっている、ああなんとのどかな風景だろうか…これは蕪村(江戸中期)の有名な句であり、まるで一幅の絵を見ているようです。春の海を眼前にすれば、例年ならば、こんな心象をいだくのでしょうが、今年は大震災、地震に伴い荒れ狂う大津波を経験すれば、とてもとてもこのような穏やかな心境にいたることはできません。

 今、GW(ゴールデンウイーク・429日~58)の最中ですが、今年はGWという言葉がなかなかピンときません。大震災の跡があまりにも生々しく、それに加えて政府のモタツキが甚だしく、復旧、復興への道につながる糸口も見出されておらず、ゴールデンという言葉が白々しく感じられるほどです。

 わたしは、以前から「ゴールデンウイーク」に異を唱えてきました。ゴールデンウイークという言葉は、この期間を単なる「休日」としてのみ捉えようとするからに他ならないからです。

4月29日から5月8日の間には、国家として、歴史として、民俗として、重要な“祝日”“祭日”があることを、わたし達は明確に認識しなければならないのではないでしょうか。

 それでは、「GW・祝日」雑感を気軽に記します。

「昭和の日」4月29日

昭和天皇の御誕生日(明治34年4月29日)であり「激動の日々を経
  て、復興を遂げ
た昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日と
   して 制定された国民の祝日です。

   先の大戦(大東亜戦争・第二次世界大戦)に敗れたわが国が、大国にまで復興を遂げた背景に、英邁なる昭和天皇の存在を見逃すことはできません。終戦の詔書(玉音放送)、全国御巡幸、皇室祭祀など、常に国民の安らかならんことを願われた、国民紐帯の中心としての昭和天皇を心静かに顧みる一日だと思います。

  特に、先日、今回の大震災に際しての今上陛下のおことば(平成の玉音放送ともいうべきもの・268回目ブログに掲載)を謹聴しましたが、わが国における皇室というものの存在が、いかに貴重で偉大なものであり、国民精神の縁(よすが)であるかということを、あらためて、再認識しました。

 「憲法記念日」5月3日

  被占領下に制定された日本国憲法の施行(昭和22)を記念し、国の成長を期するとして制定された祝日です。

  あらためて感ずることは、憲法制定後64年経過しているということです。そして、この憲法が占領下に制定され、その後一度も条文、文言が改定されていないことです。この64年間の経済・社会・技術・国際環境が激変しているにもかかわらず、全く触られてもいなこと、まるで<憲法=不可侵=絶対=神様>ではないでしょうか。

  常識で考えてもおかしいですね。今回、未曽有の大震災が生じましたが、政府(菅政権)は非常事態宣言を発していません。こういう国難に際しては、本来、非常事態宣言が発令され、緊急体制が敷かれるべきですが、如何せん、わが国の憲法には「非常事態規定」がないのです。これではどうしようもなく、あらためて、現憲法が「欠陥憲法」であることが明白になりました。

  憲法のために国民があるのではなく、国民のために憲法があるという常識に、すみやかに還るべきではないでしょうか。もはや待ったなし、安全な国をつくるためにも、わたし達はわが国の憲法を現実に合わせるべき“改定(改正)”に即時着手しなければなりません。

 「みどりの日」5月4日

  自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ日として
  制定。

  今、国民の祝日は1年間で15日あります。あまりにも多すぎ、国民は“祝日の感覚”を持っていないのではないでしょうか。わたしは、
「みどりの日」(5/3)、「海の日」(7/18)、「敬老の日」(9/19)、「体育の日」(10/10)は、祝日ではなく「休日」にすべきだと主張しています。

  祝祭日と休日とを明確に分け、メリハリを効かさなければなりません。ダラダラした惰弱な環境を廃し、適度な緊張ある社会の方が健全ではないでしょうか。

 「子どもの日」5月5日

  未来を担うこどもの人格を重んじ、幸福をはかると共に、こどもは自分を生み育ててくれた親に感謝する日として制定。(いわゆる端午の節句)

  近年はこどもの日の象徴である「鯉幟(こいのぼり)」を揚げている家が非常に少なくなったように感じます。こどもの成長を希うこいのぼりが空を悠々と泳ぐ風景は得も言われない未来への明るさを示しているようで、当事者でなくても心が浮き浮きする初夏の風物詩です。

  ところで、こんな話も聞きます。あるところでは、あまり豊かではない家では大きな鯉幟を揚げられないので気の毒であり、地域全体で全ての家が鯉幟をあげるのを廃止しようという動きがあったとのこと。

  何たるありさま。悪しき平等主義、差別反対主義がこんなことにまで来
  ているとは!
これを推し進めれば、画一主義、全体主義、独裁主義、共
  産主義社会になるのが必然であり、これは歴史に否定された思想では
  ないですか。

 現在、わが国が活力を失っている要素の一つが、<あらゆる差別=悪>と言う左翼思想であり、小学校の運動会で1位、2位、3位をつけないなどという愚かなことが堂々とまかり通っていることです。実社会は、世界的に厳しい競争裡にあるというのに。

祝日だけで4日もあり、それぞれ色んな感懐がありますが、何とか明るい展望を開くべく努力したいものです。(それにしても、祝日の国旗掲揚がすくないですね。5月5日子どもの日には、わが家の近辺では、わが家を含めて数軒のみです。…これではわが国の力は落ちていく一方かもしれません。)

みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回は
時事エッセー
です

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コメント

 ご高見拝読しました。
 現在の事態は国家の非常事態宣言に匹敵する政府主導管理(従い総理が全責任を負う)すべき状況と思っています。 しかるに菅総理は自らの責任に帰趨する手段を避け、一方情報操作を通じて世論誘導し、実質的には指揮権発動⇒延命策を打っている事は許しがたい欺瞞だと憤慨して、知己を得ている在京の言論人と懸命に意見交換しています。

投稿: 岡村昭(神戸市) | 2011年5月13日 (金) 11時46分

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