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2011年7月15日 (金)

自然を畏れよ!…大震災後4ヶ月に思う

 281回目のブログです。

   “ 澄めば見ゆ 濁れば隠る 定めなき この身や水に やどる月影 ”
(藤原永範・平安時代後期)

 心が澄めばよく見えるが、心が濁れば隠れてしまう。無常なこの身は水に映る月のようなものだろうか…。

 静かで澄んだ水面には月は映り、波がたち濁った水面には月は映らない。人の気持ちもこのようなものであり、心が穏やかな時は水面に月が美しく映るが、心が荒れて穏やかさを欠くと月は映らなくなってしまう…この状態は、まさしく今の菅首相を表象しているようで、平安時代の和歌とは思えないほどです。

 心が荒れ、穏やかさを欠き、一部では精神上のことさえ囁かれているほどのイライラ感は、わたし達国民(菅総理のことばで言えば市民)すべてに伝わってきているのではないでしょうか。

 先日、著名な島田千葉商科大学学長がTVで「菅首相は人から聞いた意見を深く検討することなく、そのまま自分の意見として公表してしまう人物であり、はっきり言って普通の人以下の能力です。また、自分がいなければ日本がダメになると信じているため余計に危険」と明言しました。(7/11

 たしかにその通り、菅内閣・政府の有様は混乱と迷走の繰り返で、もはや、わたし達が経験した企業などの普通の健全な組織とは異なり、異常、異様さで突出しています。

 これはこれで大問題ですが、東日本大震災が発生してもう4ヶ月も経過しましたので、ここで「災害」「地震」などについて一度静かに振り返ってみることが肝要ではないかと思います。

 今回の地震や津波は、現代の判断基準を大きく上回るものでしたが、古い歴史をひもとけばこの程度の現象も生じており、古文書や自然災害への留意を促す「碑」も残されています。

 古来、天変地異は祭りごと(政治のこと)が正道を歩まず、邪道を闊歩している時に生ずるとされ、「天」や「自然」の恵みに感謝し、畏れ(恐怖ではなく、敬いかしこまること)を懐きながら政治を行うことが正しい道とされてきました。それに反し、不遜な心、我欲専一、腐敗の心根が邪な道とされています。

 「自然への畏れ」…これを、わたし達日本人は無くしてはなりません。

 さて、いよいよ夏祭りが始まります。祇園祭、天神祭のような大々的な祭りもありますが、各地元では氏神様のお祭りが行われ、笛や太鼓、夜店、花火、なかなか楽しいものがあります。

 その夏祭りが行われる神社、日本人の心の信仰、習俗である神道について、ある宗教学者は「自然の中に神々を見た信仰」だと言っています。

 日本は、温暖な気候により豊かな自然に恵まれており、春夏秋冬、四季の変化を存分に楽しむことができますが、一方、いつもそのような穏やかな時ばかりではなく、自然の猛威、暴威による災害を受けることもあります。

 恵み」と「災害」、この二つを持つ自然界ですが、古来、日本人は自然界のえも言われぬ一つ一つの働きに対して感謝と畏れの気持ちをもって崇めてきました。それは自然界のすべてに対してであり、海の神、水の神、山の神、木の神、石の神、すなわち八百万の神に、感謝と畏れをもって祈りを捧げてきたのです。

 しかしながら、現代日本人は、ややもすると自然に対して傲慢な対応や不遜な態度を示しがちとなり、加えてイデオロギーや理屈過多の尖った世相の影響もあり、自然への謙虚さを慎み深く保持していくという穏やかで凛とした姿勢を失いつつありました。

 とはいうものの、これだけの大災害を目の当たりにしますと、本来有している日本人としてのDNA(自然に対して「感謝」と「畏れ」の気持ちをもつこと)が沸々と湧いてきているのではないでしょうか。

私たちは、日本の伝統的精神をあらためて再認識する必要があります。

 その意味で、わが国を代表する偉人であり、日本精神の体現者でもある西行と芭蕉が伊勢神宮に参詣した折詠んだ、よく知られている和歌と俳句を鑑賞してみたいと思います。

 “なにごとのおはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる”
                    (西行・伊勢神宮参拝の折)

“ 何の木の 花とは知らず 匂ひかな ”
          (芭蕉・伊勢神宮参詣の折)

 神すなわち自然を敬い、そのなかで清らかに心を通わす心象を穏やかに清澄にあらわしている素晴らしい和歌であり俳句ではないでしょうか。

 戦後60年以上も経過しましたが、日本とは何か、日本精神とは何か、日本の伝統とは何かという根本の命題を横に置いたままで過ごしてきたと思います。このたびの大震災を機に、そのことを静かに考えるべきではないでしょうか。そして自信を取り戻さなければならないと思います。

 そのためにも、神社(神道=日本の民族信仰)で行われる夏祭りは積極的に大いに楽しみ、祭りの由来などにも関心を持ちながら、自然とのかかわり合いなどに思いを廻らしたいものです。

みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回は
時事エッセー
です

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